第11話 解放


 花をジャムに調理すると決めた翌日の昼ごろ。


 マリアンヌは庭園でシア―ブラッドの花を摘んでいた。


 少し離れたところでは、レスリーがレンガを積み上げ、即席のかまどを二つ作製中だ。


 ソフィアは折りたたみのテーブルとイスを広げ、作業場所を整えている。


 その足下には、しおれたシアーブラッドの花びらが詰められたガラス瓶があった。


 中身は昨日ソフィアが摘んだものだ。


 キースは天秤棒を担いで、水の入った桶をその横に運んで並べている。


 各々の分担作業が進んでいく。


「これで充分ね」


 マリアンヌはバスケットにつめた花を持って、ソフィアが広げたテーブルに移動した。


 テーブルに準備されていたガラス瓶に花弁だけを入れていく。


 花弁以外は苦味が強く分ける必要があるのだ。


 単調な作業は見た目以上に労力が必要だが、マリアンヌは淡々とこなし、あっというまに作業を終わらせる。


(つい夢中になっちゃったわ)


 ウェンリー子爵家にいたころと違い、誰にも邪魔されず作業に集中できることに、マリアンヌは楽しさを感じていた。


「ソフィア。始めましょうか」


「はい、奥方さま」


 領主館のキッチンを使用するのは家人たちの邪魔になるので、外での調理だ。


 ソフィアとマリアンヌが今日作るジャムは、水も花も砂糖もすべて同じかさ。


 砂時計を使い煮詰める時間も同じ。


 違うのはマリアンヌが関わった花か、そうでないか。


 追加検証の内容としては充分なものだ。


 レスリーが、かまどの奥手に回って薪に火をつける。


 かまどの上には水の入った片手鍋が二つ。


 しばらくすると、湯気がたちのぼった。


 かまどの前に移動した二人は、ガラス瓶から片手鍋へ花びら投入していく。


 全て入れ終えると、ヘラを使ってゆっくりかき混ぜ始める。


 煮詰めていくと、あっという間に花びらが溶け、粘りがでてきた。


 キースが、砂糖をスプーンですりきりしたものを手渡していき、二人はそれを投入していく。


(この香り。きっと美味しいはず)


