第1話 女王様のお使い(その4)

 そこへ答える声があった。

 ――ここは私の世界。そして、私が世界――

 冬祐が“女王様”を見る。

 目があった。

 声が続ける。

 ――そして、ここにはたまになにかの作用で、他の世界から弾かれた存在が流れ着く――

 冬祐が無意識につぶやく。

「それが、僕?」

 ――そうです――

 “女王様”の手が冬祐に差し伸べられる。

 ――御客人。ひとつ頼まれてはもらえませんか――

 思わぬ言葉に、冬祐の全身が緊張する。

 というのも、冬祐という人間は人に頼まれたり、人を助けたりするのは好きではないのだ。

 とはいえ、それは別に面倒見が悪いとか“他人の世話など興味ないね”という人間なわけではない。

 小学生の頃、教室の掃除は当番制だった。

 もちろん、遊びたい盛りなので当番以外に放課後の掃除につきあう者など誰もいない。

 その日の冬祐は、たまたま小テストの成績が満点で機嫌がよかった。

 なので、手伝うことにした。

 水を入れたバケツを教室に運んで、モップを濡らして床を拭く。

 一時間弱が過ぎて掃除が終わろうとしていた時、あろうことか冬祐がバケツを蹴飛ばし床を水浸しにするという悲劇が起きた。

 当然、掃除はやり直しとなり、掃除当番たちは全力で冬祐を叩いた。

 “余計なことしてんじゃねえよう”

 “冬祐さえいなければ、今頃は家に帰れたのによう”

 帰るのが遅れたことを理由に、泣き出す女子もいた。

 それ以来、冬祐は他人を助けることを辞めた。

 そんなことを思い出して渋面になる冬祐だが“女王様”は意に介さず続ける。

 ――ここは並行宇宙の境界を漂う浮島のようなもの。通りかかった世界に係留してその世界に住む者の感情を栄養エネルギーとしています――

 めんどくさそうな話に、冬祐の表情がさらに険しくなる。

 並行宇宙とか、そういうのわかんないし。

 ――今はアンドロイドの普及した世界に係留し、人になりたいアンドロイドの願いを叶えることで、その感情を栄養としているのですが……――

 “女王様”の前にある石台に、少女の姿が浮き上がる。

 ――このアンドロイドを、ここに連れてきてほしいのです――

 幼い顔立ちと、シルエットから推測される背の低さ、なによりも、ボブヘアにブラウスとプリーツスカートという着衣から、それは冬祐にとって当たり前に街で見かける中学生にしか見えない。

 ――さっきの彼女のように、人になりたいアンドロイドのすべてが自力でここにたどりつけるわけではありません。この子が現在どこにいるかはわかっています。迎えにいってもらえませんか――

 冬祐はためらう。

 繰り返すが、冬祐は頼まれごとは好きではない。

 さらに言うなら、人と接することがあまり好きではないうえ、知力・体力・時の運、すべてがクラスでも下から数えた方が早いようなぽんこつやつなのだ。

 そんな冬祐にとって、アンドロイドとはいえ見知らぬ女の子を連れて来いとは、なかなか荷が重い仕事である。

 なによりも、土地勘がなければ、言葉も通じないぽい世界でなにをどうしろと?

 明らかに断る口実を探している冬祐の様子に“女王様”が冬祐の最も恐れている言葉を告げる。

 ――それを果たしてくれれば、御客人を元の世界へ送り届けましょう――

 やっぱりか。

 それを言われては、拒否権はない。

「……わかりました」

 不意に“女王様”の右手に、テニスボールほどの光球が現れた。

 光球はふわりと舞い上がり、ふらふらと冬祐のもとへと飛来する。

 ――受け取ってください――

 その言葉を受けて無意識に差し出した右手の上で、光球が弾けて消える。

 少しひりつく手のひらに目をやると、そこにはひとつの紋様がマジックで書いたラクガキのように残っていた。

 ――これで言葉や文章が理解できるようになりました。そして、ナビとの感覚共有も――

 ナビ?

 案内役?

 誘導者?

 冬祐が“どこにそんな者が”と周囲を見渡した時、かたわらに浮かんでいた光球が激しく明滅した。

 ――さっきから、ずっといるんだけど――

 この光球がナビらしい。

 じゃあ、よろしくお願いします――冬祐がそう言うより早く“女王様”が光球に促す。

 ――なにをやっているのですか。姿を見せなさい――

 光球は冬祐の目の前で輝度を落とし、身長十五センチほどのはねの生えた少女の姿になった。

 とはいえ、自身のヒザをきつく抱いて裸身を丸めているので、実際の身長はわからない。

 “妖精”は、明らかに不機嫌な表情で冬祐を見ている。

 冬祐もまた、生まれて初めて見る“妖精”をよく見ようと凝らした目を近づける。

 同時に“妖精”が叫んだ。

「じろじろ見るなっ。バカっ」

 どうやら、裸身を隠したくて身体を丸めているらしい。

 翅の上下動ぱたぱたが激しくなったのは、それだけ感情が昂ぶっていることを現しているのだろう。

 いきなり怒られて、冬祐が謝る。

「ご、ごめんなさい」

 そんな冬祐に“女王様”が声を掛ける。

 ――他になにか必要なものがあれば用意しますが。ありませんか――

「ええっと」

 冬祐は考えるが、なにも思いつかない。

「とりあえず――」

 “妖精”を見る。

 “妖精”は自身のヒザを抱く両腕に力を込めて“まだ、見るのか”とばかりに冬祐を睨み付ける。

 冬祐は目線を“女王様”に戻して答える。

「――この子に着る物を」

 “女王様”の表情が初めて戸惑った。

 ――そんなもので、いいのですか?――

「いや、彼女には必要なものっぽいので」

 ――だったら……どんなものが、よろしいのでしょう?――

 かすかに戸惑いを含んでいる口調から、“女王様”にとってはよほど予想外の要求だったらしい。

 とはいえ、冬祐は冬祐で“自分に聞かれてもなあ”とばかりに“妖精”に聞いてみる。

「どんなものがいいんだ?」

「そうだねえ」

 少し考えるような表情を浮かべた直後、“妖精”の全身がミニドレスに覆われた。

 ようやく全身を伸ばした“妖精”が、両手でミディアムストレートの髪を整えながら自身を見下ろす。

「よし。これで行こうっ」

 その姿に納得したらしく、さっきまでとは別人のように上機嫌で冬祐を見る。

「じゃあ、行くよ。ついてきて」

 “妖精”が冬祐の背後に回る。

 振り向いたそこには、ふたつの扉があった。

 左の扉には“到着 進入不可 一方通行”、右の扉には“出発”の文字がある。

 “到着”の方は自分がカニのいる部屋を経て、ここへやってきた扉なのだろう。

 ――では、よろしくお願いします――

「へい」

 冬祐は背後からの“女王様”の声に振り返って一礼すると“妖精”を追って“出発”の扉へ向かう。

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