第4話 バベルの塔

 夜の歓楽街は賑わっていた。北部ブロックに位置する新東京シティ最大の歓楽街である美麗町は男も女も浮かれ騒いでいる。影宮はその中を歩いていた。客引きからの声掛けを無視して歩き続ける。

 『飲み放題*000円ポッキリ』の描かれた大型パネルの裏で言い争うヒモと娼婦。ヒモが殴る為に振り上げた腕が掴まれる。後を向いて掴んだ相手を睨みつける。相手が影宮だと分かり途端に卑屈な表情になり、頭を下げた。それも無視して、立ち去る影宮。

 美麗町の大通りの端の方まで来た時に声を掛けられた。

「見回りご苦労様です。」掛けてきたのはホストのような顔立ちの紺のスーツを着た男だった。

「あんたは確か…来須だったか。」

 光進町の顔役をしている男だった。

「覚えていて頂けましたか。」

 来須は白い歯を見せて朗らかに笑い、それから大通りを見回した。

「この通りを歩けば新東京シティで羽振りが良いのがどういう連中か、それに群がるその筋の連中の生態が良くわかります。」

「ただの夜の散歩さ。まあ、景気は良さそうだがな。」

 この通りの景気は宇宙とのパイプを独占している一握りの企業の連中とそのオコボレを預かっている連中とで形成されている。

「この街は今が絶頂かもしれません。いずれは地球そのものが取り残されていくでしょうから。」

「そんな難しいことを言っている場合か。お前さんの所も稼ぎ時だろう。」

 光進町には景気の良さから落ちこぼれた連中が形成している一種のコミュニティがあり、来須はそこを取り仕切っていた。

「もう引退しました。」あっさりと言う来須。

「!?…どういうつもりだ。」怪訝そうな影宮。

 あそこのコミュニティがホームレスの溜まり場になっていないのは来須の手腕によるものだ。

「まあ、一身上の都合によるものですよ。」笑って頭を下げる来須。

 そのまま影宮の前から立ち去った来須。その名前が殺人の容疑者として浮上したのは一週間後だった。


 被害者は宮村という会社員で、南部ブロックの高級住宅街に住んでいた。

「はい。主人と来須さんは学生時代からの友人でした。」

 応接室のソファに影宮と東が座っている。対面にいる宮村夫人が、答えていた。

「来須さんがお勤めになっていた所をお辞めになってからも、年に1、2度位は会っていたようです。」

「ご主人は彼の現在の状況をご存じの上でお付き合いをされていたんでしょうか。」東

の質問。

「はい。来須さんがお世話をしている方達のお仕事を紹介したりと…ですから、本当に来須さんがやったとは信じられません。」夫人はハンカチで目を押さえる。

「…」影宮と東は目を合わせた。

 事件の発生は深夜の北部ブロック。目撃者の証言では、銃声が起こった後、現場には倒れている宮村とその傍に来須が立っていた。来須は慌てるでもなく、目撃者の方に顔を向け、それからゆっくりとその場を立ち去ったという。

「それはまだ捜査中です。ご協力ありがとうございます。」東が言った。

 影宮と東は立ち上がった。終始無言だった影宮はソファの横の棚に視線を向ける。棚の写真立てには理知的な顔立ちの男と、笑顔の夫人と、彼女に抱きかかえられている赤ん坊の姿があった。

 影宮と東が次に向かったのは西部ブロックのオフィス街だった。宮村の勤務していたスターゲート社は資材の輸出を扱っている会社だった。そこの応接室で、2人の対応をしたのは上司のチャールズ部長という40代前半の白人男性だった。

「本当に残念でなりません。」チャールズは流暢な日本語で言った。

 チャールズの額は少し後退していたが、精悍な顔立ちで体にも贅肉は皆無、普段であれば頼れるリーダーとして自信に満ちた雰囲気を持っていることを伺わせた。ただ、今は憔悴しきった表情をしていた。

「心中お察しします。宮村さんはこの会社に長いのですね。」東が言った。

「はい。この会社が設立されて10年近くになりますが、現地採用としては最も古くからのメンバーです。」

「勤務態度はどうでした。彼は恨まれるようなことはありませんでしたか。」

「いや、むしろ逆です。私のような宇宙から降りてきた者と現地採用のメンバーでは軋轢が生じるケースが多々あります。そんな中で宮村は積極的に橋渡し役になってくれていました。大変だったとは思いますが社内は円満になりました。社内で彼を恨む人間は思い当りません。」

「差し支えない範囲で結構ですので、彼の勤務内容をお聞かせ頂けませんでしょうか。」この質問は影宮が言った。

「はぁ…一体何故?」チャールズ部長は怪訝そうに聞いた。

「容疑者は宮村さんの古い友人です。もしかすると会社の機密を聞き出そうとして、拒まれた末に殺害に至ったということも考えられます。」

「ウチの会社は軌道エレベーターやその上の宇宙ステーションの設備にも資材を供給しています。彼には資材の管理を一任していましたが…」

「横流しをしようと思えば出来る立場だったのですね。」影宮が念を押すように言った。

「そんな…彼はそんなことをする男ではありませんよ。」

「だから、ああいう結果になったのかもしれません。」影宮は言った。

 うなだれるチャールズ部長。東は影宮の肩を叩いた。ソファから立ち上がる2人。


「お前は来須という男が、横流しの協力を拒否した為に殺害したと、考えている訳か?お前も面識はあるだろうが、来須という男はそういう男とは思えない。」

「そう思えない人間が、犯行を起こすのではないですか。」

 駅のホームの椅子に影宮と東の2人は座っていた。

「ああ、だから、おれは嫉妬が原因じゃないかと思う。幾ら表面上は良好に見えても、ドロップアウトした身では、嫉妬が積もり積もってということは十分に考えられる。」

「俺もそちらの線だと思う。」2人の座っている反対側の椅子に座った男が言った。

 男は故買屋を営むヤスだった。視線は反対側のホームを向いたままだった。影宮と東も振り向かない。

「全くこれで最後とか言って何回協力させるんだよ。」ヤスが小声で愚痴る。

「まあ、そういうなよ。ちょっと知っている事を聞かせて欲しいだけなんだからさ。」東がとりなす。

「全くサツと関わるとロクな事はない…とにかくあのスターゲートとかいう会社から闇ルートに流通なんていう話は聞いたことが無い。」

「会社ぐるみということはなくても社員個人でもか。」東が言った。

「それもない。正規の数倍のルートで小遣い稼ぎをしようという奴もいないようだ。」

「優良企業という訳か。」影宮が言った。

「まあ、それ位で目くじらを立てていたら、西部フロックの企業はほぼブラック認定だろう。…まあ、サツの旦那の前で言うべきじゃないかもしれないが事実なんだから仕方ない。」

「ああ、ご苦労さん。協力してもらうのはこれで最後だ…少なくても今は。」言って、影宮は立ち上がった。

 ヤスは影宮の方をちらりと振り返り溜息をついた。

「行くのか。」と東が聞いた。

「ええ、あいつの古巣を訊ねてみます。」

 光進町の新しいリーダーは下田という銀縁の眼鏡を掛けたインテリ風の男だった。案内されたのは以前来須に聞き込みをした雑居ビルの屋上だった。

「交代の話があったのは何時だ。」

「丁度一週間前になります。」

 その日の夜に美麗町で影宮に会った事になる。

「前々からその話しがあったのか。」

「話自体は急でした。ただ、自分がいなくなっても良いようにと日頃から指導を受けておりました。」

「ここ最近で何か変わった様子は無かったか。」

「ありません。あってもそれを見せる方ではありません。」

「行き先に心当たりは。」

「ありません。」

 下田のそっけない答えを聞きながら、影宮は通りの様子を見ていた。正規の仕事にあぶれた者たちが、いくばくかの芸を見せて金銭を得ている。

「あの人はもうこことは何の関係もありません。」

 影宮は下田に視線を向けた。その視線に居たたまれなくなった下田は眼鏡のズレを直す仕草で影宮の視線を避けた。

「来る者は拒まず、去る者は追わず。あの人の作ったルールです。」

「そうか。邪魔したな。」言って影宮は階段へ向かう。

「影宮刑事、あの人は本当に…」

「無関係な男の事だろう。」影宮は振り返りもせずにそう言って、階段を降りて行った。

 残された下田は立ち尽くしたまま唇を噛みしめる。


 その日の夜、来須は東部ブロックの大倉町にいた。大倉町は倉庫街で、軌道エレベーターを行き来する物資の置き場所になっている。紺のスーツを着て佇むその姿は取引相手を俟つビジネスマンそのものだった。

 その取引相手はワゴン車でやってきた。5人の屈強な男たちが降りてくる。来須を取り囲む。

「お前が、来須か。」リーダー格の男が言った。

「はい。あなた方が交渉役の方たちですね。」

 自分を取り囲んだ男たちに、来須は親しげな笑顔で迎えた。

「交渉か…そんな難しいことじゃない。お前が持ってる物のありか聞き出すだけだ。」リーダー格の男が言った。

「何を持っているかも聞いてないんですか。」

「この仕事では余計な事は聞かないのがルールだ。お前もここに持ってきてるとは思わない。だから、お前からありがを聞きだす。素直に言ってくれる方がこちらとしてもありがたい。」

 リーダー格の男の口調には凄みもなく淡々としていた。ただ、どんな手段を用いても目の前の相手から自白させようとする冷たい意志があった。

「さすがですね。トラブルシューティングでは新東京シティでもトップの『ハイエナの爪』だけのことはあります。」来須は笑いながら言った。

「ほう。俺たちのことを知っているのか。」リーダー格の男も薄く笑う。

 男達は瞬装した。ジャッカルは彼らの通り名であり、使用しているRSの名称でもある。ジャッカルは白兵戦用のヒートクロウを装備したRSで、その胸の装甲にはNo.1~No.5のナンバーか刻印されている。

 この街に降りてきた宇宙機士は高い戦闘力を買われて用心棒や犯罪の片棒を担いできた。その中でも、ジャッカルのRSを装着した彼らは合法、非合法を問わないトラブルシューターとして、名を馳せていた。

