第17話 ザックの覚悟



 深夜。ザックは自室で机に向かっていた。


 これから、ベイルとマリアンヌが交わした契約書に魔法をかけるのだ。


 机の上に広げられた羊皮紙。両親を失くし、後ろ盾のないマリアンヌを生き延びさせるため、苦渋の決断をもってザックが以前に作った契約書である。


 羊皮紙には魔法文字がびっしりと縁取られ、ほのかに明滅している。


 羊皮紙の劣化と後加工による改ざんを防ぐ証明魔法陣だ。


 これが施された羊皮紙はインクをはじき、刃物で突き刺してもやぶれない性質を得る。


 羊皮紙の中央に赤いインクで書かれているのは、マリアンヌが相続権を放棄し、ベイルの保護に入るという内容だ。


 ベイルとマリアンヌ、双方が同意したサインも記されている。


「マリアンヌさま……。——」


 マリアンヌの名を口にしたあと、ザックは小さくなにごとかをつぶやき、赤色の文字部分に指をあてた。


 すると、文字がうねうねと動きだし、形を変えはじめる。


 変化は数秒のあいだ続き、やがてその動きを止めた。


「マリアンヌはウェンリー家に保護された出自不明の孤児である。ウェンリーと家名を名乗る権利は前伯爵より贈られたが、相続権はない。ウェンリー子爵家と血の繋がりがないことをここに証明する。マリアンヌの身体、財産の全てはベイル・ウェンリーのものであり、またそれを保護する義務をもつ」


 変化した文字をザックは読みながら声に出す。


 ベイルに指示された、まったく嘘の内容である。


 だが、書き直した跡や加工した形跡はない。魔力の残滓も術者であるザック以外には見つけることができないほど微かだ。


 書かれている内容も領主と出自不明の孤児が結ぶ内容としては好条件といえる。脅されて書いたと騒いでも信じるものは少ない。この契約書に書かれたことは真実だと判断されるだろう。


 

 


 かつてこの世界には、マルクの民という羊皮紙に文字を深く焼き付ける魔法を得意とした一族がいた。


 インクペンや彫刻は、羊皮紙の表層に文字を書くか刻むといった手法である。


 だがそれでは、表層を削ることで改ざんが可能だ。


 かといって、彫刻を深くすれば羊皮紙は破れやすくなる。


 証明魔法陣は既に発明されていたが、特殊なインクや品質の高い羊皮紙が要求され、コストがかさむ。


 マルクの魔法は、それらを解決する有用な魔法として各国で重用されてきた。


 しかしたった一人の男の出現によって事態は一変する。


 マルクの民であるその男は、いつのころからか文字を自在に変化させる魔法を使えることができてしまった。


 それは羊皮紙に魔法で焼き付けたものであろうと、金属へ彫刻されたものや紙にインクで記されたものであろうが関係なく。


 証明魔法で保護されたものですら、たやすく変化させてしまった。


 そして、一人、また一人と。本来の魔法適正はこちらだというように、一族の中で同じ魔法が使える者が増えていく。


 文字変化魔法の存在はたちまち世に広まり、彼らの意思は無視した形で支配者たちに悪用された。


 マルクの民たちは誰一人として、自らその魔法で書面を改ざんしようとなどはしなかったが、家族や友人、恋人を人質に迫られ、涙を流しながら魔法を使ったという。


 一時期の書物に、インクではない染みがあれば、マルクの涙だと後世に伝わるほどである。


 そして彼らに破滅が訪れた。


 マルク狩りが始まったのだ。


 マルクの力を使いたいだけ使い、やがては制御できなくなってだした、権力者たちの最悪の答えだ。


 たちまちのうちにマルクの民は激減した。


 死ねば魔法が消えるというマルクの魔法特性も、彼らの死を加速させる要因だった。


 それでも懸命に逃げ続け、その数を数十人に減らしながら今日にその血を繋ぎザックはここにいる。


 ジェラルド•ウェンリー子爵に保護されたのはマリアンヌが産まれるすこし前。


 安住の地を用意してもらったその恩を返そうと、ザックは仕えてきた。


 しかしその経緯をベイルは掴んでいたのだ。


 ベイルは待っていた。マルクの民は過去からして、無理やりに従わせることはできない。だからこそと最高のタイミングを狙って。


 集落を人質にザックを従わせ、自殺をも防ぐ。ベイルの描いた絵は完成寸前だ。





 ザックは新たな紙を取り出しマリアンヌへの手紙を書きだした。


(辺境伯さまなら、意図を汲んでくださるだろう。せめて集落だけは……)


