第6話 されど心はまだ遠く
オスカーとの距離は確かに縮まった。
だがそれ以上の進展はないまま、再び日々は続いている。
今では、マリアンヌは自分の気持ちが恋だとわかっているが、焦るようなことはなかった。
そもそもここからどうして良いのか知らないから、焦りようがないともいうが。
周りのものたちも、そこはよくわかっている。
今は急かすのではなく、少しずつマリアンヌとオスカーの関係を進めるよう準備をしている段階だ。
そのため、彼女たちは厩舎の一件以来、マリアンヌの世話に一段と気合を入れるようになっている。
特に髪や肌の手入れは、彼女たちの全ての知識と持てる技術を、すべて注ぎ込むほどの入れ込みようだ。
そしてさらに、顔を赤くしながらマリアンヌが語る、「今日のお館さま」と呼ばれるオスカー観察報告も彼女たちの熱意に拍車をかける。
周囲の盛り上がりは高まるばかり。
だが浮かれたままとはいかない。少し距離が縮まったといえど、まだまだオスカーの態度は硬いからだ。
◆
ブラッド辺境伯領 領主館 ダイニングルーム
「……暮らしには慣れたか?」
「はい。少しずつですが」
「そうか」
マリアンヌはオスカーと夕食を共にしていた。
広い食卓の上には上品な料理が並んでいる。
二人が話す声以外は食器が鳴る音だけが響く。
ここのところ、会話はこういった調子で、長続きしない。
まるで、これ以上関係が進まないように一枚の壁で仕切られているようだ。
オスカーの態度は冷たいわけではないので、不安にはならないが、マリアンヌはもどかしさを感じていた。
「それでは、明日も視察があるのでこれで」
「おやすみなさいませ」
「ああ、おやすみ」
そさくさとオスカーが退席していく。
(どうやったらいいのかしら……)
手元の銀杯には葡萄酒が満たされている。
蝋燭の灯りに照らされたそれを、マリアンヌはソフィアの声がかかるまでずっと見つめていた。
◆
十日後。
いつもより早く起きたマリアンヌは、領主館の玄関ホールでオスカーを待っていた。
ソフィアと練った作戦を実行するためだ。
「その恰好はどうした?」
マリアンヌのローブ姿をみて、オスカーは戸惑いの声をだした。
相変わらずの一歩ひいた距離感。マリアンヌは寂しさを気取られぬよう、微笑みを浮かべ願いを口にする。
「オスカー様にお願いがございます」
「かまわぬが……?」
「ご視察に同道させてください」
「……女性にはつまらぬものだと思うし、道中の安全が確保できぬ」
ソフィアとの事前の予想どおり、オスカーは難色を示している。
「それでしたら、キース殿に護衛をお願いしております」
マリアンヌがこくりとうなずき合図を送ると、キースがソフィアを伴い二人の近くにやってきた。
「お館さま、ご安心を。わたしが奥方さまの護衛を。わたしがいない間の警備の引き継ぎも済んでおります」
キースはオスカーの前にひざまづきながら答えた。
さらにソフィアがオスカーの逃げ道をふさぐようにまくしたてる。
「奥方さまはご領地にこられてから、一度も外の様子をみられておられません。またお館さまもお休みになられたのは二月もまえ。視察先の代官への、奥方さまのお顔みせとした小旅行、とされてはいかがでございましょう」
やや面食らいながらオスカーが返す。
「しかし、彼女には未来が……」
オスカーはあくまで恩返しと、当初の目的を口にする。
だがソフィアとキースの様子をみて口を結んだ。
「……」
二人の顔色は悪い。こみあげてくる恐怖に抗っているのだ。
オスカーは下を向いて言葉をこぼした。
「……任せる」
キースとソフィアはマリアンヌの願い、ひいては家臣たちの願いを実現させるため、この計画について考えた。
短い期間であるがマリアンヌの人柄は信用に値するし、オスカーの放つ呪いになんら反応を見せない。
充分すぎるほどの価値を彼女は備えている。
すでに家臣からはオスカーへ、マリアンヌとの関係を正規の婚姻にするべき、との願いを嘆願済みだ。
オスカーから回答はないが、ないという回答がもはや答えだと家臣たちは考えた。
しかし現状は、マリアンヌとの距離を離したまま。
呪いのせいで人に嫌悪され続けてきたのだから、それは理解できなくない。
まして女性との距離感を縮めた先など、想像もできないのだろう。
だが、主人の胸のうちを想いながらも、その当初の予定である、マリアンヌのひとり立ちのまま終わらせるわけにはいかなかった。
それに、家臣たちは嘆願の回答がないこと以外でもオスカーの変化に気付いている。
オスカーはこれまで、家臣たちに負担をかけるとわかっているから、極力近づいたり、声をかけないようにしてきた。
しかし、その頻度はマリアンヌがきてから明らかに増えている。
家臣へ『マリアンヌはどうしている』と尋ね『奥方さまは、自室にいらっしゃいます』と家臣は返し、『そうか』と去っていく。
それを二回、三回ならまだしも、もう何度も繰り返している。これまでのオスカーでは考えられない。
はやい話しが、もうあと一歩だ。
「オスカー様。わたしとても楽しみです」
マリアンヌは花が咲いたように笑った。
オスカーの足が半歩後ずさる。
ソフィアとキースは横目で互いをみやるとコクリとうなづいた。
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