第3話 駆け込み寺の大騒動(その11)

「なんということを」

 ロボットを見る定睦の顔色が初めて変わった。

 その表情は、怒りというよりも悲しみに満ちていた。

 しかし、頼子はまったく意に介することなく、話を続ける。

「あなたならすぐに治せるでしょ。治したければ早くサインをしたら?」

 定睦がつぶやく。

「六千億が望みか。ロボットこいつの言う通り」

 頼子がふんと笑う。

「そんなわけないわ。私たちは親戚でしょ。あなたを殺そうなんて考えもしないわ」

「そうか。ようく、わかった」

 定睦はふうとため息を挟んで続ける。

「嘘をつくと耳が赤くなるクセは、こどもの頃から変っとらんのう」

 頼子が慌てて耳を押さえる。

 そして“屈強部隊”に指示を出す。

「書かせろ。どんなことをしても……」

 “真意がばれた以上は体裁を繕う必要はない”と判断したのだろう。

 しかし、頼子が言い終えるより早く、定睦は電子署名を終えていた。

 “屈強部隊”から監視されているということも忘れて冬祐がつぶやく。

「先生……どうして」

 定睦が冬祐を見る。

「治療の続きができなくなった……すまん。じゃが、ワシより優れた技師など世界中におる。そんな連中を招いて、翠の治療を終わらせてくれい」

 疲れたような表情の定睦とは逆に、その向かいで頼子は電子署名が有効なものであることをチェックしている。

 六千億の喜びに満ちた禍々しい笑みを浮かべて。

 そんな頼子に嫌悪のまなざしを向けながら、冬祐が定睦に声を掛ける。

「いや、でも……殺されますよ、たぶん」

「じゃからといってサダチカ・シティを消滅させるわけにはいかんじゃろ。捨てられて行き場をなくした、誰からも治してもらえないアンドロイドたちの“駆け込み寺”を」

「その言葉、確かに聞き届けた」

 突然、割って入った聞き慣れない声に、頼子と“屈強部隊”が周囲を警戒する。

 冬祐と定睦は、ぽかんと顔を見合わせる。

 同時にばりばりと鋼材が裂ける音とともに旧型ロボットの中から飛び出したものが、室内を旋風のように駆け抜ける。

 一分も要さず“屈強部隊”は、全員が床に倒れていた。

 そして、冬祐とヒメと頼子と定睦が、信じられないという目で見ている“それ”は、旧型ロボットの中から飛び出した――ホーネットだった。

「なぜ、ホーネットが定睦と……」

 顔色を失い、目を見開いて唇を震わせる頼子に、ホーネットが答える。

「面白いニンゲンがいるとうわさで聞いたものでね。ここ、二週間ほど観察してた」

 そして、ずいと顔を寄せる。

「今後、定睦のやることに介入したら殺すぞ」

 しかし、頼子はひきつった笑みで答える。

「殺すだと? アンドロイド風情が。ヒトを殺す機能などありもしないくせに」

 強気を装いながらも声が少し裏返っているのは、それだけホーネットが恐ろしい存在なのだろう。

 この世界の者ではない冬祐には、今ひとつ感覚的にわかりづらいが。

 床に伏せていた“屈強部隊”が、咳き込み、うめき声を上げる。

 その様子に、頼子がさらに声を張り上げる。

「現に誰ひとりとして殺せちゃいない。だろ? ああ?」

 精一杯の虚勢を張る頼子に、ホーネットが冷たい笑みで返す。

「直接、殺す必要はないさ。オマエやカンパーナの関連するプロジェクトや、施設を片っ端から潰してやる。そうやって社会的、経済的に殺して、実際に死んだ方がマシなくらいの地獄を見せてやるよ」

 そして、その長い足を振り上げてテーブル上のスクリーンを踏み割る。

「これで署名は無効になった」

 ホーネットはつぶやいて、ちらりと定睦を見る。

 目があった定睦がつぶやく。

「……美しい」

「は?」

 ホーネットの表情が“なに言ってんだ、この場で”といわんばかりに眉根を寄せる。

 次の瞬間――。

「好きじゃあああああっ。結婚してくれええええええええっ」

 定睦がホーネットに抱きついた。

 ホーネットは戸惑いながらも――

「離せっ。この変態野郎っ」

 ――定睦を振りほどく。

 しかし、定睦は諦めない、怯まない。

 改めて飛びかかる。

 ホーネットは身を翻して定睦を避けると、窓の強化ガラスに背中を押しつけて信じられないものを見るようなまなざしを定睦に向ける。

「こ、こいつ、一体なにを考えて」

「ホーネットよ、ワシの思いを受け止めてく……」

「うるさいっ」

 ホーネットは聞いていられるかとばかりに、背後の強化ガラスを叩き割る。

 そして、地上五十階の窓枠に飛び乗ると、そのまま、外へと逃げ去った。

 そんなふたりをぽかんと見ていた冬祐とヒメがささやきあう。

「とにかく、助かったんだよな」

「だよね。あと――」

 窓枠から身を乗り出してホーネットを目で追う定睦の様子に、ヒメが続ける。

「――本当にストーカーだったんだ」

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