第7話:宿屋の小さな天使様

 朝目が覚めると、少し寝ぼけたままの体を動かして宿の裏庭まで下りる。


 既に調理担当である親父さんは起きているのだろう。途中で通りがかる厨房の方から、仄かにいい匂いが漂っていた。


 この後の朝ご飯を楽しみにしつつ、裏庭の井戸から滑車で冷たい井戸水の入った桶を引き上げた。

 パシャパシャ、とその水で顔を洗い、ついでに寝ぐせのついた髪を軽く濡らす。


 本当は火の魔法と風の魔法を合わせてドライヤーのようにやりたいのだが、才能が(カス)な俺ではそこまでの出力は出せないためこのまま自然乾燥だ。


 幸い天気も晴れているため、軽く濡らした程度であればすぐに乾くだろう。


 朝食ができるまでは部屋で待つか、と再び部屋まで戻ろうとしたのだが、その途中で小さな宿屋さんと鉢合わせた。


「あ! おにいさん!」


 未だ朝早くだというのに、俺とは違った軽快な足音を響かせるのは、現在俺が拠点としているこの宿『安らぎ亭』の一人娘であるリップちゃん。

 まだ7歳らしいのだが、立派に宿のお手伝いをしている宿屋さんである。


「やぁ、リップちゃん。朝から偉いねぇ……」


「おしごとだもん! えっへん!」


 腰に手を当てて胸を張るリップちゃんは褒められて鼻高々らしい。

 だが俺が7歳のころなんて、家のことなんて手伝わずに遊びまわっていたクソガキだったのだ。比べるまでもない。


 偉いなぁ~、と頭をわしゃわしゃとまるでペットを撫でるようにしてやれば、「わー!」と嬉しそうに叫びながら駆け出して行った。


 一人になったところでもう一度部屋まで戻り、身だしなみを整えたら朝食までの間空間魔法の練習だ。

 とはいえ、小さな宿の部屋の中なんてできることは限られている。


 持ち込んだ木の枝を『断裂』で切断したり、1メートルもない距離を『転移』で移動したりする程度だ。

 あとは、『サルでもわかる楽しい空間魔法』を読むくらいなもの。最近新たに『固定』の魔法を覚えたため、この時間も無駄ではないだろうが。


「おにいさーん、ごはんですよー」


 部屋の外からリップちゃんの声が聞こえたため、読んでいた本を背負い袋にしまい、さらにその背負い袋を『拡張』した胸ポケットにしまって立ち上がる。

 鍵ではなく、内側から閂をかける形式の『安らぎ亭』は、宿屋の人柄は大変よろしいのだが、防犯面ではあまり信用できていないのだ。


「リップちゃん、呼んでくれてありがとうね。すぐに行くよ」


「えへへ……リップ、えらい?」


「そりゃぁもう、将来は立派な宿屋さんだねぇ」


 嬉しそうにはにかむリップちゃんが、こっちこっちと俺の手を引いて一階の食堂へと向かう。

 こけないようにと注意しながら階段を降りれば、解体屋のおっさんにも負けない体躯をしたムキムキの男が待ち構えていた。


 俺とリップちゃんを見た彼は、直後、ゴブリン程度なら睨み殺せそうな目で俺を――


「おとうさん! つれてきたぁー!」


「偉いねぇ~リップゥ~!! 流石俺の娘だねぇ~! 偉いぞ~! す~ごく偉い!」


「えへへへ、ほめてくれるおとうさん、すきー!」


「ハゥッ!? お、おれの娘がか、かわいすぎるぅ……!!」


 ――見たかと思えば、リップちゃんの一言で見事に撃沈した。


「朝から何してるんですか、親父おやじさん……」


「黙れ小僧……! 貴様にお父さんと呼ばれる筋合いはねぇ……!!」


「言ってないです」


 褒められて喜んでいる娘に決して聞こえないようにするためなのか、急に立ち上がって詰め寄ってきた親父さん。


 この人が、ここ『安らぎ亭』の主人であり、リップちゃんの父親でもあるゴリアテさんだ。

 俺は親父さんと呼んでいる。


「それより、今日の朝食は何ですか? もうお腹が空いてまして」


「ん? なら早く席に着け。今出してやる」


 適当に開いている席を見つけて座れば、少しして「おまたせしましたー!」とリップちゃんが木製のトレイに乗せられた朝食を運んできてくれた。

 お礼を言って受け取ってみれば、トレイに乗せられていたのはいくらかの野菜と肉が入ったスープとパンだった。


 ただ、一口にパンと言っても俺の知るやわらかいものではなく、日持ち重視の固いパンだ。

 それをスープに浸しながらゆっくりと食べる。


「(まぁ、こういうところは前世の方がよかったと思えるところだな)」


 前世の食事を思い出すとやるせなくなるため、これはこれでいいものだと思いながら食事を進める。

 するとカタン、と隣でトレイが置かれた音がした。


「リップもごはんー!」


 笑みを浮かべながら隣の席へとついたリップちゃんは、俺と同じようにスープにパンを浸し、それを「おいしー!」と言いながら食べていた。

 後ろで親父さんが嬉しそうに泣き崩れていた。


「(……まぁでも、最近までのことを考えれば仕方ないか)」


 ボーリスの街のメインストリートから離れた薄暗く、人気の少ない場所にある『安らぎ亭』。

 料理上手だったらしいリップちゃんのお母さんを数年前になくしたことも拍車を掛けたのだろう。


 今は泊まってはいるが、リップちゃんがかわいらしい以外には、お世辞にもいい宿だとは言えなかった。

 何せ宿はボロいし主人である親父さんの人相は悪い。料理は親父さんが頑張っているそうだが、それでもめちゃくちゃ美味しい、とまではいかない程度だ。

 

