第1話 女王様のお使い(その10)

 ひとりはいかにも真面目そうなスーツ姿の中年男、もうひとりはウエーブロングの髪を束ねることなくさらしたロングコート姿の若い女。

 男の方はともかく、女の方は明らかに工場を訪れる姿ではない。

 しかし、その姿以上に違和感を醸し出しているのは、女が手に持っている皿である。

 それは大盛りのカルボナーラだった。

 そんな異様な女の登場に、一瞬、工場内が静まりかえる。

 しかし、少しの間を置いてそれまで以上にアンドロイドたちの悲泣が大きくなる。

 助けてください、帰してください、逃がしてください、殺さないでください……。

「ああ、うっせえ」

 女は楽しげに口角を上げて、吐き捨てる。

 そのとなりで男が咳払いをひとつ。

「以前からお話している通り、アンドロイドを処理する時には正規手順に従って、電源を切ってバッテリーを外してほしいんですよ。たとえ、非公認処理とはいえ」

 ふたりの声が離れている冬祐にも伝わるのは、端末に潜んだヒメとの感覚共有によるものである。

 その言葉を聞いて、冬祐は女がここの責任者であるらしいことを理解する。

 女は端末のサイドテーブルにパスタを置くと、シートに身を沈めて男を見上げる。

「前にも言ったよな? どうせ、違法操業だ。そんなとこだけ正規手順に従ってなんの意味がある? むしろ、現状のやり方でどんな問題がある?」

 男が答える。

「室外へ、その、アンドロイドの悲鳴が漏れることで、従業員の精神に無用の負担が掛かってるんです」

 男は“今まさに工場内に溢れているこの悲鳴がそうだ”と言わんばかりに、両手で周囲の空気をかき回す仕草を見せる。

 女が吹き出す。

「そんなくだらんことかあ」

「いや、しかし、労働環境における従業員のメンタル面のフォローについて、もう少し考えていただかないと……」

「すぐに慣れる。そもそも、人間を殺しているとでも思っているのか? 今、聞こえているこれが人間の悲鳴だとでも思ってるのか? これはすべて機械が軋んでいるみたいなもんだ。そんなのをいちいち気にする方がおかしい、と組合には言っておけ」

 男は諦念のため息を挟んで続ける。

「それと――」

「なんだ。まだ、あるのか?」

「――その髪と服装も安全施策上、おおいに問題があります。示しが付きません」

「髪はともかく、服装はオマエしか知らんだろう? オマエが黙ってれば済む話だ。話はそれだけか? 終わったならとっとと出ろ。それとも、一緒にこれからさらに大きくなる“機械の軋む音”を聞くか?」

 言いながら、女が笑う。

「いえ、結構です。……失礼しますっ」

 男は慌てて背後の扉を開くと、逃げるように出ていった。

 その後ろ姿を舌打ちで見送った女は、操作卓から男の開いた扉を施錠する。

 そして、一旦、席を立ってコートを脱ぎ捨てる。

 コートの下は下着だけだった。

 改めて席に着いた女が、操作卓のスイッチを押す。

 機械の駆動音とともにベルトコンベヤが動きだし、アンドロイドの悲鳴や命乞いがさらに大きくなる。

 そんなアンドロイドたちを見下ろしながら、女がパスタを食べ始める。

「うん。この悲鳴を聞きながらのカルボナーラ、うめえ」

 その様子に冬祐がつぶやく。

「なんてやつだ」

 そこへ端末内部で情報を読み取ったヒメが伝える。

「この女の名前は默網塚黒美。ここの社長だね」

 自分たちが入ってきた時にはなんの反応もなかったアンドロイドたちが、この女が入ってきた途端に黙り込み、そして、哀願の声をさらに大きくした理由を冬祐は理解する。

 とはいえ、そんなことに関心はない。

「どうでもいいよ、そんなの。とっとと助け出して、早く帰ろう」

「そだね。じゃあ、拘束装置を切るよ。冬祐はメイブ九二C六六四七Gを受け止めて」

「了」

 這うように身を潜めて、目的のアンドロイド少女の真下に位置をとる。

 同時に“がしゃん”と音がして、拘束具を解除されたアンドロイドが一斉に落ちてきた。

 冬祐に受け止められた“女王様”指定のアンドロイド、メイブ九二C六六四七Gは――

「快翔様っ。絶対絶対絶対、来てくれるって」

 ――泣きながら、冬祐にしがみつく。

「いや、あの」

 戸惑いながら引き離そうとする冬祐に、メイブ九二C六六四七Gが顔を上げる。

 そして、瞬時に頬を赤く染めて、問い掛ける。

「ど、どちら様でしょうか」

「た、垂水冬祐」

 反射的に答えた冬祐に、メイブ九二C六六四七Gが返す。

「あ、あの、あたしはメイブ九二C六六四七G。個体登録名は“みどり”です。初めまして。よろしく、お願いします」

「あ、ああ。こちらこそ、お願いします」

 恐縮する冬祐だが、解放されたアンドロイドたちの歓声と――

「な、なにが起きたっ。一体、なにがあああああっ」

 ――混乱して戸惑う默網塚黒美の絶叫に、我に帰る。

 そこへ端末からヒメの声が届く。

「冬祐っ。成功?」

「大成功っ」

「じゃあ、早く帰ろう。端末こっちで扉を開けるから」

「あいよ」

 冬祐は抱いたままだったメイブ九二C六六四七G――翠を床に立たせると、手を引いて走り出す。

「とりあえず、逃げよう」

「はいっ」

 ヒメの操作で開いた扉から通路へと飛び出す。

 その冬祐の背後で、アンドロイドたちの喧噪と默網塚黒美の怒声、さらに、電気ケーブルからの火花が弾ける音や、ベルトコンベヤが倒壊するような大音響が施設全体を揺らしている。

 吊されていたアンドロイドたちの落下によって、設備が損傷したのかもしれない。

 あるいは、運動機能の生きていた“吊され組”が、ベルトコンベヤ上の“仲間”を助けるためにベルトコンベヤの駆動装置や、あの“忌まわしき箱”に手を出したのかもしれない。

 しかし、冬祐は振り向くことはおろか、それらを気にする余裕すらない。

 工場の正面玄関を目指して通路を駆ける、早くもあえぎながら。

 その冬祐へ翠が問い掛ける。

「あの、冬祐様」

「ぜえぜえぜえ――な、なんだ? ぜえぜえぜえ」

「ここから脱走するんですよね?」

「ぜえぜえぜえぜえ――そ、そう、だよ。ああ苦しい。ぜえぜえぜえぜえぜえ……げほ」

 わずか十数メートルの全力疾走に過ぎないが、それでも運動嫌いの冬祐にとっては完全にオーバーワークである。

 なので、すっかり息が上がった状態で、短く答えることしかできない。

 そんな冬祐に手を引かれて走る翠は、涼しい顔で返す。

「わかりました。あたしが走ります」

「は?」

 翠は冬祐を軽々と抱え上げ、それまでの冬祐以上の速さで走り出す。

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