第18話 戦いの前に


 王都 ブラッド辺境伯 別邸


「戦だ」


 マリアンヌを部屋へと送り届けたのち。オスカーは家臣を一室に集めその前で言い放った。


 陽は沈み、ランプが照らす薄暗い室内では、各々の顔ははっきりとは見えないが、全員が怒りを目に宿していることだけはその場で共有されていた。


「ベイル・ウェンリー子爵は、我らに牙をむけた」


 家臣達はオスカーの気勢をうけて眼光を更に鋭くしていく。


「すでに知っているだろうが、夕刻にウェンリー子爵家のザック殿よりマリアンヌ宛に文が届いた。内容はこうだ——」


 オスカーの口から手紙の内容が語られる。


「——そして絆鳥は《二羽》やってきた」


 それまで行ってきた通信手段の破棄。それは、こちらのことは死んだと思えという意思表示だ。


 手紙の文面とあわせて、ザックの死に対する覚悟が濃厚に匂う。


 一同はその思いにふれ、目を閉じ下を向いた。


 オスカーは、ザックがマリアンヌとのやりとりをウェンリー家に黙っていたことを知っていた。


 ザックがよこす手紙の紙質が悪く、大きさもまちまちだったからだ。


 紙は普及しているとはいえ高級品である。貴族でないものがそれを入手するのはなにかと目につく。


 人目を忍んでのことだと、それはあらわしていた。


 そしてザックのミドルネーム。


 高位の貴族であればその名は必ず知っている。


 しかし、マリアンヌはその意味を知らない。


 つまり、手紙はマリアンヌだけでなく、オスカーへ向けたものでもあるということだ。


 マルクの民が自ら名乗る。


 それは名を明かしても虐げず、利用することがない相手だという、信頼の証。


 騎士の矜恃を持つならば、その信頼を裏切ることはできない。


 レスリーが調べたマリアンヌの指輪もザックの出自を保証していた。


 会ったこともないオスカーへ出自をあかす。つまりザックはオスカーにこういっている。


『騎士たる証を示し、乙女を守れ』


 オスカーはそれに対して、贈り物を見立てることで返答している。この国の騎士がペンを贈るというのは願いを聞き入れたという返事を意味しているからだ。


 その後の手紙からもそれは伝わっている。


 ただオスカーの中で唯一の誤算があった。


 ベイル・ウェンリーの強欲だ。


 マリアンヌの力は凄まじい。自身の呪い以外にも用途は無限に考えられる。


 隠し通すことは難しい。ブラッドの呪いを解いたのは誰なのかすぐ明らかになるだろう。


 その力を利用しようとするものが湧き出てくることも間違いない。


 彼女を守るためにも正室として迎えることは必須だ。


 だからこそまず、ウェンリー子爵家を抑えるための手紙をマリアンヌに書いてもらったはずだった。


 書面を宮廷語に近づけ、最高品質の紙を用いる。マリアンヌの名も辺境伯家の正室を示す名で明記し割印も押す。


 半ば公的書類である体裁は整っていた。


 ここまでやれば、私通ではない。謀りごとが書かれているわけでもなく、ただの招待状だ。通信が露見したとしてもザックを罪に問うには弱い。


 面子を潰さないよう、正式な招待状もベイルに別口で送っている。


 これまでの手紙についても辺境伯家の意向であるとし、改めてザックを罪に問わないよう依頼。対価も示した。


 格上の貴族家に正式に縁戚を入れるのだから、ベイルはそれで満足する。


 オスカーはそう考えたが、結果として見通しは甘かった。


(おれは戦から離れて、ふぬけたか……。だがっ)


 後悔を振り払い、オスカーは右の拳を胸に当て瞑目する。敬意をあらわす所作だ。

 

