第2話 ゴリラめ……



 人の多い時間に登校するのは嫌いだ。人酔いするし、顔見知りレベルの人と並んで歩く時ほど気疲れすることはない。

 そんなわけで、俺はいつも朝八時に学校に到着し、三十分机で寝るという学校生活を送っている。


 蓮は基本的に彼女と登校しているし、始業式の日にあいつが俺と一緒だったのは、蓮の彼女である由布ゆふが寝込んでいること、そして俺が寝坊したという偶然が重なったため、駅で待ち合わせして登校することになっただけだ。

 だが、由布は季節外れのインフルエンザでまだ寝込んでいるらしいし、骨折したことを蓮にチャットで伝えると『月曜日は一緒に行こうか』と言ってくれた。お前は俺の彼女か。


「階段から落ちた人が黒川くろかわさん、優介と言い合いになっていた人が熱海あたみさんだよ。結構一年のころから有名じゃない? 優介は興味ないかもしれないけどさ」


「ほー、まぁ二人とも可愛かったもんな。というか蓮は二人のこと知ってたのかよ」


「まぁね」


 電車から降りて、学校までの上り坂を二人で歩く。

 蓮によると、彼女たちはいつもあの時間の電車に乗っているらしいので、今日はそれよりも一本早い時間の電車に乗ってきた。またあのうるさい女――熱海に絡まれたくない。

 その他にも、あのあと結局落っこちたほう――黒川さんは病院に行ったとか、熱海に詰められて大変だったなどの話を聞いた。メシ奢るから許しておくれマイフレンド。


「骨折までしてるんだよ? そりゃ相手に罪悪感を与えることにもなるから余計に言いづらいだろうけど、本当に言わないでいいの?」


 苦笑しながら、蓮が問いかけてくる。

 俺の返答がわかっているからこその表情だろうな。


「言わない。無意識に身体が動いただけで、見返りが欲しくてやったわけじゃないし」


「これをきっかけに恋に発展するかもよ?」


「『ただしイケメンに限る』ってやつだよ」


 蓮には彼女がいるからそんな漫画みたいな展開にはならないだろうけど。

 もし女の子を危機から救っただけで恋に発展するって言うのなら、俺は七年前の時点で告白を経験していただろうよ。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



 新たな教室に登校し、クラスメイトから「右腕どうした!?」「折れてるの!?」「俺もギプスしたいんですけど!」などという声を掛けられつつ、ホームルームまでの時間を過ごした。ブレザーの袖には手を通すことができないから羽織るだけ。しかもカッターシャツじゃなくて普通に半そでのTシャツを着ているから余計に目立つのだろう。


 まぁそれは別にいい。これぐらいは別にいいのだ。

 そんなことよりも、俺は入室した際に確認した座席表のことが頭から離れない。

 俺の席が廊下側の前から二番目なのはまだいい。だいたいクラス替え後は名前順だから、いつものことだし。


 しかし前の席の人の名前が『熱海』であることや、左隣の席の人が『黒川』であるということが、有馬優介十六歳、現在唯一にして最大の悩みである。

 どうか同じ苗字の別人でありますようにと神に片手で祈ってみたのだが、なんの前触れもなく教室に入ってきた女子生徒二人を見て、神はいないのだと悟った。


「あっ、この前の――って右腕どうしたの!?」


 まず黒川さんが俺の姿に気付き、眉をハノ字にしながら声を掛けてきた。


「改めまして、有馬ありまです。寝ぼけて家の階段から落ちて骨折しました」


 事情を知る熱海が何かを言う前に、先手を打った。すると、黒川さんは俺のギプスが装着された腕を見ながら「うわ、痛そう……」と泣きそうな顔になる。

 よしよし、どうやら熱海はあのあともきちんと黙ってくれていたようだ。

 実は良い奴なのか? などと思っていると――、


「あんた、家の、階段から、落ちて、骨折したって、言いたいわけ?」


 俺の左肩に手を置き、ギリギリと俺の肩を潰すように握りながら、十センチほどの至近距離で熱海さんが言う。前言撤回、こいつは良い奴じゃない。馬鹿力のゴリラだ。


 彼女の『本当のことを言え』という圧力には屈したくないけど、目の前にいる美少女を多少は可愛いと思ってしまう自分も潜んでいて、俺は耐え切れずさっと目を逸らした。

 どうやって切り抜けようかと考えていると、黒川さんが「痛いのはダメだと思いまーす!」と元気よく手を挙げてから、俺の肩を潰そうと試みる熱海の手を引きはがしてくれる。


「私もこの前階段から落ちたからおそろいだね! ――あ、私は黒川陽菜乃だよ! 隣の席、よろしくね有馬くん! その怪我って、たぶん骨折してるんだよね? 何か困ったことがあったらなんでも言って!」


