萌芽 2

 失ったはずの掌が、ぐつぐつと茹だるように熱を持つ。

 はっきりと存在しないはずの指先にまで意識が伝わっているようでいて、ふと溶けてしまうような不確かさもある。例えば、たった今全身を襲った振動で、痛みだけ残してその輪郭を失ったように。


「ケルハ様。大丈夫ですかな」

「どうにか、っ……!」


 鈍い衝撃。土煙。何度目かの爆発。ぱらぱらと雨のように降る石畳の破片の中を、二人の乗る馬は駆けていく。

 テモータの駆る馬は俊敏で力強く、幾度も魔法の直撃を避けてこそいたものの、すでに馬も馬上の二人も細かい傷に塗れている。


「こうなれば、旦那様――領主様の元まで逃げ込むしかありますまい。しかし、これは……図られましたな」


 テモータがケルハ少年を馬に乗せ、勇者ディンツェが見えなくなるほどに離脱した時に襲撃は始まった。

 ローブに身を隠してこそいたものの、三体の襲撃者は鋭い鉤爪やごわごわとした毛並みを備えたまぎれもない魔族ミメクであり。そのいずれもが首のない馬に似た偽命人形ゴーレムを駆る、魔法騎兵でもあった。


 彼らの行ったことは単純である。後ろから追いかけて、魔法を放つ。つい先程放ったような、破壊の範囲に長けた砲撃。あるいは速射に優れた灼熱の閃光の鏃の連射。鎌首をもたげた蛇のような光線が降ってきたこともあった。


「ケルハ様、やつらが出てきたところを?」

「……川。最初の襲撃者とおんなじで、しばらくしたら川に魔力の反応がありました。で、水面が破裂したとおもったら、その……」

「結界か何かで水中に潜んでいたのでしょうな。おそらく、我々が近づいたところでわざと魔力を隠すのをやめたのでしょう。引き返すことのできぬように」

「どうして、そんな、ぐっ、あっ……!!!」

「……ッ」

 

 さほど体格も大きくなく片腕もないケルハは、落馬の危険を案じてテモータの前に抱えられるように乗せられている。いわばケルハは守られているような形であって、それでもなお、ただ魔法の爆裂に弾けただけの礫の一欠片が、テモータの二の腕とケルハの耳朶をもろともに切り裂くようなことは何度もあった。


 一介の馭者とは思えぬほどに、この状況でもテモータは馬を巧みに走らせ続けている。射撃の的にならぬように、ともすれば危険にも見える蛇行した走り。時にはケルハの魔力視の力も借りて、それでもかろうじて生き延び続けているにすぎない。


(僕には魔力が、見える。……見えるだけだ。向こうはそんなやつの相手なんて何度もしてて、大抵見えたってどうしようもないくらいの魔法の撃ち方をしてる。たぶん、そういうことだ)


 無力だった。おそらく一人だけではとっくの昔に死んでいただろう。魔力の流れで魔法を避けるなんて芸当も、修羅場慣れしているらしいテモータの指示がなければ活かせなかった。少年は無力だ。あの村の時と何も変わらぬままに。


「ケルハ様ッ、回避方向は!」

「ッ、先に左、次に右……をッ、」


 足を鏃が掠めながら、逃走方向の光の筋を急いで確認する。曰く、曲射魔法は往々にして先に魔力で導線を引いて放つものらしい。それを視認することで対応する。敵がケルハの魔力視に気がついてないらしい故の対応方法。ただ、それも。


「が、ぐッ……」

「テモータ、さんっ……ああ、くそッ……!!」


 敵は途中で気がついたのか。あるいは確実に追い詰めるために、疲弊するまで知っていて泳がせたのか――どちらにせよ確かなのは、ケルハが視て指示した回避方向は、背後からの鏃の魔法が当たる位置であった、ということ。

 必死に逃げ続けた馬の足を貫く一発。テモータの左肩を穿った勢いのまま、ケルハのこめかみを裂いた一発。当たったのが二発だけだったのは、不幸中の幸いか、あるいは即死できなかった不運なのか。


「《己の魂を遡れ。命ずるままに暴れて開け》」


 三体の魔族ミメクはただただ動きを止めた獲物を確実に殺さんと、一定の距離を保ったままに詠唱を続けるだけだ。勝鬨はおろか、侮りの様子も一切見せぬ。このままであれば、ケルハ達は確実に散るのみだ。


「……おそらく、《火蜥蜴の骸》。さっきの、爆発の、魔法です。……儂と、馬の体を盾にすれば、ケルハ様だけなら……あるいは、万が一、」

(嫌だ)


 小声で呟くテモータは、絶え絶えといった調子で息が荒い。脂汗をかいたまま、どうにか少年を庇い立てしようと身じろぎしている。彼の命の鼓動を感じたままに、ケルハは今にも叫びだしそうなのを堪えている。


(嫌だ。嫌だ……!また助けられるだけなんて。このまま死なせるなんて!)


