第20話 水面下
ウェンリー子爵領のベルツ山と呼ばれる山林を
、三騎の騎馬が駆けていた。
「キース隊長! 火炎弾の合図ですっ! 右横方向っ!」
先頭をいくキースに、後方の騎士から大声での報告が飛ぶ。
「突撃」
落ち着いたキースの低い声は馬上から部下たちへと響く。
それと同時に三騎は右方向へ速度を落とさずに転針。
『友よ、踊れ』
間髪いれず重なる魔法詠唱の声。
ただでさえ足場の悪い林間を、信じられない速度で駆けていた三騎は、さらに速度を上げた。
ブラッド辺境伯家に伝わる魔法【戦神の加護】だ。
自身と騎馬の身体能力を向上させるだけではなく、人馬の意思疎通を助ける魔法である。
キースたちは、手綱を短くまとめると手から離し、馬上にもかかわらず、背中に背負った長槍を両手で構えた。
前方の林がやや開けた場所に騎馬の一団が見えてきている。
キースたちが標的にしているウェンリー子爵家の騎士たちだ。
先ほど魔法にて打ち上げられた火炎弾は、まだ空中で明滅していて、彼らはそれをぼんやりと眺めている。
迎撃のために馬首を返してすらいない。
(練度不足……)
「背後に縄にうたれたものがいるっ! 巻き込むなよっ!」
キースの大声でようやく敵襲だと気づき、慌てふためく子爵家の騎士たち。
手綱をあやまり、馬が立ち上がってしまったものもいる。
その横を三騎が風のように通り過ぎた。
刹那、子爵家の騎士が三人、回転しながら宙をまう。すれ違いざま、槍の柄でかちあげられ吹き飛ばされたのだ。
「ひるむなっ、数はこちらが有利だ! 包んで潰せ!」
呆然とする騎士たちに隊長格の騎士が檄を飛ばし、キースたちが走り抜けた方向へと馬首を向ける。
指示についてこれた騎士は全体の半分、六騎ほど。
迎え撃とうと手綱を引く、そのとき後方から信じたくない声が届く。
「後ろっ! 十騎以上います!」
隊長格の騎士は歯噛みした。完全に策に踊らされたからだ。
魔法の火炎弾で注意を引かれ、その反対からの突撃。慌てて振り向けば、再び背後からの突撃。
「死神どもめ……」
暴風が横をふきぬける。
視界がぐにゃりと歪んで彼の意識は途絶えた。
「キース隊長。これで集落全員の保護が確認できました」
山間部にて、ウェンリー子爵家の騎士たちに連れ去られていたマルクの民は無事、キースたちに保護された。
「怪我は?」
「ありません。全員無事です」
「魔法を使わされているものは?」
「自ら名乗り出ました。子供です」
「そうか。勇気のある子だな」
「ええ。ところで隊長、この結果ならお館さまに酒をねだれますな」
「この程度では安酒一本が精々だぞ? 集落に立てこもるほうがまだ持ち堪えられただろうに、少し突いただけで慌てて逃げるとは、まったくぬるすぎる」
「酒を飲む気分になれただけでも良しとしましょう。十年ぶりですからな」
キースは騎士の言葉を聞き、それは確かにそうだと頷いた。
「だが、まだ気は抜けん。このあとどれくらい暴れるかはわからんからな。ひとまず鳥を飛ばす。準備を」
キースは馬から飛び降り、部下たちが持ってきたペンと紙を受け取り、手紙を書きはじめる。
「——全員を無事、保護。魔法についても確認。よし、ゆけっ」
絆鳥は王都の方角へと飛び立っていった。
◆
「見つけられましたか?」
王都。迎賓館から少し離れた場所で、ソフィアは傍に控えていた、ブラッド家で斥候を務める騎士へと問いかけた。
「間違いないかと」
ここは迎賓館に繋がる本通りの一つ。
遠目にだが迎賓館の灯りが確認できる。
「ローブを着ていますが、奥方さまの描かれた人物です」
ソフィアは手元をランプで照らしながら、騎士が差し出す紙をみる。マリアンヌが書いたザックの似顔絵だ。
泣いているような顔と深くきざまれた眉間のしわ。
特徴をよくとらえて描かれている。マリアンヌの意外な特技だ。
「暗視魔法をかけます」
騎士が魔法をかけると、ソフィアの視界は日中と変わらぬものになった。
「場所はあちらに。道具屋をこえた先のかどです」
ソフィアは騎士が指差す方向をみる。
そこにはネズミ色のローブをかぶり、迎賓館の方角を見つめるものが一人。
建物の角からただ一点を見つめ、その胸元は不自然にふくらんでいた。
いかにもこれから何かをするぞという気配が漂っている。
「まずはわたしが事情を聞きます。危険なようならすぐにフォローをお願いします」
騎士へと指示したのち、ソフィアは目的地へと歩みだした。
足音を殺し、ゆっくりと道具屋の先へ
ローブからのぞく横顔。
「ザック・レーゲン殿ですね?」
横からの声に肩をこわばらせ、ゆっくりとソフィアのほうを向く。
疲れた老人の顔だ。
「ブラッド辺境伯家のものです」
「人違いでございます……わたしは——」
「あなたは、ザック・レーゲン。そして今から死のうとしている」
ソフィアはザックが着ているローブの中へと手をのばし、胸元に隠していたナイフを引き抜いた。
「な、なにをっ……」
ナイフを取り返そうとザックはソフィアへ手を伸ばす。
だが、ソフィアは護衛としての訓練も受けており、今は身体強化魔法も使っている。この程度ならば焦ることもない。
体勢を崩すこともなく、伸ばされてきた手を逆につかまえた。
「ザック・レーゲン殿。わたしはブラッド辺境伯家のもので、奥方さまのお側に仕えさせて頂いています、ソフィアというものです」
ザックの手から力が抜け、目に宿る光が弱まった。
「辺境伯も奥方さまも、全てご存じです。そうでなければ、あなたがここにいるとどうしてわかるでしょうか」
「わ、わたしが、わたしさえ死ねば、お嬢さまは幸せに……」
身体を震わせながら、ザックは膝をつく。
「詳しく話して頂けますか」
「わ、わたしが死ねば契約書は元の姿を取り戻すでしょう。マルクの魔法がかけられた品物は、かけた術者にその位置を示します。お嬢様がお持ちの指輪もわたしが魔法をかけたもの。そして二つは近い位置にある」
力のない声でつぶやいたあと、ザックの目に再び強い光が。
「だからっ! わたしはいま死なねばならないっ——」
ザックは立ち上がりソフィアへと踊り掛かった。
「……あとはお任せを。少し眠られるといいでしょう」
ソフィアが目を瞑りそういうと、肩へと伸びたザックの手がだらりと下がる。血走っていた目は閉じられ、ゆっくりとへたり込む。
その肩口には吹き矢が刺さっていた。
「絆鳥を飛ばすので準備をお願いします」
ソフィアは建物の二階部分の窓に向かって指示を飛ばす。
窓からは了承を示す合図の手がひらひらと振られていた。
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