第6話 されど心はまだ遠く


 オスカーとの距離は確かに縮まった。


 だがそれ以上の進展はないまま、再び日々は続いている。


 今では、マリアンヌは自分の気持ちが恋だとわかっているが、焦るようなことはなかった。


 そもそもここからどうして良いのか知らないから、焦りようがないともいうが。


 周りのものたちも、そこはよくわかっている。


 今は急かすのではなく、少しずつマリアンヌとオスカーの関係を進めるよう準備をしている段階だ。


 そのため、彼女たちは厩舎の一件以来、マリアンヌの世話に一段と気合を入れるようになっている。


 特に髪や肌の手入れは、彼女たちの全ての知識と持てる技術を、すべて注ぎ込むほどの入れ込みようだ。


 そしてさらに、顔を赤くしながらマリアンヌが語る、「今日のお館さま」と呼ばれるオスカー観察報告も彼女たちの熱意に拍車をかける。


 周囲の盛り上がりは高まるばかり。


 だが浮かれたままとはいかない。少し距離が縮まったといえど、まだまだオスカーの態度は硬いからだ。



 ブラッド辺境伯領 領主館 ダイニングルーム


「……暮らしには慣れたか?」


「はい。少しずつですが」


「そうか」


 マリアンヌはオスカーと夕食を共にしていた。


 広い食卓の上には上品な料理が並んでいる。


 二人が話す声以外は食器が鳴る音だけが響く。


 ここのところ、会話はこういった調子で、長続きしない。


 まるで、これ以上関係が進まないように一枚の壁で仕切られているようだ。


 オスカーの態度は冷たいわけではないので、不安にはならないが、マリアンヌはもどかしさを感じていた。


「それでは、明日も視察があるのでこれで」


「おやすみなさいませ」


「ああ、おやすみ」


 そさくさとオスカーが退席していく。


(どうやったらいいのかしら……)


 手元の銀杯には葡萄酒が満たされている。


 蝋燭の灯りに照らされたそれを、マリアンヌはソフィアの声がかかるまでずっと見つめていた。



 十日後。


 いつもより早く起きたマリアンヌは、領主館の玄関ホールでオスカーを待っていた。


 ソフィアと練った作戦を実行するためだ。


「その恰好はどうした?」


 マリアンヌのローブ姿をみて、オスカーは戸惑いの声をだした。


 相変わらずの一歩ひいた距離感。マリアンヌは寂しさを気取られぬよう、微笑みを浮かべ願いを口にする。


「オスカー様にお願いがございます」


「かまわぬが……?」


「ご視察に同道させてください」


「……女性にはつまらぬものだと思うし、道中の安全が確保できぬ」


 ソフィアとの事前の予想どおり、オスカーは難色を示している。


「それでしたら、キース殿に護衛をお願いしております」


 マリアンヌがこくりとうなずき合図を送ると、キースがソフィアを伴い二人の近くにやってきた。


「お館さま、ご安心を。わたしが奥方さまの護衛を。わたしがいない間の警備の引き継ぎも済んでおります」


 キースはオスカーの前にひざまづきながら答えた。


 さらにソフィアがオスカーの逃げ道をふさぐようにまくしたてる。


「奥方さまはご領地にこられてから、一度も外の様子をみられておられません。またお館さまもお休みになられたのは二月もまえ。視察先の代官への、奥方さまのお顔みせとした小旅行、とされてはいかがでございましょう」


 やや面食らいながらオスカーが返す。


「しかし、彼女には未来が……」


 オスカーはあくまで恩返しと、当初の目的を口にする。


 だがソフィアとキースの様子をみて口を結んだ。


「……」


 二人の顔色は悪い。こみあげてくる恐怖に抗っているのだ。


 オスカーは下を向いて言葉をこぼした。


「……任せる」


 キースとソフィアはマリアンヌの願い、ひいては家臣たちの願いを実現させるため、この計画について考えた。


 短い期間であるがマリアンヌの人柄は信用に値するし、オスカーの放つ呪いになんら反応を見せない。


 充分すぎるほどの価値を彼女は備えている。


 すでに家臣からはオスカーへ、マリアンヌとの関係を正規の婚姻にするべき、との願いを嘆願済みだ。


 オスカーから回答はないが、ないという回答がもはや答えだと家臣たちは考えた。


 しかし現状は、マリアンヌとの距離を離したまま。


 呪いのせいで人に嫌悪され続けてきたのだから、それは理解できなくない。


 まして女性との距離感を縮めた先など、想像もできないのだろう。


 だが、主人の胸のうちを想いながらも、その当初の予定である、マリアンヌのひとり立ちのまま終わらせるわけにはいかなかった。


 それに、家臣たちは嘆願の回答がないこと以外でもオスカーの変化に気付いている。


 オスカーはこれまで、家臣たちに負担をかけるとわかっているから、極力近づいたり、声をかけないようにしてきた。


 しかし、その頻度はマリアンヌがきてから明らかに増えている。


 家臣へ『マリアンヌはどうしている』と尋ね『奥方さまは、自室にいらっしゃいます』と家臣は返し、『そうか』と去っていく。


 それを二回、三回ならまだしも、もう何度も繰り返している。これまでのオスカーでは考えられない。

 

 はやい話しが、もうあと一歩だ。


「オスカー様。わたしとても楽しみです」


 マリアンヌは花が咲いたように笑った。


 オスカーの足が半歩後ずさる。


 ソフィアとキースは横目で互いをみやるとコクリとうなづいた。


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