 少しの才能を見出されて、なお無力で無知なまま。そんなことはわかりきっている。それでもなお、信じることしかできなかったあの時の自分も、生き残ってしまったことに絶望した自分も、掬い上げてくれた勇者がいた。だから今、出来ることを探している。


(思い出せ!僕に出来ることはなんだ。勇気があるといってもらった。魔力視が出来るって教わった。そして。そして――)


 体が、心の臓が、失った右手が熱を持つ。

 眼の前で、致死の魔法が編み上げられる。

 一点に魔力の光が収束して、新たに生じた光が卵のように覆っている。次の光は螺旋の筒で、ケルハはいつか見た鉄砲というものに似ている気がした。


「《は竜の――》、なんだ」


 ずしん、という衝撃は、目の前の魔族ミメク達から放たれたものではなかった。彼が魔法を放つ直前に、どこか遠くで、ケルハ達が逃げ出したあの場所で、は起こったようだった。


(あ)


 知っている魔力だ、とケルハは思った。

 それで咄嗟に跳ね起きて、あの時のように手を伸ばした。

 つよくつよく熱を持った、


「貴様何をッ、」


 とっくに形のない指が螺旋の筒でずたずたに裂けて、それでも無理やり光の卵に手を突っ込んだ。バツッ、とはじけた雷みたいな反発は、ケルハの腕と肩の中で暴れのたうち、飛び出て周囲の地面をばちばち砕いて。


「これは、退魔の、」


 魔族ミメクの一体が叫び、残りの二体はケルハを殺さんと狙いをつけ、あるいは防御を試みて。その何れもが、《火蜥蜴の骸》の魔法に飲み込まれる。無茶苦茶に破裂した熱のエネルギー。余波の衝撃で、気がつけばケルハも吹き飛ばされていて。


(ディンツェ、さ――……)


 眩んだ意識のなか、どこかで誰かの呼ぶ声と、近づく馬の足音を聞いていた。


                *


 ――爆心地、としか言いようのない風景だった。


「『息吹』」


 小さく呟くディンツェだけが、何事もないように立っている。

 ほんの少し前まではたしかにそこは石畳の敷かれた旧い街道で、広く深い川を挟んだ向こうに林があって。戦闘で大きく破壊されていたとして、それでも道の最中が戦地になったと、そう把握できる範囲だったはずだ。


「もしくは、『羽搏き』かな。人類圏では、《雲霞うんか崩し》なんて言ったっけね。風の弾丸。風の爆裂。それが不可視の攻撃手段の正体だろう」


 たった今勇者によって看破された攻めの手は、決して途切れてなどいない。巨人が腕で払うに等しい水を巻き込んだ突風も、圧縮された空気の弾丸も、に防がれ、弾かれ続けている。


 一方、勇者の側のもまた、届きはしない。バジジジジ、と異様な音を立てているのは、荒れ狂う風と渦潮めいた水柱の防壁に拒否され続けている証左である。何本かの跳ね返されたの勢いだけで、割れた水面は川底まで姿を晒し、砕けた大地はより一層の亀裂を深める。


 天災めいた不可視の破壊と、怪物めいた不可視の破壊。

 竜と竜が組み合って力比べをするような、異常の均衡である。


「風の応用で水も操ってるわけだ。なかなか器用じゃあないかな?――フレシア」

「ホう。カラでモ、私ノ事を聞イテいタカ。勇者モドキ」


 二重防壁に隠れたままに、ぼこぼこと泡立つような異質な声が返ってくる。肉声ではあるまい。風の魔法の応用として、空気の震えを操っているのだろうとディンツェはあたりをつけた。


オレの親を知ってるならわかるだろう?彼女はそれほど面倒見が良くないさ。……《逆天》のフレシア。二年前、人魔境界戦の魔族ミメク側の英雄だろう。いくらモドキ呼ばわりされる勇者とて、有名な同胞くらいは知っているよ」

「ク、カカカカカカ!裏切リ者ニ、英雄ナどト呼バレタク無イわ!!!」


 勢力を増した突風は大河の流れの一瞬途切れるまでに水を巻き上げて。その全てを費やした圧砕の瀑布の連打は、ついにディンツェを回避の一手に追い込んだ。


「サあ、サァ、さア!!!晒スガイイ、貴様ノ醜イ本性ヲナァ!!」


 避けきれぬ一手が、ばきりと破裂するような音を立てての一端を負傷させる。勇者の用いる不可視は一瞬途切れ、その正体――無数の木の根と、それに接続されたいくつかの蟷螂めいた白い大きな腕。あるいは、猛禽の鉤爪や、獅子に似た巨獣の足を晒す。


 例えばそれは、少女の形をした疑似餌を備えた怪植物が、いくつもの生物を無遠慮に取り込んだような。人と比べて異形の魔族ミメクとも程遠い、恐るべき異端の姿がそこにあった。


「ハ、悍マシヤ!ヤハリ――やハリ見エナンダのハ、『擬態』ノ一種!アルいはお前ノ人間ぶッタソノ肉体も、同ジク『擬態』ノ成果カモシレンナ!そウシて先程の人間共ニモ、貴様ノ正体ヲ隠シテいタカ!?なァ……ナァ、《縛千連理》!!親譲りノ、狂ッタ死体弄リメガ!」

