第3話 重さと値段

 北部ブロックの中でもスラム化が進んだ戸田町にある廃ビル。その少年たちはそこを根城としていた。

 廃ビルの一室はそれなりに整頓されており、彼らが懸命にそこで生活していたことを物語っていた。血の匂いが充満している前はそれなりに快適な生活空間だったかもしれない。

その住人達は運び出されていく最中だった。5つの小さなカプセルが運び出されていく。

「麻薬か?」

 東はテーブルの上の僅かにある粉を調べている鑑識課員に訊ねる。その鑑識課員は頷いた。

「馬鹿野郎どもが、まだ盗品にだけ扱っていればよかったものを。」安藤が吐き捨てる。

 そのやり取りの間、影宮は入口付近の棚を調べていた。棚にある段ボール箱が幾つかいれられてあった。それぞれの箱には玩具や缶詰、その他日用品などが入れてあった。

「東さん、馴染み情報屋にあたってもらえませんか。」影宮は靴が放りこまれている箱を窺いながら言った。

「ん、何をだ。」

「こいつらが取引していた故買屋を調べて貰いたいんです。」

「ふむ、先ずはその線からあたってみるか。」頷く東。


 故買屋の男はヤスという名の作業着ジャンパーを羽織った髭面の大男だ。顔の大きさの割に小さな目をしている。取調室内のヤスはその目を頻繁にパチパチする。

「何だよ。東の旦那。」

「落ち着けよ、ヤス。何もお前をとっちめようという訳じゃない。知っていることを話してもらいたいだけだ。」東はヤスの肩を叩く。

「あいつらやヤクに手を出していたなんて、どうしても信じられない…まっとうな盗品しか扱ってない。」

「まっとうな盗品、なんてあるのかよ。」ヤスの対面に座っている安藤が指摘する。

「それはそうだが…」不服そうな顔をするヤス。

「とにかくあんたはあの5人から、ヤクを捌く相談は受けていない、ということだな。」影宮がたずねる。

「当たり前だ!受けてたら止めている…」言いかけて口ごもるヤス。

 影宮はその様子をじっと見つめていた。

「何だよ。」怪訝そうな安藤。

「5人…6人じゃないのか。」

「何を言ってる。5人だろう。」安藤がヤスの疑問に答える。

「いや、6人だ。」影宮が断言する。

「遺品を見ても5人分しか見当たらなかったはずだが…」東が言った。

「靴ですよ。サイズは6種類あった。幾ら成長期でもそれほどサイズが大幅に変わることはないでしょう。」

「何だよ。どういうことだよ。」不安げなヤス。


「で、何なのどういうことな訳?」矢島係長はお茶を啜りながらデスク前の東に尋ねる。

「つまりですね。犯人は少年たちを殺害した後、その内の1人の居た痕跡を消してしまった。むしろその1人の為に他の子達を殺害した可能性もあります。」

「ふーん。でもその1人の身元をどうやってつきとめたの?」

「その故買屋の端末にメンバー全員の揃った画像が残してあったので特定は簡単でした。」

「ふーん。なんだか又、メンドクサイ事になりそうなのね。」

「今井と一緒に唯一の身内に会いに行っている所です。」矢島の愚痴を聞き流し席に戻る東。


 ホームは北と東ブロックとの境にある身寄りのない子供たちの施設だ。規律が厳しいが最低限の生活と教育が提供される。ここに浩太という名前の6人目の少年の肉親がいた。健太という名の11歳になる弟だ。