「さあ、どうした?光進町の大道芸人は独自の武術を編み出していると聞いているぞ。」

リーダー格の胸部装甲にNo.1の刻印のある男が言った。

「いえいえ、私は運動神経があまりよくありません。で、助っ人を頼みました。」

「助っ人?」とNo.1は言いながら、強烈な殺気を感じて後を向いた。その視線の先には3人の男が立っていた。

「荒事は彼ら、『サトーブラザーズ』にお任せしています。」

「銅星会の最強のヒットマンか…」とジャッカルNo.2が言った。

 『サトーブラザーズ』と言われた3人の男たちも『ハイエナの爪』のメンバーと同様に宇宙から戻ってきた。ブラザーズというのは通称で、実際の血の繋がりはなく本名も不明だが、タロー、ジロー、サブローとだけ呼ばれている。

「汚い野郎だ。ヤクザと手を組むとは。」とジャッカルNo.3が、来須に毒づく。

「トラブルも想定しておかないといけませんからね。」と微笑む来須。

「まあ、いいさ。出戻り組で、最強なのがどちらか決められる。」とジャッカルNo.1が言った。

「挑戦者決定戦だ。」と、タローが言った。タローはスキンヘッドの巨漢だ。

「何?」ジャッカルNo.1が聞き返す。

「俺たちで、勝敗を付けてもこの街の連中は最強などと認識してはくれんさ。」と、ジローが言った。ジローは長髪の細見の男だ。

「そう、勝った方が影狼とのタイトルマッチに進める訳だ。」とサブローが言った。この男は童顔で、外見上は10代に見られかもしれない。だが、他の兄弟同様の酷薄な眼差しを持っていた。

 ハイエナの爪のメンバーは無言のまま、殺気だけが高まっていった。

 それに呼応するようにサトーブラザーズも瞬装した。RSはレオパルドンマークⅡ。このRSのシリーズはスーツの各所に火器を仕込まれているのが特徴だが、マークⅡは両肩に両肩にカドリング砲、両腕にマシンガン、両脛にはミニミサイルランチャーまで搭載されており、移動武器庫のような状態になっている。

 『ハイエナの爪』と『サトーブラザーズ』の戦いが始まった。ハイエナの爪の通称通りRSジャッカルのメイン武器は両腕から3本の爪が伸長したヒートクロウであり、スーツの機能も瞬発力、敏捷性に優れている。ジローにはNo.2、サブローにはNo.3、残りのジャッカルはタローを襲った。タローの放つ銃弾をすべて回避するのは不可能だが、No.1とNo.3、No.4はジグザク移動で極力急所への被弾を避けてタローに近づく。サトーブラザーズの装着したレオパルドンマークⅡは火力に特化している分他の性能は並みのレベルだった。

 その決して敏捷とは言えないレオパルドンマークⅡを動かして、タローはジャッカル3体のヒートクロウを回避していく。回避しながらも、両碗のマシンガンを中央のNo.1に打ち込み、両肩のガドリング砲でNo.4とNo.5を牽制する。

 だが、ジャッカルも超至近距離から放たれる銃弾の大半をヒートクロウにより叩き落として、決して致命傷は負わない。遂にタローの背後に回り込んだNo.4はヒートクロウを振り上げるが、横から発射されたミニミサイルで頭を吹き飛ばされる。

「貴様…」とNo.2が唸る。

 ミサイルを撃ったのはNo.2と交戦していたジロ―だった。No.2の攻撃を受けながら、自分に取って背後に位置するNo.4に、至近距離にいるタローへ誤射する迷いなど一切無く命中させた。

「甘いね~ハイエナさんたちも。俺たちはセンサーなんぞに頼らなくても、他の兄弟の位置を完璧に把握している。」とサブローが言った。

「ほら、こんな風にね。」

 サブローのレオパルドンの右肩のガドリング砲が旋回した。発射された弾丸はNo.5の背中の装甲の薄い個所を直撃した。崩れ落ちるNo.5。

 これで数の上では互角となった。だが、ハイエナの爪側は目の前の相手に集中しながら、別方向からくる弾丸にも注意を払う必要があった。対してサトーブラザーズは的確な援護射撃をし合い確実にダメージを与えて言った。

 No.2はタローが発射した真横からのミニミサイルを回避したが、態勢が崩れた所を、ジロ―の両肩のガドリンク砲が捉えた。そこから一気に均衡が崩れた。No.3は脚部の人工筋肉に被弾し、敏捷性が低下した所を、サブローのミニミサイルにより吹き飛ばされた。残ったNo.1はタローと刺し違える覚悟で跳躍したが、ブラザーズ全員の弾丸を受け、ハチの巣となって、落下した。


「来須は偽造パスポートを取得してる。」と東が言った。

「はい、俺の調べでも密航グループにアクセスしていた形跡がありました。」と影宮が言った。

 北部ブロック中心部にある5号線と10号線の道路が交わる大型交差点の陸橋の上で、影宮と東が話し合っていた。

「もうこの街にはいないんじゃないか。」

「これまでの捜査結果からはその可能性が高いですね…」

「納得していないようだな。街から離れたという意見に。」

「…のように見せかけているだけのような気がするんです。」

「発作的に殺人を犯したにしては周到過ぎるか。」

「あくまでもそんな気がするだけです。」と、行き交う車を眺めながら答える影宮。

「わかったよ。係長には俺の方から報告を入れておくから、お前はもう少し捜査を続けるといい。」と言って、東は影宮の肩を叩き、立ち去った。

 しばらく陸橋の上で佇んでいた影宮だが、東が去って行ったのとは反対方向の階段に向かう。表通りから路地に入った。路地の奥を進んでいき、人気の無い行き止まりになっている所で曲がる。

「まあ、ここなら良いだろう。」と言って振り向く。

「気がついていたのか。」

 角から出てきたのは少年の面影が残る、ジーンズに革ジャンを着た茶髪の男だった。

「それはな、不細工な殺気を放っていれば嫌でも気づく。あの時の坊主だね。」

 以前光進町で、聞き込みをしていた時に突っかかってきた男だった。

「武田だよ。坊主扱いはやめろ。」とイラついた口調で言った。

「それでご用件は何かな。武田君。」

「舐めるな。あの時とは違うんだよ。」と言って、武田は瞬装した。

「…ピューマか」と影宮が言った。それは以前影宮が倒した男の愛用していたRSだった。


 北部ブロックから、東部ブロックに通じる23号線をリムジンが走行している。

「その坊主は信用出来るのですか?」と右側の後部座席の銅星会幹部である藤崎が言った。藤崎は金勘定で出世したので、銀行員のような印象を持っている。

「彼は兄貴分を影宮に殺されていましてね。復讐させてやると言ったら二つ返事で引き受けましたよ。」と隣に座る来須が言った。

「あんたのことも慕っているようだな。」とタローが言った。タローは2人の対面に座っている。

「そんな坊主をけしかけなくても、俺たちが、あの影狼を倒せば済む話だろう。それとも俺たちの腕が信用できないとでも?」

「とんでもない。であれば銅星会さんにこのお話はもっていきませんよ。」来須は首をふりながら言った。

「影狼を倒せるのはこの街でサトーブラザーズくらいのものでしょう。ただ、今は取引に専念してもらいたいのです。はっきり申し上げて他のヒットマンが下手に動いても私と銅星会の繋がりを分からせてしまうだけです。」

「だが、あの男はあなたがまだ、この街を離れていないことには気がついていないでしょう。」と神経質そうな口調で藤崎が言った。

「いいえ、既に気が付いていますよ。だからこそ、足止め要員が必要なのです。」

「自分を慕う人間でも捨て石か。」とタローは皮肉っぽく言った。

「それが何か?」皮肉を気にも留めない来須の笑顔。

(お前も取引がすめば用済みだ。)と、藤崎は思ったが、無論口には出さずに追従の笑みを浮かべる。


「どうした。何故ご自慢のニホンオオカミを瞬装しない?」とピューマを装着ている武田が言った。

 だが、影宮は無表情に立ったままだった。

「坊主相手にムキになるのもな。」そう言いながら、上体を反らした影宮。

 その上スレスレに武田の跳び蹴りが通過していく。武田はそのまま影宮を通りこして着地した。

「そうやって舐めていると痛い目に合うぜ。」

 確かにその一撃は手加減をしていたとはいえ、十分に鋭かった。あの時より技量を上げているようだ。

 だが、それでも影宮は瞬装しない。そんな影宮に焦れたように武田は左右の回し蹴りを連続で放つ。それを一重で避ける影宮。

「何故、ブレードを起動させない?」

 かつて晴山がカスタムしていたように、ピューマには両腕だけでなく、両脚にもヒートブレードが装備されていた。

「生身の相手に使えるかよ。」

 武田は跳躍した。影宮の頭上で体を回転させる。繰り出される踵を避けながら影宮はコンバットマグナムを抜き撃つ。弾丸が背中をかすめた衝撃でバランスを崩した武田。

 影宮はその頭部を掴みアスファルトの路上に叩きつける。RSのヘルメットにより致命傷は負わないが、武田は意識を失った。

「そういう所が坊主なんだよ。」と影宮が呟いた。

 影宮は瞬装の解除された武田を担いで輪暮署に戻った。そのまま取調室に行く。うんざりした表情の矢島係長は、東たちも同席するように言った。

 意識を取り戻した武田は手錠を嵌められて椅子に括りつけられていた。ピューマのジェネレーターは外されているので瞬装は出来ない。武田は青ざめているが表情に怯えは無い。

 その対面に無言で座る影宮。その後に東、安藤、今井が立っていた。

「一応取り調べの可視化と言われてるんだぜ。かなり昔からな。」と安藤が呆れながら言った。

「ただ、やはり来須という男が何か企んでいるのは確かなようだな。」東は言って、武田の横に移動した。

「お前さんも分かってるんだろう。捨て石にされているだけだって。」と、東は説得を試みる。

「そうよ。ここは正直になった方がいいわよ。その来須という人にも義理は返しているでしょう。」と、今井も言った。

「無駄だ。そいつはストリートチルドレン時代に来須に引き取られてから、ずっと忠誠を誓っているらしい。」と、影宮が言った。

「俺の事を調べたのか。」それまで無言だった武田が固い声で言った。

「来須の奴が、リーダーを降りた途端に姿を消してる。怪しいと思わない方がおかしいだろう。」

「いずれにせよ。俺は何も喋らないぞ。」と言って、横を向く武田。

「何も喋らなくて良い。」と、影宮が言った。

 武田は視線だけ影宮の方に向けた。

「ただ、1つだけ尋ねる。この質問には正直に答えてくれ。」

 怪訝そうな武田。

「お前は来須が殺したと思っているのか。」

 武田は視線を下げた。「警察ではそう思っているんだろう。」

「お前がどう思っているかだ。殺人を犯しても義理で付き合っているというならそれでもいい。」

 武田は視線を上げた。影宮を睨みつける。それからゆっくりと口を開いた。

「俺はあの人は決してそんなことはしないと思っている。あんた達は嫉妬で殺したとか推測しているんだろうけど、あの人はそんなつまらない人じゃない。甘いと笑われようとそう信じている。」