「……。ケルハ君に見せてないのは事実だけれどもね」


 姿を表し、なおも少女は跳ねるように走り続ける。追いすがる風の弾丸を木の根の壁が防いで散らし、いびつに生えた猛獣の足が地を蹴って、直角に曲がって裁断するように落ちる水柱を回避する。湿った川底を踏み越えて、ただただ敵との距離を詰める。


「勘違いしないで欲しいんだけれどさ。オレは《狂奔の勇者》なんだよ」

「何ガッ、勇者!!親ノ言イなリニ、人間共ニ翻ッタ、ダケデアロウニ!!」

「……確かにの目論見には沿ってはいるんだろうね、現状は。無論そこに甘んじるつもりは無いけどさ」

「戯言ヲッ!!!」


 川向うの林のいくつかが、根付く地面ごとに剥がされて。竜巻によって槍のように飛ばされてくる木のいくつかを、鎌の腕で打ち払い、処刑剣で切り落とす。小さく吐いたため息を振り切るように、ディンツェは駆ける速度を上げる。天に昇る風と水の巨人のもとに、生命の冒涜のような怪物が迫っていく。


「でもね。弄りってのは言いがかりだよ、フレシア」

「……何?」

「《縛千連理》は親株の所業だろう。オレと一緒にしないでくれよな。オレはさ――」


               *


 ――魔族ミメクの起源は、寂しい荒れ地に生まれた数種類の生物だったとされる。


 魔法が使えること、いくらかの知能を有することの二つだけが彼らに共通していた点であって、各々は全くの別種であった。当然本来は捕食と被食、あるいは縄張り争いに発展しかねない関係であって、そこに信頼などは一切なかったと言って良い。


 だが、その時だけは違った。何かがあったのか。あるいは、何もかもが無い土地故に起きた奇跡だったのか。異なる在り方の生命達は、数少ない同じものを行使する。


 幾度もの世代を重ねて洗練される前の、ひどく旧い、遠い時代のいのちの魔法。 

 過酷な世界に生きるため、彼らは自らの在り方を


 ちがうもののフリをして危機から逃れ、あるいは糧を得るための『擬態』。

 ちがうものとも寄り添って、互いに利を得るための『共生』。

 ちがうものとも結びつき、同じ種族として取り込むための『交配』。


 各々の備えた魔法を互いに用い、この三つを手に入れた一つの種族となったのだ。

 

 遥かな時を経て、魔族ミメクと呼ばれるようになった彼らの種族は過去より遥かに多様になった。数も増え、今や三つの魔法は彼らにとって必須ではない。

 むしろ複雑に進化を遂げた結果として、氏族ごとに備えた生態魔法こそが現在の魔族ミメクの特徴と言ってもいいだろう。


 だが、それでも。

 今もなお、魔族ミメクという生物の基幹には。


               *


「ハーネ。イルウンジン。ホスター」


 ずるり、と。


 白と桃色の、蟷螂のような魔族ミメクが。

 猛禽の鉤爪を備えた、爬虫類の魔族ミメクが。

 獅子と虎の間の子じみた、顔に傷持つ賢獣コボルトが。


 ディンツェより遥かに大きい、家屋のような巨体が三つ。

 名を呼ばれると同時、無数の根から分かたれるようにこぼれ出て。


「な、ッ」


 己の聡明さが故に、確かにその一瞬フレシアは『息吹』の魔法の集中を欠いた。例え尋常ならざる事態としても、正しく魔法を見抜いてしまったから。永遠にも等しい短い距離は、わずかな暴風の乱れに容易く無に帰する。


 蟷螂が水柱を切り裂いて。食らいつく爬虫類は足場となって。再び収束する風と水を、獅子が剛腕でこじ開ける。およそ一秒。それだけあれば、ディンツェにとっては十分だった。鈍い閃光が閃いて、青黒い血が満点に咲いて。崩れ落ちたフレシアは、どこか頭足類に似た魔族ミメクだった。


「貴様、ごふ、きさま……『共生』、か!」

「御名答。魔族ミメクの基礎なんて、キミからすれば容易く見抜けるか。やはり隠しておいて正解だったな。しかしまあ、やっとキミの肉声が聞けたじゃないか」

「馬鹿な!いくら貴様ら腐れ木の魔法とて、死体でなければ取り込むなど!……待て。いいや、貴様、まさか……」

「わかりきってる話だろう?オレはさ、取り込んでなんかいないんだよ。今こうしているのとおんなじに、しただけなんだ。何しろ彼らはオレの仲間だからね。仲間と共に敵を打ち倒す。とっても勇者っぽいと思わないかい?」


 裂けた笑顔を、刃の向こうに垣間見る。

 《逆天》のフレシアは、もはや逃れ得ぬ敗北と、直ぐに再び訪れる苦痛とを悟る。

 それでもなお立ち上がったのは、勇気か、怒りか。あるいは。


「――素晴らしかったよ、フレシア」


 勇者の声も届かぬままに。

 魔族ミメクの英雄は、天を睨んで地に潰えた。

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空木に二人 虚数クマー @kumahoooi

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