第003話 真作

 ──わたしの街から、乗合馬車で一時間ほど。

 三つの谷を越えた先の街。

 両脇に商店が連なる車道の先にある、白亜の豪邸。

 ……もとい大豪邸。

 あそこが、ギャロンさんのお屋敷。

 この街を取り仕切る豪族、ガーランド家の邸宅。

 建物を囲む石積みの外壁は、視界に両角が一度に入らないほどに長い。

 これ……本当に個人宅かしら?

 軍隊の城塞じゃあ……ないよね……。


「はああぁああぁ……」


 門扉へと続く一直線の広い道で、大きな溜め息一つ。

 まるでこの街そのものが、ガーランド邸のエントランスのよう。

 いえ、実際そう機能しているのかも……。

 ……あの大豪邸の中でこれからわたしは、採用試験を受ける。

 合格し、清拭女に採用されれば、あそこへ住み込みで働くことに……。

 ……………………。

 ああぁ……門扉の手前まで近寄ったものの、なんだか帰りたい。

 一番いい衣装掻き集めてなんとかコーデしてきたけれど、それでも場違いすぎる。

 鉄格子の門越しにお屋敷見てると、なんとなく投獄されてる気分に……。

 ……あらっ?

 門の向こうから、若いメイドさんが一人、こちらに駆けてくる……。

 きれいな黒髪と、ちょっとジト目な目元が印象的なメイドさん。


「おはようございますっ! クレディア・モンドールさんですねっ!?」


「は、はい……。クレディア・モンドールです。あの……こちら、ギャロンさんの名刺……です」


「はい、伺っております! いま開門しますので、どうぞお入りくださいっ!」


 ──ガチャッ……カチャッ……ガチッ、ガチッ、カチャッ……ガチャンッ!


 一、二、三、四、五、六……。

 門の左右と中央で計六カ所、施錠を解いた……。

 さすが大豪邸、さすがの用心深さ。


「……クレディアさん、さあどうぞ! あっ、わたしはリッカ・ゾーザリーと申します! 今後とも、よろしくお願いしますっ!」


「こちらこそ、よろしくお願いします。ではなく、……になるかもしれませんけど……。アハハハ……」


「ええっ!? そんな弱気なこと言わないでくださ~いっ! クレディアさんが採用されなかったら、引き続きわたしが清拭女なんですよ~っ! もうあの辛い日々はイヤです~っ!」


「えっ……? そ、それはどういう……意味でしょう?」


「……あっ!? いえっ、いまのはなんでもありませんっ! 門を施錠し直す間、少々お待ちください。アハッ、アハハハッ……」


 このリッカっていうメイドさん、いま「あの辛い日々はイヤ」って言った!

 辛い日々ってなに、どういうことっ!?

 ここの清拭女って……いったいなにをやらされてるのっ?

 回廊の駒を拭くだけじゃないのっ?


 ──ガチャンッ……カチャッ……ガチッ、ガチッ、カチャッ……ガチャッ!


 うううう~っ……。

 あの複雑な施錠が、わたしを監禁するためのものに思えてきた~っ!


「……コホン。では、ご案内いたします。先を失礼します」


「あ、あの……。こちらのお屋敷では、清拭女はいったいどのようなお仕事を……」


「恐縮ながら採用前の方には、業務の仔細をお話しできません。大変申し訳ありません、クレディア


 「さん」が「様」になった!

 リッカさん、言動が事務的になった!

 急によそよそしくなった!

 さっきのはポロっと漏れた、絶対秘匿の本音だったりしますかーっ!?

 ううぅ……でも、せっかく親から「受かったら家を出ていい」って許可貰えてるし、これほどのお屋敷だったら相当な美術品もあるだろうし……。

 やっぱり試験には、全力で挑もう。

 清拭女をやることになるお母さんからは、かなり渋られたけれど……。


 ──カチャッ……ガタッ。


「クレディア様、中へどうぞ」


 きれいに刈り揃えられた芝生。

 その中央をまっすぐに通る、石畳の通路。

 先にあったチョコレート色の荘厳なドアが、小さな音を立てて開いた。

 リッカさんの体の向こうにチラリと見える、真っ赤な絨毯、光沢のある装飾が施されている太い柱、わたしの背丈よりも長く伸びる知らない観葉植物……。

 このドアの先は、異世界──。

 思えばわたし、ギャロンさんのことは名前とご尊顔と豪族の当主……ということしか知らない。

 ギャロンさんもわたしのことは、街のカフェの看板娘で、美術学芸員志望で、お尻の右側にホクロが二つあることくらいしか、知らないはず……。

 どうしてこんなことに……なって……しまっ…………。

 ……………………。

 えっ……?

 この絵…………。

 エントランスに飾られてる、一〇号超えの額縁に収まったこの絵……。

 ブロンドの半裸の婦人が、火が落ちているストーブを背もたれにして、物憂げに床に腰を落としているこの油絵は……。

 ま、まさ……か…………。


「……クレディア様、どうされました?」


「あ、あの……リッカさん! こちらに飾られている……絵画はっ!?」


「はい。こちら、チャドック作、『冷たい背中』ですね」


「冬景色の巨匠、チャドック・ガーロス晩年の名作っ! 油絵連作『冬と女』の最後を飾った『冷たい背中』っ! ああ、この荒波のような力強い筆致……。いまにも剥がれ落ちそうな鉄錆の、質感ある色使い……。これは、まさか……真作?」


「それは無論です。このガーランド家、客人を出迎える場に贋作を置いたりなどしません」


 やっぱり……真作……。

 さすがは名作、一目見てそうだと直感した……。

 だって……絵の端々がキラキラ輝いているんだもの。

 ううん、それだけじゃない。

 鉄錆の匂いが、鼻の奥に生じて……。

 背中と……それから指先に、冬場の鉄製品の冷たさが宿る……。

 ひんやりとした空気が……頬を撫でてくる。

 絵の生命力が、赤い絨毯が広がる豪華なエントランスを、冬場の冷気に満ちた、うらびれた一室へと変えていく────。


「……リッカ、その物言いは不適切ですね。まるでエントランス以外には、贋作があるようではありませんか」


「失礼いたしました、ご主人様」


 ────はっ!?

 あっ……ギャロンさん!

 先日会ったときの白いスーツに……コートなし。

 体のラインは、想像通りの細身。


「ご足労感謝します、クレディアさん。そちらの絵、気に入りましたか?」


「は……はいっ! この名画のお出迎えに、身が凍る思いでしたっ!」


「フフッ、身が凍る……ですか。リッカ、ここから先はわたしが受け持ちます。きみは普段の業務へ戻りなさい」


 ああ、いよいよ採用試験……。

 「冷たい背中」の真作を見られただけで、もうほぼ満足……。

 …………いいえ。

 エントランスにそれがあったということは、この広大な屋敷の中に、どれほどの美術品があるというの……。

 こんなチャンス、生涯二度とない。

 美術学芸員の勉強のため、夢のために……。

 この清拭女の採用試験、絶対に受からなきゃ────。

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