第43話 合 鍵 を 手 に 入 れ た



 とりあえず午前中は千秋さんが様子を見ているだろうから、俺が熱海になにか世話ができるとしても、それは昼以降の話だ。

 黒川さんに『熱海が風邪をひいたらしい』と連絡して、姉の千秋さんが仕事に出ることも加えて説明すると、彼女は即座に『行く!』と返事をしてきた。

 ずっと居たらかえって邪魔かもしれないが、その場合は空気を読んで俺の家に逃げればいいだろう。


 黒川さんは駅のバス停に昨日と同じく一時に来るらしいので、彼女を迎えに行った帰りに何か栄養のあるものを買って熱海家に持っていくことにしよう。

 そんなことを考えつつ午前中は掃除をしたりごろごろしたりして過ごし、十二時すぎごろに千秋さんが我が家にやってきた。

 ちなみにうちの母さんは、仕事でやることがあるらしく十一時には家を出ている。


「じゃあ道夏をよろしくね優介くん。何かあったらすぐに連絡していいから――あ、あとこれを渡しておくわね」


 緊急連絡用ということで電話番号とチャットのIDを教えてもらったあと、さらに何かを手渡された。俺の手のひらにポンとおかれたのは――カギだった。

 まさかとは思うがこれは……。


「うちの合鍵よ」


「こんなの渡しちゃっていいんですか……? 熱海――道夏さんは嫌がったりしません?」


「優介くんなら大丈夫だろうって言ってたわよ。陽菜乃ちゃんも来てくれるらしいけど、夜までは難しいし、優介くんが気にかけてくれていたら私は安心だなぁ」


「そ、そうですか。俺は暇だし、道夏さんにはいつもお世話になってますから、できることがあるならやりますよ」


 冷静を装いつつ、意識は左手の上に。

 熱海家の! 合鍵を! 手にいれてしまった!

 いやもちろん悪用しようだとかそんな考えは一切ないのだけど、女子の家の合鍵を持っている高校生男子なんてめちゃくちゃ少ないはずだ。


 なんだかとても高価なものをもらった気分になってしまった。俺の右手が健在だったならば、間違いなく両手で掬うように持っていたことだろう。

 そして、熱海が俺を信頼してくれているということが嬉しい。


 それから千秋さんは一言二言話してから、仕事にせかせかと向かっていった。

 熱海とはまだ今日連絡をとれていないが、昼前に『起きたら連絡してくれ』とチャットしておいたから、返信待ちである。

 もし返信が来るよりも前に黒川さんがこちらにやってきたら、彼女に合鍵を渡して突撃してもらうことにしよう。



☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「あれれ、みかんゼリー売り切れてるなぁ」


 黒川さんを駅前のバス停まで迎えに行き、そこから一緒にスーパーに向かった。

 黒川さん曰く、熱海は体調を崩したときにみかんゼリーをいつも食べているらしいので、今日もそれを買って持っていくつもりだったとのこと。


「他の種類のゼリーでもいいんじゃないか? とりあえず飲み物は買うとして……あとは何がいるか……頭に貼る冷却シートとか?」


「そうだね! それも買っておこう!」


 そんなわけで、俺たちはお金を折半してスポーツ飲料のアポカリプスとブドウゼリー、それから冷却シートを買ってから、熱海家に向かった。

 どうせ徒歩五分ぐらいの距離だし、なにか足りないものがあればまた買いにくればいいだろう。


 荷物は黒川さんが「私が持つよ!」と言い張ったので、お言葉に甘えさせてもらっている。ギプスをはめている右腕に引っ掛けることもできたけど、それはダメだと怒られた。


「有馬くんはまだケガ人なんだから、無理しちゃ『メッ』だよ」


「すんません。お気遣いありがとうございます」


「いいんだよ~」


 黒川さんは俺がお礼の言葉を口にすると、ニコニコと笑ってから歩き始める。足取りは軽く、スキップでもしているかのようだ。昨日熱海の重い足取りを見たばかりだからか、余計に軽快に見えるのだろう。

 数歩先を行く黒川さんの背を追っていると、ふいに彼女は立ち止まって、クルッとこちらを振り返った。俺が追いついたところで、並んで歩き出す。

 彼女はこちらを見上げてから話しかけてきた。


「連休中に災難だよね、道夏ちゃん。有馬くんは平気だった?」


「俺は平気だよ。黒川さんは大丈夫?」


「元気モリモリだよっ! 三年ぐらい風邪ひいてない健康体なのですっ!」


 黒川さんは力こぶを出すそぶりをしながら、自慢げな表情を浮かべる。残念ながら、力こぶはまったくできていなかったが。

 そりゃ健康体だ――と、復唱するような返事をすると、彼女は嬉しそうに笑う。


「でも道夏ちゃんも私と同じ――とまでは言わないけど、滅多に風邪をひいたりしないんだよね。みかんゼリーを買っていくのも久しぶりだなぁ――あっ、買えなかったんだった!」


「俺が明日スーパー行って、見かけたら買って届けるよ」


「お願いっ! 明日は家に親戚がくるから、お見舞いに行けないと思うんだよ~。でも有馬くんがいるなら安心だっ!」


 黒川さんはそういってニコリと笑う。俺のピエロスマイルとは大違いな、自然な笑顔だ。

 千秋さんといい熱海といい黒川さんといい、俺を随分と信用してくれているなぁ。彼女たちの期待を裏切らないためにも、誠実な人間であり続けたいものだ。



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