「そうか。」とだけ影宮は言った。

「イヤイヤ、騙されてる奴は大抵そう言うんだぜ。」と、安藤が指摘する。

「今夜取引がある。それで俺を足止めしろと言われてるんだな。」

「…ああ」と、小さく呟く武田。

「その場所を知らされているな。」

 影宮の問いかけに、僅かに頷く武田。

「それを俺に教えるつもりはないか。」

「ふん、うまいこと言って口を割らせようとしてもそうはいかないぜ。」

「割らせる気などない。あくまでもお前自身の意志だ。」

「あんたに教えて手柄を立てさせて、俺は御目こぼしを頂戴する訳か。」

「助けに行く。」影宮の答えは素気ない。

 この発言は武田も他の3人も驚かせた。

「ちょ…ちょっと待って影宮。何考えているの。」と、今井が慌てた口調で言った。

 影宮は武田を直視した。「お前も不安を感じているんだろう。」

 武田の顔は青ざめていた。無言で唇を噛みしめる。

「いや待てよ。鉄砲玉扱いのこいつが教えられている場所なんて、罠に決まってるだろう。」と、安藤が怒鳴る。

「それは行ってみなければわからんさ。」と、影宮。

「わかるって。何でわかろうとしないんだよ。」と、安藤。

 安藤と影宮のやり取りを聞いていた武田は苦しげに言った。

「実際罠なのかもしれない。それにあんたが来須さんを逮捕しない確証がどこにある。」

「そんなものある訳がないだろう。お前が判断するんだ。」

 武田は逡巡していた。沈黙が取調室を覆う。

 不意に影宮は立ち上がりながら「言いたくないならしょうがない。」と言った。

 影宮はドアに向かいながら「お前が襲ってきたことは大目に見よう。帰っていいぞ。」と、続ける。

「待ってくれ」と、武田は影宮の背に叫んだ。

「わかった。教えるよ。」武田は迷いを断った表情で言った。


 23号線を覆面パトカーが走行している。

 運転しているのは安藤で、助手席には影宮。東、今井と武田が後部座席に座っている。

「全くとんだ夜勤業務だぜ。」愚痴る安藤。

「車を用立ててくれるだけでよかったんだがな。」呟く影宮。

「お前な、残って係長の愚痴を聞かされる方の身にもなってみろよ。」

「戻ってもいずれは必ず愚痴は聞かされだろう。」

 前部座席のやり取りに溜息をついた今井は横の武田に話しかけた。

「ねえ、武田君。どんなことでもいいの。あの事件があった後のことを話してくれる。」

「来須さんは都内のマンションに幾つか部屋を借りている。あそこの住人は訳ありの奴が多いから匿う必要があったりするからな。」

「そうか、そこに潜伏していた訳か。君は助手をしていたからその場所を知っていた訳だな。」と、東が聞いた。

「手続きとか雑用をしていただけだよ。ただ、おかげで来須さんに会う事が出来た。」

「光進町に戻るように言われただろう。でもとにかく押し切って傍にいさせてもらったんだろう。」と、東が続けた。

「ああ、その通り」と、武田は素直に認めた。

「来須さんは部屋で何してたの?」と、今井が聞いた。

「端末で誰かとやり取りしていたようだ。で、今日東部ブロックの大倉町で取引があるから影宮さんを足止めしてこいと言われたんだ。」

「足止めも何も俺はそんな取引があることなど知らなかったがな。」と、影宮

「だから、罠だって言ってるだろう。」と、安藤がうんざりした口調で言った。

「ほれ、もうすぐその罠の場所に到着するぜ。」と続けた時、銃撃された。フロントガラスに弾痕が走る。

「ほれほれ、早速だよ。」と安藤の口調は心底うんざりした口調になった。

 車から降りる一同。その前にレオパルドンマークⅡが立ちはだかる。

「待っていたぜ、影狼。兄貴達には悪いが俺が貴様の首を頂く。」と、サブローはマスクの下で笑った。

 サブローに両腕のマシンガンを乱射され、一同は車を遮蔽物にする。

「こいつはどうやらサトーブラザーズの片割れだな。」と、東が緊張した口調で言った。

「じゃあ、あれが銅星会の最強のヒットマンな訳?」東の言葉に今井の顔にも緊張が走る。

 だが、安藤だけは気楽な表情を浮かべていた。

「なーに、大丈夫。こちらには影宮先生がいらっしゃるから。あちらさんもご指名だしな。」と、言いながら影宮の肩を叩く。

 だが、影宮は「ここは任せる。」と言った。

 影宮は愕然とした表情を浮かべる安藤、そして今井に視線を向けて言った。

「何とかくい止めてくれ。」

「分かったわ。東さん、武田君も一緒に行って。」と、ベレッタ自動拳銃を抜きながら今井が言った。

 東と武田も無言で頷き、遮蔽物の車から飛び出した影宮に続く。

「いやいや…ちょっと待てよ~」と、安藤だけが納得していなかった。

 今井はその安藤の肩を掴みながら、援護射撃をサブローに向けて行う。

「参ったな、あのタイプのRSは苦手なんだよな。」と頭を掻く安藤。

「いいから、援護射撃を手伝いなさい。」

 今井は車を遮蔽物に射撃を続けながら怒鳴る。

「火力が違いすぎるだろう。こっちもアサルトライフルくらいないと…おお?!」

 遮蔽に使用していた車が火を噴く。サブローのレオパルドンマークⅡの脚部からミニミサイルが撃ち込まれた。

 安藤と今井はドーベルマンを瞬装した。

「行くわよ!」

「…しょうがねえな。」

 サブローの周囲を安藤は左に、今井は右に回る。安藤はSWリボルバー、今井はベレッタ自動拳銃で応戦する。

だが、今井の9ミリ徹甲弾も安藤の44マグナム弾もレオパルドンの装甲に致命傷は与えられない。装甲の薄い部分を狙おうにもサブローは左右の武装を巧みに使い迎撃する。

 2人はドーベルマンの機動性能を全開にして回避するが、被弾は避けきれず、撃ち倒される。

「全く面倒くさい。お前らに関わっていられないんだよ。早く影狼を追わないと兄貴達に先を越されてしまう。」

「全くモテモテだな、あの野郎は。全く羨ましくはないがな。」と、安藤は皮肉混じりに言った。肋骨にヒビが入ったらしく胸に痛みが走った。

「お前らには分かるまい。宇宙帰りの俺たちには結局戦うしか道がない。」

「…」今井は左肩を押さえながら無言で聞いている。

「俺たちも影狼も所詮は同じ事だ。ヤクザの用心棒もデカもそれほど差異は無い。そして影狼を倒せばサトーブラザーズはこの街で最強と言われるだろう。それだけ、それだけが全てだ。」

「…あの野郎は何を考えてるか分からないし、何を考えてようが知った事じゃないがな。」と、安藤は低い声で言った。

 安藤は自身でも理解しがたい怒りを感じていた。

「ただな、これだけは言える。あいつは最強とかそんな事は微塵も思っちゃいない。割と本気で刑事の仕事と向き合ってる。少なくとも幼稚な比べ合いしてるお前らよりは遥かにマシだぜ。」

 安藤はふらつきながらも何とか立ち上がる。

 サブローは鼻で笑った。「ふん。今さらお前に何が出来る。」

(…まあ、確かにその通りだ。)

 サブローの発言に心の中で同意しながらも、安藤は電磁警棒を抜いた。RSをフルパワーにして突進する。

 サブローはマスクの下で嘲笑いながら、突進してくる安藤にトドメを刺すべく、両脚のミサイルランチャーで狙いを定めていた。この時サブローは油断していた。勝利を確信してあまりにも今井の方に無警戒すぎた。ランチャーから発射された直後のミサイルの速度は遅い。その瞬間を狙っていた今井の9ミリ弾がミサイルに命中する。

 至近距離での爆発によりサブローは後方へ吹き飛ばされ仰向けに倒れる。爆煙の中、安藤が飛びかかってくるのが視界に入るが、さすがにレオパルドンマークⅡの防御力でも今の衝撃で身動きが取れなかった。最高出力にした電磁警棒を首筋に叩きこまれ意識を失う。

 レオパルドンの瞬装が解除されたことを確認して安藤も瞬装を解いた。

「俺を怒らせたのは失敗だったな。」

「…あたしの援護があったことは忘れてないわよね。」

 同じく瞬装を解いた今井が、腕組をして勝ち誇っている安藤に冷静に指摘した。


「あの2人大丈夫なのか?」走りながら武田が心配そうな口調で言った。

「人の事を気にしてる場合か。」並走している東が言った。

「あいつは銅星会でも最強と言われているサトーブラザーズの末っ子だ。あと長男と二男がいるぞ。来須は銅星会と関係を持っているらしい。」と、東。

「確かにそうかもしれない。その辺の事情は来須さんに会って確かめればいい。いずれにせよ。そいつらを倒さなきゃいけないなら…」武田の顔には強い決意があった。

 前を行く影宮が立ち止まった。その先には先ほどのRSと同型レオパルドンマークⅡの後ろ姿があった。

 身構える東と武田。だが、影宮はその2人を制す。怪訝そうな顔をする2人。

 レオパルドンマークⅡは胸の真ん中に拳大の穴が空いていた。ゆっくりと仰向けに倒れていく。瞬装が解除されると、ジローが目を見開いたままで息絶えていた。

 その倒れているジロ―の先に全身が金色のRSが立っていた。

「なんだ?こいつは…」驚く武田。

 東も武田もその金色のRSは見たことも無いタイプだった。手ぶらで、全身の何処にも火器が装備されている様子はなかった。だが、影宮だけが右肩の僅かな突起物を見逃さなかった。