「(俺が来るまで、客いなかったもんなぁ)」


 宿の部屋数も数人程度であるため、一階の食堂もそれに見合った大きさだ。

 だがしかし、客として席に着いているのが俺一人となると、そんな小さな食堂も広く感じる。


 宿屋は客がいなければ儲からない。そして儲からなければどうなるかは想像に容易い。

 ここ数日、ランページファングの肉を持ち帰るようにしてから、リップちゃんが元気になっているように見えるのは気のせいではないだろう。


 もう数ヶ月でもしっかり食べれば、もう少し健康的になるはずだ。


 そうしてリップちゃんと同時に食べ終えた俺は、リップちゃんと並んでトレイの食器を厨房の親父さんに手渡した。

 食べ終わったリップちゃんは「おへやのおそうじしてくるー!」と二階へと駆けあがっていく。


 そんな彼女の様子を見送ると、「今日はどうするんだ?」と親父さんの方から声がかかった。


「そうですね。この前星2つにも上がりましたし、見学がてら街をうろついてから討伐系の依頼を受けようかと」


「そうかい。気をつけろよ」


「ええ、ありがとうございます。ランページファングでも狩れれば、また肉を持って帰りますよ」


「……わりぃな、気ぃ使わせちまって」


 申し訳なさそうな親父さんに、いえいえと笑っておく。


「宿泊代のみで、食事もいただいてるんですから」


「当然だろ。情けねぇ話だが、今のうちの食事はおめぇさんの厚意で成り立ってるようなもんなんだ。それに、リップもよく笑うようになった。感謝している」


 厨房でそっぽを向いているおじさんに需要なんてないだろうに。

 照れても可愛くないですよ、と笑えば親父さんは「るせぇ……」と黙ってしまった。


「ほれ、出るなら早く行け。そんで、ちゃんと無事に戻ってこい。まずくはない飯と、うちの天使様が待っててやる」


「ええ、頑張ってきますよ。怪我してる姿は見せれませんしね。あとできれば、もっとおいしい料理になると嬉しいのですが」


「ケッ、あと数年は待ってもらわねぇと無理な話だ。それと! うちの娘はやらねぇ……!」


「はいはい、わかりましたわかりました」


 流石に7歳相手にそんなこと思わねぇよと内心で零しながら『安らぎ亭』を出る。


 ギルドのあるメインストリートまで暫く歩く必要があるため、親父さんに言っていた通り道中の店を物色しながら歩を進めた。


 なぜわざわざ離れた宿を拠点にしたかについてだが、初日にやらかしたことで人目を避けようと宿を探した結果だ。

 人通りも少ない場所の、客のいない寂れた宿。それがあの『安らぎ亭』。


 予想外に可愛らしい少女がいたが、まぁそれくらい。俺の求めていた拠点としては最適だったのだ。


「まぁ、今となっては過ごしやすいいい宿だとは思うけど」


 強いて言えば、寝具が固いくらいだろうか。部屋はボロいが、手入れ自体はしっかりしているためそこまでの不満はない。

 というか、前世を基準にしてしまうとどんな高級宿も勝てないだろうし、そこは妥協点だ。


 やわらかい敷物とかないかなぁ、と途中の店をぶらついていると、メインストリートの端にある小さい屋台が目についた。


 並べられているのは、小さい綺麗な色をした石が嵌め込まれた道具。

 店主に断りを入れてからそのうちの一つであるランプを手に取る。


「旦那、お目が高い! そいつは火の魔力を込めることで光るランプでさぁ! 火の魔力さえあれば油もいらず、そして魔力をため込むことでいつでも好きな時に使用できる優れものでさぁ!」


「へぇ……この赤い石に込めるんですか?」


「へい。純度の高い『ヒヒイロカネ』を使用してるんで、持続時間も相当ですぜ? へへへ……」


 『ヒヒイロカネ』という言葉を聞いて頭に疑問符が浮かんだ。

 言葉からして、この世界特有の魔力に関する石なのだろう。


 ただ、火を使わないランプと言うのは確かに魅力的だ。蠟燭も意外と高いため、手に火を灯さず夜を過ごせるのは良いかもしれない。


「店主、これは――」

「そのヒヒイロカネ、不純物が多いからやめておいた方がいい」


 気になって店主にランプの値段を聞こうとした俺だったが、不意に横から無機質な声が響いた。

 誰かと見てみれば、そこにいたのは青いボブカットに白いローブを纏った少女だった。



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