第2話 出会い


「どんなところかしら」


 ブラッド辺境伯家の騎士たちが護衛する馬車内。


 誰にむけるわけでもなく、マリアンヌは右手の小指につけた白金の指輪をなで、つぶやいた。


 愛妾としての立場のため、これという催しもなく、まるで商品を出荷するような形で馬車につめこまれたのが十日前。


 ウェンリー子爵領から東、王都を経由しさらに奥にあるブラッド辺境伯領へと馬車は進む。


 いまは辺境伯領内へ入り、二日が経った昼。持参金がわりの荷物、馬車二台を引き連れての道中だ。


 しかし荷物の中身は、子爵家の格としては最低限で、形だけを整えたと、一目でわかる品質のものばかり。


 マリアンヌのために、高い品物を用意するのは癪だとベイルが渋る。それをたしなめるザックの疲れた顔。


 マリアンヌはその光景を思い出し、思わず苦笑する。


 ベイルはウェンリー側が負担する護衛の費用も安くすませた。


 王都はまだ旅の中間地点だというのに、ウェンリー子爵側の護衛達は、そこに着いたら任務完了とばかりに去っていってしまったのだ。


 辺境伯家の騎士たちが柔軟に対応、というより気にするそぶりをみせなかったのがせめてもの救いだった。


(本当にうまくやらせる気があるのかしら? まあ、なるようにしかならないけど。……とりあえず、着いたらザックに手紙を送りたいわね)


 ザックをはじめ、古くからの使用人たちがあまりにも心配するので、マリアンヌは手紙の定期的なやり取りを約束していた。


 もちろん、ベイルには知られぬよう内密にだ。


 腰掛ける長椅子の対面に置かれた鳥籠へ、マリアンヌは視線をむける。


 その中には絆鳥と呼ばれる鳥が二羽、大人しく収まっていた。


 この鳥はどれだけ遠く離れても、同じ巣で育った兄弟姉妹の位置をなぜか知っている。


 そして、籠から放つとそこへ向かう習性を持つ。


 それを利用することで手紙のやり取りをするのだ。


 最低三羽の兄弟がいれば取れる通信方法なので近隣各国でも盛んに飼育が行われている。


 ザックのところには、この二羽の兄弟が屋根裏でこっそりと飼われ、手紙はいつでもやり取りできる状態だ。


(まあ、それも着いてみてからね)


 他貴族家との密かな手紙のやり取りは内通であるので、許可を取る必要がある。


 現時点では、許可が貰えるかはわからない。


「あと、どれくらいかしら」


「どうされましたか?」


 考えごとをしながら、車窓から覗く景色に向かって言葉をもらすと、馬車に並走する護衛の騎士がすぐに反応した。


 この護衛の騎士は、痩せすぎのマリアンヌをみて、とにかく心配して世話を焼いてくる、ブラッド辺境伯家の騎士でキースと名乗った。


 護衛隊の責任者でもある。


 マリアンヌの給仕役の騎士に対してあれこれと指示を出し、毎度の食事のたび、道中で仕留めた獣肉やマリアンヌの知識にない野草らしきものを混ぜ込んでくる。


 見た目は良くないが、きちんと調理されていて味は悪くなく、というより、マリアンヌがこれまで食べていたものに比べて、はるかに美味い。


 すぐにお腹がいっぱいになるのが悔しいくらいだ。


 そのおかげで、現在、マリアンヌの身体は痩せすぎから、痩せている、というところまで肉を取り戻しはじめていた。


 また、先行きがわからず不安に染まっていたマリアンヌの表情も、出発時よりずいぶんと柔らかくなっている。


「いえ、どれくらいでつくのかなと……」


「あの丘を越えればもうすぐでございます」


 キースは馬上から前方を指し示している。

 

 マリアンヌはつられるように車窓から顔を出し外の景色をみた。


 広がる丘陵には花がそこかしこに咲き誇っている。


 ふいに、強い風が緑の草原をなでるように吹き抜け、ずっと遠くにみえる森にまで届き木々を揺らした。


 その木に止まっていた鳥たちは、風を逃さずつかまえると、群れをなして飛び立ち、空に消えていく。


「……とてもきれいなところね」


 ため息まじりに口から言葉が出る。


 まばゆく輝いていた王都。


 ファイラード王国が誇る、馬車道の広さと通行量。


 どこまでも続くかと思う田畑。


 子爵領という狭い世界しか知らないマリアンヌは、道中で見るものに圧倒されながらここまできた。


 しかし、今見る景色は心を安らげてくれている。


(あれは、村かしら……)


 どこまでも続くようにみえる、ゆったりとたなびく草原が終わり、小さな村がみえてきた。


 小屋から出てきた親子は、仕留めた獣の皮を荷車に乗せている。


 少し離れた場所では作物を収穫する人々。


 マリアンヌはそれを、とても懐かしいと感じた。


 両親が生きていた頃。領地で過ごした穏やかな記憶が甦る。


(もう見られないと思っていたけど……)