 影宮が東と武田を抱えて脇に飛ぶのと金色のRSの右肩の突起物が光るのは同時だった。

突起物からの発射された光線は武田の立っていた空間を通過してアスファルトの路面を貫通した。貫通した個所はジロ―の胸と同様に拳大の穴が空いていた。

 3人は倉庫の壁に身を隠す。

「おいおい、何だよ。あれは…」

「おそらくビーム兵器の類でしょうね。」東の疑問に影宮が答えた。

「ビーム?」驚きで東の声も裏返る。

「おそらく新型でしょう。」

 宇宙船ならばともかく、RSに搭載出来るサイズのジェネレーターは存在していなかった。サンダーボルトという金色のRSはその試作機だった。

「先に行ってください。」

 そう言った影宮の肩を東が掴む。

「待った。お前さんこそ先に行かなきゃいけないだろう。」

 東は武田に視線を移した。

「申し訳ないが民間人にも協力してもらう。」

 武田は黙って頷く。

「東さん。あれは民間人を巻き込んでいい代物じゃありません。」

「行った先にあれ以上の代物がいるかもしれんだろう。」

 こちらに悠然と歩んで来るサンダーボルトを睨む東。

「…」

 影宮の表情に珍しく逡巡の色が浮かんだ。

 だが、影宮の選択を下すよりも先に光弾がサンダーボルトを襲う。

倉庫の屋根から灰色のRSが降り立つ。スリムなRSで、装着者のボディラインが判別できた。装着者は豊かなプロポーションを持つ女性だった。

「ここは私に任せなさい、影宮。」

 その灰色のRSの装着者は凛とした声で告げた。

 驚いた東と武田は影宮に視線を向ける。影宮は無言のままだ。

 サンダーボルトは立ち上がった。灰色のRSはその前に立ちはだかる。灰色のRSは外観上武装の類は見当たらない。だが、サンダーボルトに突きだした両手の平が光り輝き、プラズマが弾丸として発射される。サンダーボルトはそれを回避し右肩からビームを発射する。

灰色のRSは両手をクロスして、ビームを受ける。一見華奢な印象だが、光学兵器用の防御処理が完備されていた。

「早く!」灰色のRS装着者は叫んだ。

 影宮は無言のまま走り出した。慌てて東と武田も続く。

「知り合いか。」

 東は影宮の背に叫んだが返答は無かった。


 大倉町の倉庫の一つに灯りがついていた。内部では来須が吊るされていた。腹部から出血しており、白いシャツを赤く染めていた。

 その周りにはRSメタルバーナードを装着している連中が4人いた。

 更に少し離れた所にスターゲート社のチャールズ部長が立っていた。チャールズ部長はオフィスにいる時と同様な柔和な笑みを浮かべていた。

「いい加減に白状なさい。」

 来須の顔は蒼白になっているが怯えの色はない。

「お話することはありません。」

 メタルバーナードを装着したスターゲート社の警備部門のメンバーの1人が、その来須の傷ついた腹部にパンチを打ち込む。無論加減はしているが、更に内蔵が損傷していく。

 血反吐を吐く来須をじっと見つめるチャールズ部長は諭すように言った。

「君がボディガードに雇ったチンピラは全滅した。強情を張っても意味はないだろう。」

 倉庫の前には幹部の藤崎をはじめとして銅星会の組員の死体が転がっていた。

「彼らはあなた達を誘き寄せる為の捨て石です。」苦しげだが来須の口調は冷静そのものだった。

「ほう…何の為にだね。」チャールズ部長が興味深げに尋ねる。

「ここであなたにある人に会ってもらいたかったんですよ。」

 来須は言って、倉庫の入り口に視線を向ける。

 チャールズ部長達もつられてそちらに視線を向けた。

 その先のシャッターが開いた入口には影宮が立っていた。

「なるほど…会わせたかったのはこの街で最強の刑事さんですか。」チャールズ部長は唸る。

「これはチャールズ部長。夜勤業務ですか。」世間話のような口調の影宮。

 影宮はゆっくりと倉庫の中に歩いてくる。

「ええ、ちょっとした残務処理という訳でして。」微笑むチャールズ部長。

「その内容は署の方でお話しましょうか。」

「いやいや、お話するほどのことでもありません。」

 チャールズ部長は目配せをした。来須の前に立っていたメタルバーナードが来須の首に手を掛ける。

「あなたは彼を助けたいのでしょう?」

「知らんな。」

 影宮の素気ない口調にチャールズ部長は形の整った眉をひそめた。

「脅しではないですよ。彼から聞きたい事があったのですが、なんなら口封じに変更しても構わない。」

「そいつを助けたいの俺じゃない。」と影宮、

 倉庫の窓が割れ、ドーベルマンとピューマが飛び込んできた。落下しながら振り下ろしたドーベルマンの電磁警棒が来須の正面のメタルバーナードの脳天を直撃する。その時まだ空中にいるピューマは右脚のヒートブレードを振るい来須を吊っている鎖を断つ。ドーベルマンは左腕で来須を抱えながら影宮の方まで跳ぶ。逆立ちした状態で着地したピューマは両腕のバネで両脚を回転させる。脚に装備されたヒートブレードが残りのメタルバーナードを切り裂く。急所は巧く避けられているが手足にダメージを追ったメタルバーナードは崩れ落ちる。ピューマが体を回転させて立った時、割れた窓からガラスの破片がパラパラと床に落ちた。

「やれやれ、もう少し警備課の教育をし直さないといけないですね。」チャールズ部長は頭を掻きながらぼやく。

「警備が仕事の連中にこんな汚れ仕事を任せるからだ。」と、影宮が言った。

「いやーサンダーボルトがいればここまで来れるのはあなた1人だろうと油断していましたよ。」

「あのサンダーボルトとかいうRSの相手をしているのは俺達じゃない。…心当りがあるだろう。」

 陽気で頼りがいのあるチーフ、そのチャールズ部長の顔が消えていく。後には酷薄な殺人者の素顔が現れた。

「なるほどそういうことならお遊びはこれまで。」

 チャールズは瞬装した。サンダーボルトと同型と思われる金色のRSだった。

「このセイバーボルトでお相手しましょう。」

 両手で何かを握るような動作をした。その両手からビームが剣の形状に形成されていく。セイバーボルトはビーム兵器を内蔵したボルトシリーズの中で白兵戦闘用のバージョンだった。

「来須を避難させてください。」と影宮が言った。

 来須を抱える東は頷き倉庫の入り口へ走る。武田もそれに続いた。

 彼らとチャールズの間に立った影宮はニホンオオカミを瞬装した。漆黒のRSに包まれた影宮はチタニウムソードを抜いた。

 古ぼけた蛍光灯が鈍く中で、構える両者。同時に踏み込む。斬り合いの際には金属音ではなく、バチバチという音が響く。チャールズの技量は会社役員のそれとは別物だった。

 影宮の攻撃を捌き、光の剣を振るう。掠るだけでもニホンオオカミの装甲は重いダメージを受ける筈だった。影宮も一重でそれを回避する。

 バチっという大きい音と共に鍔迫り合いになる。だが、チタニウムソードからは煙があがった。ヒートブレードの高熱にも耐えるこのソードもビームソードの超高熱には耐えきれず僅かずつ融解していった。

「ふふ…ご自慢のチタニウムソートも限界のようですね。」

 金色のマスクの下で嘲笑うチャールズ。だがこの時チャールズは入口に背を向けていた。

マシンガンの発射音が鳴り響き、チャールズの無防備な背中に弾丸が吸い込まれていく。

「ぐぅ!」

 並みのRSなら機能停止していてもおかしくない量の銃弾を浴びたが、セイバーボルトの耐久性は優れていた。チャールズは咄嗟に斜め後ろに跳び。影宮と今撃った相手の両方と距離を取った。

 入口にはレオパルドンマークⅡを装着したサトーブラザーズの長兄タローが立っていた。右腕は肩の部分から切断されていた。今撃ったのは残った左腕から発射したものだった。

「油断したな。」と、影宮。

「確かに。」チャールズは素直に認めた。

「簡単な残務処理だと考えていましたが、認識が甘かったようです。今夜はこれで失礼します。」

 チャールズはビームソードで背面の壁を切断し、倉庫を飛び出して行った。

 倉庫内に残った影宮とタロー。タローは瞬装が解け崩れ落ちた。影宮も瞬装を解きタローの元へ歩いて行く。

 タローの右肩の切断面から血は流出し切っていた。顔は蒼白で死人そのものだった。だがまだ生きていた。自分の傍に片膝立ちをしている影宮に辛うじて聞きとれる声で呟いた。

「弟達はどうなった。」

「次男坊は死んだ。三男坊は捕まっただろう。」事務的な口調の影宮。

「そうか…」タローは視線だけ影宮の方に向けた。

「お前さんを倒してこの街で名を売る。無邪気にそんな事を考えていたが、現実はこんなもんかな。」

「…」

 タローは息絶えた。その見開いたままの目を閉じさせる影宮。


 影宮が予め落ち合う場所に決めていた大倉町の端にある公園に行った時、来須は武田に上半身を支えられて、地面に座り込んでいた。その前で東が応急処置をしていた。歩いてくる影宮に気が付いた東が声を掛ける。

「あのチャールズという奴はどうした。」

「逃げました。サトーブラザーズの長男も死亡しました。」

「そうか…一体やつらは何者なんだ。」と、東。

「アースイズムニストです。」

 それまで目を閉じていた来須が答えた。振り向く影宮と東。

「アースイズム…?地球至上主義とかいうあの?」東が来須に聞き返す。

 地球は過去の存在になりつつあるのが現状だが、それでも人類発祥の地として畏敬の念を抱く者も決して少なくはない。彼らの中にはアースイズムという思想を掲げて、如何なる手段を用いても地球が主導権を取り戻そうとするテロリストになる者もいた。

