第91話 ゆうくんのキス(別人)



 俺たちがやってきたのは、最寄り駅から快速で三駅進んだところにある、ルノンという三階建ての大型商業施設だ。もう少し近くに映画館とかはあったのだけど、俺たちのお目当ての映画が上映されていたり、映画館の雰囲気だったり、周りのお店の数などで総合的に判断した結果、ここにした。


 まぁ、この頑張りも、熱海から『ルノンの映画館でいいんじゃない?』と先に言われてしまったから、無意味となってしまったわけだが。


「へぇ~、一人でもできるようになったんだ」


 熱海が家に戻って外出の準備をしている間に、俺も同じく身だしなみを整えていた。


 濃いグレーのゆったりとしたズボンに、白いシャツ。いつものことながらシンプルである。だけど、シンプルゆえにハズレにはならないだろう。髪の毛は、熱海にセットしてもらったのを真似て、自分でワックスをつけてみた。


「変じゃない、よな?」


「ま、まぁまぁかしらね!」


「さいですか……じゃあ熱海にもまぁまぁという感想をくれてやろう」


「え? 可愛いって?」


「言ってねぇよ」


 俺がツッコむと、熱海はクスクスと笑う。すみません、本当は可愛いです。


 熱海は半そでの丈の長いTシャツ。そしてデニムのズボンをはいている――っぽい。というのも、服が長くてズボンがすっぽり収まってしまっているため、パッと見たら何も履いていないようにも見えるのだ。


 かろうじてデニムの糸が見えたから、きちんと履いていることがわかったけれど……あまり視線を吸い寄せられないように気を付けないとな。


「じゃあ駅に行くか~、電車は十三時十二分のやつだから」


 マンションのエレベーターから降りるべく、そう言って廊下を歩きだすと、タタタっと小走りで熱海が俺の隣に並ぶ。


「もしかして有馬、電車の時間まで調べてたの? どうせ二十分置きぐらいに来るじゃない」


 うるせぇ。こういう風に女子と二人で――自分から誘って出かけるということがなかったから、調べておかないと落ち着かなかったんだよ。


「映画の時間もあるし、いちおうな」


「映画は三時からのやつ予約してくれてるんでしょ? 余裕いっぱいあるじゃん」


「……別にいいだろ」


 エレベーターが『チン』という音を立てて到着し、扉が開く。あまりツッコまれたくない話だったので、ややふてくされたように返事をしてしまった。

 すると、熱海は俺の胸をトンと人差し指で突いてくる。


「今日は有馬のリフレッシュが目的なんだから、もっとリラックスしないと」


 どうやら、昨日言った俺の言葉をまだ頭に浮かべていたらしい。いまさら、『あれは適当なことを言っていただけ』なんて言えないな……。


 おそらく熱海は、黒川さんのことで俺が悩んでいると思っているに違いない。

 だからなんとなく、いつも以上に優しくなっている気がする。


 熱海が俺の前で号泣してから結構な日が経ったけれど、彼女はいまも俺の幸せを願っているのだろうか。


 だとしたら、告白するのはどうなんだ……? いやいや、余計なことは考えるな。告白するということは、もう決めたんだ。


 黒川の話では、俺の告白は絶対に成功するという。それを信じてほしいと言われた。

 もし俺が熱海と付き合うことができたら、黒川はきっと悲しむのだろう。


 彼女には申し訳ないが、黒川が俺を好きなように、俺も熱海が好きなのだ。誰かが悲しむことを許容しても、俺は熱海に気持ちを伝えると決めたのだ。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 曜日的には平日、しかし夏休みとだけあって、電車内の人は土日みたいな感じだ。とはいえ、さすがに働いている人のような年代の人は少ない。私服の学生が多いような感じだ。


 俺と熱海は、空いていた二人席に座り、目と鼻の先にルノンがある駅を目指していた。


「ねぇゆうく~ん。ちゅーしてよ~」


「だーめ、電車なんだから。またあとでね」


 座った席の後ろから、そんな甘い甘い声が聞こえてくる。女性のほうは甘えていることが丸わかりのような声で、男性のほうはそれをたしなめるような――だけど、デレデレしていることがわかるような雰囲気である。


「ゆうくんだって。有馬、呼ばれてるわよ」


 熱海も後ろの会話を聞いていたらしく、こそこそと俺の耳に口を寄せて話しかけてきた。

 耳の後ろから首にかけてがぞわぞわして、顔がほんのりと熱くなってしまった。

――が、そこには感づかれないように普段通りに対応。


「俺の下の名前知ってたのか」


「そりゃ城崎が『優介』って呼んでるし、優美さんも言ってるし――そういう有馬はあたしの名前わかるのかしら?」


「『道夏』だろ。黒川が言ってるから知ってるよ」


 俺がそう言うと、彼女は「それもそっか」と納得したように頷く。


「そういえば、陽菜乃のこと『黒川』って呼び捨てにするようになったのね。電話のときから思ってたけど」


「……まぁ、成り行きで」


 熱海は黒川の名前呼びについて聞いてきたものの、俺が濁した返事をしても「ふーん」と相槌を打つのみ。とりあえず聞いてみたって感じなのか。


 その代わり、探るような視線を俺に向けている。ジッと斜め下から見上げられ、心を見透かされるのではないかとドキドキしていると、


 ――ちゅっ。


 という、わかりやすいキスの音が聞こえたきた。

 電車の音でかき消されないほどの、大きな音である。


 俺も熱海も、お互いの目を見つめたまま固まる。そして彼女の顔は真っ赤に染まった。俺も同じく、顔に一気に血が上るような感覚になる。


 結局やりやがったよ後ろのカップル! 男はもっと抵抗しろ! 公共の場でやめてくれよ!

 そんなことを脳内で叫ぶが、この気まずい現状はどうにもならない。


「ふ、ふん。変なこと想像してないでしょうね? 有馬」


 腕組みをして、どかっと背もたれに体重をかけながら熱海が言った。俺はただキスという行動そのものを間近に感じて恥ずかしかっただけなのだけど、熱海はそうではなかったらしい。


「熱海もしかして……俺とのキスでも想像したってこと?」


 顔が近かったし、想像するとしたらそれぐらいしかないと思うのだけど。


「は、はぁ!? そそそんなわけないじゃない! ばか! あほ! ばか! あほ!」


 罵倒された。これが図星ということは……やはり黒川さんの予言は、正しかったということなのだろうか?


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