第74話 日常の安心感
オムライスを食べて、二人でまだうすら明るい夏の空を見ながら歩き、バスに乗り、そして「また明日」という定番の挨拶を交わして、俺と黒川さんは別れた。
バス停からマンションまでの道を歩きながら、一日を振り返る。
充実した一日だったなぁ――という感想が、一番に出てきた。そして、黒川さんはやはりモテるのだろうな――という感想も。
そんな彼女が俺と一緒に出掛けてくれるというイベントが、やはりかなりの『お礼』に相当するのだなと噛みしめつつも、それと同時に疲労もどっと押し寄せてきた。
「旅行に行ってた気分だな……」
思わず口から出た言葉に、自身で納得する。
バスで行ける距離だけど、一緒にいた人が女子であり、そしてそれが学年一の美少女と言っても過言ではないような人だから、疲れてしまったのだろう。緊張が和らいできていたとはいえ、まったくのゼロというわけではないのだし。
だから名残惜しいような感覚と一緒に、どこか安堵を覚えている自分もいた。
マンションにたどり着き、エレベーターを昇り、七階にやってくる。
自宅のカギを開ける前に、チラっととなりの扉を見てみたけれど、特に何の代り映えもない。自分がそちらを見て何を思ったのか、何を期待したのかもわからずに、視線を自宅の扉へと戻した。
カギを開けて部屋に戻ったタイミングで、スマホが震える。
「お?」
もしかしたら熱海が、俺が帰宅したことに気付いてチャットを送ってきたのだろうか――そう思ったのだけど、予想に反して差出人は黒川さんだった。
『今日はありがとう! すごく楽しかったよ! 有馬くんがよければ、また二人でどこかにいけたらいいな』
嬉しそうな絵文字とともに、そんな文面が送られてきて、その直後に十数枚の写真が送られてきた。二人で撮ったものがほとんどだったが、ライオンとペンギンだけは単体で送られてきていた。どうやら俺がこれらの動物を『見たい』と言っていたことを覚えていたらしい。ちなみに俺もしっかり写真は撮った。
黒川さんには『もうすぐ夏休みだし、タイミングはいっぱいありそうだな。写真ありがとう』という返事をしておいた。
手洗いやらうがいやらを済ませて自室に向かうと、そのタイミングで再びチャット。今度は熱海からだった。
『そっち行っていい? たぶん、優美さんも仕事よね? 一日暇だった』
ゴロゴロする用事があるとか言っていたくせに、暇だったらしい。まぁだらだら漫画を読むのもいいだろうけど、一日人と喋らないとモヤモヤするだろうからな。どうやら熱海は、寂しがりやっぽいし。
熱海に『鍵あけておくからお好きに』と返信すると、三十秒も経たないうちにガチャリと玄関が開いた。早いなおい。
彼女が着ている服は、以前黒川さんとお泊りしたときに見たパジャマ。どうやらもう風呂はすませているらしい。
「おかえりなさい有馬、デートは楽しかった?」
「早すぎだろ来るの……どんだけ暇してたんだお前」
「う、うっさい! 別にあたしの休日の過ごし方はどうでもいいでしょ!」
「へいへい、すみません」
キッチンでお茶を注いでいるタイミングだったので、熱海の分のオレンジジュースも一緒に注ぐ。そうしていると、彼女もキッチンにやってきて、飲み物が注がれたコップを二つ持ってリビングへと運んでくれた。俺が骨折していた時の感覚が抜けきっていないのだろうか。
「それで、楽しかった?」
熱海に続いて俺もソファに腰を下ろすと、再度彼女は聞いてくる。
「まぁな。やっぱり女子と二人で――ってことに緊張したけど、そんなすごいヘマはしなかったと思う、かな。女子目線ではなにかやらかしているのかもしれないけど」
「なるほどね、よかったじゃない」
ニコリと笑って熱海は俺の背中をバシッと叩く。本当、黒川さんとはまったくタイプが違うよな、熱海は。黒川さんは絶対俺の背中なんて叩かないぞ。それが良いか悪いかと聞かれたら、どちらかというと熱海のような気さくな感じが好きなのだけど。
断じて、痛いのが好きとかそういう訳じゃないが。
「熱海は一日なにしてたんだ?」
ソファにぐったりと背を預けながら言うと、彼女も同じようにして「んー」と顎に手を当てる。
「録画しておいた映画を見たり、漫画見たり――って感じね。まぁ暇は暇だけど、それなりに充実はしていたわよ」
「へぇ、なんの映画?」
「お姉ちゃんが録画してた、『ねこねこパニック』っていうよくわからない映画。でもね、最後のマウス=デストロイヤーくんの『これが最後のまたたびか……味わい深ぇな』ってセリフにはグッときたわね」
なんだそのよくわからない映画は。随分とハードボイルドなセリフを言う猫が出るらしいが、内容が全く想像できない。
気になったので詳しく熱海に聞いてみたのだけど、それでもよくわからなかった。B級映画感がすごい。なぜ猫がロケットランチャーを使うんだ。どこで仕入れてきたのだろう。
と、頭の中がハテナマークでいっぱいになっていると、熱海が「今度一緒にみる?」と聞いてきた。
「一緒に見るって――熱海は一度見たんだろ?」
そう言いながら隣に視線を向けて見ると、彼女は足を組み換え、髪の毛をいじっていた。
「ま、まあ半分うつらうつらしながら見てたから、しっかりとは見れてなかったのよ。有馬が『気になる』って言うなら、あたしもついでに一緒に見ようかな――って。どうせあたしたちの保護者は土日に仕事があることが多いんだし、有馬となら暇な時間はいくらでも被るでしょ?」
やや早口気味で、熱海が言う。もしかしたら、誰かと一緒に休日を過ごす口実をひねり出しているのかもしれない。
わざわざそれを俺にしなくても、黒川さんとかなら喜んで付き合ってくれるだろうに……あぁもしかしたら彼女は、家族との用事があったりするのかな。妹さんがいるとか言っていたし。だとしたらたしかに、俺は最適なのかもしれない。
まぁこれは隣の家に住んでいる者の役得ということで、ありがたくその提案を受けておこうか。『こういうところ、熱海は強がりだよなぁ』と思わずクスリと笑いがこぼれた。
「ちょ、なんで笑うわけ!?」
俺の反応に憤慨する熱海――だが、それがさらに昼間にみたレッサーパンダと重なり、再び笑ってしまった。
熱海が顔を赤くしながら俺の左肩を掴み、アイアンクローをすべく右手を頭に伸ばそうとしたところで、テーブルの上に置かれていた熱海のスマートフォンが震える。
二人同時に視線がそちらに移動して、画面に表示された文字を見た。
着信で、相手は黒川さんだった。
「あー……時間もちょうどいいぐらいだし、俺はシャワー浴びてくるよ。熱海はどうする? まだうちにいるか? それとも家に戻る?」
時間はまだ八時前――だが、今日熱海は風呂を済ませているようだし、もしかしたらこのままうちにいるのかもしれない。だから、聞いてみた。
すると俺の予想通り、彼女は「まだこっちにいる」と短く返答し、スマートフォンを耳に当てる。そして「ごめんね」と片手で謝罪のジェスチャーをしながら謝ってきた。別に気にしなくていいのに。
いったいあの二人はどんな会話をするんだろうなぁ。気になるけれど、たぶん聞かないほうがいいんだろうな。
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