第9話 シアーブラッド

 

 エルポートから本拠に戻り、風がはっきりと冷たさをまとう季節となった。


 領主館にある庭園の一角で、マリアンヌは花に話しかけながら水をやっている。


「さあ、お水よ。元気に育ってね」


 ここはマリアンヌ専用のエリアとして使用を許された場所だ。


 歴代の辺境伯夫人が花を植え育ててきた場所で、それを許したというのはもう認められたも同然。


 あとは時間の問題だと、ソフィアより鼻息荒くマリアンヌへと熱弁がふるわれる毎日だ。


 確かにオスカーの態度は変化をみせている。


 以前はマリアンヌから話しかけることが多かったが、今はオスカーから会話がはじまることが増えた。


 それに、領内の視察から帰れば、まずマリアンヌの元を訪れるし、夕食は必ずといっていいほど同席を望む。


 しかし、オスカーが示した当初の予定は変わらぬまま、その一線だけは動かなかった。


 家臣たちは、オスカーの忌避され続けた十年とマリアンヌの初心な恋の掛け合わせを想い、静かだが熱気を伴う視線を二人に向けている。


(期待されているのだろうけど……)


 オスカーに近づくことも、話すことも、触れることもなんら問題はない。だがマリアンヌにはこの先をどうしていいかなどわからない。


(焦って進めて良いことではないのは確かね。花と同じ。咲くまで待つ)


 マリアンヌが思案していると背後より声が掛かった。


「奥方さま、花の成長はいかがでしょう」


 声の主はレスリーだ。


 彼は現在、エルポートの代官職を後任に渡し、マリアンヌが持つ特性の解明にあたっている。


「教えて頂いたとおり、話かけながら世話をしたエリアの生長に変化が」


「ほう、確認してみましょう」


 エルポートから戻ってすぐ。レスリーはマリアンヌが魔力を制御できないか模索した。


 瞑想させてみたり、魔力を吸収する鉱石に触れさせてみたり、運動をさせてみたり。


 しかし、そのどれもが効果がなく、開始早々に暗雲が立ち込めた。


 だが、思い出したようにマリアンヌが呟いた「花を長持ちさせることはできるのですが……」の、一言でレスリーは閃き、花の世話で起こる変化を観察することにしたのだ。


「明らかに生育に差がありますな」


 十五日前から始めた水やりは、マリアンヌが話しかけながら行ったグループと、そうでないグループに分けて行われている。


「わたしもそう思います」


 マリアンヌとレスリーの見解は同じだった。


「花弁の模様が少々ですが変化していますな。それと生育にも差が」


 マリアンヌが話しかけながら世話した【シア―ブラッド】という花は、薄い赤色の花弁を五枚そなえ、それぞれに縦長の濃い黒線をもつ。


 その黒線の形に変化が表れている。


 通常であればまっすぐ。しかしマリアンヌが話しかけた花は、その黒線が蛇行しているのだ。


 さらに、話しかけていない花のグループは既にしおれはじめている。


「これで、なにかわかりますでしょうか?」


「間違いない結果はひとつ得れました。奥方さまの魔力は花の生育に影響を与えます」


「…‥‥」


 ほとんど前と同じことしかわかっていないと、マリアンヌはわずかに落胆の気配をみせた。


「まだございますぞ。奥方さまは、魔力で術式を組み呪文キーワードを用いて魔法を発動させる、一般的な魔法使いではないということもわかりました。話しかけることだけ、いや、おそらく対象に意識を向けることで魔力を作用させる、とても珍しい特性をお持ちです」


 だがレスリーは、マリアンヌの気落ちをはらうように、興奮した様子をみせる。


 マリアンヌの特性が、奇跡の担い手や神の代理人と呼ばれるものたちと近しいことがわかったからだ。


 古来より彼らは、特別な力を使い伝説に残ってきた。


 手をかざすだけで万の軍勢をすり潰し、膝をついて祈れば、死にかけの病人もたちどころに癒える。


 これらは、実際に記録されている事象だ。


 再現しようとするなら、魔法使いを千人、大規模な魔法陣——街一つおさまるサイズほど——そして術者を補助する魔法具や触媒を湯水のごとく。


 最低でもこの程度は準備する必要がある。


 さらにいうなら、そうやって引き起こした、極大の魔法が放つ余波と反動により、当事者たる魔法使いたちは、ほぼ死ぬ。


 奇跡の担い手、神の代理人、彼らはそれを一人で、かつ、無傷でおこなう。


 スケールは本当に小さいが、レスリーはマリアンヌの話しを聞き、共通点を見出した。


 そして、この検証結果である。


「それは今後に期待出来るのでしょうか」


「わかりませぬ。試していく他はないかと。話しかける以外の方法も確認していかねばなりませんし」


「そうですか……まだまだですね」


 レスリーにオスカーの呪いを軽減できるかもしれない、と、聞いてから、マリアンヌは焦るような気持ちになっていた。


 まともに話せるのは一人だけ。それはどうあっても歪だし、放置してよいとは思えない。


 オスカーと、彼を支える人々を知れば知るほど、その思いは強くなり、呪いをどうにかしたいという気持ちは大きくなるばかりだ。


「焦らずに進めましょう。なにかのきっかけで突然、魔力を自由に操作できることも多くみられることですから」


 下をむくマリアンヌに、レスリーは諭すように声をかけた。


 もともと、なんの対策も出来ずにいたことだ。


 現状も良くなりこそすれ、悪くはなっていない。


 鷹揚に構え、そう諭すレスリーの態度にマリアンヌは肩の力を抜いた。


「根気よく続けて参りますね、もっと変化があれば更にわかるかもしれませんし」


「そうですな。しかし少し困りました、この花は生育が早く枯れるのも早い、奥方さまが長持ちさせられるといっても、こちらの花たちもさすがにもう枯れる……」


 レスリーは、次の動きについて悩んだ。


 別の花で同様のことを試すまえに、今回の花でさらに検証すれば効率がよいと考えたからだ。


 考え込みはじめたレスリーを横にマリアンヌも思案し、ふと、思いついたことを口にする。


「そういえば、ソフィアからこの花は食べられると聞きましたが、食べ比べてみてはいかがでしょう」


 マリアンヌの提案にレスリーは破顔した。


 調理するというのはレスリーの発想にはなく、とても面白いと感じたからだ。


「それは良い考えですな。味におかしなところがなければお館様にもお召し頂きましょうぞ」



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