第75話 ひとりきりの地獄(熱海Side)



 ~~熱海Side~~



「そっかそっか。あれだけ不安って言ってたのに、しっかり手を繋げたみたいでよかったわね」


『うん! 道夏ちゃんのアドバイスのおかげだよ! やっぱり思いっきりって大事だね~』


 陽菜乃からの電話の内容は、主にあたしに対してのお礼だった。

 あたしのアドバイスがそこまで役に立つのだろうか――とも思ったけど、少なくとも何も知らなかった陽菜乃よりはマシなはず、そんな想いで、ネットで調べた知識やクラスの女子から聞いた話などをフル活用して、彼女に助言を送っていた。


 なにはともあれ、デートは成功したらしい。


 嬉しいような悲しいような虚しいような……とても複雑な感情だ。この曖昧な想いをたったひと言で表す言葉はないものかとも思ったけど、少なくとも自分の頭の中には浮かばなかった。


 あたしは、いったい何をやってるんだろう……。

 いやそれはわかっている。陽菜乃を応援するのだ。そして、有馬を応援するのだ。

 彼女、彼の幸せを、ただただ願うだけでいいのだ。それがいい――それが一番、みんなが幸せになれる未来なのだから。


『そういえばね道夏ちゃん、有馬くんって小学生のころ△△県にいたんだって! 知ってた?』


「そうなの? 知らなかったわ」


 あくまでそっけなく、嘘がバレないように平然と答えた。対面していないことがプラスに働いたのか、彼女はあたしの嘘を疑うそぶりをみせず、『そうなんだ』と答えた。


『――あっ! もしかしたらさ、有馬君が道夏ちゃんの王子様――』


 その言葉を聞いた時、心臓が破裂するかと思うぐらいドキッとした。けれど、


『――のことを知ってたりしないのかな? 写真とかあればよかったんだけどなぁ』


 むむむー、と彼女は悩む声を口に出している。首を傾げてる姿が容易に想像できる、いつもの陽菜乃の声だ。


「残念ながら何も覚えてないし、写真もないわよ――ねぇ陽菜乃、一応確認しておくけど、あたしが溺れた時のことを有馬には話してないわよね?」


『うん! 道夏ちゃんに言われてからは有馬くんに限らず誰にも話してないよ~! だから、これまでに話したことがあるのは由布さんぐらいじゃないかなぁ? いままでも由布さん以外に、私に詳しく聞こうとしてきた人っていなかったし、みんな道夏ちゃんに直接聞いてたもんね。あっ、道夏ちゃんも、今日のことを他の人に言ったりしないでね? その、は、恥ずかしいしっ』


「大丈夫大丈夫。私は何も知らないっていうことにしておくから」


『ありがと~』


 この場にいたら抱き着きながら言ってそうだなぁと思いながら、苦笑する。とりあえず、少し心に引っかかっていた懸念事項は解決したから、あたしとしてもホッとした。

 口留めしていたから、大丈夫だとは思っていたけど、万が一ということもあるし。

 その後、数秒の無言を挟み、陽菜乃が『ねぇ道夏ちゃん』と声を掛けてきた。


「どうしたの?」


『道夏ちゃんが王子様のことを好きなことはもうすっごくすっごくわかってるんだけど、有馬くんのことはどう思ってるの?』


 なぜいまそんなことを聞くのか。理由はもちろんわかる――デート前にも、その話をしたから。彼女は、あたしが有馬のことを好きなのではないかと疑っているのだ。


「別に……普通の男友達って感じよ。それ以上でもそれ以下でもなく、ただそれだけ」


 そう口にしたあとに、自分の声が機嫌の悪そうな感じだなぁと思った。もちろん意図したわけではなく、無意識にそうなってしまった。聞かれたくない内容だったから。


『でも、道夏ちゃんがあんな風に男子と仲良く喋ったりしてるの、いままで見たことないし、もしかしたら道夏ちゃん本人も気づいてないだけで、何か特別な気持ちとかがあったりするのかなぁって』


 彼女もまさかこの言葉があたしの心をえぐっているとは思っていないだろう。優しい性格なのだ。彼女は。意図してのものではないと、確信を持って言える。


「何度も言うけど、ないない。それにもし、あたしが『運命の人よりも有馬が好きになった』って言ったら、陽菜乃はどうするつもりなの? まさか、あたしに譲るなんてふざけたことは言わないわよね?」


 少し怒ったような口調になってしまった。いらだちを抑えきれなかった。

 陽菜乃に当たるのは百パーセント間違っているとわかっているのに、強い口調で言ってしまった。

 自分は退いて、親友に譲る――本当にそんな行為をしているのは、自分だというのに。


『その時は有馬くんに選んでもらおうよ! 恨みっこなしでさ!』


 ニコニコとした笑顔で言っているのが想像できるような声色だ。うわべだけでなく、きっと本心からの言葉なのだろう。あたしが知る黒川陽菜乃という人物は、そういう女の子だ。


 彼女の言葉を聞いて、もしあたしが有馬に真実を話したとしたら、彼はきっと許してくれそうだな――と思った。そして、いま陽菜乃が言ったように、恋のライバルとして彼女と競う未来もあったかもしれないな――と思った。


 だけど、許さない。

 あたしの大切な人を傷つけた――七年もの間、ずっと彼を苦しめ続けた過去のあたしを、絶対に許せない。ニュースに出てきた犯罪者のように、自分自身ではないかのように、あたしは恨んでいる。過去のあたしを。


「だからね陽菜乃、何度も言うけど、あたしは別に有馬のことはなんとも思ってないの」


 淡々とした口調で言うと、陽菜乃はしばし無言になる。なにか言いたいけど、たぶんそれを言ったらあたしが怒ってしまうとか考えていそうだ。その沈黙は、一分近く続いた。


 この沈黙が陽菜乃を苦しめていることを考えると、あたしも苦しい。だから、自分の胸を刺す想いで、もう一つ言葉を付け足した。苦しむのは、あたし一人でいい。


 地獄に落ちなければいけないのは、あたし一人だけだ。


「あたし別に、有馬のこと異性として見てないし、別に好きじゃないから」


 その言葉に対する、陽菜乃の返答は無かった。

 その代わりに、キィ――という音が背後から聞こえてくる。慌てて音のする方向に目を向けると、そこにはタオルを頭に乗せた有馬が、とても気まずそうに苦笑しながら立っていた。



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