 想いを込めるようにゆっくりと混ぜる。


 手に感じる重さが少しずつ重くなってゆく。


「良い頃合いかと」


 キースの声に反応しマリアンヌとソフィアは手をとめた。


「なんだか楽しみね。ねえソフィア、今日だけじゃなく、またこういうことをやってみたいわ」


「もちろんでございます、奥方さま」


 ふたりは顔をあわせて微笑った。


 片手鍋をテーブルの上に持っていき、用意されていたガラス瓶へジャムを移していく。


 キースとレスリーは、その様子を見守っている。


「まだ少し熱いけれど味見しましょう」


 ジャムは紅玉ルビーのごとき美しい発色をみせ、甘い匂いが誘うように漂う。


 冷めるまで待つなんてとてもできないと、マリアンヌは人数分のスプーンを用意し、ひとすくいの量を小皿に取り分けはじめた。


 ソフィアも自分の調理した分を同じように準備する。


「それじゃあ、まずはわたしのほうから一斉に」


 マリアンヌの号令に示し合わせて、四人はスプーンを同時に口へ運んだ。


「——! すごくおいしい!」


 上品な甘さと花の香りが鼻腔へと抜けていく。すばらしい出来といっていい。


 だが、マリアンヌ以外、ソフィアは困惑の表情を浮かべ、キースは呆然とし、レスリーは考えこんでいた。


「あら?」


「——っ! 申し訳ありません。お気になさらずに。あまりに美味で驚いておりました。わたしのほうも確認しましょう」


 ソフィアは、マリアンヌの様子に気づいて我にかえり、準備していた小皿とスプーンを配る。


 各々のタイミングで、スプーンが口に運ばれていく。


「……おいしい。けれど少し花の香りが弱くて、甘みが薄い?」


 不味くはない。


 だが先程と比べると、どうしても劣る。いや、かなり劣る。


「やっぱり鮮度かしら?」


 理由を考えたマリアンヌの呟きに、誰もすぐに答えを返せずにいた。


 なぜなら、彼らは食べ慣れて知っていたからだ。


 シアーブラッドのジャムは、萎れる手前が一番甘みが増す。


 マリアンヌの育てた花で作ったものは、なせが異様に甘すぎる。


 ソフィアが口を開いた。


「この花は、しおれて枯れる手前が、ちょうど甘みも香りも強くなるはずです。わたしが考えていたものとは逆の結果です」


「わしも同じように考えた。なにかが——」


 考え込んでいたレスリーはそういいながら、マリアンヌの調理したジャムの入ったガラス瓶に近づき、それをじっくりとみつめる。


「ジャムから奥方さまの魔力が出ている……」


 レスリーの言葉に、ソフィアとキースもガラス瓶に近寄り覗き込む。


 何かわかるかと互いに顔を見合わせるが、何のことかさっぱり、というふうだ。


「レスリーさま、魔法が使えるわたしたちでも、なにも感じ取れないのですが……」


「研鑽がたりぬ。自分たちの魔力のはたらきと同じように考えているうちは感じとれぬよ」


 首をかしげる二人をよそに、マリアンヌがレスリーに問いかけた。


「オスカーさまには召し上がって頂けるのでしょうか?」


「我々が食べて異変もなく、この味です。ぜひ召し上がって頂きましょう……噂をすればですな」


 レスリーが話していると、オスカーが庭園に現れた。


「オスカーさま! おかえりなさいませ!」


「「「おかえりなさいませ」」」


 旅装も解かずに、まずはマリアンヌの顔をみようとこちらにきたのだ。


「ただいま、マリアンヌ。みな楽にしてくれ」


 家臣たちは顔を伏せたまま片膝立ちから直立になると、二人の邪魔にならないよう、そのまま生垣の影に下がっていく。


「オスカーさま。わたし、シア―ブラッドでジャムを作りましたの」


「ほう。これはその香りかな?」


 ジャムから放たれる香りと、マリアンヌの弾けるような笑顔に、オスカーの表情が緩む。


「オスカーさまに召し上がっていただきたくて」


「いただこう」


 オスカーの即答にマリアンヌはわかりやすいほど喜んだ。


 テーブルのガラス瓶からスプーンでジャムをひとすくいし、オスカーの口へ運ぶ。


(美味しいのは間違いないのだけど、気に入って頂けるかしら)


 マリアンヌはオスカーの口の動きを凝視する——オスカーの困った顔が目に入った。


 食事のさいに口元を見つめるのは少しどころか随分とマナー違反である。


(それにスプーンで口にまで運ぶなんて。いまさらだけどお行儀が……)


 オスカーはスプーンをマリアンヌから受け取り、ジャムを口にした。


 マリアンヌは顔を真っ赤に染めてうつむく。


 羞恥に頭がゆだったまま時が過ぎる。


 しかしいつまでたっても、もうとっくに食べたはずだろうオスカーから言葉がない。


(まさか苦手な味だった? それとも手渡しの行儀の悪さで不快に? ああ、もう……)


 うなだれるマリアンヌの視線に、スプーンと眼帯が落ちてきた。


(お気に召さなかったんだわッ! どうしよう! わたし……眼帯? なぜ眼帯まで?)


「マリアンヌ」


「申しわけありませんッ!」


 疑問で頭が一杯になりながらも、マリアンヌは上ずった声でオスカーに謝罪した。


「なにを謝る」


 目をつむり肩を強張らせるマリアンヌに、ふわりと優しく包み込まれる感触が訪れる。


 壊さないよう大切に。


 そんな思いを感じさせるオスカーの腕がマリアンヌの肩と腰にまわされている。


「……オスカーさま?」


 マリアンヌは目をあけて、恐る恐る顔を上げていった。


 開いた胸元からのぞく肌、首筋、浮き出た鎖骨。心臓がドクンと跳ねる。


 息を飲みながら見上げた先には、色違いで並ぶ、紅玉と翠玉。


 翠玉のふちから、つぅと雫が流れ出た。


 マリアンヌの手は無意識にオスカーのほほへと伸び、指先で雫をすくう。


 互いに首を傾け、熱を感じるほどまで顔が近づいた。


 交わる視線。


 ——重なる唇。


 

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