天空回廊の清拭女
椒央スミカ
第一章 回廊
家業を手伝いながら美術学芸員になるための勉学に励むクレディア。ところが?
第001話 回廊(コリドール)
「────おーい、クレディア!
回廊。
二年くらい前から流行り始めた、テーブル上で進行するゲーム。
正方形のテーブルに着いた参加者四人が、それぞれに配られた駒を用いて争う。
元は王族や貴族の間のゲームらしいけれど、専用テーブルや駒の廉価版が街へ出回り始めたら、あれよあれよと大流行。
こんな下街でも導入する店が相次いで、しがないカフェのうちでも、一セット置くことに。
確かに回廊を置いてからは、客足も伸びたけれど……。
わたしこと看板娘のクレディアにとってこの回廊、実は頭痛の種──。
「……クレディアっ! 早くしろっ!」
……きょうも
勉強に集中し始めたころを狙って、回廊の客が来るのよね……。
「はーいっ! いま行きまーすっ!」
「返事は伸ばすな!」
「はいっ!」
回廊には「
その名のとおり、担当は原則女性。
プレーの最中、駒を拭き、テーブル上へ並べ直すお仕事。
これがけっこう面倒!
百枚以上ある親指大の駒すべてをササっと拭き取るのは、超難儀!
食器洗いの何倍も大変!
回廊導入の言い出しっぺ、お母さんがやるって言ってたのに、腰が痛いだの、若いほうが客受けいいだのと言い訳ばっかりで、結局わたしの担当に。
勉強の時間も、読書の時間も、清拭女の仕事に奪われてく。
このままだと美術学芸員の夢を諦めて、なし崩し的に家業を継ぐことに……。
……まあ、いまはとりあえず愚痴は封印。
清拭女の仕事をさっさと片づけて、すぐに勉強へ戻ろう!
それにしても、ああもう……。
メイドっぽい清拭女の制服は、作りが複雑で着るのに一苦労っ!
っていうかこの制服、どう考えてもわたし用に誂えたサイズなんだけどっ!?
お母さんじゃ絶対ウエストきついしっ!
「……ん、よしっ。着替え完了。お化粧は……どうせいつものオジサン連中だろうし、いっか」
姿見の中の、清拭女のわたし。
いままでの私服にエプロンだったわたしに比べると、ちょっとだけお嬢様風。
やっぱり……申し訳程度に、お化粧しようかな?
「クレディア~! 大して変わらん化粧なぞせんでいいから、早く下りて来いっ!」
うわぁ……読まれてる。
ところでこの衣装、スカートの裾低くて、ちょくちょく踏んじゃうのが悩みの種。
階段を転げ落ちないよう、両手でつまみ上げながら慎重に……。
──トントントントン……。
「……お待たせしました。当店の清拭女を務めます、クレディア・モンドールと申します。皆様のご健闘を、心より祈念いたします。では──」
「……よお、クレディア。清拭女が板についてきたな」
「ゼグ……!」
テーブルの前に立って、最初に目へ入ってきたのがゼグ・ゴモッド。
幼馴染の一人、軽薄な男。
赤黒い癖っ毛に、面長と垂れ目が特徴的。
子どものころは仲間内でリーダーシップ発揮してて、もうちょっと頼りがいがある男だと思ってたけれど……。
年を重ねるにつれ、遊び人の本性を露呈。
その遊びが過ぎて、ゼグはうちの店では……。
「……あなた、うち出禁でしょ?」
「さっきオヤジさんからお許しもらったよ。クレディアがご機嫌取ってくれたのかい?」
「まーさか。あなた、すぐ賭けに走るから嫌い。今度うちでやったら、永久出禁だからねっ!」
「そこは『殿堂入りにつき永久欠番』にしてほしいね、へへっ。最近は清拭夫なんて、オッサンが駒を拭く店も出だしたけどよ。やっぱ清拭は、若い女に限るな」
「若い女にこだわってるあなたのメンタルも、十分オジサンよ。あといまの発言、お母さんに伝えておくから」
「おいおい、やめてくれよ……。おまえんちのカーちゃん、よそんちの子どもも平気でグーパンするじゃねーか……」
「それは昔の話。いまは丸くなって平手打ちよ……コホン。それではお客様、駒を拭かせていただきます」
……ゼグは以前、うちで賭け回廊をしたことがある。
賭博は行政の認可が下りた店以外で行うと違法。
もしうちで客同士の賭博が露見すると、最悪営業停止。
だから清拭女には、そうした行為への監視の役割もある。
駒を拭くのも、駒に目印をつける
テーブル上の駒は、自分の手駒以外が見えないよう、図柄が彫ってある面を伏せて並べられるけれど、図柄がない面に目印をつけて特定する不正行為があるとか……。
……それにしてもきょうのお客様、ゼグ以外みんな新顔。
ゼグの向かいの席には、銀髪を輝かせる、わたしたちと同年代の男性。
白いスーツの上に、セットのコートを羽織ったままで着席してる。
端正なパーツが整然と配置された小顔。
つぶらな青い瞳が、大人の一歩手前感出してる。
コートの下にある体は華奢な印象だけれど、でも頭の位置からして背は高そう。
なんというかこう……洗練された、貴族階級的本格派イケメン。
子どものころ、未熟さゆえの気の迷いで、ゼグを「いいな」って思ったこともあったけれど……。
こうして本格派イケメンさんと向かい合ってるゼグは、身びいきの採点でも中の上くらい……かな。
そして残る席に座る二人の男性……。
互いに子どもの一人もいそうな壮年で、それでいて体つきにたるみはなく、スポーツマンか軍人さんのように頑強な印象。
本格派イケメンさんとお揃いの白いスーツで、二人ともコートは店内のハンガーへとかけてる。
イケメンさんのお供……かな?
