第002話 剣跡

「……へへっ、幼馴染が拭いた駒が味方してくれてンのか、はなっから調子いいぜ! リーチだっ!」


 ゼグが剣を象った銀色のプレートを場に置き、「リーチ」と発声。

 次に場から持ってきた駒、またはこのあと敵が捨てた駒で、役が完成する状態。

 相手の喉元まで、剣の切っ先が到達リーチした状態。

 いまからあなたたちをる……という宣言。

 ほかのプレーヤーは、リーチ者の役が完成してしまう駒を捨てるのを避けながら、自身も役の完成を目指さないといけない。

 あるいは、この局での勝利を諦め、危なくなさそうな駒を捨て続けて敗走。

 戦場、軍隊をモチーフにした遊戯だけあって、だれかのリーチ宣言後は、独特の緊迫感がテーブル上に漂う。

 わたしはまだ、この回廊というゲームのルールを把握しきれてないけれど……。

 この、だれかのリーチ宣言後の、場の緊張感は……。

 ちょっとだけ、好きかもしれない。

 子どものころにゼグが、よその街の子たちのちょっかいから、わたしたちを守ってくれたときの……ハラハラとドキドキに、通ずるものがある。


 ──カチャッ……タンッ。


 オジサマ二号が捨てた駒は、ゼグの役を成立させない。

 ゲームは続行。

 次のイケメンさんは……どうかしら?


 ──カチャッ……。


「フフッ……なるほど。確かにこちらの清拭女さんは、駒を拭くのに長けています。おかげでテーブル上の駒すべてが、まるでようですよ。さて……こちらもリーチです」


 ──タンッ!


 はうっ!

 イケメンさんのイケボによる鋭いリーチ発声……いいっ!

 いま戦場では、向かい合ったイケメンさんとゼグの一騎打ち。

 しかも二人とも、わたしの清拭を褒めてくれての……。

 これはまるで……わたしを巡る争い?

 んー……だとするとぉ……。

 長いつきあいのゼグには悪いけれど、ここはイケメンさんに勝ってほしいな。

 あの凛々しいながらも少年のような瞳のイケメンさんが、勝利時にどう笑むのか。

 すごく気になる。


 ──カチャッ……タンッ。


 オジサマ一号が捨てた駒も、リーチ者二人の役を成立させない。

 次は、ゼグが場から駒を持ってくる番。


 ──カチャッ……。


「よっし、ストライクっ! 混隊列こんたいれつ! 一点オールっ!」


 勝利宣言ストライク……役完成時の発声。

 この東陣局、残念ながら勝者はゼグ。

 「混隊列」っていうのは役名だけれど、どういう駒の状態なのかは知らない。

 回廊のルールブック、一応読んではいるけれど……。

 ルール複雑だわ役多すぎだわで、途中で放り出した記憶。

 学芸員になるための知識を、回廊の情報で上書きしたくないし……。

 もしルールを覚えちゃったら、清拭女の仕事のみならず、ゲームにもつき合わされそう。

 それにしても……。

 勉強嫌いのゼグや、街のオジサン連中が、回廊の複雑なルール把握できてるの……割と謎。

 ともあれ勝負は、次の南陣局へ進行──。


 ──カチャッ……タンッ。


「……ゼグさん、でしたか」


 ──カチャッ……タンッ。


「なんだい、イケメンにいさん。俺の勝利アガリで熱くなって、賭け握りたくなったかい?」


「わたしは、ギャロン・ガーランドと申します。イケメンと呼ばれるのは不本意なので、以後はギャロン……とお呼びください」


「ギャロンさん……ね。イケメンは耳タコってことかい。うらやましいねぇ」


 ……わたしも心の中で、イケメンさんと呼んでました……ごめんなさい。

 でもおかげで、フルネーム入手!

 ゼグ、いい仕事した!

 ギャロン・ガーランド……さん。

 どことなくだけれど、高貴さを感じるお名前……。


「こちらの清拭女のお嬢さん、ゼグさんのお知り合いなんですよね?」


「まーな。ケツの右側に、ホクロが二つ並んでるのを知ってる程度の仲だ」


 ……ギャロンさんに誤解されるようなこと言うなああぁああぁああっ!

 四、五歳くらいのころ、お風呂屋さんでたまたま見ただけでしょっ!

 っていうかゼグ、まだそれ持ちネタにしてたのっ!?

 回廊遊ぶたびに言って回ってるんだとしたら、わたしのお尻のホクロ、街中のオジサン連中に知れ渡ってるのかも……。

 ううううぅ……。


 ──カチャッ……タンッ。


「清拭女のお嬢さんのお名前、クレディアさん……でしたね?」


 ──カチャッ……タンッ。


「名前覚えてるとは、興味アリかい? あんたほどのイケ……おっと、美青年が気に掛けるほどの器量良しじゃないぜ。いつも眉間に皺並べて怒ってるし」


 ……怒ってるわたししか記憶にない理由、胸に手を当てて考えてっ!


