第4話 良い奴なのかもしれない
「なるほど、つまり愛の告白というわけか」
「馬鹿じゃないの?」
連れていかれたのは、階段の下にある狭い空間。
俺たちの学年は二階だから、わざわざ一階まで降りてこの場にやってきた。
赤い手形の残る左腕を見ながら冗談を言ってみたら、鼻で笑って一蹴された。慣れない冗談は言うもんじゃないな。
「あんた、いつになったら陽菜乃に言うつもり?」
どうやら、ここに連れてこられた要件は例のことらしい。薄々わかっていたけれど、そうであってほしくないと願っていたから、その可能性を考えないようにしていた。
「あのな、何度も言うけど黒川さんに伝えるつもりはない」
「なんで?」
熱海さんは、怒るでもなく真剣な表情で問いただしてきた。怒ってくれたほうが逃げやすかったのだけど……こういう真面目な態度でこられたらこちらも真剣になってしまう。
「蓮が助けたほうがみんなハッピーだからだ。もしくは、お前でもいいけど」
「なんであんたじゃダメなわけ?」
これまた声を荒げずに、熱海さんは聞いてくる。
答えなきゃ逃してくれそうにないなとため息を吐いてから、俺は再度口を開いた。
「そっちのほうが、黒川さん的には嬉しいだろ」
俺がそう言うと、きちんと考えてくれているのか熱海さんは視線を斜め上に向けて顎に手を当てる。そして、俺の目を真っ直ぐに見て回答した。
「知らない人より、知ってる人のほうが嬉しいと思う。でも、城崎とあんたは一緒でしょ。相手が誰であろうと、感謝の気持ちは変わらないわ」
「……感謝するかどうかは相手によるだろ」
「絶対する」
うーむ、話が平行線になりそうだ。というか、なりつつある。
熱海のその自信はいったいどこからやってきてるんだよ……なぜ確信をもって言えるんだ。
もしかして彼女も昔だれかに助けられたことがあって、気持ちがわかるとか?
ともかく、熱海にわかりやすい例を出すことにしよう。コイツ、俺のこと嫌いだし。
「じゃあお前さ、俺のこと嫌いだろ?」
「そうね。きちんと陽菜乃に伝えずに逃げてるところが、最高に嫌いだわ」
ハッキリと言うなぁ。わかっていた回答だし、こいつに嫌われても別に気にしないけど。
……これっぽっちも気にしないけども!
「もしお前が階段から落ちて、俺がお前を抱きしめて助けたらどう思う? 嫌な気持ちになるだろ?」
「……馬鹿じゃないの?」
そんなの嫌に決まってるじゃない――そういう言葉が続くのだろうと思っていたのだが、彼女はイライラした様子で俺を睨みつけて、俺の予想とは逆の答えを口にした。
「嫌な気持ちになんてなるわけないでしょ? ちゃんと感謝するし、助けてくれて嬉しいと思うわよ。もしそれで嫌な気持ちになる奴がいるのなら、そいつが嫌な奴ってことよ」
そんな簡単なこともわからないの? とでも言いたげな雰囲気だった。
……俺も前はそんな風に思っていたさ。
だけど、現実はそんな綺麗ごとじゃ済まされないんだよ。
あの時は俺がチビでデブだったし、溺れていたあの女の子に泣かれてしまったのも仕方がなかったことなのかもしれないが。
人命救助をして泣かれてしまったのには、恋愛も知らぬ僅か十才の自分にもさすがに堪えた。俺のことなんて、忘れてくれているといいが。
顔を合わせたのは十秒にも満たない時間だし、あの時の俺はプクプクと太っていたから、今見ても気づかれないだろうけど。
「お前とはとことんわかり合えそうにないなぁ」
「別にあんたとわたしがわかり合う必要なんてないわ。だけど陽菜乃にはちゃんと言いなさい」
「嫌です」
「ッこのクソガキは本当強情ねぇ!」
拳をミシミシと音が鳴りそうな雰囲気で握りしめて、口の端を吊り上げながら熱海さんが笑う。怖ぇよ。あとお前のほうがたぶんクソガキだよ。
「お前も人のこと言えないぐらい頑固者だろうが」
「うっさい! 別に頑固者で結構よ! あんたが陽菜乃に言うまでしつこく言ってやるわ! あんたは、ちゃんとあの子からお礼を受け取らないといけないの!」
熱海がそう言ったところで、校舎内に授業開始を告げるチャイムが鳴り響く。
彼女はハッとした表情で顔を上にあげ、わたわたとその場で慌て始める。
「うわっ、もうそんな時間!? 遅刻しちゃうじゃん!」
「あー誰かさんのおかげで遅刻だわー。こりゃ内申点下がって大学行けないわー」
「ご、ごめんってば! それよりも早く教室に戻るわよ!」
素直に謝られるとは思っていなかった。いや、本当はそこそこ優しいんじゃないかとは思っているよ? だって、彼女は友人である黒川さんに未だ真実を伝えていない。
俺の了承を得ずに伝えるなんてことも、当然できるはずなのに。
「ほら! あんたが先に登りなさいってば!」
「なんでだよ!? お前のパンツになんて興味ないぞ俺は!」
階段上ろうとしたところでぐいぐいと背中を押されたので抗議する。そういえば、さきほど下る時も俺の前を歩いていたなこいつ。そこまで俺にパンツを見られたくないか。
見ることができたらラッキーぐらいには思うけど、進んで覗こうとするほど俺はアグレッシブではない。興味が無いと言ったのは嘘だけど。
「パ、パンツの話なんて今してないでしょ!? 馬鹿じゃないの!? あんた骨折してるんだから、落ちたら大変じゃない!」
「あぁ、なるほど」
その発想はなかった。こいつは本当に、優しいのか優しくないのか――いや、きっと根は優しい奴なんだろう。
なぜここまで彼女が真実を伝えようと躍起になっているのかは、本人が口を噤んでいる以上わからないけど、伝えて得をする可能性があるのは俺ぐらいだし。
それも、ただお礼を言われるだけ。熱海には、なんの利点もない。
「謎すぎるだろこいつ……」
それでも、彼女はそこに本気になる。しつこいぐらいに、鬱陶しいぐらいに本気になる。
俺も自分で気にしすぎだという自覚はある。だけど、こいつも同じレベルで気にしすぎだ。
ただの善人って可能性もあるけど、もしかしたら熱海って、
「助けてもらった誰かに、お礼を言えなかったことがあるのか? だから、お礼を避ける俺が気に喰わない……とか?」
頭に浮かんだ予想をぼそりと口にする。
「はぁ!? なんか言った!? ぼそぼそ喋らないでハッキリ言いなさいよ! 聞こえないわ!」
走らないよう、速足で廊下を歩く熱海さんがこちらを振り返って言う。
「いや、遅刻だなーって言っただけ」
「それはごめんってば!」
適当に嘘を吐けば、彼女は焦った様子で謝罪の言葉を口にした。
なんだか、可愛い面もあるやつだなと思ってしまった。最高に嫌われているけども。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます