第42話 熱海、風邪をひく



 本棚を眺めたあと、黒川さんが「これ見たかったやつだ!」と言ったことがきっかけで、漫画を読むことになった。熱海は家から少女漫画を持ってくるのだろうかと思ったが、俺の部屋にある漫画を読んでみたいとのこと。


「有馬は一番どれが好きなの?」


 入口に手をかけて、体を室内に傾けながら熱海が質問する。どうやら彼女的には、空間的な入室はセーフだが、足の入室はアウトらしい。


「俺の好きなやつでいいのか? 熱海が好きそうなやつじゃなくて?」


「たまには違うタイプの本も読んでみたいから」


「なるほど」


 というわけで、【キャンパス】というタイトルの学園バトル漫画を熱海に読んでもらうことにした。熱海の希望通り、俺の一番好きな漫画である。女子向けかと言われたら首をひねらざるを得ないが、たぶん黒川さんは好きなんだろうなぁ。

 ちなみに、俺と趣味の合う黒川さんはすでに漫画に夢中になっており、ソファの座面を背もたれにして黙々と本を読んでいる。

 俺は部屋に入って本を三冊ほど手に取り、それを熱海に手渡した。すると彼女は受け取った本を興味深そうに眺め始める。


「ありがと」


「おう――だけど正直、熱海の好みには合わないと思うぞ? 飽きたらちゃんと言えよ?」


「大丈夫だってば! ほら、有馬もなんか本を持ってきなさいっ!」


 熱海はバシッと俺の背中を叩くと、リビング中央に戻ってから黒川さんの隣に座った。

 背中をさすりながら、二人の女子の後姿を見る。


「なんか、変な感じがするよな……どうしたんだろ、あいつ」


 聞こえないようにぼそりとつぶやく。

 さっきの髪を乾かしていたときも様子がおかしかったし、俺の好みの本を読みたいと言うもの、なんとなく熱海らしくない。


 ――熱海は俺の髪を乾かした黒川さんに嫉妬しているのではないか。

 ――俺と好みが一致している黒川さんに嫉妬しているのではないか。


 そんな考えが脳裏をよぎったけど、それだけはありえないと冷静になる。

 だって彼女には、一生をかけて想い続けると決めた、大好きな人がいるのだから。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「今度漫画返すね! 貸してくれてありがとうっ!」


「のんびりでいいからな。俺はもう何回も読み終わってるやつだし」


 昼に降った雨は通り雨だったようで、空に雲はなくなっていた。水たまりもほとんどなかったので、本当に一時的なものだったらしい。

 黒川さんを熱海と一緒にバス停まで送り届けて、二人でマンションに戻る。


「そういえば漫画はどうだった?」


 黒川さんと別れてすぐ、俺は熱海にそう聞いてみた。すると彼女は肩をすくめてから「やっぱり合わないかも」と苦笑する。


「別に無理して読む必要もないだろ。好みなんて人それぞれなんだし」


「まぁそんなもんよね――くちっ」


 聞きなれない声が聞こえたので右側に目を向けると、熱海がハンカチで口元を抑えていた。今のはくしゃみか。


「随分と可愛らしいくしゃみだな……大丈夫か?」


「え? 可愛かった?」


 熱海が鼻声で聞いてくる。違う、そこじゃない。


「そこに反応しなくていいんだよ。あー……雨に降られたからだろうなぁ」


「んー、どうだろ。別にいまのところ寒気とかはないんだけど。ちょっと頭が痛いぐらい?」


「だったら安静にしとけ。夕食は食べられそうか? 冷食チャーハンでよかったら作るけど」


「大丈夫。あたしはお菓子食べすぎたから今日はいいや。というか、有馬はその手じゃ料理なんて無理でしょ? あんたの分ぐらい作るわよ」


 こんな時にまで俺の心配かよ……もっと自分のことを考えてくれ。


「いいって。じゃあ俺は弁当買って帰るから。いちおうゼリー飲料とか飲み物でも買って帰るか」


「……財布持ってきてない」


「俺が持ってきてる。というかこのぐらい俺が払うよ。熱海家にはお世話になりっぱなしだからな」


 食材に関しては、両家公認のもとお互いの家のものを使ったりしているけど、料理してくれているのは熱海だからな。


「ごめん」


 体調が悪いからか、いつもよりしおらしく見える熱海。歩くペースもこころなしかゆっくりで、全身に力が入っていないような感じがした。


「俺は友達が少ないし、人付き合いが得意ってわけでもないが、こういう時になんて言えばいいのかぐらいはわかるぞ?」


 熱海の顔を覗き込みながらそういうと、彼女はハッとした表情になって、


「ありがとう?」


 首をかしげてから、そう言った。


「そういうこった」


 漫画やラノベの知識だけども。創作のなかとはいえ、間違ったことは言っていないはずだ。

 謝罪より、感謝の気持ちを受け取ったほうが気持ちがいい。

 俺も同じような機会が訪れたときは、感謝の言葉を口にできるようになりたいもんだ。



 熱海と家の前で別れ、残りの時間は各自家で過ごすことになった。

 千秋さんは仕事だから、一人で夜まで大丈夫だろうかと心配していたが、定期的にチャットで連絡をとっていたし、文面を見ても平気そうな感じだった。

 千秋さんと一緒に帰宅したという母親の言葉で、ようやく安堵することができた。

 ――だが、翌朝。


「道夏ちゃん風邪ひいちゃったんだって。優介今日特に用事ないんだったら、ちょこちょこ気にしてあげなさいよ? もしどうしても外せない用事があるなら、千秋さんには仕事を休んでもらうけど」


 母さんからそんな話をされた。

 熱海のやつ、平気そうにチャットを送ってきていたくせに、しっかりと悪化してるじゃねぇか。昨日の時点で三十七度五分と言っていたけど、八度ぐらいまであがっているのかもしれない。


「何も用事はないよ。いちおう男だけだとできないこともあるだろうから、熱海の友達にも声を掛けてみる」


 熱海の家のリビングならともかく、彼女は俺を自室に入れることを拒む可能性が高いからな。



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