第3話

 お婆さんの咳の数はどんどん多くなって、たまに食事を喉に詰まらせる様な音が下から聞こえて来たりした。


「いいよ。医者なんて呼んでもおんなじだし」


 随分前から悪かったそうだ。


 僕は散歩の道を変え、近所の診療所の前まで行って帰ってくる事が多くなった。

 多分、お婆さんを助けられる薬も機械もなさそうな小さな頼りない建物と、僕の方が体調が良さそうな白衣を着たお年寄りが表を箒で掃いていた。

 どうせ、ここに呼びにくるような勇気も無いくせに、僕にできるのはそれだけだった。

 お婆さんをバスに乗せて、大きな病院に連れて行く様な力もお金も勇気も無い。

 それどころか、夜中にネットをしながら『お婆さんが死んだら、僕はどうなるんだろう?』と不安に押し潰されそうで、自分のことだけで精一杯だった。


 お婆さんは布団で寝込む事が多くなった。

 それでも僕の分の食事だけは一日に一回起きて作ってくれた。

 僕はせめてもの看病とばかりに、お婆さんが寝ている隣の居間で食事を食べる事にした。


「美味いかい?」


 隣の仏壇のある部屋から、お婆さんがたまに聞いてくる。


「……はい」


 嫌いな食べ物でも我慢して食べないといけないと、僕は初めて自分に言い聞かせた。

 それだけの事が、こんなにも辛いなんて知らなかった。

 何もかもを馬鹿にして生きていたクセに、嫌いな食べ物を我慢して食べることくらいに死に物狂いの自分が、情けなくて仕方がなかった。


 同い年くらいの人は、もうそれを自分の子供とかに教えているのに、本当、今までの人生で僕は何をしていたんだろう?


「美味しくないかい?」


 泣きそうになっていると、後ろからお婆さんの声がして、僕はハッとした。振り返るとお婆さんが肘を立てて少し起き上がっていた。


「あんまり箸が進んで無いよ」

「いえ……すいません」


 急いで食べようとするけど、すぐに口の中で食べ物が渋滞を起こすため、どうしても箸が遅くなってしまう。


「いいよ、無理して食べなくても。そこに置いときなさい」

「え?」


 僕は食べかけのお婆さんが作った料理を見た。まだ、半分以上が残っていた。


「無理して食べてるのを見たくないんだよ」


 僕はそう言われ、体が軽くなり、お言葉に甘えてしまった。


 部屋に戻って、何もせず、壁にもたれ蹲っていると下から食器が重なる音が何度も聞こえて来た。


 『僕が死ねばいいのに』と思った。









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