第2話 触れたい背中
ガラッと開いた教室の扉といっしょに、温かな春の風が吹き込んできました。
その女の子は左手で髪をおさえながら、教壇へと歩を進めました。
「羽村ういねです。」そう言って、にっこりと微笑みました。私は、その笑顔を見て、レストランに飾ってある天使の絵を思い出しました。
栗色の髪の毛はサラサラで、すらっと伸びた背筋。黒くて綺麗なまつ毛と、チョコレート色のカラーコンタクト。すべてがバランスを取り合っているジェンガみたいに、その子、ういねちゃんは美しく、儚く見えました。
「羽村は、は、だから冬井の前の席なー。」
嬉しかった、嬉しかったけれど、私の名字が波多野とか氷川とか、そうだったら隣になれたのかな、なんて欲張りなことも考えました。
朝のホームルームが終わると、ういねちゃ、いいえ、羽村さんの周りには人だかりができていました。
「どこから転校してきたのー。」
羽村さんは、にっこりとして、「香川の学校だよー、」と応えます。
「香川っていったらうどんじゃん!いいなあ~。私うどん好きなんだよね。」
「そうそう、うどんばっかりだよ。でも私はそばの方が好きかな。」と、少し曇った顔をする羽村さん。
「だって、いえのそばにあるのはそばや!なんつって。」
わっ、と周りの女子達が噴き出して笑いました。羽村さんは、転校初日のクラスで、皆がおそるおそる、地雷原を歩くようにゆっくり歩いている所に、ヘリコプターで皆をさらっていったのです。安全圏に、勇気を出して連れて行ったのです。
その運転手の羽村さんを、私はただ、後ろから見ていました。つやつやのセミロングの後ろ髪を引っ張って、「あの!」なんて言えたら、私もヒロインになれるのかな。なんて思いながら、気にしていないふりでまたページをめくります。
わざと消しゴムを落としてみようかな。教科書を落としてみようかな。そんなことをうだうだ考えているうちに授業は終わって。
羽村さんは真面目そうに、必死にノートを取っていました。
少しくらい、後ろを向いてくれたっていいのにな。
「寄り道しないで帰れよー。」「先生もなー。」「うるせーぞー。」
お決まりのやり取り。担任の先生は国語の先生で、三十一歳。短髪がさわやかで、いつも疲れた顔をしています。すごく痩せていて、「カロリーメイトしか食べないらしいよ。」だとか、「先生の中で一番生徒に手を出しそう。」だとか、いわゆるいじられキャラで、なんだかんだ好感度は高い、はず。きっと。
バッグに教科書とノートを全部つめて、椅子を立って帰ろうとしていると、教室の出口の方で、「羽村さーん、いっしょにかえろー。」「いや私とでしょ!」と争奪戦が行われています。いいなあ。こうやって一歩踏み出せないから、私はいつも本の向こう、主人公にはきっとなれないんだ。
「ごめん、今日はちょっと、予定あるんだよね…。」と羽村さん。
なんだか少し、悪いかもしれないけれど、嬉しくて。取られる?と言うと違うけれど。不思議だった。
「えー、なんでー。もしかして彼氏?彼氏でしょー。」
後ろで聞こえるその声を、聞かないようにして、急いで廊下を出て、階段を下って下駄箱に向かいました。
私は、寄り道をしちゃう悪い子です。
学校から少し離れたファミレスで、一人でドリンクバーを頼んで、『黄昏チョコミント』を読むのが好きなんです。
ドリンクバーの前で、いつも考えます。青春の味は、レモンスカッシュかな。それとも、メロンソーダかな。
目が疲れてきて、ちょっと奥の方を眺めると、キッチンの方で誰かが会話していました。カーテンの閉め忘れかな、と思いつつ、のぞいて見たいとも思ったのでみると、四十歳くらいのおじさんと、同い年くらいの女の子が座って話していました。
二人を挟む机の上には、なにやら紙が置かれています。
「それじゃ、合否は追って連絡するから。」と、おじさんの声。
「ありがとうございました。」と頭を下げる女の子。栗色の髪の、背筋の通ったお辞儀、そして、そして。
こちらに歩いてくるその女の子に気付かれないように、本に顔をうずめました。
そうか、彼氏なんかじゃなくて今日は…。
横を通る彼女のホワイトムスクの香りが、メロンソーダの泡に溶けていく。
これで、いいんだよね。私、ヒロインなんかになれるワケないし。
つづきます
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