「僕に何の御用でしょうか。」面会室に入ってきた健太は緊張により無表情になっていた。

「あなたのお兄さんのことで聞きたいことがあるの。」今井が言った。

 健太は緊張が増したことにより顔が青ざめていく。

「お兄さんは…何らかの事件に巻き込まれて行方不明になってしまったの。」

 今井の説明を聞いている健太は見る見る緊張が解けていくのがわかった。

「では、兄は殺されたと?」声には不安や心配もあったが、確かに安堵の響きがあった。

「え…そ、そうね。その可能性もあるわ。」今井はその反応に戸惑う。

「僕は1年くらい兄と合っていません。何も知りません。」きっぱりと答える健太。

 今井が続けようとするのを影宮が制した。

「分かった。戻ってくれて構わない。」


「実の兄弟が行方不明だっていうのに…あの態度はないわよね。」

「兄はストリートで、弟は施設に入ることを選んだ。その時に色々あったんだろう。」

 今井と影宮のホームの廊下での会話。その横を清掃員が通り過ぎていく。

「それはそうだけど…」横を見ると影宮がいなかった。後を向くと影宮の後ろ姿があった。影宮の視線の先には廊下の角を曲がっていく清掃員の姿があった。


 思いつめた表情で廊下を歩く健太。清掃員があるいていくことにも気がつかない。清掃員は清掃用RSモビルクリーナーを瞬装する。このRSは清掃の補助に必要な程度の筋力増幅の他に掃除機や洗剤などを内蔵している。だが、指先から発射されたものは睡眠ガスだった。即効で意識を失う健太。清掃員は袋を出す。ポケットサイズから子供1人を収納しても十分な位のサイズに広がるゴミ袋に健太をいれて背負う。

 清掃員は埃避けのマスクにより表情は分からないが、何事もなかったように廊下を歩いていく。このまま予定通りに裏口から出ていけば良かった。

「動くな。」

 背後から声を掛けられた。清掃員に扮した男はこの稼業に身を染めて長いが、背中に氷を当てられたような恐怖を初めて感じた。ゆっくりと首を回した。声を掛けた男を見た。

 銃を構えた影宮と今井の姿が目に入る。

(影狼…)男は声に出さずに呻いた。

「ゆっくりとこちらに来るんだ。」

 男は影宮の指示通りゆっくりと体を回した。その1、2秒の間に判断を下した。健太の入った袋をRSのフルパワーで投げつける。元々このRSの筋力増幅率は大したものではないが、戦闘用に改造されているので子供の体は弾丸のように飛んでいく。

 方向転換してフルパワーで飛び、廊下の窓を突きやぶる。ターゲットの少年の入った袋を影宮がしっかりとキャッチしていことは確認している。

「大丈夫。」と今井。

「ああ、眠らせているだけだ。それにしても…見事だ。」最後の一言は今の逃げっぷりに向けたものだ。


「影宮くんはどうしてその清掃員が偽物だと見破ったのかね。」やはりお茶を啜りながら、今井に質問する矢島。

「その清掃員の制服が急に用意したように新品だったから…とのことですが、これは後付けでやはり勘のようです。」

「やっぱりねぇ~影宮くんたら、またややこしそうな事件をほじくり出してきた訳ね。」

「もうーそういうことは言わないでください。それで子供1人の危機を救う事ができたんですからー」頬を膨らます今井。

「それでその子はどうしているのかね。」

「影宮と安藤が取り調べしてますが…手こずっているようですな。」デスクで事務仕事に疲れて背伸びをしている東が補足した。


「本当に何も知らないよ!」取調室に健太の声が響く。

「落ち着けよ。もう一度思い出してみるんだ。兄ちゃんから何か聞いてないか。或いは何か預かってないか。」安藤が諭すように言った。

「何も受けっとってないし、何も知らないよ。どうして兄さんが…」

「お前何か勘違いしていないか。」それまで黙っていた影宮が口を開いた。

 冷徹な口調にヒステリーを起しかけていた健太の感情も鎮まる。

「兄がどうのといっているが既にお前の問題なんだ。助かりたければ必死に考えろ。」

 息をのむ健太。安藤は気まずそうに頬をかく。


 北部ブロックには2キロメートル四方を城壁で囲まれた場所がある。10メートルの高さの壁が回りの住宅街とは異質の雰囲気を持っている。この場所は大陸から渡ってきた者たちが新東京シティの土地を買い占めてつくった街だ。警察もおいそれとは手を出せない事実上の治外法権だった。かつて大陸にあった無法地帯にちなんで、新九竜と呼ばれている。

 正門には見張りはいないが、好きこのんで誰も入ろうとはしない。その正門が見える路上の路肩に駐車している黒塗りの車がある。

「こら、ちゃんと見張ってろ。」銅星会の幹部である山崎は後部座席から怒鳴った。

「ふぁい。見張っております。」運転席のチンピラは欠伸を噛み殺して答える。

「ただね。正直親分は騙されてるんじゃないですかね。本当に来るんでしょうかね、そいつ。」

「お前は知らんだろうが、新東京シティで現在1、2位をポジションにいる男だ。」

「どんなポジションでも、この新九竜のど真ん中にいるボスを暗殺するなんて…」

 その時チンピラの座る運転席の横の歩道を通り過ぎる男がいた。

「白虎と言えば一流のプロフェッショナルだからな。警戒の厳重な新九竜に我々には想像も付かない手段で潜入するのだろう。」

 山崎は運転席のチンピラが窓から身を乗り出しているのに気がついた。

「こら、何を見ている。」

「今話していたプロフェッショナルが、正門に向かっている所をです。」

 その男は白のスーツを着ていた。服だけでなく髪の毛も白い。髪の色だけでなく、その眼差しも20代の若さに合わぬ暗さを持っていた。悠然と歩くその姿はモデルのようなルックスだったが、モデルには不釣り合いなものを持っていた。

