第51話 違うからこそ




 翌朝、熱海の様子がおかしくなっていた。

 いつも通り弁当を作ってきてくれていたし、会話は普通にできるのだけど、口数は少ないし、ちらちらと暗い表情が垣間見える。


 昨晩のことがあったし、自分のやろうとしていることが正しいのかわからなくなっているのだろう。あとは、黒川さんと俺の好みが一致しすぎることに関して、自分だけ仲間外れになっているような感覚を味わい、気分が落ち込んでしまっているとか。

 そんな状態でも、彼女は我が家にやってきて、洗濯物をたたむ等の家事をこなしてくれる。もはや身体にしみついてしまっているのではないかという感じだ。


 そして本日は千秋さんが家にいるらしいので、夕食は別々だ。母さんが作り置きをしてくれているので、俺はそれを一人で食べることに。

 そういう日はだいたい、熱海が夕食と風呂を済ませた八時過ぎに我が家を訪れていたのだけど、今日は『ちょっと疲れてるから』というチャットが届いた。だから俺は、シャワーを済ませてからは一人でのんびりと漫画を読むことになった。


「……モヤモヤするな」


 パタリと本を閉じて、ベッドから勢いをつけて体を起こす。ベッドに腰掛けてからスマホを確認するが、通知は無し。時刻は夜の九時を過ぎたところだった。

 前みたいに、熱海と喧嘩しているわけではない。ただし、いつも通りというわけでもない。

 日常が変化するとこんなにも平常心でいられないのかと自覚していると、スマホに着信が掛かってきた。相手は……なんだお前か。


「もしもし、どうした?」


『今日二人とも変な感じだったからね。大丈夫かなぁと思って。今は一緒にいるのかい?』


 着信を掛けてきたのは蓮だった。どうやら、コイツにも心配をかけてしまっていたらしい。


「いーや、疲れてるってさ。そもそも今日はあっちの姉ちゃんもいるからな」


『そっか。でも、それはいつも通りじゃないんだよね?』


「……どちらかというとイレギュラーな部類ではある」


 いままでもこういうことは何度かあったけれど、熱海の調子を見る限り、やはりなにか原因があってのものだと感じる。

 だからこそ、こうしてモヤモヤしてしまっているのだけど。

 俺が直接の原因なのかはわからないが、少なくとも間接的には関わっていそうな感じはする。ならば、何かしてあげたいとは思うのだが……理由がわからないことにはどうしていいかわからないんだよな。


『しばらくは待ちの姿勢でいるのもいいかもね。優介が考えているように、熱海さんだって今は色々考えているのかもしれないし。土日が明けたら案外すっきりしてたりするんじゃないかな?』


 蓮の言葉に、俺はなるほどなと納得した。時間が薬という言葉はよく聞くし、彼女のなかでも何かがモヤモヤと渦巻いているのかもしれない。

 蓮にはそうしてみる――と返事をしてから、そのあとはお互いにゴールデンウィーク中にあった細かい話などをして、合計三十分間ぐらい話した。

 少しすっきりした気分で通話を切ると、それと同時にチャットが届く。


『ちょっとだけそっちに行っていい?』


 差出人は、熱海だった。まだ母さんは帰宅していないし、俺はすぐに『大丈夫』と返信をした。それから一分もたたないうちに、熱海が我が家を訪れる。


「おっす。千秋さんには言ってるよな?」


「うん。長くいるつもりはないんだけど、ちょっと話をしたくって」


「そんなに他人行儀になるなよ。ほら、あがったあがった」


 靴を履いたまま棒立ちの熱海の背を叩き、室内に誘導する。慣れないボディタッチに、少しだけ緊張した。この調子では、熱海の手を握ってビックリさせるというドッキリも決行できそうにないなぁ。

 相変わらず意気消沈気味の熱海をソファに座らせて、俺もその隣に座った。

 熱海は膝の上に手を置いて、視線も下に向かっている。やはり、何か思い詰めているということで間違いなさそうだ。


「……あたしはね、有馬の力になりたいの」


 時計の針の音さえ聞こえてくる静寂の中、熱海はそう切り出した。


「有馬には幸せになってほしい。これは本心――だけど、自分のなかの色々な感情もあって、うまく折り合いがつかなくて、自分でもどうしていいかわからなくなって、自信がなくなったりもして、ただただ迷惑なんじゃないかって思ったりもして、こういうことを話している今の自分も、面倒くさい女だなって思ったりして……」


 ぎゅっとパジャマを握ったりしながら、熱海はぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。

 んー……あまりよくわからないが、ともかく熱海は俺に幸せになってほしいと思っているけど、それがいろいろな要因のせいで上手くいっていないってことでいいのだろうか?

 俺としては、その気持ちだけでも十分嬉しいんだけどな。


「それはあれか、この前のファミレスで熱海だけ好みが違ってたってのも、関係してたりするのか?」


 自分の友達が俺に取られてしまったようで嫉妬したのかもしれない。

 そうでないにしろ、あの時に熱海は少しテンションが下がっていたし、何かしらで関係しているのだろう。そう思って聞いてみると、彼女はコクリと頷いた。

 別に好みが一緒とか一緒じゃないとか、そんなに気にすることでもないだろうに。

 熱海って案外、心は繊細なんだよなぁ。


「たしかにあの時、ちょっと熱海は仲間外れになったような感じがしたかもしれないけど、好みが一緒だから仲良くなるってわけでもないだろ? 実際に、熱海は黒川さんと仲がいいじゃないか」


 俺がそう言うと、彼女はあまりピンときていないような表情を浮かべていたので、俺はさらに言葉を続ける。


「例えばほら、熱海と黒川さんの好みが全く一緒だったとするだろ? 趣味も一緒で、得意な教科も苦手な教科も一緒だったとする」


「うん」


「好きな食べ物が違うから、シェアして楽しめるし、趣味が違うから、新しいことを発見できるし、得意な教科が違うから、お互いが教えあえるんだろうが」


 肩をすくめながらそう言うと、彼女は「あ」と短く言葉を発した。こんな簡単なことにも気づけなくなるなんて、随分と視野が狭まってしまっていたらしいな。

 いったい何が彼女をここまで追いつめてしまっているのやら。

 まぁ俺も、蓮や由布が俺よりも仲の良い友人を見つけてしまったら、多少は嫉妬してしまいそうだなぁ。彼らしか友人らしい友人もいなかったし、なおさらだ。

 それはきっと、熱海も一緒なのだろう。


「だから安心しろ熱海。そりゃ趣味とか一緒だとそれはそれで楽しいとは思うけど、俺が思うに、黒川さんと真に相性がいいのは、好みや趣味や得意な部分が全くちがう熱海のほうだ!」


 どうだわかったか――そういう思いを込めてドヤ顔を決めると、なぜか彼女はボッと顔を赤くする。なぜいま赤面する必要が――あ。


「待て待て待て待て待てっ! ち、違うから! 俺は関係ないからな!? 俺じゃなくて、熱海と黒川さんの話だからな! 俺と熱海もたしかに違うけど、そっちじゃないから!」


「そそそそそんなこと言われなくてもわかってるわよ! いちいち口にしなくても大丈夫だってばっ!」


 話の流れで謎の方向に話がシフトしてしまったが、彼女は帰宅するときにはいつもの元気な表情を見せてくれていた。

 どこが彼女の解決の糸口になったのかは、話をした俺にもよくわからなかった。



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