「あのスターゲート社はアーズイズムニストの隠れ蓑だったんです。」

「まさか!宇宙ステーションの資材を受け持っている企業が…」東が驚く。

「最高幹部以外は実態を知りません。10年近い年月で信用を得ていったんです。ある目的の為に。」

「それに気が付いたのが宮村だったという訳か。」影宮が言った。

「はい。彼は悩んだ末に私に相談しました。私も出来るだけ力になろうとしましたが、残念ながら彼は口封じされてしまったのです。」

「だったら、何故最初から警察に…いや少なくとも影宮に話さなかったんだ?この男は大企業だろうが、テロリストだろうが、お構いなしなのは分かってるだろう。」と、東。

「彼には家族がいました。」と呟く来須。

 影宮と東は聞き込み行った際に、棚に飾られていた夫人や娘と共に映っている記念写真を思い出した。

「宮村が持ち出した物を取り戻す為なら容赦なく家族を狙ってくるでしょう。だがら、私が持っていることを告げて、それを交換材料にしました。」

 そこまで言ってから、咳き込む来須。血が吐き出される。

「私が銅星会に協力を要請したことを知った連中は、私が単純に大金を求めて恐喝してくるものだと思い油断してくれました。取引には最高幹部でなければ駄目という私の要求もすんなり了承しました。取引の現場で私を消せばいいだけですからね。」

 来須は最後の力を振り絞って右の靴を抜いて、その踵部分を取り外す。外した部分は空洞になっており、そこから取り出したメモリーを影宮に差し出す。

「宮村が持ち出したデータです。」

 影宮は無言で受け取った。

 来須はフッと表情を和らげた。急に世間話でもしているような口調になる。

「私はこれでも一流と言われる学校を出て、一流と言われる企業に入って、それなりに出世もしました。そこからドロップアウトした理由も、深刻さは異なりますが宮村と似たり寄ったりな事情です。」

 3人は黙って話を聞いている。

「そこからは同じく似たり寄ったりなヤツらを集めて何とか食べていけるようにと四苦八苦な毎日でした。ただ…負け惜しみではなく本当にこの時の方が充実していました。」

 来須は影宮を正面から見据えた。影宮はその視線を静かに受けとめる。

「影宮さん。この街をお願いします。」

「分かった。」

 影宮の返事は簡潔だったが、来須は満足げに笑った。それから自分を支える武田を振り向いた。

「騙してすみません。君にはメッセンジャーボーイを務めてもらいたかったんです。」

 涙を堪えている武田は無言で首を振った。

「君も独り立ちしなさい。それを晴山も望んでいます…」

来須は息絶えた。首が落ちる。

 3人は無言のままだった。その沈黙を破ったのは東だった。

「すまん。俺はこの男を見誤っていた。」

うな垂れる東の肩に手を置く影宮。そこへ安藤と今井がやってきた。

「やったぞ~サトーブラザーズの片割れはこの俺がとっ捕まえたぜ。」

「だがら、何自分1人の手柄にしてんのよ。」

 言い争いの続きを始めようとした安藤と今井は場の雰囲気を察して口ごもる。今井は武田に声を掛けようとした時、背後に気配を感じて振り向く。そこにはサンダーボルトの相手をしていた灰色のRSが立っていた。

 事情を知らない安藤と今井は身構える。それを東が止めた。

「よせ。どうもあいつらの仲間ではないらしい。そうなんだろう?影宮。」

「はい。彼女の名前はイノウエ。惑星連合のエージョントです。」

 灰色のRS、惑星連合エージョント専用RSケルベロスの瞬装が解かれると、茶色い惑星連合の制服を着た長い黒髪をした美女が現れた。

「久しぶりね、影宮。」イノウエは艶やかに微笑んだ


 宮村の残したメモリーには新東京シティの上空に位置する宇宙ステーションに仕掛けられた爆弾の位置が記録されていた。スターゲート社から提供された資材には探知機でもチェック出来ない超極小爆弾が仕込まれていた。それらは単独では大した威力はないが、施設の重要部分に仕掛けられていた。

「全く事前に発見出来たことは幸運としか言いようがありません。」

 遠藤参事官は抑揚のない話し方をする丸眼鏡を掛けた小太りの男だった。

 輪暮署の狭い会議室。部屋には四角形にテーブルが並べられている。入口側のテーブルには影宮とイノウエ、右側のテーブルには谷崎署長と矢島係長が座っている。左側のテーブルには警視庁から派遣された遠藤参事官が座っていた。

「影宮君とイノウエ捜査官のご活躍に感銘を…」

 遠藤の話が続いているのを会議室内の人間は黙って聞いていた。

「何なのよ、あのおっさんは。話しが全然進まないじゃない」と今井が言った。

 会議室外、ドアを細く開けて覗いている安藤と今井。

「警視庁のお偉いさんだろう。騒ぎを聞きつけて駆けつけてきた訳だ。」と、安藤が言った。

「あの古狸は手柄の匂いを嗅ぎつける能力にだけは長けているからな。」

 ハッと振り返る2人。東が立っていた。

「それにしても良く谷崎署長の前に姿を現せられるもんだ。」珍しい軽蔑した口調の東。

「あの狸と署長に因縁でも?もしかして署長がはぐれ書に飛ばされたのは?」安藤が聞く。

「あの遠藤参事官の主催するゴルフコンペかなんかがあってな。警視庁の幹部クラスで出席しなかったのは谷崎署長1人だった。」

「彼女とデートですか。」安藤は唇を歪める。

「その時事件が発生してな。幹部クラスが行く程じゃないが、谷崎署長だけは現場に駆け付けた。」

「そんな下らない理由で?」今井が呆れたように言った。

「我々の所属している組織は信じられない位下らない部分があるのは確かだな。」と、東。

 室内ではイノウエが遠藤参事官の話を止めた。

「遠藤参事官。まだ事件は終わっていません。今はその対策が必要です。」

「さて、設置されていた爆弾は撤去されたのでは?」

「おそらくアースイズムニストはステーションに再度のテロ活動を掛けてくると思われます。」

「それでは警視庁とで合同捜査ということで…」

「いいえ。」イノウエは遠藤参事官を遮った。

「捜査には影宮刑事に協力してもらいたいと思います。共にステーションに上がってもらいたいのです。」

 遠藤参事官は小さい目を限界まで見開いた。

「こんなはぐれ署…いや所轄署の一刑事ですよ?警視庁のエリートを…」

「その一刑事がテロ計画を突きとめたのではないですか?その警視庁のエリートとやらが何をしていたんですか?」イノウエの口調も冷たくなる。

 遠藤参事官の顔が赤く染まった。遠藤が言い返そうとする前に谷崎署長が口を開く。

「実質的なステーションの管轄は惑星連合の方にあるのではないですか?我々の協力を要請するのはお門違いではないでしょうか。」

 建前上は軌道エレベーター及び宇宙ステーションは日本の領土ということになっているが実質管理は惑星連合に任せきりなっている。

「今は管轄がどうとか言っている場合ではないのです。あのステーションは宇宙に広がった人類の生命線ともいえる存在です。不躾なのは承知しています。どうか協力してください。」イノウエの言葉には熱意があった。