 黒川さんは早口でそう言うと、力こぶのでていなさそうな二の腕をパシパシと叩く。

 なんとなく、犬っぽい印象を受ける人だ。ボール投げたら拾って来てくれそう。もちろんしないけど。


 黒川さんの髪の毛は熱海さんと同じ黒髪だが、長さは肩に掛かる程度。そして前髪を白い蝶のヘアピンで止めている。表情がコロコロ変わるから見ていて面白いな。


「僕は城崎蓮、よろしく二人とも」


「よろしくな黒川さん」


 席が離れたら関わらなくなりそうだなと思いながらも、とりあえずよろしくしておいた。

 すると、熱海から頭を掴まれる。


「あんたさぁ、もしかして私とはよろしくしたくないって言いたいのかしら……?」


 はい! そうです! 熱海は俺のことが嫌いみたいだから、黒川さんの名前だけ呼びました!

 なんて元気に返事をしたいところだったけど止めた。絶対また言い合いになるし。というかこいつも俺と仲良くなんてなりたくないだろうに。


 しかしよくその小さな手で俺の頭を掴めるなこいつ。

 いい加減俺に突っかかってくるのをやめてほしいんだが。そして痛い。


「……ゴリラめ」


 本当にボソッと、聞かれないように呟いたつもりだったのだが、これまた神様のイタズラか――その瞬間だけ周りの生徒の喋り声が途切れてしまっていた。

 ヤバいと思ったのも一瞬だけ、その後は痛覚に意識が向けられた。


「は、はぁあああああっ!? このクソガキ――誰がゴリラですって!?」


「痛ぇ痛ぇ痛ぇ! ガキも何も同級生だろうがっ! あぁ、もしかしてお前は留年して俺たちより年上なのか、どうもすみませんでしたね先輩さん!」


 自分でも悪いことを言ったという自覚はあるけれど、こいつが突っかかってこなかったらこんなことにはならなかったのだ。と、自分の発言を脳内で正当化する。


「――っコイツ、潰す」


 いったいどこを潰すつもりなの? 頭だよね? いや頭も嫌だけどさ。

 そんな風に戦々恐々としていると、黒川さんが熱海を後ろから羽交い絞めにした。


「ちょ、ちょっと陽菜乃っ! 離してよ!」


「有馬くん! ここは私とフィルマに任せて! 必ず追いついて見せるから!」


 黒川さんはどこかキラキラした表情でそう言う。というか、このセリフはどう考えてもあのアニメの引用だろ。追いつくもなにも俺の席はここだし。フィルマなんていないし。

 っていうか、


「黒川さんってアニメとか見るんだな」


 なんとなく、意外。

 もっとこう……彼女たちは、そういうオタクっぽい趣味には興味がないと思っていた。まぁ蓮も俺の影響で多少見ているから、見かけで判断はできないか。


「え? もしかして有馬くんも『異世界王』見た? あれ面白いよねぇ! 『オレのキングブレードで、敵味方もろとも消し炭にしてやんぜっ!』」


 黒川さんは熱海さんの拘束を止め、見えない剣を掲げつつノリノリでそんなセリフを紡ぐ。そして通りすがりの女子を切りつけていた。なにやってんだこの子。

 切られた女子、めちゃくちゃキョトンとしてるぞ。

 しかしあの問題のシーンか……『いやいや味方は助けろよ』とツッコみながら見てたなぁ。味方たちも主人公の暴挙に愕然としていたし。

 まぁそれはいいとして。


「もう……なんなのよ」


 不満げにそう呟いた熱海は、どかりと俺の前の席に腰を下ろして、こちらをキッと睨みつける。後ろに俺以外の誰かいないかなぁと振り向こうとしたら頭を叩かれた。


「……あんた、さっきの失礼な発言は私の大海原より広い心で許してあげるから、陽菜乃を助けたことだけは必ず言いなさいよ。約束して」


 ノリノリで別のシーンのセリフを口にする黒川さんを横目に、熱海さんが俺に小声で言ってくる。ちなみに、蓮は手を叩きつつ黒川さんを笑いながら見ていた。


「お断りいたします」


「――っ、人がせっかく歩み寄ってやってるのにっ!」


「別にいいだろ。というか、お前はなんでそんなに言ってほしいんだ? 別に蓮が助けたことにしたって問題ないだろ」


「……あんたには関係ないでしょ。それよりも、あんたもなんでそんなにかたくななのよ」


 俺の机で頬杖をつき、熱海さんがふてくされたような口調で言う。


「……お前には関係ないだろ」


「私の親友のことだから関係ありますぅ」


「うわぁ……言い方うざ」


「もう一度握りつぶしてほしいのかしら?」


「怪我人相手にひどいと思いますぅ」


「あんたも言い方うざいわよ」


「そうかそれは光栄だ。お前の真似だからな」


「――コイツっ、やっぱり潰すっ!」


 俺の二年生初日は、なんとも先を思いやられるものとなったのだった。



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