第004話 採用試験
──ここからは、ギャロンさんの先導……。
チャドックの「冷たい背中」、まだ鑑賞していたかったけれど……。
いまからの採用試験に受かれば、あれを毎日見ることができる。
それに廊下のところどころにも、わたしの胸を疼かせる美術品が。
壁の窪みの展示スペースに、絵画、彫刻、絵付け皿……。
わたしの不勉強で、銘はいずれもわからないけれど。
どれも「本物」の威厳に満ちていて、キラキラと輝きを放ってる。
絵画は晩秋がモチーフ。
皿の絵柄はススキの穂。
いまの時候が冬の入り口なのを考えると、恐らくは月替わりの展示。
そしてエントランスの絵画は、きっと四季替わり。
この邸内には、保管庫も含めてどれほどの美術品があるというの──。
「フフッ……。立ち止まって眺めたいところでしょうが、きょうは採用試験に来ていることをお忘れなく」
「えっ? あ、はいっ。それはもちろんですっ!」
あっ……。
知らず知らずのうちに、歩み遅くなってた!?
無理もないこととは言え……もっと緊張感持たないとっ!
「クレディアさん。きょうはあなたに、二つの試験を受けていただく予定です」
「……はい」
「一つは美術品絡み、もう一つは回廊絡み。ですがエントランスでの様子を見るに、美術の試験は不要ですね。こちらは合格としておきます」
「えっ……?」
「クレディアさん、先ほどから頬が赤いですね。そして、肌がやや乾燥している」
「そ……そうですか?」
「美術品を鑑賞するには、知識と感性が必要です。知識は詰め込みでも身に着きますが、感性は一朝一夕にはいきません。あなたはチャドックの『冷たい背中』から厳冬の空気を感じ取り、頬をわずかに乾燥させ、赤く染めた。みずみずしい感性を培っている証です」
「あ、はい。ありがとう……ございます」
やだ……。
ギャロンさんに皮膚のこわばりまで見られてた。
今度は別の意味で、紅潮しちゃう……。
「残るは回廊の試験。こちらは普段の清拭女の仕事どおり、駒を拭ってもらえれば結構です。緊張する要素はなに一つありませんので、気後れなく」
「……はい。気配り、感謝します」
こんな豪邸の中で気後れするなと言われても、無理な話ですって……。
外でも見て気分を落ち着かせたいところだけれど、エントランスからここまで、一つも窓がない。
つまり……邸内の中心部を移動してる。
かなり歩いてるのに建物の端が見えないのは、ここの広さを物語ってる。
そしてエントランスから切れ目なく続いてる、赤い絨毯……。
この絨毯から枝分かれしてる廊下は、どれも板張り。
板張りと言っても重厚な木材を使った、ニスで表面がツヤツヤと輝いている立派なものだけれど……。
この赤い絨毯がある通路は、きっと建物の中心部。
…………って、あれっ?
先に見える、枯葉をたくさん蓄えた樹々を描いた、晩秋の絵画は……。
さっきも……見た。
「……フフッ、気づいたようですね。エントランスから、角を左へ三回。邸内の中心部を、ぐるっと一周した格好です」
「そ、それって……もしや……」
「ええ。回廊を模した廊下です。そしてこの扉の向こうには、察しのとおり回廊場があります。ここがあなたの試験会場です」
ギャロンさんが両手を掛けた、両開きの赤い扉。
それが開かれて…………新たな世界が、現れた────。
「こ、これって……!」
白い壁に囲まれた、正方形の広いホール。
その中央に、太い脚で不動の意志を見せる、回廊用のテーブルが一つ。
それらを囲う、細かい装飾が随所に施された、厚いクッションの四つのいす。
そしてその真上は……青空!
ホールは三階建てほどの吹き抜けの構造で、天井はドーム状の厚そうな天窓。
十一月の薄い雲が、風に流されて天窓の上を通過。
そしてセピア色をした床一面には…………地図?
これって……世界地図っ!?
まさか床全体に、世界地図が描かれてるのっ!?
わたしがいま立っているのは……
天窓から降りてきた薄い雲の影が、床でゆらめいて……。
まるでわたしの足元を、雲が流れていってるよう!
「さあ、クレディアさん。卓上の駒を、洗ってみせてください。時間は……そうですね。一分とさせていただきましょうか」
「わ、わかりました……」
一分間……。
うちのお店でも、清拭にかけるのはだいたいそのくらい。
ギャロンさんが言ったように、普段どおりの仕事ぶりでいいはず……。
ええっと……拭くための布は、この荷物台に置いてあるものでいいのよね。
駒はテーブル上に、すべて伏せて置いてある。
ホッ……よかった……。
裏表バラバラだったら、かなり手間取ったかも……。
…………。
……………………。
……えっ?
ちょっと待って。
このテーブルって……まさか……。
「あ、あの……ギャロンさん。試験の前に一つだけ、質問なんですけど……」
「そのテーブルですね?」
「……はい。このテーブルには、パーツごとの継ぎ目がいっさいありません。もしかすると、このテーブルは……」
「ええ。巨木の幹を彫ったものです。人智及ばざるものを素材にしているという点では、この建物の中で最も価値ある美術品でしょう」
最も価値ある美術品が……回廊のテーブルって!
どういうお屋敷なの、ここは……。
ええいっ、この環境に飲まれちゃダメ!
後日じっくり拝見させてもらうためにも、いまは無心無心……。
「……ご返答、ありがとうございました。それでは駒のほう、清めさせていただきます」
「では、始めてください」
──カチッ!
ギャロンさんが、懐中時計を模した
慌てず、落ち着いて、そしてスムーズに駒を磨かないと……。
それにしても、この駒……軽いっ!
大きさは、うちの店で使ってるのとほぼ同じなのに……異様に軽いっ!
表面はツルツルに研磨されているけれど、恐らく内部は、細かな隙間がある構造。
それって……動物の骨?
あるいは牙?
……なんて、そんなことはあとからゆっくり考えて!
一分間…………全百三十六枚の駒磨きに集中っ!
……………………。
……………………。
……………………。
……よしっ、拭き終わり!
あとは駒を…………整列っ!
「……ふぅ。駒のほう、清めさせていただきました」
──カチッ!
「結構です。では、駒を確認させていただきます」
……拭き残しはないはず。
こういう状況を想定して、念のため駒拭きの練習したかいがあったぁ……。
「……ふむ。駒は変われど、あの能力は健在のようですね」
……はい?
あの能力……って、いったい────。
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