 谷崎は影宮に視線を向ける。

「影宮君、君はどうなのかね。」

「どうもこうもありません。一刑事の私としては、上司が行けと言われたら黙って従うだけです。」

 全員の視線が矢島係長に向かう。呑気にお茶をすすっていた矢島は慌てて茶碗を置き、口を拭う。

「そうだね、影宮君。管轄は異なるが人類の未来と平和の為に協力するのが務めじゃないかと思う。行きなさい、ステーションに。」

「承知しました。」

 矢島に対して影宮は深々と頭を下げた。谷崎は僅かに溜息をつく。

「ホントにあの禿はな…上の連中にはいい顔をしたがるんだよな。」室外の安藤は顔を顰める。

「まあ、死んでくれたら御の字くらいに思っているんだろう。」と、東も苦笑いする。

 今井だけは無言のまま室内の様子を見ていた。

「ありがとう、影宮。又、一緒に仕事が出来て嬉しいわ。」と、イノウエは笑顔で言った。

「準備があるんだ。落ち合うのは軌道エレベータの発着所にしよう。」影宮の口調は冷静なままだった。

「ええ。」イノウエは心から嬉しそうに微笑んだ。

「ふーん、そういうことか。そういうことなんだな…なぁ~おい。」

 安藤は意味ありげな笑みを浮かべて、室内のやり取りを見ている今井の頭をパンパンと叩く。

「うるさいわね!何がそういうことなのよ。」今井は背後の安藤に肘鉄を入れる。

「お~痛い痛い。そういうことなんだから仕方ないだろうがよ。」安藤は大げさに顔を顰めながら言った。

「おい、いい加減にしろ。遠藤参事官が退席されるぞ。」

 3人はドアの脇に移動する。ドアが開かれて遠藤参事官は不機嫌そうな顔で足早に去っていく。ドア脇の3人には見向きもしない。

 続いて出てきたのは谷崎と矢島だった。

「あなたがそんなに正義感に溢れていたとは気が付きませんでした。」

「まあ、遥か上空で何が起ころうと私の責任じゃありませんからね。」

「あなたは本当に理想的な上司ですね。」

 谷崎の冷静な皮肉にも微笑む矢島。そんなやりとりをしながら廊下を歩いて行った。

「お聞きの通りだ。ステーションに上がる事になった。」

 入口の所に立った影宮が3人に声を掛ける。

「全くお前は厄介事に首を突っ込みたがるんだからよ。」と、安藤。

「それでは装備課のヤナさんの所だな。」と、東。

 影宮、東と安藤も廊下を歩いていく。

 最後に会議室から出てきたイノウエ。そのイノウエの前に強張った顔で立つ今井。


 新東京シティの上空に位置する宇宙ステーション。一般的に「ステーション」と言ったら、地球上でただ1つしか存在しない宇宙ステーションを指している。

 地上からの軌道エレベーターが直結している部分を中心に扇が2つくっついている形状をしている。半分は宇宙船の港であり、もう半分は居住ブロックになっている。

 居住ブロックは長期滞在が可能な設備が揃っている。宿泊施設も様々なランクがある。

その中でも最高ランクのホテルの一室にチャールズはいた。

 室内にはソファに座っているチャールズの他にもう1人の男がいた。金髪碧眼で眉目秀麗な長身の男が、窓の前に立ち星間シャトルが発進していくのを眺めていた。

「それで惑星連合の女エージョントと彼は何時来るの。」

 アースイズムニスト実行グループのリーダーであるアポロニアは窓の外の宇宙空間に視線を向けながら聞いた。

「間もなくだと思われます。」

 チャールズは自分よりも10歳位年下のアポロニアにかしこまっている。

「では決行は彼らが来たら開始しよう。」アポロニアは少年のような口調だった。

「大丈夫でしょうか。女エージョントも中々ですが、あの影宮と言う男は危険です。」

 アポロニアは振りむいてチェールズを見た。少年のような無邪気な笑みを浮かべる。

「だからこそ意味があるんだよ。アースイズムに逆らう者を血祭りに上げて計画を成功させる方が効果的だろう。」

「ですが…」

 チャールズは口をつぐんだ。アポロニアの陽気で親愛に満ちた眼差しの中に含まれる狂気が増大したような気がした。

「分かりました。そのように手配します。」チャールズはソファから立ち上がり部屋を出ていった。

 アポロニアは再び視線を窓に戻す。今度は到着する星間シャトルが見えた。

(この計画の成功はアースイズムニストの悲願であり、あの男を殺すことは僕の悲願…)


「話しというのは何かしら」

 輪暮署の会議室にはイノウエと今井が残っていた。

「え…とですね。その~」

 ここへ誘ったのは今井だが、いざとなると何を話していいか分からなくなった。

「影宮のことでしょう。」

「は…はい。」

「彼はここでは自分の事を何と説明しているの。」

「民間の警備会社に勤めていたと…」

「それは半分だけ真実ね。」

 惑星連合自体発足して間が無く、宇宙でのトラブルのアウト―ソーシングを行う会社が多数あった。

「彼の所属していた『ラビットオブムーン』はその中でも超一流と言ってよかったわ。だからあの仕事を任されたの。」

 ラビットオブムーンが請け負った最後の仕事は火星への資材を運ぶ宇宙船の護衛だった。その資材が届けば火星上のコロニーはほぼ自律した環境を構築出来る。それは地球の影響力が更に弱まる事を意味していた。

「その頃はアースイズムという言葉はなかったけど、反対派の攻撃は壮絶だったわ。船がワープするまで、RSを着た宇宙機士の戦いは続いたわ。結果として護衛に成功はしたけど影宮以外のメンバーは全滅したの。その後についてはあなたの方が詳しいでしょう。」

「影宮は警察の中途採用試験を優秀な成績でパスして、もっと条件の良い所轄に行けたけど、わざわざ希望してこのはぐれ署に配属されたらしいです。」

「そう。」

 今井の説明にイノウエは納得したように頷いた。

「彼は無愛想で無関心なようでいて、本当は正義感がとても強いの。だからあなたも彼の事が好きなんでしょう。」

「別に好きというわけじゃ…」今井は口ごもった。

「この新東京シティは貧富の差が拡大して、犯罪が多発している。だから彼はそこに戦う目的を見出しているのね。でも彼はいつまでもこんな所にいるべきではないわ。」

「こんな所って。」今井は僅かだが感情を荒げる。

 素直にイノウエは頭を下げた。

「ごめんなさい。言い過ぎたわ。でもね。惑星連合自体発足して間もない。彼のような優秀な人材を必要としているの。人類の未来の為にも。」熱く語るイノウエ。

「…」今井は複雑そうな表情を浮かべた。


 輪暮署の地下に装備課がある。そこの主任の柳沢は通称ヤナさんと呼ばれている。黒縁眼鏡を掛けた初老の男だった。

 ヤナさんの前には黒いインナースーツ状態のニホンオオカミが吊るされていた。スーツの各ハードポイントにメダル状のオプションを取りつけていた。

「やれやれ、やっと終わったぞ~」

ヤナさんは大袈裟に肩を叩いた。小柄で華奢な体格をしている為、貧相ない印象を受ける。

「何、言っているんだよ。バーニアを取り付けるだけだろう。」

 部屋の端においてある、安物の椅子に身を預けながら安藤が冷やかす。

 インナースーツの各部に取りつけられているメダル状のオプションは瞬装時に無重力制御用のバーニアとなる。RSは元々宇宙服として使用されていた。汎用的な倍力服として普及した現在でもオプションを取り付けるだけで宇宙でも活動可能となる。

「何を言っているか~こいつの調整はとてつもなく手間が掛る。ワシでなきゃ手に負えないぞ。」吊るされたニホンオオカミを指しながら愚痴るヤナさん。

 ヤナさんはメカニックマンとして優れた技量を持っている。精密な調整のいるニホンオオカミは無論どちらかと言えば凡庸な性能を持つ標準的なRSであるドーベルマンで、輪暮署の刑事たちがどうにか犯罪者達の最新鋭のRSと渡り合えるのもヤナさんの腕前によるところが大きい。

「いつも感謝しています。」礼を言う影宮。

 影宮は安藤の横に椅子に座っている。机の上にコンバットマグナムが分解されていた。

「知り合いの惑星連合のエージョントさんに頼めばもっと最新鋭の武器を用意してくれんじゃないのか。」

 安藤は黙々と整備をした部品を組み立てている影宮に尋ねる。

「実際に宇宙で仕事をしてた時にはブラスターなりレイガンなりを使う機会もあった。あの頃はまだ、RSに内蔵出来るほどのサイズではなかったがな。」

 言いながらシリンダーをフレームに嵌めこむ。

「だが、結局命を預けるのはこれが一番だという結論になった。何故だと思う?」

「持ち主がアナログだからか?」

「ご名答。」

 組み立てた銃をテーブルに置いてホルスターに戻す。立ち上がり黒い背広を脱いで下着姿になる。露出した体には無数の傷跡に息を呑む安藤とヤナさん。影宮はインナースーツ状態のニホンオオカミを着込み、それから元の衣服を着直す。ホルスターも取り付ける。

「軌道エレベーターには先に行っていてくれ。」装備課の部屋を出る影宮が告げた。

「早く来いよ。お前さんを思っているレディが2人待ってるんだからな。」と安藤が

冷やかす。

 署を出た影宮が車を走らせて向かった先は西部ブロックの粋当町だった。西部ブロックの大半はオフィス街になっているが、その外れにある粋当町には中小企業の工場などが並んでいる。全体的に寂れた印象は否めない。その中の工場の1つに車を止める影宮。錆ついた門を開ける。

 工場の引き戸を開ける。オンボロな外観と異なり中は整理されており塵1つない。人気は無く、1人だけ部屋の中央に背を丸めた作業服の男が作業台に向かって黙々と手を動かしていた。

「もうそろそろ来るだろうと思っていたぜ。」作業服の男は顔を向けずにしわがれた声で言った。

「頼んでいたものは?」

 影宮の問いかけに作業服の男はただ左腕だけ上げて工場の端を指差した。

「神棚か。」

「研ぎ終わった刀は祀っておくものだ。」

 神棚にはチタニウムソードが飾ってあった。影宮はチタニウムソードを手に取る。チャールズのセイバーボルトとの戦いで融かされた部分は修復されていた。刀身には美しい波紋が走っている。

「全く苦労したぜ。数万度のプラズマにもビクともしないようなコーティングをしてくれなんて無茶を言いやがって。」

「やってくれたのか。」

「ああ、ただ、0.5キロは重くはなったが…」

 工場内には宇宙船の離発着のフックにも使用されている鋼材が並べられている。

影見はその1本に向けてチタニウムソードを振るう。鋼材はあっさりと2つになって、床に鈍い音を立てて落ちる。

「この試し切りの分も振り込んで置いた額で足りるか。」

 作業服の男は無言で手を振った。かつてこの国の繁栄を支えたハイレベルな技量を持つ中小企業の匠が多数存在していた。この男はその名残を留めていた。

 影宮は刀身を柄に収納してからホルスターへ戻し、出口に向かう。

「死ぬなよ。」男は最後まで作業台から顔を上げずに声を掛けた。


 新東京シティの東部ブロックにある軌道エレベーターには毎日数百トンもの物資が地上と宇宙を行き来している。テラフォーミングに必要な資源が、宇宙へと運ばれていく。反対に各惑星で開発された最新鋭のRSがこの街に降りてくる。

 貨物用エレベーターとは別に乗客用エレベーターがあり、エコノミーやファーストとクラス毎に乗客数やグレードが異なる。

 今、影宮達がいるのはVIP用の高速エレベーターの前だった。乗員数は5人のコンパクトな空間に豪勢な内装が施されている。

「ふーん。こんなトコに金掛けてどうすんだろうね。」開いた入口から中を覗き込んだ安藤は皮肉を込めて言った。

「結局スターゲート社を捜索しても何も出てこなかったそうだ。」

 東がこれまでの捜査経過を説明する。

「事情を知っていたのはほんの一握りの幹部連中で、大半の社員は寝耳に水だそうだ。」

「チャールズはステーションに?」と、影宮が尋ねる。

「ああ、昨夜の内に社長と一緒に上ったらしい。」

「その社長というのはおそらくアポロニアね。実行犯のリーダーよ。」イノウエはそこまで言って、影宮を見つめた。

「ラビットオブムーンの最後の仕事の時に反対派で唯一生き残った男よ。」

「…」

 影宮は無言のまま視線を今井に向けた。ここに着いてから今井は一言も口を聞いていない。

「どうした。今井?」

「え…いや別に。」

 下を向いたままの今井の頭に手を置く影宮。「心配しなくても土産は買ってきてやる。」

「そんな事心配してないわよ!」顔を上げて食って掛る今井。

「遠慮しなくてもいい。どうせ経費で落とすんだから。」

「いや、だから…」

「うん、それなら宇宙もなかを買ってこい。」横からリクエストをする安藤。

「そんな事を言ってる場合ではないでしょう。…後、何なのよ、宇宙もなかって。」

「ステーションの定番の土産らしいな。あんこの代わりにクリームが入っているんだ。」

「それの何が宇宙なのよ。」東の説明に指摘を入れる今井。

「名物など大概そんなものさ。まあ、いつも通りになって良かった。」

 影宮の言葉に今井はふっ切ったように笑顔になった。

「頑張って影宮。」

 影宮は頷いて、イノウエに顔を向けた。

「行こうか。」

 影宮とイノウエがエレベーターに乗り込む。東たちが見守る中、扉が閉まり、エアロックされる。

 エレベーターは起動した。扉には強化ガラスが嵌めこまれており、そこから見えた新東京シティの街並みは見る見る小さくなっていく。

 しばらくは沈黙がエレベーター内に続いたが、イノウエが口を開いた。

「良い仲間ね。」

「…」影宮は無言のままだった。

だが、構わずにイノウエは続ける。

「この数年で状況は大きく変わったわ。もうかつてのように星間のトラブルを企業が請け負うようなことはなくなったわ。発足間もないとは言え惑星連合がなんとか秩序を維持しているの。」