「機関銃なんて持ってますよ。そのまま門に入っていく。」チンピラが実況するように呟いた。

 門の中から銃声が鳴り響く。

「あれ、潜入するんじゃなかったんですか。思いっきり正面突破ですよ。」

「バ、バカ!早く車を出せ。」呑気なチンピラに山崎は怒鳴る。


 白虎の通り名を持つ虎牙は大陸系の極彩色の看板が並ぶ通りを散歩でもするように歩いて行く。立ちはだかる者は年齢性別を問わず撃ち倒していった。

 飯屋と思われる汚い建物を通り過ぎた所で路地へ飛び込む。虎牙の歩いていた表通りに弾丸が降り注ぐ。虎牙は冷たく笑って屋根に登って銃撃している連中を射殺してく。

 路地を出て表通りを歩く虎牙。事実上の治外法権ということで、この住人は外部からの侵入に対して油断しきっていた。大した抵抗もないまま新九竜の中心部に近づいていく虎牙。その耳に機械音が聞こえてくる。毒々しい赤い色をした機体が立ち並ぶ。

(ようやく、マフィアどもの登場か)

 レッドドラゴン、各RSを寄せ集めたデットコピー。

 虎牙は手榴弾を放る。マフィアの警備担当の連中は無警戒だった。レッドドラゴンがデットコピーとはいえ、そのパワーとタフさはかなりのものだ。手榴弾の爆発はびくともしない。

だが、その手榴弾が放ったのは爆風ではなく、閃光だった。

 レッドドラゴンのゴーグルに遮光などとい代物は装備されていない。当然全員固まる。

虎牙は遮光グラスを掛けたので目をやられてはいないが、当然視界は真っ白なままだ。だが、投擲の前にレッドドラゴンの位置は把握している。発射した機関銃の弾丸はレッドドラゴンの装甲の隙間を貫いていく。

 閃光弾の輝きが消えた後、マフィアの警備隊は全滅していた。人気の途絶えた新九竜の中を虎牙は歩いていく。

 街の真ん中に西洋的な屋敷があった。周囲との違和感がかなりあるその建物こそ、大陸系のマフィアのボスのチェンの邸宅だ。

 門の鍵をカラムに残っていた銃弾で破壊し、中に入る。恐怖で動けなくなった者を除いて皆逃げ出していた。玄関先で失禁している使用人を無視して、屋敷に入った。予め見取り図を入手していたらしく、虎牙は迷うこともなく2階にあるチェンの部屋まで来た。

 チェンは部屋の中央の安楽椅子に座っていた。60歳から80歳とも確定出来ない枯れた風貌をしているが、蛇のような目からは強烈な生命力を放っていた。

「随分と荒っぽい訪問の仕方じゃのう、白虎。」微かに聞こえる程度のしわがれ声。

「荒っぽい?この新九竜は警察も手の届かない無法地帯だろう。逆に言えばここでは何をしても構わない。むしろ仕事はやりやすい。」

 白い大陸系の服を着た男がチェンの横に立っていた。男は虎牙の前に立つ。

「俺と兄者が揃っていればそんなへらず口は叩かせないものを。」

「そこはぬかりない。あんたの兄貴の黒竜がいない時を狙ったのさ。」

「舐められたものだ。俺ならば簡単だということか。」

「とんでもない。黒竜白竜兄弟といえば、その筋のヒットマンを何人も血祭りに上げているビッグネームだ。だからこそそちらの親分は余裕を持って踏ん反り返っていられる訳だ。あんたら兄弟が2人ともいなければ今頃は逃げ出しているだろう。」

