第19話「逃亡」
──港町ミリバル。町の門前での予定外の
……
出港は夜遅くなので時間的に余裕はあったが、このまま港に直行する。
先頭を行く幌馬車。現在、御者台で手綱を握っているのはトマスという男だった。同乗者は一人。男は幌馬車の中で先頭の方に座し、柔らかい荷物に背中を預けながら静かに
もしかしたら、眠っているだけかもしれないが……
*
ミリバルの港には岸壁から海に突き出すように
土砂や
大桟橋は入口から緩い傾斜の上り坂になっており、横幅は二台の馬車が悠々と擦れ違えるくらいの余裕がある。道半ばを過ぎるまで坂道となっているが、これも荷役の負担にならないように配慮した結果だった。
……その大桟橋の終端付近に、二隻の沿岸交易船が停泊している。
──沿岸交易船は外洋を越え、大陸間を股にかけるような船ではない。
中央大陸の沿岸を定期的に往復する貨物船である。
そのうちの一隻がラクレア商会が保有する商船だった。
三台の馬車が縦列隊形で商船の近くまできて停車すると、早速、水夫らが出迎えて搬入作業を開始する。
トマスらは積み込む商品や雑貨等、取り扱い上の注意を口頭で説明しただけだ。
あとは基本、見ているだけ。これが最終作業である。
全員が馬車から降りて、大桟橋から水夫の作業を見守ったりしていた。
トマスと運び屋の男、少し離れた場所で借金のカタに悪事の片棒を担がされている三人の男たちが、それぞれ別れて固まっている。
……向こうはこれからどうするかで、にわかに盛り上がっていた。
少し早いが、酒盛りをするつもりでいるようだ。彼らはこの後、この船に乗船し、さらに外洋の交易船に海上で乗り換えるのだが、そこで水夫として働かされる訳ではない。あくまで客員として乗船するのだ。
だからあのように呑気に、或いは無邪気にはしゃいでいられる。
「……いい気なものだ」
それを遠巻きに眺めながら、トマスは冷ややかに呟いた。
「いいじゃねぇか、仕事終わりの一杯なんだ……ちょっとくらい羽目を外してもよ。流石に泥酔するまでは飲まんだろうし」
「しかし、乗り移りは夜の海上だ。月の光があるとはいえ、
──海上での乗り移りは通常なら小舟を介して
大陸沿岸なら波もまだ穏やかだろうが、それでも万が一がないわけではない。
「そうだけどよ……あいつらでも一応、命綱くらいは付けてくれるだろう? それにもしかすれば、魔術師だって同乗してるかもしれんし」
……行程が予定通り進んでいれば、南の大陸からやってくる交易船はまず14日の夜に中央大陸クバール沿岸で待機することになっている。
夜明けまで漂流するように待機したらクバール沿岸から移動し、15日深夜までにスフリンクのスワロー島周辺に移動し、朝まで島影で過ごす。
16日は予備日であり、上手く事が運んでいたなら補給なしに南の大陸へと針路をとるが、そうでなければ王都スフリンクの港に停泊して様子を見る手筈だ。
「……まぁ、我々が乗り込むわけじゃありませんしね」
港からの出港は夜間の習熟訓練という名目になっていた。
これからの夜間訓練に従事する人員は教官役も含めて平時の水夫ではなく、完全に入れ替わっているという建前である。
もしもの場合に備え、その辺りも抜かりはない。
また、訓練の日程は一日で終わりではなく、今日と明日の二日を予定していた。
「……しかし、カリカリしてるねぇ。お前さんは」
「ささくれ立つ気持ちも分かるでしょう? これからを考えると頭が痛いんです」
「別に逃げればいいじゃねぇか。俺みたいによ」
「それはそうなんですがね……」
トマスはため息を吐いた。
「……良心でも痛むかい?」
「まさか。自分が利己的な人間なのは分かってますよ。逃げるにしたって逃げ切れる自信がないだけです」
トマスはその──もしもがあれば、自分たちの代わりに生贄になるであろう三人を見つめていた。運び屋の男もその視線に釣られて三人の男たちを
*
……ややあって。
沿岸交易船への搬入作業も
後はほぼ
──ただし。
トマスらを除いた他の三人はあの交易船に乗り込んで帰国することになっている。
出港は夜遅いというので、それまで飲み歩こうと話は盛り上がっていた訳である。
トマスも中央大陸での仕事が終われば南の大陸に戻らねばならなかったが、流石にこの機会にと彼らと一緒にあの船に同乗するつもりはない。
まずは港町ミリバルから早急に脱出してクバール国内からギアリング国を横断し、しかる後にスフリンク国の王都から出る船に乗って戻るつもりでいた。問題は──
「ひとつ、助言をしてもらってもいいですか?」
──これは港からの帰り、この町の支部に向かうまでの馬車での会話だ。
御者台にはトマスが、その背後には運び屋の男が座っている。
「……なんだい?」
「自分は今日、解散してからすぐにこの町から離れるつもりでいます。パスカールに取って返すつもりですが、少々決めかねてまして。野宿も視野にいれて馬車ごと戻るか、それとも乗馬で戻るのがいいか……貴方なら、どちらを選びますか?」
……すると、男は困ったような笑みを浮かべながら、
「しくじって逆恨みされるのはこわいからな。悪いが、答えられねぇな」
「でしたら──」
トマスは質問を変える。
「少し前の話です。いつかの夜に天国か地獄か決めかねてるとこぼしましたよね?」
「……ああ」
「あの時、選んだのはどちらの道で、どういう根拠で選んだのですか?」
「天国、地獄なんてのは単なる
男は続ける。
「もしも、相手が有能ならここまで捕まえないのは何故か? それは悪運じゃない、俺たちにはまだ利用価値があるからだ。最初から俺たちなんて眼中にない、いつでもどうにでも出来る自信があったんだろう……だから、逆手に取ってやったのさ。あの時点で懐に飛び込まれれば、有能な人間なら馬鹿を演じるしかないからな」
「そして、真の馬鹿でも気付かずに素通り出来る──ということですか」
「まあな。博打で例えるなら、"
「ありがとうございます。参考になりました」
「うん……? そうか?」
トマスが意外なほどあっさりと得心した様子だったので、男は思わず
──しかし、トマスはその時、確かに納得していたのだ。
男の話を聞いて、現在自分の置かれている状況がどれほどまずいかを自覚した。
この期に及んで相手が手心を加えることはない。最早、自分たちは用済みなのだ。
ならばこそ、一刻も早くこの町から立ち去らねばならなかった。
(でなければ、己の身は守れない)
支部で解散後、彼は仕事をでっち上げてでもすぐに町から飛び出すつもりだ。
そして、その通りに実行するのである。
日が落ちた頃には、二人の姿はこの町から消えていた──
*****
<続く>
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