「ザック・レーゲンに」


「「ザック・レーゲンに」」


 家臣達もそれにならう。


「ザック殿はマリアンヌさまの忠臣たる方。他家といえど、陰謀の犠牲になるなど許せません」


 瞑目が終わると、ソフィアが口を開いた。


「その通りだ」


 家臣たちの顔を見渡し、オスカーは満足そうに頷いた。


 その顔には、マリアンヌには見せることがない獰猛な笑みが浮かんでいる。


 家臣達はその時、本当の意味で主人が戻ってきたことを実感した。


 ファイラード王国、随一の武門。

 ブラッド辺境伯家。


 その当主たる者が放つ風格。騎馬を引き連れ、敵国の陣を散り散りに引き裂いた救国の英雄。


 だが、魔導士二十一人の命とひきかえに作られた呪いに蝕まれたせいで、その名誉は不当に貶められた。


 しかしいま、その本来の姿は取り戻された。


「まずはザック殿の憂いを取り除こう。キース、頼めるか」


 マリアンヌには分からないよう書かれたメッセージを、オスカーは正確に汲みとっていた。


「ご命じください。すぐに出立いたします」


 キースが即座に応える。


「頼もしいな。地図で場所を指示する」


 背後の壁面に貼りつけられた、ファイラード王国の地図上。


 ロガルデとウェンリー子爵領、その領主館を結んだ直線上にある山間部をオスカーは指し示した。


「二、三騎程度にわかれて、この周辺をくまなく探せば集落があるはずだ。そこのものたちを保護せよ。ウェンリー子爵家の騎士が既にいるやもだが、その時は蹴散らせ。集落のものは決して死なせるな」


「ウェンリー子爵家に本当の騎士はいません。容易いかと」


 以前の、前子爵子飼いの騎士たちであれば、キースの任務は困難を極めただろう。だが彼らは前子爵と共に戦場に散っている。


 それを知るキースは、こともなげにオスカーにそう返した。


「保護できたなら絆鳥で報せてくれ」


「御意」


 キースはひざまずいて拝命すると、すぐさま立ち上がり部屋を出た。


 後ろ姿を見送り、オスカーは家臣たちに向き直る。


「それと、あちらから別ルートでの書面連絡があった。夜会当日、宰相閣下を交えての面会を段取りするとのことだ。遠回しに書いてあるが、マリアンヌを返せと、そして自分の娘を代わりによこすそうだ。マリアンヌの所有権を示す契約書があるともな」


 ベイルの鉱石探査魔法は国に重宝されていて、特に宰相からの評価は高い。マリアンヌを奪うための根回しはすでに始まっていると考えていい。


「どうなさいますか」


 ソフィアがオスカーへ問う。


「そのまま会うさ」


「それは……」


 ソフィアの顔が疑問に染まる。


 敵だと認めた相手の要請。しかもマリアンヌを返せなどという内容に、やすやすと応えるのはどういうことなのか、ソフィアは理解しかねたがオスカーの続けた言葉によって納得した。


「貴族が好みそうな、価値のある話しを出来ると考えているのだろう。契約書の内容もよほど自信があるようだがそうはいかぬ」


 オスカーは策をすでに巡らせている。


「戦争屋は政治が出来ぬと侮っているのだろうな。以前もそうだったが、今回も要望を書き連ねたウェンリー子爵の文面からそれが匂う」


 利権だけならあるいは、このままの関係性を保つことはできたはずだ。しかし、それ以上を求めたのなら。


 マリアンヌへの仕打ちも、貴族として立場を守るためならありふれた話。許しがたいが目をつむる。


 なによりマリアンヌが憎しみの言葉を口にしないし、復讐なども求めていない。


 だがベイルは違う。己の欲望のまま求めた。


 ならば、オスカーはそれに応えるだけだ。

 

「まずは宰相閣下に手紙を。それと二名ほど、会場周辺の調査をしてくれ」


 オスカーがサーコートのポケットから手紙を取り出すと、騎士が一人進み出て受け取った。


 その騎士は女中を引き連れて退室していく。


「レスリー」


「ここに」


「マリアンヌの力について陛下に上奏する」


「宜しいのですか?」


 マリアンヌが持つ力は様々な可能性を秘めている。いずれ国王には報告する必要はあるが、今というのは急に過ぎるとレスリーは感じた。


 最悪の状況として、ベイル・ウェンリーから国王へと相手が変わる可能性も考えられるからだ。


「戦が終わったといえど、王国を取り巻く状況は悪い。敗れてなお強者であるネザー帝国に商連合。都市国家群は恭順せず、いつ背後から襲いかかるか分からん。前ウェンリー子爵夫妻はおられぬ、戦となれば前に出る者は誰かと申し上げる」


「……出過ぎたことを申しました。お赦しを」


 レスリーの心配に対して、マリアンヌと共にいるための決意をオスカーは語り、レスリーはそれを受け止めた。


「構わぬ。それにそのあと諸々の調整はレスリーに頼みたい。詳細はのちほど」


「承ってございます」


 レスリーは一礼すると部屋を退室していった。


「ソフィア」


「はい」


「いくつか頼みたいことがある。それとマリアンヌにも聞かねばならぬことがあるので同席せよ」


「仰せのままに」

 

 各々の役目を鋭い双眸に宿し、家臣たちが退室していく。


「必ず守る」


 その背を見送りながら、オスカーは決意を口にした。




 


 


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