「さあ、ゆけ」


 書き終えた手紙を絆鳥の足にくくりつけると、ザックは窓を開け、二羽ともに空へと放つ。


 ベイルは絆鳥の処分を命じなかった。


 契約書さえあれば、連絡を取ったところでどうしようもないからだ。


 マリアンヌの全てはベイルのものであると、誰も反論できない。


 この国の王ですらそれは難しい。契約を破れば、信用を失う。


 もしベイルに対して実力行使に及べば、非は王にありとなる。


 戦後、国内の安定は遅れており、内乱のきっかけとなるのは想像に難くない。


 それほどまでに契約書というものは重視されている。


 またベイルも程よいライン、例えばマリアンヌの貸し出しや、一部の権利譲渡をちらつかせ、衝突を防ぎつつ利を得ようとするだろう。


 ベイルの企みはシンプルゆえに強力だ。


 マリアンヌを孤児とする。


 たったそれだけで、ブラッド辺境伯と交わした愛妾契約に書かれた人物【ジェラルド・ウェンリーの子マリアンヌ】などは、いないということになってしまう。


 辺境伯と交わした契約は無効で、マリアンヌは自分の所有物だと主張する根拠が生まれる。


 改めて子爵家より本当の娘を輿入れさせるとすれば、愛妾契約の反故も誠意ある対応と、外野は判断する。


 偽造ではあるが、生まれの違いも婚姻を邪魔する要因だ。


 マリアンヌのうまれを示すものは、いまから処分すればいい。出自を知る親族たちにはこれから、不幸な事故が起きるだろう。


 ただザックが死ぬと、この企みは失敗する。


 契約書にかけられた文字変化魔法は、魔法をかけたものが死ねば書き換えた部分は消える。


 ベイルが契約書をたてにブラッド辺境伯に迫るとき、そのタイミングで死ぬことができれば、全てはなかったことになる。


 だが当然、ベイルはそうさせないためマルクの集落を人質にしてザックを脅している。


 それに、改ざんが明らかになったとしても、ベイルは知らぬ存ぜぬと、むしろ被害者であると抗弁するだろう。


 これを書いた執事がマルクの民で、自分を陥れたとでもすればいい。


 そしてさらには。


 契約書にはがある。


 ザックがいま改ざんしたのは、控え側で、本来ならマリアンヌが持つべきものだ。


 マリアンヌに渡すべきものを、ベイルは当然のように手元においていた。


 これがあることはベイルにとっては大きな保険となる。


 もしザックが死んで、契約書の記載が消えたとしても、集落のものに改ざんさせたものをその場で出せばいいだけだ。


 もうザックがただ死ぬだけではどうにもできない。


(ベイルのあの自信、すでに集落に手は及んでいると考えるべきだろう……ならば)


 だがザックには、ベイルに知られていないマルクが秘してきた魔法があった。


 マルクの民が再び利用されたその時に、一矢報いるための魔法。

 

「ジェラルドさま、ティアさま……我らマルクの民、ご恩は忘れませぬ」


 マリアンヌから贈られたペンを握ったザックは、目をつむり深く息を吸い、魔法を発動させる呪文キーワードを口にする。


「偽りはかならず暴かれる」


(さすが、辺境伯さまにお見立て頂いただけある。素晴らしい魔力の通りだ)


 ザックが握るペンの先から黒色の液体が染みだす。


 インクが内臓されているのではなく、魔力をインクの性質に変化させて起こした現象だ。


 ザックは赤色で強調された文字の上にペンを走らせはじめる。


 赤と黒が混ざり、契約書の文字が読めなくなるかと思いきや、元の赤字には変化がない。


 いくら書いても、文字は元のままだ。ザックの手はかまわず動き続ける。


(これで最後……)

 

 なにかを書き終えたザックは、契約書の最後、作成者のサイン個所に親指をおき、静かに目を閉じる。


「我が命尽きたとき、もとの姿をあらわせ」


 【ザック・レーゲン】とサインされた文字が青い光をはなつ。


(あとは、時がくるまで身を隠し出番を待とう)


 契約書を机の上に広げたまま、ザックはゆっくりとした足取りで自室からでた。


 使用人たちが起居するエリアをでて、マリアンヌがかつていた小屋の方向に向かう。


 領主館に詰める騎士たちは、お世辞にも優秀とはいえない上に、ベイルもザックが逃げ出すとは考えておらず、特に注意を与えていない。


 そのため警備は甘かった。


 ザックは誰にも気づかれず、すんなりと外に出た。


 月明りが小径こみちを照らしている。


 ザックは夜を彩る光源を見上げた。


(ジェラルド様に初めてお会いした日もこんな夜だったな……)




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