「うぬぼれるな。俺1人なら倒せる自信があるとでも言うのか。」

「あるとは言わないが、仕事上のリスクは零には出来ないものさ。仕方がない。」

 両者は白いRSを瞬装した。

 虎牙はブレイブタイガーというパワー型のRSだ。通常機はイエローだが、白いカスタムの機体に虎の黒縞が走っている。虎牙は両手に握ったグリップからコンバットナイフを伸長させた。逆手に構える。

 白竜もその名の通り、ホワイトドラゴンを瞬装した。形状的にはレッドドラゴンと変わりはない。だが色だけでなく中身も大陸系マフィァのボスをガードする為のスペシャルメイドだった。白竜は武器を出さず、両手はだらんと下げたままだった。

 白虎と白竜は向かい合って数秒静止したままになった。棒立ちの白竜の右足がかき消える。右踵部分からのバーニア噴射により加速された回し蹴りが虎牙のコメカミに迫る。

 虎牙は咄嗟に頭を後にそらせて回避するが、その時には白竜の左前蹴りが顎を狙って飛んできている。虎牙は床を蹴った。バク転をして後方に5m程跳びさる。

「どうした。逃げてばかりでは俺には勝てんぞ。」

 大陸系マフィア最強の黒竜白竜兄弟のRSの両腕両足にはバーニア噴射装置が内蔵されていた。RSは元々宇宙服が起源となっている。宇宙空間での方向制御用の噴射装置はオプションとしてあるが、この兄弟はそれを戦闘に応用していた。制動に一瞬でも遅れがあれば腕や脚は吹き飛ぶ危険な装備を完璧に使いこなしていた。

 白竜は右脚を肩の高さまで上げながら、コマのように回転する。全身のバーニアを絶秒のタイミングで制御しながら高速で連続蹴りを行う。

 虎牙は両手のコンバットナイフでさばいていくが、遂には弾き飛ばされる。壁にめり込み、建築材と共に床に崩れ落ちていく。

「随分と高くついたリスクだな。」勝ち誇る白竜。

「惜しいな。お前ら兄弟。」立ち上がり破片を振り払いながら虎牙は呟く。

「何?」

「その類まれなバランス感覚と反射速度は宇宙でも重宝される。こんな所に生まれていなければな。」

「…」

 白竜は虎牙の一言をどう受け止めたかはRSのマスクからはうかがい知れない。ただ、裂ぱくの気合とともに渾身のかかと落としを虎牙の脳天に放つ。

 虎牙はコンバットナイフで十字受けをして辛うじて受け止める。だが勢いを止められず膝をつかされる。じわじわと虎牙のRSのヘルメットに圧力が掛っていく。

「このまま頭を踏みつぶしてやろう。」バーニアの出力を更に上げながら白竜は叫んだ。

 その時、虎牙が、虎牙のRSブレイブタイガーが爆ぜた。

 白竜は反対側の壁に吹き飛ばされる。

 タイガーの全身が一回りも二回り大きくなった。リミッター解除された人工筋肉が極限まで増大したのだ。

 虎牙は足首だけを軽く屈伸して床を蹴った。その反動だけで、虎牙の姿は天井近くまで垂直に跳んでいた。体を反転させて今度は天井をフルパワーで蹴る。天井はぶち砕かれ、その反動で虎牙は倒れている白竜に向けて弾丸の如く飛んでいく。首筋に狙いをつけてコンバットナイフを振るう。

 バーニアを起動して白竜は紙一重で回避した。体勢を立て直した白竜はバーニアを最大出力にした渾身のストレートを虎牙の顔面に放つ。会心のタイミングだったが手応えは無い。逆に背中に熱いものが走った。

 チェンは長らく忘れていた驚きと恐れという感情を思いだしていた。自分のボディガードはこれまで最新鋭のRSを相手にしても決して負けたことは無い。どんなパワーや火力を装備していても当たらなければ意味が無く。触れられることもなく兄弟は敵対組織の戦闘員を葬り去っていた。だがその絶対の信頼をおいていたボディガードの方割れがそれ以上の速度を持った相手に切り刻まれていた。

 白竜のバーニアで加速された突きも蹴りも悉く空を切る。それを実現させるカスタムされた人工筋肉の反動は凄まじい。常人なら呆気なく関節が外れて腱もぶち切れる。だが虎牙はその反動をものともせず。冷徹に白竜にダメージを与えていく。その視界にチェンが慌てて椅子から立ち上がるのが見えた。