 影宮は僅かに首をイノウエの方に向けた。「何故俺にそんな話をする?」

「わかってるでしょう。あなたにも私達のメンバーになって欲しいの。」

「俺が宇宙から降りた訳は知っているんじゃないか。」

「宇宙空間で活動出来なくても、他の星でもあなたなら活躍の舞台はあるわ。こんな街でドブさらいみたいなことをやっているのはあなたらしくないわ。アースイズムニストの計画を防ぐことが出来ればその功績で惑星連合のエージェントに推薦することも可能なのよ。」

 イノウエの説得を遮るように影宮が口を開いた。

「君はあの会社が隠れ蓑になっていることに大分前から分かっていた。」

「それは…」口ごもるイノウエ。

「いや、君を責めている訳じゃない。惑星連合のエージョントとして、連中が尻尾を出すまで監視するのは当然のことだ。だが…結果的に2人の民間人が死んだ。」

 既にエレベーターは雲を超えて成層圏に近づいていた。窓の景色は暗くなっており、新東京シティの街並みは既に見えない。

「火星その他のコロニーが人類の主な活動場所になっているのは確かだろう。ただ、あの街にも生きている人間はいる。それも確かなことだ。」

 それきり2人は口をつぐんだまま、軌道エレベーターは宇宙ステーションに到着した。

ステーション内は地上の施設と大差ない。人工的に重力が形成され、気圧も地上と同じように設定されている。

「土星ガニメデ行きJ130便はK3搭乗口に…」

 アナウンスが飛び交い、乗客達がせかせかと歩いていく様は地上の空港と変わらない光景だ。その中に影宮とイノウエはいた。

「久しぶりの宇宙に来た感想はどう?」

「いつもより少し高い所に来ただけのことだ。」

 その時ズーンという音がステーション内に響いた。地震のような揺れが発生した。

「始まったらしいな。」影宮が呟く。

 周りの乗客達が、激しい揺れに倒れこむ中で、影宮とイノウエだけが立ち続けていた。

イノウエは端末をだした。掌に置いた端末からはこのステーションの3Dグラフィーが表示された。

 宮村の残したデータにある爆弾が仕掛けられていた個所は赤く光っていた。宇宙船の発着所と居住区の2つの扇状の施設をジョイントする部分に集中していた。

「今爆発したのはデータには存在していない未発見だった爆弾によるもの。爆弾を撤去されたセクションの内、TとJ、Oのセクション内のジェネレータールームが目的ね。」

「では俺はTセクションに行く。君はその他のどちらかに行くといい。」

「ステーションの職員には連絡を…」

「その時間は無いだろう。越権行為だろうが惑星連合の特権でなんとかしてくれ。」

影宮はそう言って、目的のTセクションに走り出す。


 その真下にある新東京シティの輪暮署では署長室に矢島係長以下の捜査一係の面々が呼び出されていた。

「お忙しい所すみません。」谷崎署長が言った。

「影宮の奴はステーションに到着した頃だと思いますが…何か?」

 矢島は頭を下げながら、上目使いで、谷崎の様子を窺う。

「皆さんにはお話をしておこうと思っていまして…おっと失礼。」

 谷崎のデスクの卓上電話が鳴っている。受話器を取る谷崎。

「これは遠藤参事官如何致しましたか。…はい。そうですね。仰る通りです。…気が付いていたのかと?それはアースイズムニストがただ爆弾騒ぎをする為に10年近くも年月を掛ける筈もないですからね。」

 谷崎は受話器で話しながら、モニタをデスクの前に立つ矢島達に向ける。モニタにはステーションの3Dグラフィックが表示されている。

「宮村氏の残したデータを分析すると爆弾はジェネレーターなどの誘爆する個所や、セクション同士の連結が脆そうな個所に集中的に仕掛けられていました。そこからパターンを割り出して、ステーション全体で爆発が起こった場合のシュミレーションをしていた所です。」

 谷崎がEnterキーを押すと、グラフィック上のステーションは端から次々に爆発を起こして行く。

「なるべく施設そのものは吹き飛ばないで、発着所と居住区が真っ二つになるように計算されていますね。そしてその破片は大気圏でも燃え尽きることなく地表に激突する。」

 捜査一係の面々はステーションの破片が激突した衝撃で軌道エレベーターも崩壊していく様に対して息を呑んで見つめていた。

「崩れ落ちる軌道エレベーターの下敷きになり、新東京シティは壊滅する、と。」

 谷崎はモニタを切った。

「え…いえいえ。彼女は…というより、惑星連合は秘密にしていた訳ではありません。ただ、教える義務が無いだけです。計画を防げればこれまで通り。駄目ならば新東京シティは用済みになるだけです。」

 谷崎は青ざめた顔で退室していく捜査一係の面々に軽く頷く。

「はい…そうですよ。だからこそ、この街で最高の刑事を派遣したのですよ。」


 未曾有のトラブルでステーションの保安員もパニックになっており、本来なら立ち入り禁止のTセクション第8ジェネレーター室にもスムーズに辿りつけた影宮だった。

中に入ると部屋の中心に大型ジェネレーターが作動しており、その前にチャールズが立っていた。

「影宮君。私の所に来てくれたか。」

 初対面で見せていた頼れる上司という風格を取り戻していた。

「爆弾は何処に?」

「あそこに仕掛けたよ。面倒くさいトラップなど設定していない。」

 チャールズの示した先には確かに爆弾らしい装置がジェネレーターのパネルに取り付けられていた。

「私を倒して外してみなさいということですよ。」

 余裕に満ちた笑顔を向けるチャールズ。

「チャールズ部長なにか勘違いをしていらっしゃいますね。」慇懃な影宮。

 怪訝そうな表情を浮かべるチャールズ。

「俺は宮村、来須の殺人容疑者としてあんたを逮捕しにきただけ。」

「何を言っている?人類の未来が掛ったこの時に…」

「余罪としてテロまで行おうとしているなら、止めない訳にもいかないでしょう?」

 チャールズは露骨に軽蔑の表情を浮かべた。

「アポロニア様はお前を高く評価していたが…所詮は小物か。」

 チャールズは金色のセイバーボルトを瞬装する。組み合わせた両手からビームソードを発生させる。

 影宮も漆黒のニホンオオカミを瞬装する。チタニウムソードを抜いて伸長させる。

「今度はあの時のような幸運は起こらないぞ。」

 チャールズの口調が酷薄なものに変わった。ビームソードを大上段から振るう。

影宮はそれをチタニウムソードで受け止める。

「そのナマクラごと切断してくれるわ。」

 だが、電磁コーティングされたチタニウムソードは鍔迫り合いでも融解することはない。影宮はチャールズを押し返した。影宮の高速の連撃をチャールズは辛うじて受け返す。武器の優劣が絶対でなくなった状態では後は両者の技量が決める。

 セイバーボルトに内蔵された剣術のマニュアルも影宮の攻撃を全て防ぎきることは出来なかった。右手首から先を切断されるチャールズ。セイバーボルトの両手のジェネレーターの相互作用による出力されていたビームソードは消失する。更に横にチタニウムソードを一閃する影宮。セイバーボルトの装甲が切り裂かれる。

 瞬装が解けて崩れ落ちたチャールズ。「殺すがいい。」チャールズは切断された右腕を押さえて呻くように言った。

 だが、影宮も瞬装を解き、抵抗するチャールズを押さえつけて止血処理を行った。

「あなたには黙秘権がありますよ、チャールズ部長。」

 あくまでも慇懃な口調の影宮に対して、脂汗を流しながら睨みつけるチャールズ。


 Jセクションにある発着所と居住区とを連結している要の1つである第3ポイントがあった。そこでイノウエとアポロニアが対峙していた。

「地球が他の惑星を独裁するのが正しい事だとでもいうの。」

 悠然とした態度のアポロニアにイノウエが激しい口調で詰問する。

「自分達の利益の為に地球を裏切った連中には丁度いい罰さ。」

 アポロニアは親しい友人に向けるような口調だった。

「そしてテラフォーミングに必要な資源をカードに地球が主導権を握ろうというのね。」

「母なる地球を見捨てて人類の発展は無いよね。」

 睨みつけるイノウエにアポロニアは微笑んだ。

「確かにあなたのご両親は我々の活動で犠牲になっていますから、憎まれても仕方がない。ただ、バベルの塔は崩れ落ちるのが神話時代からの定説ですよ。」

「そんな事はさせないわ!」

 イノウエは叫んで、惑星連合専用のケルベロスを瞬装する。両手の平からプラズマブレットを発射する。だが、サンダーボルトをも倒したその攻撃はアポロニアの瞬装したRSには通じなかった。アポロニアのRSは通常のRSのようにワイヤーが伸びて人工筋肉を形成していく訳ではない。フォースフィールドそのものを装着していたのだ。スーツの色ではなく、実際に金色に輝いている。

