第3話 センチメンタル・ヒロイン
その日は、記録的な猛暑だったことを、後から知りました。
風のないグラウンドで、準備体操をしていました。私は、ポニーテールにした羽村さんのうなじを見たり、見ないようにしたりしながら、不真面目に体操していました。
こんなに暑いのに、今日は1400m走のタイム計測です。担当の熱村先生(本当は松村、だけれど熱血だから皆そう、呼んでいます。)がホイッスルを吹いて、集合をかけます。
「アツムラー、明日にしてよー。」「そうだそうだー。」
私も同感でした。怖くて言えないけれど。
「いいか、俺はお前たちの健全な身体づくりのためにな…。」
「せんせー、それセクハラっすよ。」と誰かが突っ込んで、だらけた笑い。
だらだらと滴る汗。
「それじゃ計測始めるから、出席番号順に整列しろよー。」と熱村先生。
私と羽村さんは後ろの方だから、前の方の皆の走りを見ていました。
もっと見たいものがあったことは内緒です。
「じゃあ次ー。羽村と冬井と…吉田まで。」
あっと言う間に私の番がやってきてしまいました。運動は、得意ではない方なのです。羽村さんにカッコ悪い所、見せないようにがんばろう。
「位置について、よーい、」ピッというホイッスルの音で、走り出しました。
「あと半分だぞー、休むなよー。」と檄を飛ばす先生。
そこで、急にクラッときて、倒れてしまいました。
「起きた?」と声がします。
あれ、グラウンドで走っていて、えっと私、、と戸惑いながら、目を開けると、目の前には羽村さんがいました。
「えっ、なんでうい、じゃない羽村さんが!?」私がいたのは、保健室のベッドでした。羽村さんは、横にあるパイプ椅子に腰かけていました。
「よかったー。やっと起きたよ、もー心配したよ。」と小さくため息をつきます。
心配、心配してくれたんだ。私のこと。
「ごめんなさい、羽村さん、走ってた途中だったでしょ。」と申し訳なく思って尋ねると、「いや、私はもう走り終わってたよ。」と平気な顔で応える羽村さん。
え?いや、え?私がとてつもなく遅いってこと!?
「それじゃあ、授業戻るね。」そういうと羽村さんは、颯爽とベッドを後にして、保健室を出て行くのでした。
「待って」と言える可愛い女の子には、まだなれそうにもなくて、真っ白な世界で一人、ベッドから見える天井の変な模様を眺めていました。
羽村さん、あんなに近くで見たの、初めて。いつも後ろから眺めてるけれど、それってただの羽村さんファン、みたいなことじゃないですか、でも違いました。しっかり私の目を見て、私だけの為に言葉をつくってくれて、話してくれたんです。
あれ、なんか私もしかして、いやもしかしなくても。
すごく気持ち悪いこと思ってるかも。
しばらくして、担任の先生が入ってきました。
「アツムラ…じゃねえ松村先生から聞いたぞ。冬井が急に倒れたって。大丈夫か。」
「はい、大丈夫です…。」
「それならよかった。あと松村先生から伝言。冬井と羽村は後日、タイム測り直し。」
「はい…、え。羽村さんも?」
先生は頭をぽりぽり、と掻いて、「はあ、俺にもよく分からん。」と呟いて、保健室を出て行きました。
はてなマークで一杯の頭のまま、更衣室に向かいます。
同じクラスの子達はもうすでに着替え終わっていて、がらんとした更衣室で一人、ブラウスのボタンを止めていると、
「羽村ちゃん、冬井さん大丈夫だった!?」「うん、多分大丈夫。起きたし。」
羽村さんと、クラスの子の声が、廊下から響いて聞こえました。
「それにしても、タイムはどうでも良かったの?あんな速かったのに。」
やっぱりそうでした。羽村さんは自分が走るのをやめてまで、私を助けてくれたのでした。暑いからか、目からも汗が流れてきます。
「だってさー。タイムは一秒遅くてもいいけどね、冬井さんは一秒遅かったら大変だったかもしれないんだよ。」
私は、羽村さんのまっすぐさに心を打たれました。迷惑とか、再計測とか、そんなつまらないことは考えずに、正しいと思ったらまっすぐ突き進む。
格好いい。
着替え終えて、教室に戻ると、
「冬井ちゃん大丈夫?」と駆け寄って来てくれるクラスメイト。
その奥に、羽村さん。椅子に腰かけて、レモンティーを飲んでいます。
「大丈夫だよ。羽村さんが…」と言いながら羽村さんの方を見やると、にこっ、と優しく微笑みました。
「いやー、でも生まれて初めてお姫様抱っこ、見たかもしんない。」
「ウチもー。」「お父さんにならあるかもー。」「いやそれノーカンっしょ。」
おひめさま、だっこ?
お姫様抱っこってあの、あれだよね、え?
「冬井さーん。お姫様抱っこされた感想はー??」囃し立てる子。
「え。なんのこと…。」
「あちゃー、覚えてないかー。スタジオにお返ししまーす。」
「はいー、こちらには羽村ういねさんに来てもらってまーす。」
羽村さんは笑顔で、「はいどうも~、羽村ういねでございます~。」とふざけています。
「今回のお姫様抱っこの感想は、ズバリ!」と女の子がエアーマイクを羽村さんに向けました。
「とっさのことだから気付かなかったけど…。」と少し考えます。
「冬井さん、軽かったです。」
わーーっ、とホームランが入った球場のように盛り上がる教室。
「次は私もー。」「あんた重いから羽村ちゃん骨折しちゃうって。」ははは。
今の私は、きっとヒロインです。今この瞬間は、青春の主役です。
羽村さんと、顔を見合わせて笑いました。
チャイムが鳴りました。
先生が入って来て、クラスの盛り上がりにすぐ気づいて、
「盛り上がってるなあ。先生にも教えろよー。」と言うと、
「教えませーん。女の子だけの秘密でーす。」
「先生早く授業はじめてくださーい。」と言われると、先生は、はいはい。と呆れながら教科書を開いて授業を始めます。
羽村さんは、先生にバレないようにこっそり後ろを向いて、今度は少しイジワルそうに笑いました。私も、多分、うまく笑えていたような気がします。
つづきます
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