 マリアンヌはもう少しその風景を見ていたかったが、馬車はその景色を置き去りにして進んでいく。


 それからしばらくすると、景色は変化をみせる。


 整えられた道に入り、馬車の揺れが小さくなると

、窓から見えるのは垣根ばかりとなり——馬車の動きが止まった。


「到着致しました。お館様がおみえですので下車をお願い致します」


 キースの声とあわせてタラップが整えられた音がマリアンヌの耳に届く。


 他の護衛たちも下馬し、馬車の前に整列した。


 道中では見せることのなかった護衛たちの緊張感が車中にまで伝わる。


 それを感じたマリアンヌは息を呑んだ。


 長椅子から立ち上がると、ゆっくりとドアが開く。


 タラップに足をかけたマリアンヌの正面に宮殿と呼んでよい建造物が現れる。


 そこへ続く道には、百人に近い数の使用人たちが顔をふせ、道の脇に立ち並んでいる。


(ここまで大きいだなんて、想像していなかったわ……)


「御手を」


 タラップ上で呆然としたマリアンヌの様子にキースが手を伸ばす。


 その手をとり導かれるまま、マリアンヌはゆっくりとタラップを降りる。


 慣れないドレスの——それでも随分と簡素な——裾を踏まないよう、慎重に足をはこぶ。


(みんな顔を下にふせてどうしたのかしら? そんな作法は聞いたことがないのだけれど……)


 見慣れぬ光景にとまどいながらも、どうにか地面へとつま先を無事着地させる。


 キースの手をはなし、マリアンヌは宮殿に向けて歩き出した。


 ハイヒールの靴にはまだ慣れていないため、ややゆっくりとした足取りだ。


 マリアンヌは正面をみて、黒の煌びやかな外套をまとう騎士が宮殿の前にいることを確認した。


 その右眼は眼帯で覆われている。


(おそらく、あの方がオスカー様ね)


 さらに進む。どんな方だろうか、もう少しで顔がみえる——眼帯の騎士は微笑んでいる。


 マリアンヌはその優しい微笑みにドキリとした。


 一歩進むたび、跳ねるように脈うつ心臓に焦りながら、気づけば騎士の十歩前。


 そのとき、マリアンヌは脇に並ぶ使用人たちの視線が、先程とは変化していることに気づいた。


 とても驚いているような様子で、どうしたことかと不安になる。

 

(なにか、不作法をしてしまったのかしら……。どうしよう……)


 マリアンヌは使用人たちの様子に気を取られた。


 その結果。


 踏み出していた踵のヒールはうまく地面を捉えず、足首がグニャリと曲がった。


ゆっくりと倒れ込む身体——だが、訪れるであろう痛みへの恐怖よりも、恥ずかしさのほうがマリアンヌの心にあふれる。


(出だしからこれじゃ———あれ?)


「無事か?」


 いつまでも訪れない痛みのかわりに、低い声と共に訪れたのは浮遊感。


 背中と足に感じる、力強い支え。


 騎士は十歩の距離を一瞬でたどり着き、倒れるマリアンヌを抱き上げたのだ。


 黒地に精緻な刺繍がほどこされた眼帯がマリアンヌの目の前に現れた。


 次いで、彫像かと思えるほど美しい輪郭が浮き彫りになる。


 緩くウェーブした黒髪のミディアムヘアと、吸い込まれるようなルビーの瞳。


(こんなに綺麗な人、みたことがない……)


「立てるな?」


「——! はっ、はいっ!」


 自分の状態を思い出したマリアンヌは、顔を真っ赤にしながら、その場に立ち直らせてもらった。


「よく来てくれた、マリアンヌ・ウェンリー。わたしがオスカー・ブラッド辺境伯だ」


「マ、マ、マリアンヌですっ!」


 失礼がないよう必死に覚えた挨拶や作法は、ゆだった頭から蒸発してしまい、頬を赤らめながら名前を答えるのが精一杯だった。


「……怖くないのか?」


 オスカーはとても不思議そうにマリアンヌに問いかけた。


「怖い? ……何が——あっ」


 マリアンヌはオスカーの問いの意味が最初わからなかったが、すぐにキースから道中にて聞かされた話を思い出した。


(そうだ、呪いのこと……だとすれば拍子抜けするほどなのだけれど。まさか、母さまがくれた指輪が、本当に呪いを防いでくれている?)


 周りにいる使用人たちをみても、誰一人、オスカーへ顔を向けようとしない。


 うつむく表情は、何かにおびえるように強張っている。


 しかし、マリアンヌはオスカーを普通に見ることができる。心臓はバクバクとするが、恐怖を感じているわけではない。


「えっ、と、特には」


「本当に平気なのか……」


 オスカーは信じられないものを見たような顔をしながらマリアンヌに詰め寄った。


「はうっ……」


 口からでた間抜けな声をマリアンヌは左手でふさいだ。


「……驚かせてすまない」


「も、も、問題ありませんからっ、どうか、お気になさらずにっ」


「……そうか、では中へ」


 オスカーは思案顔のままマリアンヌの手を取ると、ゆっくりと宮殿のなかへと進みはじめる。


(手、手、手が……)


 繋がれた右手から視線を離せぬまま、マリアンヌは黙ってオスカーに付き従った。




 

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