第1話 女王様のお使い(その11)
冬祐を担いだ翠は、あっという間に工場を出た。
その間、冬祐を追ってくる者はおろか、見かける者すらいなかった。
さっきの中年男を含めて何人かいたであろう従業員は、全員が混乱状態の黒美のもとへ向かっているのだろう。
端末から出て追い付いたヒメが、翠の額に自身のアタマを突っ込んで型番を確認する。
「うん。まちがいない。メイブ九二C六六四七G。遺棄申請済み」
その“遺棄申請済み”という言葉に翠は「あ……」という表情を浮かべるが、すぐに気を取り直したように目の前で浮いているヒメを見る。
「あ、あなたは……妖精さん?」
「私はヒメ。冬祐と一緒に、あんたを人間にするために……」
「ほほほほほほ本当ですかっ」
瞬時に興奮状態に陥った翠がまくしたてる。
「あああああああたしは人間になりたくてなりたくてなりたくてなりたくて、ずっとずっとずっとずっと探してて、旅してて、休んでたところをここに連れてこられて」
翠の上で平常の呼吸を取り戻しつつある冬祐が、問い掛ける。
「探すってなにを?」
「この世界のどこかに“アンドロイドを人間にしてくれる鍾乳洞がある”っていううわさがあって、その入口を……」
ヒメが笑う。
「私たちはそこから来たんだよ」
「じゃ、じゃ、じゃ、じゃあ。その入口っていうのは入口っていうのは、どどどどどどこに」
正面に、閉じている格子状の正門ゲートが見えてきた。
先に倉庫から脱走したアンドロイドたちが通ったはずだが、きちんと閉じて脱走していったらしい。
冬祐は“別に開けておいてくれてもいいのに几帳面な連中だな、アンドロイドだからか?”などと思いながら、翠に答える。
「正門を出て、右にある宅配ボックスだよ。その中がアンドロイドを人間にしてくれる鍾乳洞につながってる」
「はははははいっ」
加速した翠が正門を飛び越える。
着地のタイミングでプリーツスカートがふわりと上がるが、気にせずにぐりんと右方向に身体を返す。
少し離れた所に、外灯に照らされた宅配ボックスがあった。
「正面のあれだ」
「はいっ」
抱え上げられたままの冬祐の言葉に、翠が弾む声で答える。
そこは舗装されていない赤土の路面、その路肩に工場の敷地境界を現す塀、その塀際に設置された宅配ボックス――すべては来た時のまま。
いや、違う。
冬祐は気付く。
宅配ボックスの正面に、自分たちがここに来た時には“なかったもの”がある、正確には“いなかった者”がいる。
それは、ひとりの少女。
いや、少女というより、女児。
十歳くらいの女の子。
イヤな思い出が頭を掠めた冬祐が、翠に声を掛ける。
「ストップ。下ろして」
「は、はいっ」
翠が土埃を上げて急制動し、冬祐を下ろす。
冬祐は女児の姿に目を凝らす。
後ろ姿のポニテに見覚えがある、トレーナーに見覚えがある、レギンスに見覚えがある。
――まちがいない。
冬祐は無意識に女児の名をつぶやいていた。
「芦川……由胡」
同時だった。
宅配ボックスが瞬時に直径五センチほどの球体に姿を変えた。
球体はシャボン玉のようにふわりと宙に浮き、そして、ゆっくりと下降する。
女児が広げた手のひらへと。
冬祐は混乱している。
なにが起きている? なにが起きている? なにが起きている?
宅配ボックスだったシャボン玉を受け止めた女児が、そんな冬祐を振り返る。
そして、微笑む。
「ひさしぶりだね、冬祐」
冬祐にとって見慣れた、そして、二度と見ることはないと思っていた笑顔で。
それは芦川由胡にまちがいなかった。
「なぜ……どうして……」
なんとか言葉を絞り出した冬祐だが、立ち尽くすことしかできない。
その頭をヒメが蹴り飛ばす。
「なにやってんだっ。取り返せっ」
「お? おうっ」
我に帰った統生が、由胡目がけて飛びかかるように手を伸ばす。
が、伸ばした手の袖口でボタンがはじけ飛ぶ。
さらに次の瞬間、ブレザーとワイシャツの袖のみならず、前腕部の皮膚が裂けて、弾けて、鮮血を散らす。
「痛っ」
冬祐は左手で傷口を押さえて後ずさりする。
同時に由胡の背後へ直径一メートルほどの穴が現れた。
「じゃね。冬祐」
手を振った由胡が穴へと飛び込む。
「由胡っ」
名を呼ぶ冬祐の前で穴が消えた。
かたわらの解体工場から漏れる爆発音と、遠くから近づく緊急車両のサイレンが響く中、ヒメがつぶやく。
「空間歪曲だ。宅配ボックスを圧縮したり、冬祐の腕を潰したり……。ここから逃げたのも、
冬祐はいまだに混乱している。
「なんで由胡がそんなワザを。てか、そもそも、なんで由胡がこの世界に」
ぼたぼたと右腕から流れる血に構わずつぶやく。
そんな冬祐へ、翠が遠慮がちに声を掛ける。
「き、傷はどうでしょう。冬祐様」
そこへさらに歩み寄る人影がひとつ。
「あの……」
冬祐とヒメ、そして、翠が掛けられた声に目を向ける。
そこに立っていたのは、冬祐とヒメが倉庫から脱走させたメイド姿のアンドロイド、メグだった。
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