第5話 黒川さんと熱海について



 始業式が明けて初めての授業ということで、この日は勉強らしい勉強もなく、先生たちの雑談やこれからの授業についての説明で終わった。

 勉強は特別好きでもないし嫌いでもない。だけど、こういった非日常感のある空気は好きだ。他のクラスからも笑い声が聞こえてきたりしたし、どの教室でもこんな感じなんだろう。


 そして、昼休み。


「痛くないの?」


 パンの袋をギプスで覆われていない右手の指と左手で開封していると、熱海の席に座る蓮が聞いてきた。

 多少は痛いけど、指を動かすことに対してはあまり苦でもないんだよな。土日は痛み止めで耐えていたけど、いまは薬がなくとも平気だし。


「まったく痛くないってわけじゃないけど大丈夫。それよりもギプスの中がかゆいし、肘まで固定されているから動きづらくて辛い」


 俺と同じく、蓮も今日はパンだ。

 いつもは彼女の由布が蓮にお弁当を作ってきているから、パンを食べているところを見るのは珍しい。たまに三人で食堂に行って食べることはあるけども。


「にしても、大層な人気者だなぁあいつら。会話の中心って感じだわ」


「だから有名だって言ったでしょ」


 百聞は一見にしかずという奴だな。

 廊下側の壁を背もたれにしている俺の視線の先では、クラスの女子が集まって食事をしている。新しいクラスということで交流を深めようとしているのか、クラスの女子の半数ぐらいが一か所に固まって食事をしていた。

 ちらちらとそのグループを見ている男子たちもいるのだけど、黒川さんや熱海に向ける視線がこころなしか多い気もする。


「そういえば優美ゆみさんにはどう説明したの? その腕のこと」


 紙パックのコーヒー牛乳をちゅーちゅーと吸ってから、蓮が聞いてくる。

 友人が自分の母親を下の名前で呼ぶのには相変わらず慣れない。まぁ母さんがそう呼べと指定したし、蓮も嫌がっていないから問題はないのだが。


「普通に駅の階段から落ちたって言ったよ。わざわざ人を助けたなんて言ったらややこしいだろ」


 相手の親とかも関わって治療費が~なんてことになったら面倒くさいことこの上ない。治療費を払ってくれた母さんには悪いけど、着地を上手くできなかった俺が悪いのだし。

 俺の返答に対し、蓮は「だと思ったよ」と苦笑する。良くお分かりで。


「熱海さんのことはどうするの? なんか彼女、すごく『誰が助けたかどうか』ってことに執着してるよね。気持ちはわからなくもないけどさ、ちょっと異常なレベルだよアレ」


 小さめの声で、視線を熱海に向けながら蓮が言う。人のことをとやかく言えないけど、俺もそう思う。


「あいつの熱が冷めるのを待つしかないかなぁ」


「冷めると思う?」


「冷めてほしい」


 願望である。冷めなかった時のことなど考えたくもない。

 頭を抱えようと右手を動かそうとして、ギプスの存在を思い出した。頭も満足に抱えられないなんて不便極まりない。蒸れてかゆいし。


「あとな、あいつは『誰が助けたか』にこだわってるんじゃないと思うぞ。たぶん、助けたやつに何も報酬がないのが許せないっぽい」


 あとは、助けた奴と助けられた奴の関係性を重視している感じか。

 やはりあいつ自身、昔誰かに助けられたことがあるのだろう。あいつの言う運命の人とやらは、たぶんその人のことじゃないかと思う。

 それが正しかったとしても、違ったとしても、俺のスタンスが変わることはないけど。


 黒川さんはクラスメイトと話してケラケラと笑い、そんな彼女を見て熱海もクスクスと笑っている。本当に俺に突っかかってさえこなければ、目の保養になるレベルで可愛いペアなんだけどな。

 俺の言葉に「なるほどね」と相槌を打った蓮は、続けて「もったいないなぁ」と呟いた。


「んー? 何が?」


「いやほら、僕は優介が言いたくない理由を知っているし、無理強いをするつもりはないんだよ? だけどさ、黒川さんって、優介が前に話していた『好みの女性』ど真ん中だよね? 可能性を逃すのはもったいない気もするなぁと」


 ダブルデートとか楽しそうだしね――と、蓮は『はよ彼女を作れ』という意味の籠っていそうな言葉を投げかけてきた。そんなつもりはないのかもしれないが。


 黒川さんの見た目も性格も、俺の好みだとは思う。

 アニメについて話しても嫌がられそうになく、気づかいもしてくれて性格も明るい。黒髪のミディアムヘアで、目はパッチリと大きいがそれでいて穏やか。そして胸が大きい。


 蓮から『どんな人が好きなのか参考までに』と聞かれた時にそんな感じで答えたのをぼんやりと覚えている。言われてみれば、黒川さんとバッチリ合っている気もするな。


「んー……いざ目の前に現れても、好きとかよくわかんねぇわ。もしかして俺って、ちょっとおかしい?」


 愛だの恋だの話す同級生が、俺には少し遠く感じる。

 年相応に、女子の身体やエロいことに興味がないわけじゃないけど、相手のことが好きかと問われたらよくわからないのだ。独占欲なんかも、感じたことはないし。


「別におかしくないよ。ただ、せっかくの高校生だし――なにかきっかけがあって優介も恋愛を知ったら、学校がもっと楽しくなるんじゃないかなって」


「俺は恋愛をしに学校に通ってるわけじゃねぇ。というか、彼女持ちのイケメンに言われると、モヤモヤするな」


 恋愛ってそんなほいほい上手くいくもんじゃないだろうに。まぁ、上からなのは『みたい』じゃなくて事実だから、怒っても仕方ないか。


「ははっ、怒らないでよ。僕が言っているのは『恋愛』だよ。別に彼女を作らなくてもいいじゃない。片思いだって楽しい青春だよ」


「そんなもんかねぇ」


 片思いなんて、辛いだけだろうに。

 運命の人とやらに片思いをしている熱海が、辛い思いをしているのかは、知らないけど。



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