第16話 ベイルという男


 ウェンリー子爵領 領主館 執務室


 マリアンヌが出立し、季節が変わったころ。



「うまくいったものだ」


 ベイル・ウェンリー子爵は、領主館の執務室で葉巻をくゆらせながら天井をあおいだ。


 ウェンリー子爵の分家筋である、マウラー男爵家の次男として生まれたベイル。


 次男の彼が男爵家を継げたのは、兄が落馬事故で死んだからだ。


 そして、鉱石探査魔法という希少な魔法の才能で、自領どころか子爵領までも大きく富ませ、その功績によって子爵家当主におさまった。


(逃げ出すか、自ら死を選ぶかと、ちょうどいい処理方法と飛びついたが、よもや辺境伯の呪いに耐えおるとは。しかも気に入られているようだな)


 辺境伯家より届いた礼品のひとつ、異国の紋様が施された葉巻入れに軽く触れると、ベイルはくつくつと笑い身体をゆらした。


 贈られた品物の中ではもっとも安価にも関わらず、これだけでも小さな商家なら買い取れるほどの価値だ。


 だがベイルはこれで満足することはない。


(元は小国といえど王。もっとだ。宮廷内へ食い込むためにはもっと金がいる)


 手元の羽根ペンを取り、サラサラと紙の上を走らせる。


 記されたのは、資金援助や協業についての提案だ。


 懇意にしている貴族との取引斡旋、港の優先使用権、鉱石輸出協業による互いの利益。


 ベイルは夢中で書きあげた。


 ——金儲けは低俗で、貴族としての品性を疑う行為であるとされる。だがベイルにとっては、そんなものは犬に食わせておけばよい程度のくだらない見栄でしかない。


「なにが騎士だ。いくら気取っても金の魔力には抗えぬくせに」


 ベイルは、紙の端をつまんでじっくりと眺めると、やがてそれを顔に近づけ——嗅いだ。


「金の匂いが紙から放たれているっ。これを前にして転ばぬものは余程のふぬけか、人を不幸にする悪魔だな」


 鼻息あらく、ベイルは呼び鈴を鳴らす。


 書面を折りたたみ、封蝋を施しているあいだにドアがノックされた。


「入れ」


「お呼びでしょうか」


 ドアが開き、入室してきたのはザックだ。


「これをブラッド辺境伯家に送れ。頼むぞ?」


「……承知致しました」


 ザックは一瞬、あせった顔を浮かべたが、すぐに表情を戻しベイルに返答した。


 ベイルはその様子に気にしたところを見せなかったが、実のところマリアンヌとザックが通じていることを知っている。


 子爵家にいるのは昔からの使用人たちばかりではない。


 ベイルが新たに雇ったものたちもいる。


 当然ではあるが、彼らはベイルに忠実だ。


(すべて筒抜けだ、まぬけめ。絆鳥を渡したことを報告せぬなど、なめた真似をしおって。今は泳がせておいてやるが……)


「では、いけ」


「かしこまりました」


 ザックの背中に侮蔑の視線を送りながら、ベイルは葉巻を再びくわえ、椅子に深く腰かけた。





「ザックよ。なぜ呼ばれたかはわかるか?」


 執務室にて、一通の手紙に目を通しながらベイルがザックに問う。


「……」

 

 ザックはうつむいて直立したまま答えない。


「これは、おれの網からの確かな情報だがな。辺境伯が護衛に領地を出たそうだ」


 ベイルは持っていた手紙をザックに向けて投げすてた。


「道中は街にまで立ち寄っているそうだ。あの辺境伯がだぞ? しかも隣には白金の髪をした女が常にいる」


 ザックの足下に手紙が滑り込んでくる。


 差出人の名前はマリアンヌだ。


「その手紙に書いてあることと突き合わせると、面白いことが起きているようだな」


 手紙の内容は、ザックを婚姻の儀式へ出席させるためのものでしかない。


 だがファイラード王国で登りつめるため、国内各地の情報を集めているベイルにとって、それは別の意味を持つ。


(辺境伯の呪いは解けた。だが、なぜ格が下がるマリアンヌをわざわざ正室にする? それこそ国王が余った娘を英雄にと、ねじ込んでくるだろうし高位貴族なのだからそれを待てばいい。だがそうしない。マリアンヌを完全に囲い込む。つまり——信じがたいが、呪いを解いたのはマリアンヌだということだ)