「クレディアさんは美術系の学芸員を目指しているとか。ですが、清拭女のお仕事をしながらでは大変でしょう。専門の大学を出、資格を取得せねばなりませんし」


「クレディアもだいぶ苦労してるようだが、それはゲームのあとで、直接本人に聞いてくれ。俺がありのままを話したら、ただの悪口になりそうだ」


 ゼグ、一言も二言も多いっ!

 でも……苦労してるのは、本当。

 思うように勉強進んでないし、学費も親に迷惑かけてるし……。

 だからこうして、清拭女の手伝いもしてる。

 こんな下街育ちの女が、美術学芸員を目指すというのも無駄でしかない。

 そこはゼグの言うとおり。

 けれど、けれど……。

 わたしは、子どものころから……。

 美術品、工芸品、絵画、アンティーク家具……。

 その手のものに目が引きつけられて、胸がワクワクして……。

 時には、それらから声が聞こえてくる……なんてことも、あったり。

 ……まあ声に関しては、わたしの妄想が生み出す幻聴だろうけど。


 ──カチャッ……タンッ。


「実はわたし、そこそこながら美術品を蒐集しゅうしゅうしておりまして」


「へえ。で?」


 ──カチャッ……タンッ。


「わが家には来客ゲストも多いのですが……。最近では、この回廊でもてなすことも増えました。いま清拭女は、うちのメイドが務めているのですが、彼女らには本来の仕事もあります。それで一、二年ほど、専任の清拭女を雇おうかと考えていまして」


「それで、クレディアを?」


「ええ。わが家ならば、清拭女の仕事をしながら学芸員の勉強ができます。なによりクレディアさんの駒磨きのていねいさが、とても気に入りました。コーヒーの香りに誘われた出会いが、まるで運命のように思えます」


「ま、それはゲームのあとで、当事者同士で頼むわ。保護者もすぐそこにいるしな」


 ──カチャッ……。


「ええ。それではゲームを急ぐとしましょうか。リーチ……です」


 ──タンッ。


 えっ、えっ?

 なにか夢のような話が……進んでるっ!?

 ギャロンさん、美術品を集めてるって言ってたし、もしかすると……美術品を間近で見ながら勉強……できたり……するぅ!?


 ──カチャッ……。


「けっ。クレディアのケツのホクロなら、ガキのころ銭湯で見たっきりだよ。あれは会話の持ちネタ。クレディアのお尻にゃホクロ二個っ♪ この街のみんな知ってて、歌にもなってらぁ。俺ぁ別に彼氏じゃねーから、断りはいらんぜ?」


 ああああ……。

 やっぱり街中に知れ渡ってる……。

 この街から離れる意味でも、ギャロンさんのところで働きたぁい!

 このギャロンさん、いままで見たことも聞いたこともないから、街の外の人……だよね?


 ──タンッ。


「失礼……」


 ──キラッ!


 ……えっ?

 いまギャロンさんの手駒が、一瞬光ったような……。


「……ゼグさんのその駒、ストライク。国士無双こくしむそうです」


「げっ! こっ……国士かよっ! その捨て駒でっ!」


「十五点……。ゼグさんの持ち点がゼロを割り込んだので、このゲーム終了です」


「かあぁ……ツイてねぇ。あ、いや……待てよ? 賭け握りを断られてこの結果ってことは……逆にツイてるのか?」


 国士無双……。

 この国に並び立つ者なき豪傑……の意味。

 その言葉を冠した役ってことは、作るのがすごく難しい役、めったにお目にかかれない役……なのね、きっと。

 そしてギャロンさんが、その役でゼグを倒し、このゲームを終わらせたのには、なにかメッセージ的なものを感じる……。


「……さて、クレディアさん。少々お話しさせてもらっても、構いませんか? 回廊が早く終わったので、コーヒーを淹れ終わるまで時間もありますし」


「あっ、は……はいっ!」


 ──清拭女。

 軍隊を模した回廊の駒たちは、戦いの中で傷つき、血塗られていくという。

 その駒を局ごとに拭き清める清拭女は、傷ついた兵士の傷の手当てをする衛生兵、または聖女の役割を担う……と、入門書の前書きに書かれていた。

 それはただの演出、なんて思っていたけれど。

 いまその意味が、ちょっとだけ理解できた気がする。

 さっきギャロンさんが「ストライク」を発する直前、その手駒が光って見えた。

 十三枚並んでいる手駒の端から端へと、光が横断した。

 まるで剣の刃が、宙を走るように。

 そして一撃で、テーブル上のゼグを両断した────。

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