「試作品のサンダーボルトを倒して位でいい気にならないでください。」

 アポロアは自身の装着したシャイニングボルトの機能を全開にした。


 影宮がJセクションの第3ポイントに着いた時、床全体が焼け焦げており、その真ん中にイノウエが倒れていた。イノウエは全身に火傷を追っていたが辛うじて生きていた。

影宮が抱きかかえると、僅かに意識を取り戻す。

「ごめんなさい。あの男を止められなかったわ。」

「アポロニアはOセクションか。」

「ええ、早く逃げて。ここはもうすぐ…」

 第3ポイントに仕掛けられた爆弾のアラームが鳴りだす。急速にアラーム音が高まる。

イノウエを抱えながら瞬装する影宮。廊下を疾走する。その後を爆風が追ってくる。影宮が開いている入口に飛び込み、壁にあるパネルを操作すると通常の扉だけでなく、隔壁も閉じられる。内部からの圧力で隔壁が僅かだが、盛り上がった。

瞬装を解く影宮。そこへようやくステーションの保安員数人が駆け付けた。先頭の保安員に有無を言わせずにイノウエを預ける。

「惑星連合エージョント様だ。丁重にメディカルルームにお連れ頂きたい。」

 保安員たちは何かを言いかけようとするが、影宮の視線を受けて黙って頷いた。

影宮はOセクションに向けて走って行く。ステーション全体が更に揺れ始めた。いよいよ、崩壊寸前になっている。

 Oセクションの第13ジェネレーターは先ほどのTセクションのそれよりも一回り以上大きかった。入ってきた影宮にアポロニアは嬉しそうに微笑んだ。

「やっと来たね~待っていたよ。」

 アポロニアは旧友に再会したような口調だった。

「さあ、早速始めよう。」

 だが、影宮は右手を上げて制した。

「ちょっと待ってくれ。1つだけ話を聞かせてくれ。」

「何だい?今さら怖気付いた訳でもないだろうに。」

「俺は前職でも恨みを買いやすい仕事をしていた。だが、それでも分からんのだ。何故俺にそこまで拘るのかが理解出来ない。」

「何を言っている僕達の因縁を考えれば当然だろう。」

「因縁?」

「あの火星のテラフォーミング用の資源の運搬さえ防げれば地球の主導権の弱体化は避けられた。そして今地球上で唯一コロニーに尻尾を振るソドムの町の命運が掛っている。正に因縁だろう。」

 影宮はほんの僅かだが表情を変えた。それは憐れみの表情だった。

「あんたも本当は気が付いているんだろう?」

「…?」

「地球の命運は当の昔に尽きていた。地球だけが優越感に浸って前世紀からの内輪もめを繰り返していた。その間に他の惑星は発展を続けた。ただ、それだけだ。」

「…」

「遅かれ早かれ地球は衰退していくし、ここで新東京シティを潰してもそれほど情勢は変わらない。」

「黙れ!」

 陽気な仮面が落ちて狂気がアポロニアの美貌を歪ませていた。

 アポロニアはシャイニングボルトを瞬装して跳びかかる。影宮も瞬装して、チタニウムソードで受ける。シャイニングボルトの単純な突き蹴りは通常RSの人工筋肉から繰り出されるそれよりも数倍の圧力を持っていた。受けてもそのまま後方に吹き飛ばされ、影宮の体が壁にめり込む。アポロニアはその影宮目掛けて跳び蹴りを見舞う。だが、激突する瞬間、影宮の姿が消え、アポロニアは背後に衝撃を受ける。

 ニホンオオカミの性能を全開にした影宮が後に回り込んで斬りつけたのだった。アポロニアの目には漆黒RSの残像が自分の周りを飛び交っているように錯覚してみえた。

 全身に衝撃を受けて倒れるアポロニア。だが、何事も無かったように立ち上がる。並みのRSなら既に機能を停止しているが、フォースフィールドで守られたシャインニングボルトには致命傷は与えられなかったらしい。

「いやーやはり強いな。やはり正攻法では勝てないらしい。…ならば。」

 アポロニアに対峙して、身構える影宮の体が浮く。これまでの戦いで生じた破片も浮かび上がる。

「この部屋の人工重力を自由に切れるように細工をしておいたのさ。」

 そう言うアポロニアの体も浮かぶ。アポロニアは全身を光の矢と化して影宮に頭からぶつかっていく。影宮の体に直撃した。影宮は天井まで吹き飛ばされる。

「君の事は調べて挙げているのね。やはり…」勝ち誇るアポロニア。

 通常の影宮ならば今の攻撃は回避可能だった。こういう時の為に装備した制御バーニアを利用して、紙一重で避けられた筈だった。

「君はあの戦いの後、宇宙を遊泳していた所を奇跡的に発見された。ただ、その時の後遺症で無重力空間では体に麻痺が発生するんだね。」

 実際、今の影宮の全身は痺れに蝕まれていた。バランスを保つこともままならない。その影宮の腹部にアポロニアの突きがめり込む。


 輪暮署の捜査一係の面々は署長室から戻ってきてから、それぞれのデスクに座って誰も口を聞いていない。唯一通常通りなのは矢島係長だけだった。

「肝臓の薬の時間だな。」

 矢島は立ち上がり、給湯室に向かおうとする。

 そんな矢島に堪りかねた東が声を掛ける。

「係長!少しは今井の気持ちも考えてください。実際あいつは係長の悩みの種だったかもしれません。でも今はこの街の運命を掛けて戦っているんですよ。」東は一気にまくし立てる。

 だが、矢島はそんな東をしみじみと見つめた。

「東くん。君はあの男と付き合って大分経つのにまだあの男を理解していないようだね。」

「?」

 東だけでなく、安藤と今井も不思議がる。

「地上だろうと宇宙だろうとあの男は変わらない。マイペースに自分の信じた事をやりたいようにやるだけ。おそらく今度の事も宮村や来須の殺人事件の主犯格を捕まえに行くついで、という認識なんでしょう。」

 そう語る矢島係長は珍しく真剣な表情をしていた。

「残念ながらどんな事があろうと死ぬタマじゃない。さあ、薬の時間と~」

 矢島はいつもの無気力な表情に戻り、部屋を出ていく。

「そうだよね。影宮は約束を破った事はないもの。」

 今井が祈るように言った。頷く東。

「そうそう、土産を約束しているんだったな。」頬を掻きながら安藤が言った。(まあ、最悪手ぶらでもしょうがない。だから生きて戻ってこいや。)


 シャイニングボルトの威力を弱めたプラズマブリットがニホンオオカミの装甲を焦がしていく。影宮はぐったりとして動かない。

「そろそろトドメです。」

 アポロニアは突きだした両手の平にこれまとは比べ物にならない巨大な光球が形成されていく。シャイニングボルトの出力はケルベロスよりも遥かに勝っていた。

巨大なプラズマブリットが影宮に迫る。直撃すればRSごと蒸発していただろうそれを影宮はチタニウムソードで弾き返した。弾き返されたプラズマブリットは壁で爆発を起こして、大穴が空く。室内の空気が真空の宇宙に流れていく。

 その状況の中でも、フォースフィールドで守られているアポロニアの体は室内に浮遊したままだった。

「高い金を出して掴んだ情報なのに…まさかガセネタ?」

 呑気を装うアポロニアの口調にも驚きは隠せない。

「いいや。ご指摘の通り今は麻痺が起こって体は動かし難い、これは事実だ。」

 床にチタニウムソードを突き立てて辛うじて流出を防いでいる影宮が言った。

「だったら無駄な抵抗をする意味が分からない。人類の命運にも興味の無い愚か者があの街に何故拘るの?」

「そんな大袈裟な事は知らん。ただ、目の前でテロ行為が行われていれば止めるだろう。多少体を張る事になってもな。」

 影宮はチタニウムソードを支えになんとか立ち上がる。

「たいしたものだ。そこまであの汚い街の刑事に徹するならそれもいいだろう。」

 アポロニアの皮肉な口調には僅かに感嘆が込められていた。

 バーニアを全開にして突進してくる影宮。それを予想していたアポロニアは軽々とかわす。だが、影宮の目的はアポロニアでは無く、その背後にあった。アポロニアが振り向くと、影宮は部屋の中央の大型ジェネレーターに連結されている4本の動力ケーブルに向かっていた。ケーブルは直径5mの太さを持った極めて強靭なナノカーボンで形成されている。ニホンオオカミをフル稼働した影宮の渾身の一振りはそれを次々と切断していった。

「馬鹿な!」愕然とするアポロニア。

 ジェネレーターは異音を立ててその機能を停止していく。

「これで爆発してもこのフロアが吹き飛ぶだけ。そろそろ時間じゃないのか?避難した方がいいぞ。」

「いいや。ここまで来たらどうあっても君の息の根を僕の手で止めなければ気が済まない。」アポロニアの声に狂気が滲んで来る。

 迫ってくるアポロニアに影宮はコンバットマグナムを向けた。銃身が変形し70口径にサイズアップする。連射する影宮。だが、強化された弾丸でもフォースフィールドは突き破れない。

 それでも影宮はナノテクローダーで装填して、連射を続けていく。

「弾丸が尽きた時が最後だね。」

 あくまでもアポロニアは余裕だった。既に影宮のニホンオオカミはエネルギーを使い果たしている。そしてナノテクローダーは瞬時に弾丸を形成して、迅速にリボルバーに装填が可能だが決して無限ではない。

 だが、影宮はある個所を狙っていた。幾ら全身をフォースフィールドで覆われていても、生命維持装置は必要だ。

(右腰か!)

 そこに集中的に弾丸を撃ち込んでいく。撃ちこまれたごく僅かな時間その個所のフォースフィールドは弱まる。更に同じ個所に弾丸を集中させる。

シャイニングボルトの右腰からビシっという音が聞こえた。その途端に苦しみだすアポロニア。生命維持装置が損傷したのだ。

 バランスを崩したアポロニアはもがき苦しみながら、そのままステーションの外に消えていった。


「お願いです。行かせてください。」

Kセクション内のメディカルルーム内。意識を取り戻していたイノウエはドクターに止められていた。

「落ち着いてください。今動いたら命に関わりますよ。」

 その時Oセクションの方からドーンという爆発音が響いてきた。身構えるイノウエ。だが、ステーションは崩壊する気配がない。

「影宮―!!」

 メディカルルームにイノウエの悲鳴が響いた。

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