第3話 駆け込み寺の大騒動(その4)
おずおずと足を踏み入れるそこは、机とベッドと書棚があるだけのシンプルな部屋だった。
ただ、異様なのは壁一面を埋めている画像の数々である。
それは冬祐が駅前の掲示板で見た女の写真――ヒトに危害を加える恐れのある暴走アンドロイド、ホーネットの画像だった。
バストショットから全身像、さらに盗撮らしい後ろ姿のポートレートだけなく、スクラップされた記事までが至る所に貼られて、壁を埋めている。
それだけではない。
部屋の奥にいる。
ホーネット自身が。
暗闇で幽霊に出会ったように、思わず喉の奥で“ひっ”という悲鳴を漏らせた冬祐に、定睦が笑う。
「等身大フィギュアというやつじゃ。わはは」
その言葉に脱力する冬祐の襟元で、ヒメがささやく。
「ストーカー?」
「かもな」
冬祐も同じことを思った。
なにしろ、ホーネットは美しかった。
もちろん、アンドロイドという人造物ゆえに、美しいのは不思議ではないのだろうけれど。
それを加味しても、ホーネットは美しすぎた。
さらに身につけているチューブトップのタイトなミニワンピースが、ストレートロングの髪によく合っている。
冬祐的にはともかく、オトナなら誰もが二度見するような容姿であることはまちがいない。
ただ――。
控え室で、手持ちぶさたに読んだ雑誌と新聞の記事を思い出す。
ホーネットは人類史上初の国際手配された犯罪機械だった。
その素性は不明ながら、単独で世界中に出没して破壊活動を行っているという。
アンドロイド専門の解体業者や、さらってきたアンドロイドの密売業者、さらにはメンテナンスをろくに行わずにアンドロイドを酷使している工場や地下資源の採掘現場といった施設を、破壊してまわっているらしい。
ホーネットとは、そんな“人類から恐れられ、忌み嫌われている存在”なのである。
「まあ、座れ」
「はい」
向き合って座る冬祐に、定睦が話し始める。
「予想以上に痛んどったな。とりあえず、中枢系は交換しといたがの。あとは機械細胞が安定するまで安静にして、賦活処理をすりゃ終わりじゃ」
相変わらず、なにを言ってるのか冬祐にはわからない。
「それは、つまり……」
「もう心配ない、ということじゃ」
定睦がにやりと笑う。
「あと、他にもあちこち摩耗しとるったわ。替えられるところは替えておいたが……。問題はバッテリーじゃな」
「バッテリー?」
それが“電源設備”を指すことは、冬祐にもわかる。
「バッテリー自体が新しければフル充電で快復するがのう。ここまで古いと完全回復はありえん。それに充電自体も限界に来とる。あと一回できるかどうかじゃな」
その言葉に、駅前でぼんやりしていた翠の様子を思い出す。
あれがその症状だったのかもしれない。
「
「あんた、なんも知らんようじゃな」
定睦が驚いたように目を見開く。
そして、解説する。
「あのタイプはいわゆる廉価版でな。何十年も使うタイプじゃないんじゃよ」
冬祐は初めて聞いた話に戸惑う。
あの明るい翠が、そんなにやばい状況だったとは。
しかし、考えを変える。
「それまでに人間になれば、問題ないか」
気付かないうちに、口に出していた。
それは、まるで、自分に言い聞かせるように。
他にどうしようもないのだから。
「なんか言うたか」
「いえ、なんでも」
「他になにか聞きたいことはないか」
「えーと、そうですねえ」
なにかないかと探す。
そして、出てきた“謎”を問い掛ける。
「この町というか、村というか、集落っていうかは、その……、どういう所なんですか」
問いながら、この建物の入口に掲げられていた“サダチカシティ”の看板を思い出す。
あの時はどこで区切るのかすらわからなかったが、今考えるとおそらく“サダチカ・シティ”なのだろう。
「サダチカ・シティっていうんですよね」
定睦は、一瞬浮かんだ照れたような笑みを押し殺して答える。
「まあ、今はそういう名前になっとるのう。もともと、ここは別荘村だったんじゃが、それを買ってワシの村にしたんじゃよ。この建物は別荘地によくある、大企業の保養施設というか福利厚生施設ってやつを改築したものじゃ」
“自分の村”という言葉には、確かにロマンがある。
憧れる人間も珍しくはないだろう。
あっさり納得した冬祐は、さらに問い掛ける。
「アンドロイドの村を作りたかったんですか」
少しだけ、定睦の表情にウンザリ感が浮かんだ。
「ヒトの役に立てば立つほど、利用しようとする者が集まってくる。それが鬱陶しくてのう」
しかし、すぐに元の穏やかな表情に戻る。
「最初はひとりで暮らしておったんじゃが、不法投棄されたり、闇廃棄場から逃げてきたアンドロイドを拾ってきて治したりしとるうちに、今度は行き場のないアンドロイドの方が集まってきおって……、いつのまにか村になったのじゃ」
冬祐はそこまで聞いて、ここがヒメの言っていた“駆け込み寺”だと気付く。
そして、ついでに聞いてみる。
「ここで先生はホーネットの研究をされているわけですか」
不意に電子音が鳴った。
定睦が椅子をぐるんと回して、壁のスクリーンに向き直る。
あのロボットが映っていた。
「どうじゃ、容態は」
問い掛ける定睦に、ロボットが答える。
「機械細胞の増殖フェーズが終わって、安定期に入りました。進行度はBパターンです。率としては三四四から四二五の間で、わずかにノイズが見られますが、無視してもよろしいかと」
定睦はポケットから取り出した懐中時計を見て、口の中でぶつぶつとなにか計算する。
そして、スクリーンのロボットに改めて目を向ける。
「明日の昼までには終わるな。ご苦労。もう休んでいいぞ」
「はい。お疲れ様でした。失礼します」
暗転したスクリーンから冬祐に目を戻す。
「順調じゃ。終わったらまた連絡するから、それまではさっきの部屋にいてもいいし……。ベッドで寝たけりゃ他の部屋を用意するが。どうする?」
「いえ、大丈夫です。控え室で」
狭い上にソファで寝ることになるが、それは別に苦ではなかった。
むしろ、家にソファがない冬祐にとって非日常体験の一種であり、これはこれである種のわくわく感があった。
「そうか。あと、朝になったら村を回ってもいい。誰でも声を掛ければ案内してくれるじゃろ。以上じゃ」
「わかりました」
立ち上がって、頭を下げる。
「ありがとうございました」
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