 まさか使うことになるとは思っていなかった部屋の隅にある緊急用の隠し脱出口。そちらに向けて駆け出そうとしたチェンの視界に白虎の姿が急に現れる。慌てて後を向いたチェンが最後に見たものは自分のボディガードの首を撥ねられた体が崩れ落ちる光景であり、そこで視界は真暗になった。

 胴体から切り離れされたチェンの頭が床に落下した瞬間、タイガーの人工筋肉は萎んでいく。瞬装自体が解除される。リミッター解除の期限は1分間のみだった。

「2人相手に出来ない訳がわかったろ。」そう呟いて答える者のいない部屋を後にする。


 その日の夕方、銅星会の山崎が停車していた路肩に安藤は車を停めた。助手席から今井、後部座席から影宮が降りる。

新九竜の正門前は人だかりになっている。警官隊がその野次馬連中を整理していた。正門の奥はひっそりしている。

 慌ただしい雰囲気の中で、安藤は馴染みの顔を見つけた。

「おーい、松岡の旦那。」

「ふん、はぐれ署の連中がようやくお出ましか。」

「人手が足りないということで来てやったのに早速その態度かよ。」

「所轄が…」松岡はいつものやりとりの途中で違和感に気がついた。

「何だ。そのガキは?」

 松岡の問いは同伴している健太に向けられたものだ。

「あの~ウチで保護している子です。」今井が気まずそうに言った。

「なっなにぃ~!お前らいい加減にしろよ。今どういう状況かわかってんのか。マフィアの大ボスが消されて、一触即発。新東京シティ中がきな臭い空気に包まれてんだぞ。」血相を変えて怒鳴る松岡。

「仰る通りだが、命を狙われるのは確かなんだよ。」安藤の反論も歯切れが悪い。

「子供1人の命と街全体の治安のどっちが大切なんだ。そんなに子守がしたければ子守に専念してろ。」

 それまで無言だった影宮が健太の肩を掴み車の方にも戻っていく。

「おい!?影宮何処に行く?」慌てて安藤が叫ぶ。

「松岡警部の仰る通り子守に専念したいと思います。」

 唖然とする一同を残し、影宮は健太を乗せて車を発進させた。


「大丈夫なの。」車が発進してから、大分経ってから健太は呟いた。

「何がだ。」影宮はバックミラーを確認しながら答える。

「大事件をほったらかして、出世に響くんじゃないの。」

「そんなことを言ってるようではまだ他人事と考えているようだな。」

「別に僕が狙われたと決まった訳じゃないだろ。人違いかもしれないし。」

「残念ながらお目当てはあくまでもお前のようだ。」

「え!?」

「来るぞ。身を屈めていろ。」

 後ろを走る車の天井が開き青緑のRSが飛び出してくる。そのまま前方の影宮達の車の天井に移る。

 青緑のRSが助手席に手を伸ばすのと、狭い車内にコンバットマグナムの轟音が響くのと同時だった。そのRSリザードマンは壁を登攀する為の優れた吸着力があるが、車の天井に張り付いている右手と両足の3点を同時に着弾による衝撃を受けては離れるしかなかった。車の天井から落ち道路に転がっていく。

 その様子を影宮はバックミラーで確認した。しばらく無言で車を走らせ、マグナムの轟音に耳が慣れてきた頃に呟いた。

「覚悟は出来たか、この状況を打開しない限り生き残る道は無い。」

 健太は無言のままだった。


「影宮刑事。あなたは自分のしていることが分かっているのですか。」

 落ち着いた上品な声が輪暮署の捜査一係に響いた。

「警護です。」

「あなたはただあの少年を囮に使っているだけでしょう。」糾弾する声はよりいっそう高くなる。

「そうですよ。犯人をおびき寄せる為には仕方がない。」

「な、何ということを…」

 本庁から来た静十院真登香警視は怒りにより顔が紅潮した。人権やヒューマニズムという単語を使用して影宮を非難する。

 静十院警視の演説を聞きながら、影宮はデスクに座っている矢島係長の方へ身を屈めて小声で尋ねた。

「これはどういうことですか。この方は何をしたいんでしょうか。」

「つまりだね。たった1人の肉親である兄が犯罪に巻き込まれ行方不明。その上自身にも危険が迫っている。その少年に救いの手を差し伸べる。当然好感度がアップする訳だ。静十院家としては彼女をゆくゆくは選挙にも出馬させたい訳だ。その時のPRのネタになる訳だね。」矢島も小声で早口で説明する。

