あの日、キミを助けたのはオレでした

心音ゆるり

第一章 熱海道夏は知ってしまう

第1話 右手首、骨折



 女の子が落下している――その事実を頭が理解するよりも先に、俺は一歩目をすでに踏み出していた。


 場所は駅の改札を超えた先の、ホームへ続く階段。

 十五段ほどある階段の半ばで、俺と同じ玄仙げんせん高校のブレザーを身に付けた二人の女子学生のうちの一人が、足を滑らせたのか、真後ろに倒れようとしているところだった。


 横幅五メートルほどの広い階段――幸いにも、俺と彼女の間には誰もいない。

 俺は端から端までの距離を狭い踏面を駆け、肩に掛けていた通学バッグを投げ捨てながら、後のことなど考えず飛び込んだ。


「――陽菜乃ひなのっ!?」


 落下する女の子の隣にいた女子が、倒れ行く女の子に手を伸ばしていた――だが、その手は無情にも空を切る。


 その代わり、俺の伸ばした両手に――おそらく陽菜乃という名前の女の子はすっぽりと収まった。しかし場所は階段の途中、綺麗に着地をできるはずもなく、俺は女の子を庇うように後ろから抱きしめて、チカチカする景色を視界に映しながら階段の一番下まで落ちていった。


 っつぅ……アホか俺は、いろいろ痛ぇ。

 せめてもう少し後のことを考えて行動するべきだったか? いやでも、ただでさえギリギリだったのだから、いちいち考えていたら間に合わなかったかもしれない。

 だとすれば、俺の行動は間違っていなかったのだろう。たぶん。


「――ちょっ、優介ゆうすけ!? だ、大丈夫かい!?」


「陽菜乃っ! あとあんた、怪我してない!?」


 落下した陽菜乃さんの隣にいた女子、それから俺と一緒にいた友人の蓮が、それぞれ慌てた様子で階段を駆け下りてくる。周りにいた学生や通勤中の大人も、足を止めてこちらを驚いた様子で見ていた。あまり使用されていない路線とはいえ、この朝の時間帯にはそれなりに人がいた。


 女子を抱きかかえたままだったので、首を動かさないようにそっと地面に寝かせた。右手首にやや痛みあり。というか力が全然入んないんですけどぉ。


 階段を落下した陽菜乃さんは、意識を失っているのか混濁しているのか、目をきつく瞑りながら「んー」と声を漏らしていた。

 呼吸も正常だったし、衝撃は俺が受け持ったからこの女子に大事はないはず。一過性意識消失――いわゆる失神だろう。すぐに目を覚ますはずだ。

 しかしなんだか、二人とも見たことあるような気がするんだよな……もしかして同学年か?


「大丈夫ですか!?」


 そうこうしていると、騒ぎを駆けつけた駅員さん二人がこちらに向かって走ってきた。

 駅員さんの声に対し、倒れていた彼女は身体を起こしながら「だ、大丈夫です」と返答していた。無事なようでなによりである。黒髪ロング女子のほうも「よかったぁ」と安堵の声を漏らしていた。


 俺はすでに立ち上がっていたので、見知らぬサラリーマンが持ってきてくれた通学バッグを受け取って「ありがとうございます」と頭を下げた。


「優介、大丈夫?」


 たぶん右手が大丈夫じゃない。徐々に痛みが強くなっている気がするが、彼女が無事とわかれば、怪我よりも優先しなければいけないことがある。

 頑張れ俺のアドレナリン――痛みを和らげてくれ!


「あの子、お前が助けたってことにしといて」


「――へ? って、あぁ、優介はまだを気にして――「頼む」」


 何か言おうとした蓮の言葉を遮り、頭を下げる。


「今度メシ奢るから、飲み物も可。ただし五百円まで」


「……もう、仕方ないなぁ」


 よし、これで何も問題はないな。右手はバカみたいに痛いけど。

 これ、もしかして折れてるパターン? 二年生始業式の初日から? 運なさすぎだろ俺。


「はい、はい。お騒がせしてすみませんでした!」


 右手の痛みがさらに強くなっていくのを感じていると、立ち上がってぺこぺこと駅員さんや周囲の人に頭を下げる女子が目に入った。

 そんなに頭を動かして大丈夫なのだろうかと心配になったけど、どうやら当人は平気そう。念のため、病院とかいったほうがいいんじゃないだろうか。


 周囲の人間が通常の動きを取り戻したころ、二人の視線がこちらに向く。

 落下していないほう――黒髪ロングの女子のほうが、俺のことを指さしながら何かを説明している様子。もしかして俺が助けたとか言ってんのか?

