第71話 デート開始
熱海に送り出されて、俺は待ち合わせのバス停へと向かった。
今回黒川さんと行く動物園は、ここから出るバスを使い三十分ほどの時間をかけて到着する場所にある。タクシーを使えば移動時間を大幅に短縮できるのだろうけど、俺たち学生には経済的にかなり痛いので、当たり前のようにバスを選択した。
待ち合わせ時刻である一時の十五分前にたどり着いたのだけど、そこにはすでに黒川さんの姿があった。バス停にある屋根の下で、時刻表に目を向けている。
紺色のロングスカートに、クリーム色のシャツ。頭には、以前見た時と同様にキャスケット帽をかぶっていた。彼女は俺の姿を見つけると、大きく手を振って存在を俺にアピールしてくる。その姿も、なんだか無邪気な少女を見ているようで可愛い。
「早くない? 黒川さんのバスって、五十五分着だったと思うんだけど」
小走りで駆け寄って、まずはその疑問をぶつける。
今朝チャットで話したときに、黒川さんはこのバスで待ち合わせ場所に向かうと言っていたのだ。だから、俺はその時間よりも少し早く着く程度の時間に家を出たのだが――、
「えへへ、なんだか家にいるとそわそわしちゃって、早めにきちゃった! おはよう有馬くんっ! あ、こんにちはのほうがいいのかな?」
「そうだったのか……言ってくれたら早めに来たのに。こんにちは黒川さん」
友人間で『こんにちは』と挨拶をするのも変な感じだなぁと思いつつ、挨拶する。蓮とか由布に対しては『よ』とか『うーす』という感じだし。
俺の返事にニコニコと目じりにしわを寄せた黒川さんは、俺の足元から頭のてっぺんまで観察するように視線を動かす。流れるような自然な動作だったので、身構える隙もなくあっという間に観察を終えられてしまった。
「うんうん! かっこいいよ有馬くん! たぶん道夏ちゃんがセットしてくれたんだよね?」
「……よくお分かりで。もしかしたら熱海が何か言ってたのか?」
「んーん! 髪型が前に見た時と同じでバチっと決まってたから!」
ぐっと親指を立てて、黒川さんは言う。
もしかしたら、これはひどく悪い流れなのではなかろうかとびくびくしていたけれど、黒川さんは特に気にした様子もなく「私も道夏ちゃんに今度してもらおうかなぁ」なんて楽しそうに呟いていた。
あ、そういえば。
「――あ、えっと……その、黒川さんもとてもよくお似合いです」
緊張して敬語になってしまったことは見逃してほしい。
「ほんと!? わーい! 嬉しいっ! ありがと有馬くんっ!」
たどたどしく、語彙もなく、はたからみたら目も当てられないような情けない褒め言葉だったが、黒川さんはパッと顔を明るくした。太陽のように――なんて表現を使いたいところだけど、最初からそのように輝く笑顔を常備した彼女に、いったい俺はどんな言葉を用いればいいのやら。
さて、その喜んでいる彼女だが、ただただ喜んでいるわけではない。少し照れている。ほんのり顔を赤くして、「嬉しいな~」と口にしながら帽子のつばをしきりにいじっていた。
そんなクラスメイトの姿を見て、やはり俺は黒川さんとその他の女子を同列に見ていないということを確信する。
そういう意味で言えば熱海も少し違うのだが……ともかく、俺にとって彼女たちは特別な存在となっていた。友達という意味で言えば由布が該当するのだけど、それともちょっと違うし。
「今日は一日よろしくね有馬くん!」
「こちらこそ、黒川さん。楽しい一日になるといいな」
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
今回俺たちが向かったのは『まるわ動物園』という、中規模の動物園だ。県外から続々と人が訪れるほどではないけれど、地元の人は知っているし、学校のイベントなんかで小学生とかが訪れていたりする感じ。
バスを降りて目的地に向かうと、日曜日とだけあって人は多い。
家族連れや恋人らしき男女――男同士は見かけなかったが、女子同士は数組見かけた。
「有馬くん、あっちのゲートの横でチケットを売ってるみたいだよ!」
そう言って、黒川さんはぐっと腰を伸ばしている俺の手を取って歩き出す。
バスで隣の席に座ったからか、俺に対する距離感が近くなっていた。近いというか、触れてしまっているわけだけども。
反射的に、俺は彼女の手を振り払ってしまった。嫌悪感とかでは、もちろんない。
「あ、ご、ごめんね。ついはしゃいじゃって……い、行こっか!」
一瞬だけしょんぼりした表情を見せた黒川さんだが、すぐに笑顔になった。でも、その笑顔はどこか作り物めいているというか……わざとらしいものだった。
そりゃそうだ――相手の手を取ったら振り払われてしまうなんて状況――俺ならたぶん作り笑顔ですらできない。
だから、きちんと弁明する。緊張で汗をかいた手をズボンで拭って。
「違う――違うんだ黒川さん。こんなデートみたいなこと初めてだから、緊張して手に汗をかいてるんだ」
汚名返上――となってくれるのかはわからないが、俺は湿気を取り払った手で、彼女の左手をしっかりと握った。すると、彼女は俺の手を振りほどくことはしなかったものの、全身をびくっと震わせた。そして、まん丸と目を開いて俺を見上げる。
「……もしかして間違えた、か?」
何も言わない黒川さんに、問う。異性の手をこちらから握るなんて、そんな経験はない。
熱で寝ているときに熱海に手を握られていたり、熱海に駅で間違えて手を握られたり、黒川さんに握手のような形で握られたり――そんな経験はあったけれど、こちらから自発的に、『手を繋ぐ』という行為を目的に、相手の手を取ったことはない。
ややごつごつした俺の手が、白く細い黒川さんの手を摑まえている。彼女はその光景をチラっと見てから、再度俺を見上げ――ぷくっと頬を膨らませた。顔を、今までに見たことがないくらい赤らめて。
「間違えてるよ有馬くん! 『デートみたい』じゃなくて、『デート』なんだから!」
そういう意味じゃない――そんな訂正をする雰囲気でもなかったので、俺は大人しく「すみません」と頭を下げたのだった。
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