第19話 対峙

 

 ファイラード王国 王都アルテナ

 バルファネス公爵所有 迎賓館


 宰相が主催する夜会当日。


 客人に用意された一室で、マリアンヌはかつてないほどに気分を悪くしていた。


 目の前に座るベイルが寄越す、舐めまわすような視線が原因だ。


 部屋の中では、マリアンヌとオスカーが並んでソファに座り、テーブルをはさんで対面のソファにはベイルとカタリナが座っている。


 それぞれの家臣たちは部屋の外だ。


 オスカーから事前に今日の対応を説明されていて、ここは耐える時間だと理解していても、形容し難い嫌悪感は一向に収まらない。


 無表情でいることが、いまマリアンヌにできる精一杯だった。


「——辺境伯閣下。これがわたくしから申し上げる真実でございます」


「ウェンリー子爵。それが真実だというのだな?」


 マリアンヌの出自について流れるように語り終えたベイルは、オスカーから漏れでる怒気を気にすることもなく続ける。


「そうでございます。そこのマリアンヌはそもそもが孤児、いわばウェンリー子爵家の所有物」


「何を根拠にそのようなことをっ」


 あまりの言いようにマリアンヌは怒りをにじませたが、ベイルは眉をひそめるだけで答えなかった。


 なぜお前に答える必要があるのだと、声に出さずに示しているのだ。


「証拠の書類はこの通り」


 ベイルは胸もとから契約書を取り出し掲げてみせた。


 マリアンヌに相続権がないこと、そしてその出自についてが書き記されている。


 オスカーは契約書には見向きもせずベイルを見つめ、問いかけた。


「卿と交わした契約はどうするつもりだ?」


 オスカーは内ポケットからベイルと結んだ契約書を取り出しテーブルに置いた。


「そちらの契約書に書かれたジェラルド・ウェンリーの娘などというものは、この世におりませんからなぁ。ああ、もちろん対価は倍にしてお返し致します」


 ベイルは契約書を胸元へしまい込むと、口を歪め息を漏らして嗤った。


「だからこその提案なのですがね。マリアンヌは返して頂き、代わりにカタリナを輿入れさせて頂ければ、よりよい関係となりましょう」


 解呪の力をこちらに預ければ、自分の娘を差し出す。利益はそちらにも。


 オスカーと交わした愛妾契約は、支払われた対価を返しなかったことに。外からみれば、契約を破ったベイルは対価を倍返しにして誠意も見せている。


 それでも争うなら、より強い契約書がこちらにはある。


 『貴族ならばどちらが得かわかるだろう?』


 ベイルの顔はそう語っていた。


「まだ結婚が成立する前のいまならお互い損がないかと。出自のわからぬ孤児を正室などと、御身のためになりません。このことは宰相閣下にも相談済みですぞ?」


 正当な訴えを主張していると強調するベイルの横で、カタリナが勝ち誇ったかのような表情をマリアンヌに向けている。 


「ほう」


 オスカーの声色は海の底かと思うような深さと冷たさを帯びていた。


 しかしベイルは動じず、笑顔を浮かべている。


 マリアンヌはベイルたちの様子に無性に腹が立ち、思わず立ち上がってしまいそうになる。


 だがオスカーの手が伸びマリアンヌの膝を柔らかく抑えた。


 (任せてくれ)


 オスカーは語らぬままにマリアンヌへとそう示した。


(オスカーさま……)


「では宰相閣下に伺おう」


「おおっ! そうなさいませ」


 オスカーは椅子から立ち上がり、マリアンヌもそれに続く。ゆっくりとした足取りで二人は部屋をでた。


 外には家臣たちが控えている。


 その中から絆鳥が一羽入った籠を抱えたソフィアが、マリアンヌの横につき従った。


 マリアンヌ一行は宰相がいる会場へと重々しく進みだす。そのあとを歩くベイルとカタリナの足取りは軽い。


「ソフィア」


 マリアンヌはソフィアに視線を送った。


「まだでございます。キースからの返事も」


 ここまで、事態はオスカーより聞かされた通り進んでいた。


 ソフィアがいま返事した内容や、ベイルが改ざんした契約書で迫ってくる手順すら、オスカーが前日にマリアンヌへ示したそのままである。


「そう……まだ、なのね」


「マリアンヌ。元気がないようね?」


 気落ちした様子のマリアンヌを心配する素振りでカタリナが話しかけてきた。


 だが、その冷たい目と弧を描く口もとからは、そんなことは微塵も考えていないことがありありとわかる。


(——だれのせいで、こうなったと!?)


