第5話 アンドレーは牢屋の中にはいない

 床の上で、息子は鼻を押さえてのたうちまわった。


「父さん、鼻が……鼻が……」


 彼の手は血まみれであった。歯が数本こぼれて落ちていた。


 アンドレーは、何事もなかったかのように平然としている。


「貴様ッ! 今に見てろ!」


 町長は、すぐに警察を呼んだ。


 アンドレーは駆けつけた警官に手錠をかけられ、連行され、牢屋に入れられた。

 

 翌々日。


 主を失ったアンドレー宅に、手紙が舞い込んだ。


 スザンネ宛だった。送り主は町長の息子だ。


 スザンネは恐る恐る手紙を開いて、読んだ。


 内容は、父の力を使えば、アンドレーを重罪に仕立てあげることもできる。


 彼を取り戻したければ、今夜、俺のうちまで来い、というものだった。


 スザンネは、同室のお姉さんたちに相談した。


 遊び慣れしたグラマラスなお姉さんキャサリンが、スザンネをハグしながら言った。


「行ってらっしゃい。きっと、スカッとするわよ。ウフン」


 スザンネは、キャサリンの言葉に勇気をもらって、隣町に向かった。


 夜になり、真っ暗になったころ。


 スザンネは、彼の家をたずねた。


 玄関に出てきた彼は、顔を包帯でぐるぐる巻きにしていた。


 アンドレーの拳は、相当の威力があったと見える。


 彼女は、リビングに通された。その部屋には、たくさんの彼のお友達がいた。


 豪勢な作りの部屋だが、いろんなものが散らかっていて、だらしのない見た目になっていた。


 テーブルの上に、薬草が散らばっていた。


 スザンネはそれを見て、ギョッとした。


 その薬草が、傷を癒してくれる体にいい種類のものではないことを知っていたから。


 お友達のひとりが、すりこぎで草をすりつぶしている。


 そのとなりにいる男が、潰した薬草のエキスを綿に染みこませている。


 となりの男がその綿を手のひらに乗せて、火の魔法を使って燻している。


 燻された綿から、紫がかった煙が薄くのぼり、それを、男は吸引した。 


「おぉぉぉぉぉぉぉ!」


 上ずった変な声を上げた。


 スザンネは、そんな光景を青い顔で眺めていた。


 すると、とつぜん背後から誰かに抱きすくめられた。


 息子だ。


 包帯だらけの顔でケラケラ笑いながら、彼女をソファに押し倒した。


「アンドレーはいま牢屋の中だ。やつを助けたいか?」


 スザンネは、涙ぐみながら頷いた。


 息子は、スザンネの若い肌を愛撫しながら言った。


「条件がある」


「なんですか?」


 肌を走りまわる包帯の感触が気持ち悪かった。


「俺の花になれ。俺のハーレムに加わって、一生を俺に捧げろ」 


 スザンネは、すぐにハイとは言えなかった。言えるわけがなかった。


「別に断ってもいいんだぜ。ただし、」


 そこまで言うと、彼は急に口を閉ざした。


 彼は、首筋に冷たくて固いものが触れているのを感じて、背筋を凍らせていた。


 部屋にいたお友達連中も、みな絶句していた。


 低い男の声が聞こえた。


「貴様は二つ間違っている。


 ひとつ、アンドレーはいま牢屋の中にはいない。


 ふたつ、スザンネはアンドレーの女だ。だから、貴様の花にはならない」


 息子は、声を聞いただけで、誰がしゃべているのかがわかった。


 そして、首筋に触れているものがなんなのかも悟った。


 彼の背後には牢屋にいるはずのアンドレーがいて、剣を息子の首に押し付けていた。


「なんで、お前がここに……」 


 彼は脇のしたに夥しい量の汗をかいていた。

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