 それはいかん。非常にいかんぞ。


 俺は早くこの右手をどうにかしたいという想いを頭の隅に追いやって、蓮を左手で引っ張りながら二人に歩みよった。


「こいつが助けました」


「えっと、僕が助けました」


 俺たちがそう言うと、陽菜乃さんは「あ、こっちの人なんだ」と呟き、もう一人の黒髪ロング女子のほうは、目を丸くして俺と蓮を交互に見ていた。


「は、はぁ? でもさっきあんたが――」


「いやー! 素晴らしいヘッドスライディングだったな城崎しろさきれんくん。あの雄姿を動画に収めたかったぐらいだ。ところでそっちの髪長い人、ちょっと話があるからこっち来てくれ。そっちのミディアムヘアの人は救世主の蓮とお話でもどうぞ」


 蓮の名前を強調しつつ言ってから、俺は手招きしつつ人の少ない隅のほうへ移動。黒髪ロング女子も黙って着いて来てくれた。

 振り返り、視線を合わせてみると彼女は困惑したような表情を浮かべていた。


「さっき言った通り、助けたのはあいつってことにしてくれたら嬉しいんだけど」


 階段から落っこちた陽菜乃さんも、あの憎たらしいぐらいイケメンの蓮に助けられたほうが幸せに決まっている。俺はもう、あんな空しい想いをしたくない。

 チラっと視線を向けてみると、陽菜乃さんは駅員さんたちにしたように、ぺこぺこと蓮に頭を下げていた。


「なんでそんなことする必要あるの? それにその手――もしかして怪我してるんじゃない?」


 俺が無意識に擦っていた右手を見ながら、女子が言う。


「手は平気。理由は、俺が嫌だから。別に誰かに損させるわけじゃないし、問題ないだろ?」


 理由なんてこれに尽きる。そんなことよりも、要件は済んだのだから俺は早々にこの場を退散したいのだが。右手ちょー痛いんですけどー。


「助けたのはあんた、あんたがきちんとあの子からお礼をもらわないと」


「お断りします」


「陽菜乃にちゃんと本当のことを伝えて欲しい」


「嫌です」


「言ってよ」


「嫌だって言ってんだろ」


 なんでこんなにしつこいだコイツ?

 結論はもう出ているんだから早く俺を解放してくれ。右手首が痛いんだよ。


「意味わかんないんだけど……」


 この黒髪ロング女子――だんだんと俺を見る目が困惑から嫌悪に変わっていくのを感じるなぁ。

 なぜこの子はそこまでして俺が助けたと言わせたいのか。別に蓮が助けたことにしても何も問題ないだろうに。


「おーい蓮、ちょっとこっち来て」


 カルシウム不足と思しき女子から距離を取りつつ、友人を呼びよせる。

 そして、「右手が痛いから、いちおう病院行く」と小声で伝えてから、さっさと帰宅することに。


 面倒くさいことになるとわかっているのか、彼は「えぇ……大丈夫なの? 僕も始業式サボって優介に付き添おうかな」と言っていたが、拒否した。学校はちゃんと行きましょうね。

 最後まで黒髪ロング女子には睨まれていたが、俺は気付いていない振りをすることにした。



 ☆ ☆ ☆ ☆ ☆



「綺麗に折れてますね」


 母さんにスマホで連絡すると、すぐに駅まで迎えに来てくれた。そしてそのまま病院に連れていかれ、レントゲンを撮られ、医師に右手首の骨折を伝えられた。

 折れた部分を正しい場所に戻すためなのか、ぐっと腕に力を込められた時には泣きそうになったが、ギプスを装着しおえた頃には痛みも少し落ち着いてきていた。


「それにしても、階段で転ぶなんて珍しいわねぇ。優介は運動神経良いほうでしょ? スポーツテストの成績も凄かったじゃない」


 家に向かって走る車の中で、母さんが意外そうに言う。


「そういう日もあるよ」


 運動神経と階段からの落下にどれだけ関係性があるかについては、脇に置いておくとして。誰かを助けて怪我をしたなんてこと、わざわざ言う必要もあるまい。


「次からは気を付けなさいよ? あと、学校には休みますって連絡しておいたから」


「すんません」


 バックミラー越しにジト目を向ける母親に、頭を下げる。

 ありがたいことに、明日と明後日は土日だ。

 あの二人ははたして下級生なのか、同級生なのか、それとも上級生なのか。

 敬語を使わなかったから、上級生以外であってほしい。

 なんにせよ、学校ですれ違わないこと願うばかりだ。


 これでもし、彼女たちのどちらかが同級生で同じクラス――さらに近くの席になんてことになったりしたら、神様を恨むことにしよう。



~~~~~~~~~~


作者も右手首骨折経験アリです( 'ω')クッ!




  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る