旅立ちへ

「つまりさ。キミにはオレ介添人かいぞえにんをやってもらいたいんだよね」


 揺れる馬車の中、ディンツェは覗き込むように小首をかしげてケルハに言った。彼女の口元は薄くほほえみつつも、暗い瞳は笑っていない。この数日で、そうした不吉にも見える表情をよくすることをケルハは知った。


(――もう、あれからそんなに過ぎたんだな……)


 肘の先の無い腕を残った手で擦りながら、ぼんやりと思い返す。


 虐殺の日から、既に十日以上になる。生き残りの村人はみな、隣村に移り住むことになった。村そのものが死に絶えたケルハの生まれ故郷はもはや立て直すにも難しく、またあの場所に残ることを怖がる者もいたのが理由だった。


 亡くなった何人もの村人たちは、幸い寒村の農民達にしてはずいぶん丁寧に弔われることができた。ディンツェはもとより土地の領主と知り合いで、先に連絡した上で一人先行して助けに来ていたらしい。少し遅れてやってきた兵士たちがディンツェと協力して生存者の治療から死人の埋葬まで行ってくれたのだという。


 もっともケルハは重い傷で三日三晩を寝込んでおり、これらの村の顛末を知ったのは全てが終わったあとだった。


「……ケルハくん、聞いてるかい?ようやく説明したってのに無視は寂しいぜ」

「聞いてます。聞いてますけど……よく、わからないんですよ。その、僕に魔法とかの才能がある?っていうのも……あんまり自覚がないですし……」

「まじないっていうより、解呪者とか僧侶とかかなあ。飛び抜けて優秀とかじゃあないだろうけど」

「じゃあ……」

オレが評価してるのはそっちの才能じゃないからね」

「……それこそ、あんまり信じられないんですけど」


 強引に千切られた右腕。大小の打撲、切り傷。軽度の火傷。失血。生死の境に近づいたケルハを助けたのもまた、ディンツェだった。

 医術か魔法か、大方の処置はケルハの意識が戻る前に行っていたので知らぬところではあるが、二度命を救われたことに相違無い。目覚めた後に恩を返すことを話したときに、改めて『一目惚れ』について二度目の告白が出たのだった。

 

 曰く。

 これはケルハのへの一目惚れであると。

 ディンツェにしてみれば千載一遇の出会いであり。ぜひ介添人、つまりは勇者としての治安維持の旅に同行し手伝ってほしいのだと。そしてその才というのが――


(魔法を見る力。退ける力。そしてその二つを置いてなによりも、……だっけ。一目惚れなんて言われた時も正直何がなんだかだったけど……)

 

 はっきり言えば冗談としか思えない。それが素直なケルハの感想だ。


 はじめにケルハが勘づいた通りに彼女は魔族ミメクでこそあるらしいものの、おそらくは確かに勇者でもあるのだ。

 たとえ魔族ミメクと人間が和平を結んだ世の中といえど、土地の領主、すなわち貴族との伝手があるものはそうそう居はしまい。二人が乗っているこの馬車も、同じく領主が用意してくれたらしい。見せてもらった勇者の証たる耳飾りやら書類やら、昔に先生が授業で教えてくれた内容と確かに似ている……気がした。

 ――何よりも。ケルハを、村人たちを助けてくれたのは間違いなく彼女なのだ。それだけは間違いのない真実だった。


(だから、本当はどうだろうと……勇者だ。僕にとっては)


 その勇者から、勇気という才能があると認められる。

 大変な名誉だ。何も成せなかった人間が授かるべきものではない。ケルハはそう強く信じていた。あの晩にケルハがやったことは、勝手に一人失敗をして、勝手に救いの手を求め、勝手に後を託しただけだ。どこに勇気があるのだろう。


「ええと、勇者さま……やっぱり僕に才能なんて、」

「だから何度も言うけどね、ディンツェって呼んでおくれよ。ドゥールサンでもいいけれど、家名よりも名前で呼ばれたほうが特別感が……ああいや、親しい関係性は徐々に育むものなのかな。どう思う?」

「は、はあ……そう、ですね……」

「でもケルハくんは家名がないんだよね。やはりオレの側だけが名前で呼ぶというのは、不公平な気がするなあ」


 否定のことばは、いつも有耶無耶にされて終わってしまう。最初のうちは彼女もしっかりと『そんなことはないよ』と返していた気がするが、あまりにもケルハの自信がないものだから作戦を変えたのだろうか。ただひとつわかったことと言えば、ディンツェにとっても"勇気"というものがとても大切なことらしいという事。


(勇者なら、当然……なの、かな)


