第22話 初めてのケンカ
「手紙は読まないの?」
俺も漫画を自室から持ってきたところ、熱海にそう言われた。
一人の時に読もうと思っていたのだけど……ダメですか?
「有馬の反応がみたいもの」
俺の表情で言いたいことを察したらしい熱海が、追撃の言葉を送ってくる。反応を見られたくないからひとりで見たいんだよ。
「ほらほら、恥ずかしがらずに持ってきてよ。ちなみに、あたしは内容知っているわよ。陽菜乃の相談に乗ったからね」
「はぁ……わかったよ」
返事をしてソファーから立ち上がり、自室へ。通学バッグに入れて置いた黒川さんの手紙を持って、再びリビングに戻ってきた。
ソファーに座り、熱海の視線を感じつつ開封。半分に折りたたまれた紙を取り出して、中身を確認する。内容は、『城崎くんへ』で始まっていた。
城崎くんへ
私を助けてくれて、ありがとう。
なにか贈り物とかも考えたんだけど、道夏ちゃんのアドバイスで『お礼の言葉』がオススメらしいから、手紙を書いてみました。
あの時、あのまま落ちていたらどうなっていたんだろう……そんなもしもの話を、夜寝る前に今も考えています。
骨が折れていたんだろうか、頭を打って血を流していたんだろうか、大事な神経を傷つけて、立てなくなってしまっていたんだろうか、そんなもしもの話を。
だけどいま私は、その可能性を全て否定して、楽しく学校に通えています。新しい友達もたくさんできました。
それは城崎くんがあの時、私を助けてくれたからです。本当にありがとうございました!
女の子のピンチに駆けつけるヒーロー……とってもカッコイイと思います! これからも、友達として仲良くしてくれたら嬉しいな!
あ、カッコイイって書いちゃったけど、恋愛とかそういう意味じゃないので!
由布さん、怒らないでね!
黒川陽菜乃より
まるっこくて可愛らしい字で書かれた文章を全て読み終え、俺は再び紙を折りたたんで封筒にしまった。そういえば黒川さんがとってくれたノートの字も、こんな感じだったなぁと脳裏に思い浮かべる。
「どうだった?」
ワクワクといった雰囲気で、熱海が俺の顔を覗き込みながら、問いかけてくる。
熱海には悪いが、予想通り、俺には逆効果だったみたいだ。
「やっぱり、黒川さんには伝えないほうが良いと思う」
「はぁ? なんでそうなるわけ?」
だってどう考えても、俺は蓮に劣る。
たとえ彼女に嫌がられることはなかったとしても、彼女がいまこうして助けてもらったことを感謝しているのなら、わざわざ危ない橋を渡って言う必要性が見つからない。
それに加えて、俺の右腕はこんな状況だ。
真実を伝えることで、黒川さんは自分を責めてしまうことになるだろう。
「ダメよ、ちゃんと陽菜乃に伝えないと」
やや厳しい口調で熱海が言う。
ずっとずっと、最初に会った時からこればっかりだな、熱海は。
「もうすでに丸く収まってるんだ。この手紙で、俺は黒川さんから感謝の言葉は受け取った。いまさら彼女に腕の骨折のことを伝えるのか? そんなの、誰が幸せになるっていうんだよ」
もういいじゃないか、これで終わりで。
「いまさら逃げるっていうのあんた? 陽菜乃には悪いけど、あの子はきちんと有馬の傷と向き合うべきだわ。それが階段から落ちたあの子の責任よ」
「俺が気にしてないって言うんだ。それでいいじゃないか」
「ダメ」
いつになく険しい表情でこちらを睨みつけてくる。喉元をかみちぎってきそうなほどの迫力があるが、俺もこの不毛なやりとりに嫌気がさして睨み返した。
「だいたい、熱海の価値観を俺に押し付けられても困るんだよ。運命の人だか王子様だか知らないけど、自分がお礼を言えなかったからって人に言わせようとする必要はないだろ」
俺が吐き捨てるようにそう言うと、熱海はソファーから立ち上がって、こちらを見下ろしながら叫んだ。
「は、はぁあああああ!? なんで有馬にそんなこと言われなきゃいけないわけ!? あたしが有馬のお願いなんか聞かずに、無理やり伝えることもできたのに、それをしなかったのがなんでなのかもわからないの!? 助けたあんたを尊重して、あんたにちゃんと報われてほしいと思ったからでしょうが!」
「別に俺はひとことも報われたいとか言ってねぇよ。そもそも、熱海を助けた王子様とやらも、お礼なんて求めてないから立ち去ったんだろうが。それぐらいわかってんだろ」
「うっさい! あんたもう黙りなさいよ!」
怒りで顔を真っ赤にして、わなわなと震えながら熱海は言う。
だけど、俺の口は止まらなかった。
「お前は王子様とか運命の人とか言ってるけどな、どんな顔かも覚えてないんだろ? どうせ頭の中じゃ、大層かっこよくて性格のいい奴として思い描いているんだろうな」
外見でいじめられるような奴が、助けることだってあるというのに。
彼女はきっと、そういう現実を知らない。理想だけを追い求めている。盲目に奇跡を、探している。
運命や奇跡なんて、あるわけないのに。
もしそんなものがあるなら、今頃父さんは生きているはずだ。
「黒川さんに関してはもそうだ。理想は理想のまま、永遠に知ることなく、会わない方が幸せだってことも十分に――」
――ある。そう言いかけたのだけど、その言葉を最後まで言うことは出来なかった。ジンジンと痛む頬、振り切った熱海の右手を見て、自分が彼女にビンタをされたのだと理解した。
「……最低っ!」
目尻に涙を浮かべた彼女はそう言って、速足でリビングを出ていく。
漫画も、熱海家から持ってきた食器もそのままに。この空間に一秒でも長くいたくないという気持ちがひしひしと伝わってきた。
「暴力女め……」
そんな言葉を呟く俺を咎めるやつは、もうこの家にはいなかった。
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