「ずいぶん気取った手紙を書くが、覚えた知識を自慢したい子供と変わらん」


「……」


 ザックは足下の手紙を拾うと、上着の内ポケットへと大事そうにしまい込んだ。


「さて。お前への処罰だが」


 ベイルは机の燭台を鷲掴みにすると、ザックに向かって投げつけた。


 鈍い音が鳴りザックがその場にうずくまる。


「マリアンヌの契約書へ魔法をかけるのであれば命は助けてやる。なあ? ザック。いや、マルクの民ザックよ」


 ベイルはうずくまるザックに近づくと、足で頭を踏みつけた。


 ザックの身体がビクリと強張る。


「ふん。知らぬと思ったか? 駒の素性を調べもしない愚物だとでも? 侮りおって」


 足に体重をかけ、ベイルは心底愉快だというように笑い声を上げた。


「解呪の力……。それはこの国だけで収まる力などではない。愛妾だというのも好都合」


 聖女とよばれるもの以外、使えたものなどいない解呪魔法。文献にしか残っていない奇跡。


 その価値は無限に等しい。手元に戻すなら次は逃げられぬように。ベイルの脳内でマリアンヌの強奪方法が組み上げられていく。


 正式に結婚する前の今なら取れる手段がある。


「お、おやめくださいっ……」


 悪辣な主人が何を考えつぶやいたのかを、ザックは即座に理解した。


 踏みつけられながらも、必死にうめいて懇願する。


「うるさいっ! お前は黙って魔法をかけろ! んー? なんだ? まだわかっておらんのか? 鈍いやつめ。素性を知っているという意味が分からんとは。まったく、いちいち全て話さねばわからん馬鹿はこれだから」


 ベイルは憐れむようにザックを見下ろした。


「オレは働きものでな。領内の発展のため新たな鉱山がないかと、子爵を継ぐ以前に領内はくまなく調べた。そして継いだあとは、前領主が残した書類に全て目を通した。立派な領主さまだろう?」


 ベイルは感情のみえない目でザックをみつめたまま、ぼそりとつぶやいた。


「そうすると、山の中腹にある集落のことがやけに気になってな。なあ? ザック・マルク・レーゲンよ」


(本当に、全て知られていた……な、ならばっ)


 ザックは深く息を吸い、魔力を通常とは逆の巡りで体内を循環させた。このまま巡りを強め続ければ死——。


「いいのか? オレは別にかまわんが。そうなったら集落にいるやつに頼めばよいだけだからな。まだ隠れるように住んでいるのは魔法が使えるからだろうし」


 ザックの体内を循環していた魔力の巡りが止まる。


「まだ知っているぞ? マルクの魔法は死ねば消える。契約書をちらつかせている最中を見計らって自殺すれば。オレは困ったことになるなぁ? だが、そうならないようにオレはどんな手を打っていると思う?」


 ザックの道はとっくに塞がれていた。


「オレは優しいだろう? オマエをさっさと殺して、集落の誰かに書かせるほうがよほど簡単だというのに。わざわざオマエを生かしてやろうとしているのだから」


「……わかりました」


 消えいるような小さな返事。

 

 ベイルはその様子に満足し、ザックの顔から足を退けた。


「マリアンヌのことは悪いようにはせん。好みではないが子種もくれてやる。それに辺境伯もあんな鶏がらのような女より、我が娘の方がよほど喜ばれるであろう。お前たちマルクの民もオレがもっと上手く使ってやる」


 ザックの瞳は、欲望ばかりを口から吐き出し、世界を嘲笑う主人を静かに映していた。


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