 勇気についてディンツェが言及するのはわずかだったが、彼女がどこか遠くを見つめるような雰囲気でいるのはこの時だけだったように思う。知り合ってから十日といくら。相手のことを理解するにはあまりに短いが、何も知らぬと放り捨てるには長い時間だ――少なくともケルハにとっては。


「で、ケルハくんは良かったのかい?オレの介添人になると決めたわけじゃないのにさ」

「……他にやることも、無いですし。勇……えっと、ディンツェ、さん……のおかげで、体もだいぶ痛くなくなりました、から」

「そ。ならいいんだけれどね。一緒に旅ができれば一番だが……仮にこの後断ったとしても、新しい村には送ってくれるはずだぜ。キミたちのとこの領主はまあまあ器が大きいからね、そこんところは安心しておくれよ」

「……はい」


 今のケルハには、叱ってくれる母も、気弱な父も、励ましてくれる兄貴分も、帰るべき家もない。自分に才など無いと否定しながらも促されるままにこうしてディンツェに同行しているのは、だからなのかもしれない。


(この片腕じゃ、あたらしい村に馴染むのも難しいだろうしな……)


 自嘲気味の笑いを、ディンツェに隠せていたかどうか。

 仕事のできない人間がひとり居なくなるだけでも、生き残った他のみんながそのぶんラクになるんじゃないか。確かな計算や根拠がケルハにあるわけではない。ただの薄っすらと思いついただけの話しだ。右手がなくても案外農作業だのなんだのはやり様があるかもしれないし、他の生存者達だってどこかに重い傷が残って満足に動かないかもしれない。隣村の住民は、同情はしてくれいたようだったけれど。


(今は服を着るのだってやっとだ。このザマで……ほんとに、何ができるんだって感じだけど。もし。もし本当に、それでもいいなら……)


 後ろ向きな流され方で、ディンツェに失礼なんじゃないかと頭のどこかで少し思う。これを伝えれば、また彼女は混ぜっ返してどこか不吉にニコニコ笑うのだろうか。あるいは稀に見せる表情のように、真剣に見つめ返して諭すのだろうか。


「どうするにせよ。とりあえず、お話からだね。さ、キミ達の領主様のお屋敷まであともう少しだよ。たぶん」

「たぶん……」

「たぶんね。いや、来る時とは別の道だったからさあ」


 勇者の介添人。

 それは《狂奔の勇者》たるディンツェ本人が指名したとて、即座になれるものでもないらしい。勇者という職業がそうであるように、資格やらなにやらがいるのだろうか。ともかくもその最初の一歩として、ケルハはこれから領主に会わねばならぬ。そこで勇者のことも、介添人のことも、教えてくれるのだろうか。


「――キミの村を襲った魔族ミメク一行についても、領主様のトコでなら話せるよ。彼なら色々と詳しいはずだからね……興味あるかい?」


 ディンツェは、ケルハを誘った最初にこう告げた。

 復讐を謳ったあの一団。思い返すも恐ろしいが、既に滅ぼされたはずの彼らについても、目をそらしてはいけない気がした。

 

 虐殺を起こしたあのシャエバと言う虫の魔族ミメクは、皆が死んだ理由を無知だと言った。あれは嗜虐の為に吐いたものだとわかってはいるが、それでも一面の真実だとケルハは思う。


 ケルハは何も知らない。

 

 勇者について。魔族ミメクと人間について。かつての大戦と、和睦を経た今のこと。霊茎族エルフや、他の種族のことだって。そして、まじないや魔法、自分の才能。


(そうだ。あのままでは終わりたくないって、思ったはずだ)


 あの夜掴みかけたはずの前向きな心の小さな欠片は手のひらのなかをすり抜けて、失ったものの多さに一度ケルハは抜け殻のようになっていた。心がついていけなくなった。日々のディンツェとの会話のなかで、それを少しずつ拾い戻そうとした。


 奪われた憎しみ。復讐。

 なんども助けられた恩義。

 後ろ向きな諦めと――再び弱く灯り直した、胸の内の火。


(僕が、どうするにせよ)


 まだ、涙も流せていない。

 同じ生き残ったみんなには、ろくな挨拶もせずに出てきてしまった。

 ……できなかった。少年はもう前の自分に戻ることはできなくて、それでもなお、いつかもう一度悲しみたいと、改めて話しをたいとも思う。


 だから。


(知らなきゃいけない――たくさんのことを。それが今、僕にできること。僕がしたいって思うことだ)


 馬車は揺れる。

 薄曇りの中、まだ弱い日差しが合間を探して、流れる川を照らしている。


 人間の少年と魔族ミメクの少女の旅は、こうして始まったのだった。

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