ま、どうでもいいか……っと、よし。
駒を拭き終わって、いよいよゲーム開始。
「──
「開戦」は、清拭女が発するゲーム開始の掛け声。
「東陣局」は、ゲームの初手を行う席を指す言葉。
いまだと東陣は、イケメンさんの席を指す。
東陣局が終わると、
そのゲーム内での点数を競い、順列を決める。
ゲームが始まると、清拭女は私語いっさい禁止──。
──カチャッ……タンッ。
イケメンさんが、テーブル上に積まれた駒から一枚を引いて、手駒の一枚と入れ替え、一枚を場に捨てる。
次に南陣のオジサマ一号が、同じ所作──。
──カチャッ……タンッ。
回廊は、軍隊を模した十三枚の手駒を入れ替えて、役の構築を進めるゲーム。
ルールで定められてる役を最初に揃えた者が、その局では勝利を収める。
場に捨てられた駒は、いわば戦線離脱の傷病兵。
清拭女は、この傷ついた駒たちの傷を一局一局拭う、衛生兵でもある──。
さて次は西陣、ゼグの番。
──カチャッ……。
「へへっ……。やっぱ若い女が拭いた駒にゃ、艶があるねぇ。クレディアも学芸員なんか目指さず、清拭女で食っていっちゃあどうだい? 美術品の仕事なんて、下街育ちのおまえには似合わんって」
「…………」
「……おっと。清拭女は私語禁止だったな。悪い悪い」
──タンッ。
……そう、私語禁止。
でもゲームプレーヤーはしゃべり放題。
これがしばしば清拭女……女性スタッフへのセクハラを誘発する。
ノーを言えないのにつけこんでの、猥談、下ネタ含みのオヤジギャグ。
まあそこはうちの場合、コーヒー一徹の頑固マスター兼父親が睨みを利かせてるから、大丈夫ではあるんだけれど……。
ゼグが言ってた清拭夫よ、もっと広まれ──。
──カチャッ……タンッ。
──カチャッ……タンッ。
──カチャッ……タンッ。
──カチャッ……タンッ。
……淡々と進んでいくゲーム。
普通はおしゃべりや長考で進行が止まったりするけれど、この調子だと早く終わってくれそう。
イケメンさんたち、仲間内っぽいのにおしゃべりしないのは助かる。
でも静かなのが嫌いなゼグが、この空気に耐えられるはずもなく……。
そろそろ周りへ口を出し始めるはず。
できればイケメンさんの素性とか聞き出してくれると、ちょっとうれしいところだけれど──。
──カチャッ……。
「……ところで対面の、甘いマスクのにいさん。見ない顔だねぇ? 握り慣れてる手つきだけれど、流れの回廊打ちかい?」
おお、さすが幼馴染!
察してくれた!
それで、イケメンさんの……返答は?
「……美味しそうなコーヒーの香りに誘われた、ただの通りすがりですよ。そして回廊は、マスターが淹れ終わるまでの時間潰しです」
「あー……オヤジさんにお任せしちまったか。新顔の客が来ると張りきって、一杯半時間はかかるご自慢のブレンド、淹れ始めるんだよなぁ」
──ごほん……んんっ!
……あ、
コーヒー一筋の生真面目なお父さんが、回廊の導入に反対しなかったのって……。
自慢のコーヒー淹れ終わるまでの、時間潰しになるから……だったのかも。
それにしてもイケメンさん、ちょっと高めのいいお声。
品のある落ち着いた語りも高評価。
やっぱり……位が高いお人?
「……コーヒーは本来、それほどの時間をかけるものです。初見だからこそ感じるのですが、いいお店ですよ。こちらは」
「ま、いいっちゃいいんだけどねぇ。客同士のささやかな刺激ある交流に目をつぶってくれりゃあ、もっといいんだけどさ」
「賭博ですか? フフッ……回廊は頭脳と勘と駆け引きの攻防が魅力の遊戯。それ以上の刺激を求めるのは、欲張りというものでしょう」
「チッ……乗ってくれなさそうだな。身なりどおりの上品なにいさんだ。服装からして、両サイドの御仁もツレのようだし……望み薄か。あーあ、せめて清拭女にもうちょい刺激……色気がありゃあな」
──タンッ。
ゼグ、うるさい。
さっさとゲーム進めて。
……それはそうと、回廊のゲーム性は確かに賭博向け。
というより、
射幸性が高い……っていうのかな。
回廊賭博にハマりすぎて、身を崩した人の話もちらほら。
客同士の賭け事で、うちの店が閉店に追い込まれるのも嫌だけれど……。
自分を見失わせてしまう賭博自体が、まず好きじゃないかな。
うん──。
──そんな、賭博を嫌うわたし。
この一ゲームをきっかけに、回廊のさらなる上位の遊戯にして、世界へ影響を及ぼすほどの力を持つ賭博……。
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