 マリアンヌから聞いていた以上の邪悪さを匂わせるカタリナに、ソフィアの眼光が敵を捉えるものになった。


 ソフィアの全身から魔力がにじみ出る。


 マリアンヌはそれを諌めるようにソフィアの腕に触れた。


「……失礼いたしました」


 深く息を吐き、落ち着いたソフィアを確認すると、マリアンヌは小さな声で話しかけた。


「そろそろ日が落ちるわね。外の様子を確かめてくれるかしら」


「……かしこまりました」


 ソフィアはマリアンヌの言葉をうけると、絆鳥の籠を渡して一礼し、進む方向とは逆へと歩きはじめた。


「あれは、わたしには不要ね」


 カタリナはソフィアの背中にむけて侮蔑の視線を送っている。


 マリアンヌは強く口を引き結んだまま、オスカーのあとを続いた。




 「オスカー・ブラッド辺境伯御一行さま、ベイル子爵御一行さま、ご入室」


 夜会が催されている会場の扉へと到着すると、使用人が来場を告げ、恭しく両開きの扉をあけ放った。


 陶磁器や白銀の食器に盛り付けられた、色とりどりの豪奢な晩餐。


 楽師たちの奏でる演奏と、天井から吊るされたまばゆいシャンデリアが一行を迎える。


 壁には大きな窓がずらりと並ぶ。そこにはめられた高価な透明ガラスは、外の暗闇と部屋の明るさを対比させ浮き立たせていた。


 会場に集まる貴族たちが振り返り、オスカーたちへと視線を向ける。


「ブラッド辺境伯。よくぞ参られた」


 居並ぶ貴族たちはその声に反応し、道をあけるように端へと退いていった。


 割れた人だかりから現れたのは、ファイラード王国宰相ヴァルファネスだ。


 白髪の髪は短く刈り上げられ、文官とは思えないほど鍛え上げられた筋肉は、ローブの上からでもわかるほど隆起している。


 現国王の即位前より臣従し齢五十、明晰な頭脳は年々と冴え渡り、衰える気配をみせない。

 

「宰相閣下。お招き頂きありがとうございます」


「よく来てくれた、オスカー辺境伯。楽にされよ」


 宰相は優しい視線をオスカーに注いでいる。


「宰相閣下、例のお話しでございますッ! 辺境伯とわたしの娘のっ」


 オスカーと宰相が頷きあうなか、忙しない声でベイルが用件を喚き立てた。


「ウェンリー子爵……いまはブラッド辺境伯と話しておる」


「——! ……これは失礼を」


 ベイルは謝罪しながらも、納得できない顔つきのまま一歩後ろへ下がった。


 先日、宰相にこの話しを持ちかけたときの感触と、今の態度が随分と違うからだ。


「聞いたぞ。良き伴侶を見つけたそうだな」


「ええ。紹介させて頂きます。マリアンヌ——」


「——宰相閣下っ! こちらのっ! わが娘カタリナでございますっ!」


「……辺境伯よはどうする」


 またもや割り込んできたベイルに、冷めた視線を送りながら、宰相はオスカーに問いかける。


 ベイルは宰相の態度に困惑し、目を何度もまばたかせた。


 事態を把握できない。王都に先回りし、宰相に持ちかけ快諾して貰った内容と、現在の状況があまりにもかみ合わない。


「閣下……? 先日はそれは良いと、後押しして頂けると仰って……契約書もご覧に」


「おお。それのことだがな」


「そうでございます、宰相閣下! わたしの提案はこの国の貴族を守る——」


「……ベイルよ。?」


「な、なにがでございましょうか……」


 宰相は小さく息をはいた。


「先の戦で終戦を決めた戦いはなんであったか。覚えておるか?」


「……? それはもちろん国王陛下が率いられた、第一軍とネザー帝国主力が正面から戦ったヴィラ平原会戦——」


「違う。違うのだベイルよ。陛下も必ず同じことを仰せになるだろう」


 宰相はベイルを見ずに、正面を見据え語る。


 いつのまにか楽士が奏でる音はやみ、貴族たちの話し声も聞こえなくなっていた。


「ヴィラ平原会戦の前に戦は決していた。補給路をある男に断たれていたからな。敵はどうしようもなくなってヴィラ平原に打って出たに過ぎん」


 ベイルは宰相が見つめる先を、おそるおそる辿る。


 その先にはオスカーがいて、ベイルを二色の瞳で見つめていた。


「ベイルよ。お前はその男と……たった五百騎で二万の軍勢を翻弄した男とぶつかるのだな? いまなら間に合う。わたしはお前の魔法を評価しているし、利を求める姿勢も嫌ってはおらん。ここは引かぬか?」


「わたしはっ! わたしはただっ、正当な権利をっ! それを取り上げるというならば、わたしにも考えがありますぞっ! 王弟陛下へも話しをさせていただくっ!」


「……残念だベイル。辺境伯、あとは好きにするといい」


「ありがたく。さて、ベイル子爵」


 平坦な声でオスカーはベイルに問いかけた。


「ブラッド辺境伯閣下。宰相閣下を味方につけたからといって、契約書に書かれたことは真実。反故にすることなどできませんぞ?」


 ベイルは状況を把握した。宰相はあちら側だ。


 しかしこの策を覆す方法がないことは、何度も確認している。


 当初の計画とは違うが、一旦引いて出直せばいいとベイルは開き直った。


(王弟へは既に繋ぎを作っている。解呪の力はその側にいるだけでも富をもたらすと、貴族、ましてや王族ならすぐに気づく。こちらに引き込むのは容易い。ブラッドはなにか策があるようだが、契約書がある限り問題ない)


「卿はここにくるまでに考えを変えるべきだった」


 オスカーがベイルに告げる。


 それに呼応するように、マリアンヌが持つ鳥籠の絆鳥がばさばさと羽を打つ。


 オスカーは鳥籠を見たあと、会場の窓へと顔を向けた。


 そこには絆鳥が二羽、窓のふちにとまっていた。


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