第68話 熱海の想い



~~熱海道夏Side~~


 有馬のことは諦めたつもりだった。


『自分のほうが先に知り合っている』

『想い続けた年月は私のほうが長い』


 陽菜乃に対してそんな感情が全くなかったと言えば嘘になるけど、でも私は有馬が幸せになるのならばそれでもいいと思えた。彼は幸せになるべきだけど、あたしは幸せになるべきじゃないから。


 あたしがこんなことを言うと、彼はきっと反対する。だから言わない、言えない、言うつもりはない。

 でも、やはり『好きだ』という気持ちだけはどうしても消えてくれなかった。

 この気持ちを消したいと思うなら近くにいるべきではないと思うけど、有馬に被害を与えたあたしが忘れるべきものではない。忘れずに、反省し続けるべきだ。


 でも……まさか陽菜乃が有馬のことを好きになるとは思ってなかったなぁ。

 もちろん陽菜乃は優しくてかわいいし、おっぱいも大きいし、きっと有馬も彼女のことを好きになると思う。陽菜乃がアピールをすれば、おそらく時間の問題なのだとも。


 つまりあたしの恋が破れるのも、時間の問題ということだ。それがいいことなのか悪いことなのかはさておき、笑顔でその時を迎えたいと思っている。

 王子様と、大切な友人を祝福したいのだ。


「プールでは災難――いや、陽菜乃にとってはそうでもないのかしら?」


 からかうような笑みを作って、陽菜乃に声を掛ける。

 今日は有馬たちを誘わずに、ひとりで陽菜乃の家にやってきていた。

 というのも、あたしも彼女の想いについて聞いておきたかったし、彼女自身も話したそうにしていたから。心にグサグサととげが刺さるのを、悟られないようにすることだけは常に意識しておかなければならない。


「災難だったよ~。だって有馬くんに迷惑かけちゃったんだもん……クラスメイトの人たちもからかってくるし……私、嫌われてないかなぁ?」


「大丈夫大丈夫、有馬は優しいじゃん」


「うぅ……でも優しさに甘えたくはないんだよ」


「正直、嬉しかったでしょ? 有馬が助けにきてくれて」


「……う、うん」


「聞き方を間違えたかもしれないわね――『すごく』嬉しかったんでしょ?」


「も、もう! 道夏ちゃんのいじわるっ!」


 陽菜乃はあたしの追及に顔を真っ赤にすると、枕に顔を伏せてじたばたと足をバタつかせた。この可愛い友人の姿を動画でとって有馬に送れば、そこからまた有馬は陽菜乃のことを好きになりそうだなぁとも思ったけど、それを陽菜乃が是とするとは思えなかったので、思うだけにとどめておいた。


「それで、陽菜乃は王子様に助けてもらったわけだけど、好きな気持ちはさらに強くなったんじゃない?」


 自傷するように『王子様』という単語を使い、陽菜乃に問う。

 彼女はまさかこの『王子様』が、あたしが口にする『王子様』と同一人物であることなど、夢にも思っていないだろう。


 陽菜乃は枕を抱きかかえて、口元を隠した状態であたしを見ると、ゆっくりと、そして小さく頷いた。

 しかし彼女は頷きながらも、どこか不安そうな表情を浮かべていた。その意味がわからずに、あたしは首を傾げる。


「どうしたの?」


「……あのね、道夏ちゃん、怒らないで聞いてね?」


「どうしよっかなー」


「えぇ~、じゃあ言いたくないよ~」


「冗談冗談、大丈夫よ」


 そう言って笑いかけると、彼女はぷくっと頬を膨らませて不満を表明。こういった姿も、男子受けはいいのだろう。あたしもしてみようかな――なんて思ったけど、見せる相手もいないので意味がない。唐突に有馬のピエロスマイルが頭をよぎって、こっそりと笑った。


「あのね、道夏ちゃんって、本当に七年前の人のこと、まだ好きなの?」


「……どういう意味で聞いてるの?」


 あまりツッコまれたくない質問に、自然と声が低くなる。


「やっぱり私には、道夏ちゃんも有馬くんのことが好きなんじゃないのかな――って思っちゃって。だとすると私がやってることって、抜け駆けみたいなものだし……それに有馬くんだって、道夏ちゃんのこと意識してそうだもん」


 陽菜乃は少しおどおどした様子で、そんなことを言った。

 有馬のことが好きか? そんなの好きに決まっている。七年も思い続けて、やっと会えた運命の人なのだから。もちろんそれを抜きにしても、あたしは有馬のことを好きになったと思う。それぐらい、あたしにとって有馬は特別な異性なのだ。

 でも、言わない。


「ないない――前にも言ったけど、陽菜乃は安心して有馬のことを好きでいていいのよ。あたしのことは心配しないで。それと――」


 あたしはいったん言葉を区切り、息を整えた。

 あまり言うべきではないのかなと思いつつも、喉の奥で押しとどめることのできなかった言葉を。


「もし親友と好きな人が被ったぐらいで我慢できる程度の恋心なら、本気で有馬を好きな他の誰かにとられちゃうわよ」


 私が身を引いたのは、あくまで有馬を傷つけた加害者だからだ。

 そんな中途半端な想いじゃなくて、好きになるなら私以上に有馬のことを好きになってくれ――そう思ってしまう自分が、なんだかとても醜い生き物に思えた。





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