第32話 他力と自力
(確かこの世界の者たちは、魔獣を倒したときに手に入る経験値の実をたべると強くなるんじゃったな)
アンドレーは、そんなことを考えながら、目の前の眠れる巨大魔獣の正面に移動した。
正面にくると、相手の正体がわかった。
ドラゴンだ。
真っ黒の巨大なドラゴンが、水中から頭をだした恰好で眠っている。
魔獣の頭の直径は、学校の運動場の400メートルトラックほどもあった。
ぐるりと一周するのに、足の速い若者でも一分ちかくかかりそうなほど巨大な頭。
そんなやつが、スヤスヤと眠っている。
寝息をかいている。
その寝息が、暴風を巻き起こしていた。
眠る龍が、息を吐くたびに、物凄い風が巻き起こり、吹き飛ばされそうになる。
通路を吹き抜けていた風の正体はこれであった。
龍の寝息が暴風になり、通路に吹き込んで冒険者たちの進行を阻んでいたのだ。
さらに、龍の口元から、ドクドクとヨダレがこぼれていた。
空間を満たす液体の正体は、ドラゴンのヨダレだ。
そのヨダレが空間にあふれ、やがて通路に流れ込んで床をヌルヌルさせていたのだ。
アンドレーたちは、何度も通路に吹き戻されそうになったが、なんとかこらえた。
「アンドレーさん。
これはそっとしておいた方がいいのでは?
下手に起こすと、とんでもないことになりそうな気がするんです」
アンドレーはエディタの忠告を無視して叫んだ。
「バーニングブレイク!」
火炎魔法の上級スキル発動。
魔獣に向けてかざした手のひらが黄色く光った。
次の瞬間、核爆弾投下の光景が眼前に広がった。
巨大な炎がバルーンみたいに膨らみ、眠っているドラゴンを包み込んだ。
ドラゴンの肉と骨は、あっというまに蒸発していった。
空間を満たしていたヨダレも、沸騰する間もなく蒸発していった。
気が付けば、そのドームみたいな空間はすっからかんの伽藍堂になっていた。
地面に、経験値の実が転がっていた。
アンドレーはそれを拾い上げ、エディタに渡した。
「喰うのじゃ」
瞬殺されたが、かなり強そうな魔獣だった。
この実をたべれば、エディタの強さが跳ね上がることは間違いなさそうであった。
「でも、倒したのはアンドレーさんです。
わたしが食べるわけには……」
「我は不食なり。食べ物はいらぬ。
ゆえに、我はその実を必要としていない。
その実を必要としているのはおぬしとおぬしの村の者じゃ。
喰って強くなって自力で苦難を払いのけよ」
アンドレーはそうとだけ言って、出口に向かって歩きだした。
エディタは、他人の手柄で強くなるのはモラルに反すると躊躇った。
そのような行為は、この世界ではひどく避難され、名誉が傷つく。
しかし、この実をたべて強くなれば、アンドレーが言ったとおりに、理不尽にな現実を打ち壊す力が得られるかもしれない。
モラルが現実か……エディタは葛藤した。
アンドレーが、振り返った。
エディタの葛藤を見抜いたのか、こんなことを言った。
「モラルは銀のようなもの。
命は金のようなもの。
金を売って銀を買うものは愚か者じゃ」
エディタがアンドレーにたずねた。
「わたし、法律をおかして、体を売るようなことをしました。
女として最低です……」
「おぬしが気にしている法とモラルが正常な状態にあって、命を削ってでも守る価値があるというのなら、どうしておぬしがその歳で体を売らねばならなくなるのじゃ?
どうしておぬしが売春の罪で裁かれねばならぬのじゃ?
法やモラルは、そんな悲しい女を生み出さないためにあるのではないのか?」
アンドレーがエディタのそばまで戻ってきて言った。
「法もモラルも動物の死骸と同じじゃ。
放置すれば腐敗する。
だから、腐らぬように手入れをせねばならぬ。
その実をさっさと喰え。
そして、死体に沸いた蛆虫を処分しにいくぞ」
アンドレーがまた出口に向かって歩きだした。
エディタは、アンドレーの言葉をうまく理解はできなかったが、不思議と、罪悪感が解けていくような気がした。
(わたしは、法やモラルを重んじて生きてきた。
だけど、国はアクスバードの乱獲を放置し、わたしたちを見捨てた。
生きるためには、法やモラル以上のことも考えなきゃいけないんじゃないか)
そういう風に思えるようになった。
法やらモラルやら国家やら……そんなんじゃない。
そんなんに甘えてちゃいけない。
自分の身を守る力を持つことを、おそれてはいけないんだ。
エディタは、意を決して、経験値の実をほおばった。
ぶどうみたいに美味しかった。
甘さと酸味が五臓六腑に染み渡った。
彼女は、アンドレーの背中を追って走り出した。
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