第3話 休み時間に連れていかれた



 一限目の数学の授業が終わり、休憩時間。

 どうやら熱海はトイレに行ったらしく、俺の席には現在平穏が訪れている。


「あの時は城崎くんが助けてくれて本当に助かったよ~。たぶん、あのままだと頭から落ちてたよね? その辺り、気を失っちゃって覚えてないんだけどね」


 へへへ――照れくさそうに笑いながらチロリと舌を出し、コツンと自らの頭を小突きながら黒川さんが言う。

 なんだか他の人がやるとあざとく見えそうな仕草だが、黒川さんはあくまで自然体という印象を受ける。たぶん、計算してとかじゃなくて、素でやっているんだろうなぁ。


「怪我がないようで良かったな」


 それは心の底から思う。俺の右腕も報われるってもんだ。

 ただ、俺みたいなやつが黒川さんみたいな人たちと会話しているだけで、他の人からにらまれそうでちょっと怖い。蓮が言うには、結構有名な二人らしいし。

 まぁ俺の傍には蓮というトップカーストのイケメンがいるし、あまり気にしなくてもいいか。


「うんうん! まさに私のヒーローだよね! あっ、でも彼女さんがいるのか――城崎くん、城崎くんは私のヒーローではありません! でも助けてくれてありがとう!」


 ニコニコでお礼を言う黒川さんに、蓮は「どういたしまして」と苦笑する。こっちをチラ見しなくていいからしっかり演技をしてください。


「黒川さんとか熱海さんは、彼氏とかいるの?」


 話題をずらすためか、蓮がそんな質問を投げかける。

 恋愛弱者の俺からすると『そんなことを女子に気軽に聞いていいの?』と思ってしまうが、黒川さんは特に気にした様子もなく答えてくれた。


「いないよ、私まだ好きとかよくわかんないし! あ、道夏みちかちゃんは運命の人に片思い中だからだよ~」


 黒川さんの返答を聞いて、俺は内心『運命とか馬鹿らしい』と思った。続いて、『そう言えばそんな話を聞いたことあるな』とぼんやりとした記憶が鮮明になっていく。熱海の名前が道夏というどうでもいい情報は脳から消去しておくとして。


 ――一年生の頃、クラスメイトの会話でとある話を耳にしたことがあったのだ。


 曰く、飛び切りの美少女が、一年生に二人いる。

 曰く、そのどちらもが恋人がいない状態である。

 曰く、片方は恋愛に興味なし、片方は絶賛片思い中ということで、全ての告白を断っている。


 そんな噂話を。


 しかしあの野蛮な熱海の運命の人か……もしそんな奴がいるのならご愁傷さまだな。貰った痛み止めが余ったらプレゼントしてやりたいぐらいだ。こんなことを言ったら俺の身体が無事ではいられないので黙っておくけども。


「有馬くんは彼女いるの?」


「いないなぁ。俺も黒川さんと同じく、恋愛とかまだ良くわからね」


 友達と言える友達だって、蓮ぐらいのものだ。

 俺は狭く深くの人間関係を築くタイプなのだ――と、いうことにしておいてください。正直人付き合いが億劫なだけだが。


 小学校はチビでデブだったからいじめられたし、それから今に至るまで休日に遊ぶような関係に慣れたのは蓮ぐらいなものだ。集まりとかも、極力参加しないようにしていたし。

 いまでは運動と身体の成長によって標準的な体型になれたし、男女問わず普通に会話はできるけど、仲間外れにされて陰口を言われていた記憶だけは鮮明に残っている。


「へへ、じゃあ私と一緒だね! 気にしないでよーし!」


「はは、黒川さんは元気だなぁ」


 太陽みたいな女の子だ。相方の女子は触れるなキケンって感じだけど。


「アイツとは付き合い長いの? 一緒に登校していたみたいだけど」


「道夏ちゃんのこと? うん! 小学校からのお友達だよ~。最近道夏ちゃん、駅の近くに引っ越しちゃったから、ほんのちょっと家は離れちゃったけどね」


「ほー」


 この時期に引っ越しとはまた珍しい。

 いや、引っ越しなんて親の都合だろうから、春前だとしたらむしろ自然か。


「これで優介がいるマンションだったりしたら面白いのにね。駅に近いしさ」


「おい、変なフラグを立てるな蓮。ただでさえ最近隣の部屋に誰か引っ越してきたっぽいんだぞ?」


 これで隣に熱海が引っ越してきていたのだとしたら、そろそろ神様を信じないだけじゃなくて呪わないといけないかもしれない。


「家にいる時ぐらい気を休めたいんだが……あの暴言キャラというか暴力――」


 キャラが近くにいると思うと――そう言いかけたとき、頭がぐわしっと掴まれる。非常に心当たりがする感触に冷汗を流していると、


「あんた、わたしが、何キャラって、言いたいのかしら……?」


 一つ一つのフレーズ毎に力が増していく。キャラクターボイスは熱海でお送りしております――って痛いわ!

 俺は頭を振って熱海の手から逃れ、後ろを向く。

 両手を腰に当て、仁王立ち状態で俺を見下ろす熱海がいた。小さいのに威圧感すごいなこいつ。身長は百五十五センチあたりだろうに。


「まぁいいわ。あんたちょっと来なさい」


 そう言って、彼女は俺の左腕を掴むと無理やりに立ち上がらせる。横暴な態度にイラッとしつつも、美少女と肌が触れあっているという事実で中和された。男子へのボディタッチに躊躇いないのかよこいつ。もっと嫌がるだろ普通。

 彼女はぐいぐいと俺の手を引いて、教室を出て廊下を歩いていく。


「お、おい! どこに連れて行くつもりだ! 連れションはお断りだぞ!」


「だ、誰があんたとつ、連れ――トイレに行くって言ったのよ! というか男女で行くわけないでしょ!?」


「それもそうか」


 パニックになって変な事を言ってしまった。反省。

 いったいなんの用事があるんだろうかと思いつつも、俺の視線は彼女の手に向かってしまう。俺のごつごつした腕を、細くて綺麗な手が掴んでいる。ちなみに、ちょっと食い込んでいて、手のひらがピリピリしていた。馬鹿力め。


「シャンと歩きなさいシャンと! 見ていてモヤモヤするわ! 背筋も伸ばしなさい!」


「……へいへい」


 なんでお前にそんなこと言われなきゃいけないんだ。と、心の中で呟く。

 口答えすると口論に発展しそうだったので、俺は大人しく熱海について行くことにした。これで授業に遅刻したら、熱海のせいだと教師に報告することにしよう。



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