『マリアンヌの初恋』〜愛妾から最愛へ。呪われた辺境伯を救うのは、目覚めた聖女の力〜

山田 詩乃舞

第1話 愛妾

 王国歴 237年

 ファイラード王国 ウェンリー子爵領

 領主館 ダイニングルーム 


「マリアンヌ。のお前に素晴らしい話しをまとめてやったぞ」


 小太りの男——ベイル・ウェンリー子爵は、先ほど呼びつけてから、部屋の端に立たせたままの年若い女にそういった。


「ありがとうございます」


 くたびれた服を着て、無表情で静かに返した女の名は、マリアンヌ・ウェンリーという。


 ベイルとマリアンヌは遠縁の関係だ。


 マリアンヌは九歳のときより——前ウェンリー子爵夫妻である父母が隣国との戦で死んでしまって以来——ベイルの元で奴隷のような暮らしをさせられている。


 それはなぜか。マリアンヌがまともな魔法を使えないことがその原因だ。


 この国で爵位を継ぐためには、魔法が使えることが絶対条件になる。


 そのため父の死後マリアンヌは爵位を継げず、親族の中で最も優れた魔法使いであったベイルがウェンリー子爵家を代わりに継いだ。


 さらにベイルは、血統を欲しがる下級貴族や、野心を持つ親族にマリアンヌを利用されぬよう手を回した。


 そして、魔法が使えないマリアンヌのために残されていた前子爵の財産放棄と、ベイルへの従属契約をマリアンヌに迫ったのだ。



 前子爵遺児の保護と領内の安定という大義名分で包まれた契約に、当時九歳のマリアンヌが逆らえるはずもなく。


 また、保護としつつも、実態としては奴隷のような扱いを受けて十年。


 男たちが取り合ったといわれる母親似の顔立ちは、貧相な食事しか与えられないせいで、痩せて骨ばってしまっている。


 父譲りの美しい白金だった髪色も、ろくに手入れもできず、くすんでしまい灰色だ。

 

「ふんっ。相手はあのブラッド辺境伯だ。前子爵、ジェラルド・ウェンリーの娘、つまりお前を愛妾にとご所望でな。できそこないには充分だろう」


 マリアンヌの相手が明かされると、同席していた、ベイルの妻エレーヌと娘カタリナが、くすくすと笑い声をもらした。


 二人とも美しい顔立ちだが、冷たい目をしている。


「まあ! あの呪われた伯爵っ!」


「見るものを恐怖に陥れる暗黒騎士っ! これまで何人の女が逃げ出したことか」


「お慰めに励んで、せいぜい可愛がってもら……あら、失礼、そんな骨が浮き出た身体では難しいわね」


 二人はにやにやと薄ら笑いを浮かべ、マリアンヌの様子をうかがう。


 相手の悪い評判を聞かせて、嘆くであろうさまを楽しんでいるのだ。


 だが、ここでへたに感情を出せば、二人がエスカレートしていくことをマリアンヌは身をもって知っている。


 無表情のままで立ち、やり過ごす。


「ふん、つまらない女ね」


 マリアンヌに効果がないとわかると、カタリナたちは興味をなくし、ひそひそと何やら別の話しを始めた。


「これで念願の国外取引の足掛かりが作れる。マリアンヌよ、わかっているな? 相手が呪われていようと、逃げ出すなど許さぬ。恥をかかせてくれるなよ」

 

 ベイルがマリアンヌに冷たい視線を向ける。


「かしこまりました」


 マリアンヌが平坦な口調で答えたそのとき、部屋の扉が開かれた。


 使用人たちが夕食をワゴンにのせ運び込んできたのだ。


 豪勢な食事がテーブルに並べられるなか、使用人のうち、一人の足がマリアンヌの横で止まった。


「お嬢様……」


 部屋の外にもさっきの話しが聞こえていたのだろう。


 絞り出すような声はマリアンヌだけに聞こえる大きさで、潤んだ目からは涙がこぼれ落ちそうだ。


(ザック……大丈夫だから)


 ウェンリー子爵家に執事として仕えるザックである。


 彼は先代の忘れ形見であるマリアンヌを、ベイルたちからどうにか守ろうと動いてきた老人だ。


 けれどいま、ザックがマリアンヌを心配するような素振りをベイルたちに見られると、機嫌は間違いなく悪くなる。


 自分だけでなくザックにもその矛先が向くだろう。


 マリアンヌにとってはその方がつらい。


 そうならないよう目配せしながら、ザックの退室をマリアンヌは促す。


 力なくうつむいたザックが歩き始めた。


「準備ができればすぐに辺境伯家へ向かうことになる。話は終わりだ。戻れ」


「はい。失礼致します」


 事務的なやり取りだけで済んだことにホッとしながら、マリアンヌは使用人たちにまぎれるようにして部屋から退出する。


 そのまま廊下を進み、館の外につながるドアを開く。


 日が沈み暗闇の中、進む先は馬小屋自室だ。


 灯りを持つことは許されていない。


 子供ですら夜道は灯火の魔法で夜道を照らすのに、それができないマリアンヌへの嫌がらせである。


 魔法を使うための魔力がないわけではない。魔力持ちの証に、魔力がなければ見ることができない他人の魔力が、ぼんやりとだが見えている。


 自分の魔力は見えないので、魔力を身体の外にだす力が弱すぎるからだろうとマリアンヌは考えていた。


 そんなマリアンヌが使える唯一の魔法。それは切り花に手をかざすと、花が枯れるまでの時間が長くなるという、なんとも効果のみえにくい微妙なものである。


 正直、魔法なのかすら怪しい。


 馬鹿にされるのは目にみえている。それならいっそ、魔法は使えないとしておく方がいい。ザックからもそうしておいた方が良いといわれている。


 命をかければ、魔法の性能を高めることができると聞いたこともあるが、命をかけたところで花がより長持ちするだけ。


 毎夜、貴族としての無能を痛感させられる帰り道がおわり、マリアンヌは馬小屋へと到着した。


 奥にすすみ、馬小屋の端に作った寝床——木箱に藁を乗せたベッド——にマリアンヌは腰掛けた。


(ザックがあんなにうろたえるなんて……)


 ベイル達のいじめや嫌がらせに負けたくない、そんな思いで先ほどはどうにか耐えたが、一人になると途端に不安が襲ってくる。


 この十年の間、ろくな教育が与えられなかったマリアンヌにとって、ベイルたちに見つからぬよう、ザックや使用人たちがこっそりと教えてくれるものが知識といえるものだ。


 その知識から、愛妾というものがなんなのかは、ある程度わかっている。


 だが、ザックがあれほどの表情になる、呪われた辺境伯。


 その愛妾。


(それでも、今よりかは……)


 ベイル達がマリアンヌに向ける視線は、人間に向けるそれではなく、家畜に向けるものに近しい。


 役に立たないのであれば潰して肉にする。


 そんな視線に晒されてきたマリアンヌは、自分が将来どうなるか、ある程度の想像がついていた。


(もうそんなに時間はなかったと思う。どうやってもわたしは、あの人たちにとっては邪魔者でしかない)


 それを考えると、まだ希望があるようにも思える。


(母様。お守り下さい……)


 腰掛けた藁の下、木箱を開け取り出したのは、マルクという文字が小さく刻印された白金の指輪。


 見つかれば取り上げられてしまうのでここに隠している。


 呪いと災いを退けてくれると、マリアンヌの母が戦地に向かう前にくれたものだ。


 呪われていて、見るものを恐怖に陥れる辺境伯。


 カタリナ達が嗤いながら刺してきた言葉で、マリアンヌはこの指輪にあるとされる力のことを思い出した。


(指輪の力が本物なら……)


「ブルルルッ!」


 すがるように指輪を握りしめていると、馬が唇を震わせ「構ってくれ」と要求する音が耳に入る。


「ちょっと待ってね」


 ベッドから立ち上がり薄板一枚先の馬房へ。

 馬が前脚で藁をかきマリアンヌを急かしている。


「ごめん、今日はブラシがまだだったね」


 ベイルの馬だ。


 そしてその世話はマリアンヌの仕事のひとつだ。


 馬の横にまわりこみ、壁にかけたブラシを手に取る。


 背中から腹へと優しく撫でてやると、満足そうに馬は首を揺らした。


 ランプもなく月明かりを頼りにブラシをかけながら、マリアンヌは思う。


(わたしがいなくなれば、少なくともザック達の心の重荷は取れる)


「プルルッ」


 いつもより撫でつける力が強いのか馬が腹を揺らしながら鳴いた。


「あら、痛かったかしら……」


 そうだというように馬の尾が揺れる。


「ごめんね。おまえの世話も、もうあと少ししかできないのに」


 一人が辛い夜。この馬に話しかけながらブラシをかけ、心を軽くしていた日々をマリアンヌは思い出し、少しだけ微笑んだ。


 優しく手で背を撫でると、馬は満足したのかその場にしゃがんだ。


「おやすみ」


 マリアンヌは馬に声を掛けると馬房から抜け、木箱のベッドに戻った。


 小窓から月の光がさしこみ、寝床を照らしている。


 マリアンヌはなかなか寝つけず、長い夜を過ごした。


 

 

 

 

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