第12話 変わる関係
家臣たちは異変にすぐさま気付き、慌てて生垣から顔をだした。
まさかという思いだ。十年間、主と自分たちの心を灼いたものが、突然消えたのだから。
「なにがおこった……?」
レスリーはマリアンヌとオスカーを見つめ、目を見ひらいた。
先の戦で、敵の魔導士二十一名が命を懸けて編んだ死の魔法。
それは、ブラッド家伝来である、精霊に祝福された鎧、兜一式を身代わりにしてようやく、死を逃れるのが精一杯というほどに強力だった。
魔法はそれだけでは消えず、呪いへと変化しオスカーを人や魔物がその姿をみるだけで恐怖する存在へと転じさせる。
どれだけ高名な魔導士が挑もうとも、もちろんレスリー自身も、誰一人として呪いを解くことはできなかった。
レスリーにできたのは、作製した魔法具である眼帯によって呪いの範囲と威力を狭めることだけ。それがなければもっと広範囲に恐怖は及ぶ。
簡単には外れないよう、呪いに反応し頭部へと張りつく魔法術式を書き込んだそれが、いまは外れている。
だというのに、オスカーから常に放たれていた恐怖心を抱かせる魔力が、ほぼ感じられない。
レスリーは、こうなった要因をすぐにでも調べたいと、ソフィアとキースに声をかけようとした。
だが、オスカーとマリアンヌをみつめて涙をこぼし、頬を伝うそれをぬぐいもせずに立ち尽くしている二人をみて、喉まで出かかった声を止めた。
◆
マリアンヌは、いま起こっていることが良く理解できずにいた。
ただ、オスカーと重ねた唇の甘さと、温かく全身に広がる熱の心地よさが、とてもいいものだということはわかる。
(離れたくない……)
互いを映す瞳を二人は見つめあった。
(けれど……)
ソフィアたちが近くにいることを思い出し、抑えていた羞恥心が湧き上がる。
離しがたい気持ちをおさえつけて、マリアンヌはゆっくりと唇を離した。
オスカーの顔を見続けることができず、胸に顔をうずめ熱が引くのを待つ。
「ありがとう、マリアンヌ」
オスカーはマリアンヌを力強く抱きしめながら、感謝の言葉を口にした。
「わ、わたしはなにもっ……」
マリアンヌはオスカーの胸から顔を上げた。
「我が伴侶として、一生を共にしてほしい」
「……えっ?」
冗談を言っている表情ではなかった。感情が脳天から全身を駆け巡る。
(早く返事をしないといけないのに)
力が上手く入らない、心が浮き立つに合わせて身体も舞い上がっていきそうだ。
「返事は急がない……」
まごつくマリアンヌの態度に、オスカーは急ぎすぎたと、反省と羞恥を表情に滲ませた。
(だめ。オスカーさまにこんな顔をさせては)
それをみたマリアンヌのふわふわとしていた心に芯が戻った。
予感がしていた。今こじ開けないと、扉は再び固く閉じる。
言葉では足りない。
オスカーの首に腕を回し、頭ひとつ高い位置へ背を伸ばす。
「オスカーさま……」
選ぶことができない人生を歩んできた。
だけどこれは、初めて自ら選んだことだと。
そう伝わって欲しいと願いながら。
マリアンヌはオスカーへ口づけた。
◆
その日からブラッド辺境伯領は天地が返ったかのように騒がしくなった。
つい最近までうつむいて静かに、最低限の会話しかせず働くものたちばかりだったのに。
それがいまは、顔を上げて声を張り飛び跳ねるように働いている。
一人でいることを強いられる主。改善する見込みのないまま、ただ過ぎていく重苦しい時間。
家臣たちは、それを吹き飛ばしてくれたマリアンヌを見かけるたびに、賛辞の言葉を口にして仕事に励んでいた。
「ソフィア……みんなの視線が少し怖いのだけれど」
「奥方さま。いま少しの間、ご辛抱を。みな落ち着かないのでございます」
ソフィアはマリアンヌの髪をすき、飾りをつけながらそう話す。
オスカーはマリアンヌを手放すことをやめた。
そして、正式に夫婦となるため王都に行き、王の承認を受けると宣言した。そして帰ってくれば教会の祝福を受け番いの祝祭を行うと。
今のままの立場。愛妾としてでもオスカーと共にいることは出来る。
マリアンヌは特に思うこともなかったが、オスカーがそれを嫌がった。
「貴女以外の女性を側に置く気も愛する気もない」
そう言われてしまえば、マリアンヌは「はい」としか答えようがない。
王都に向かうのはおよそ二十日後である。
オスカーの状態は、ジャムを口にしてから安定している。しかし呪いが完全に消えた訳ではない。
継続的に、マリアンヌが作ったジャムを口にしていないと、恐怖を抱かせる魔力を再び発するようになることがわかっている。
これについては検証実験をおこない、ひとさじ程度を食べれば、その日は呪いがほぼないといえる程度まで弱まることを突き止めている。
レスリーはマリアンヌの魔力、その性質は魔力の無効化ではないかと仮定した。
魔力は、世界の至るところに満ちていて、すべてのものになんらかの影響を与えている。
わかりやすいのは、魔物の発生だ。
魔力が濃い場所でそれはおこると、先人たちの検証実験により明らかにされている。
花の変化は、空気中に含まれる魔力をマリアンヌが無効化したことで起こったと考えられる。
シア―ブラッドの花びら模様は、魔力に影響された場合は直線的な模様となり、魔力が無効化された環境であれば、本来の蛇行模様となる。
そして、マリアンヌの魔力をはなつジャム。
マリアンヌの魔力が定着したものを体内に取り込むことで、オスカーの呪いが減じたと考えられる。
他に考慮すべきことは無数にあるが、そう外れてはいないとレスリーは考えている。
それに、なにかのきっかけで、マリアンヌが自分の魔力を認識できるようになったときには、オスカーの呪いを消すことも可能ではないのかとも、レスリーは期待していた。
以前とは明らかに違う家中の雰囲気。
その騒がしさは鎮まることなく、時間はあっという間に過ぎた。
「ソフィア。ザックに送る手紙はこの内容でいいのね?」
「問題ございません。辺境伯夫人としての格が保たれたお手紙にございます」
ソフィアはマリアンヌが書いた手紙を受け取り確認すると、小さく折りたたみ、絆鳥へと取り付けはじめる。
「夫人だなんて、承認も儀式もまだなのに、気が早くないかしら」
「わたしどもは最初から奥方さまとお呼びさせて頂いていますのに?」
書いた肩書きに気後れする様子のマリアンヌに、ソフィアは微笑みを向けた。
「……そういえば、そうね」
マリアンヌは恥ずかしそうに笑って、赤面した。
「はっきりと書かれていれば、ザック殿は安心されますでしょうから——さあ、おゆき」
ソフィアが窓を開け放つと、羽ばたきを響かせて、手紙は空へと昇っていった。
もうすぐマリアンヌはオスカーと共に王都へと向かう。
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