 影宮はその説明に納得し頷く。

「一体何をコソコソ話しているんです!」一括する静十院真登香。

「いいえ、何でもありません。そういう訳でしたら、是非、静十院警視に警護をお願いたします。…それで良いね。影宮くん。」

「はい。構いません。」

 矢島は影宮が呆気なく了解したことに安堵した。ただ次の影宮の発言により、青ざめた。

「ヒューマニズムでも打算でも結果的にあの少年が助かれば良いでしょう。」

 静十院は顔を紅潮させた。咄嗟に言葉が出せず口をパクパクさせる。

 その間に矢島が取り成した。

「まあまあ、後できつく言って聞かせますので…それでは宜しくお願い致します。」

 静十院は冷たく影宮に一瞥をくれて、部屋を出て行った。

 矢島はほっと一息ついた。横目で影宮の様子を窺う。影宮は深く考え込んでいた。

「どうしたのかね。手柄を横取りされることに拗ねているのかね。」矢島は皮肉っぽく言った。

「スラムの子に救いの手を差し伸べる…というシナリオ道理にいってくれるならそれにこしたことはありません。実際の所、警備が万全の所に襲ってこないとは思いますが…」

「彼女の御家はね。代々政治家やら外交官やらを出している名門なの。だからね、南部ブロックの有名なコズミックホテル、勝ち組しか泊まれないという、軌道エレベーターの次にこの街で高いとされるあの超高層超一流ホテルのワンフロアを常に借りきっているの。まあ多分保護するんだったらそこを使用するだろうね。」

 影宮は矢島を見つめた。「珍しく協力的ですね。」

「どうぜ止めても出しゃばるんだろう。余裕があれば東たちのサポートもやってよ。実際新東京シティはあちこち騒動が起こってるんだからね。」

 矢島はデスクの引き出しから胃の薬を出しながら言った。


「どうしたの。遠慮せずに食べなさい。」

「…いいえ。お腹が空いている訳ではないので。」

 豪華のスイートルームのソファに健太と静十院は並んで座っていた。前テーブル上にずらりと並べられた料理を前に少し辟易した表情で答える健太。

「普段碌なものを食べてないんでしょ。遠慮せずに食べなさい。」

 静十院警視の発言に含まれる非礼に関しては聞き流して、健太は質問した。

「それで捜査の方は進んでるんですか。」

「捜査?何の事。」

「いや…僕を狙ってる奴の…」

「どうせあなたの兄さんが、暴力団のルートにでも手を出して殺されたんでしょう。捜査するまでも無いわ。」

 健太は気づかれないように溜息をついた。視線を部屋の奥に向けると夜景が広がっていた。

「窓の方は警護の人がいなくて良いんですか。」

「ここは30階よ。RS装着していても助からない高さなの。」

 健太の問いに露骨な軽蔑の響きを出しながら静十院は答える。

「あの影宮という刑事さんはそういう所は用心深かったですけど。」

(この餓鬼!)

 上流階級の人間として、思うだけで口には出さなかった。静十院は座っているソファの背後に待機しているボディガードの1人に指示を出す。彼らは静十院家直属であり、本来は公務に使用するのは問題だが、それをうやむやに出来るだけの力が静十院家にはあった。

 このホテルの周囲に狙撃の可能な高さのビルは存在していないが、ボディガードは良く訓練されている足取りで慎重に進む。窓の前に立つと、左右を見回し、視線を下に向ける。無論よじ登ってくる者などいない。ボディガードは主人の方に振り向いた。

「問題ありま…」そこまで言ったボディガードの腹部に青緑の槍状のものが突きぬけていた。

「ゴフッ」背中から突き立てられた槍状のものを引き抜かれて、血を吐いて崩れるボディガード。

 その槍状のものは窓ガラスを破って侵入していた。それは窓の上部から延びていた。それは尻尾であり、その主が派手にガラスをぶち破って部屋の中に降り立った。

 リザードマンはその名の通り人型の蜥蜴というグロテスクな外見をしているが、だがスペックは高い。

 残った4人のボディガードは警護用RSメタルバーナードを瞬装して応戦する。彼らの正確な射撃が次々にリザードマンに命中する。だが、鱗状の特殊装甲は弾丸の方向をずらして、RS内部に貫通することを回避させる。

 見かけによらぬ敏捷さでボディガードに駆け寄るリザードマン。その手についたカギ爪は物を掴むには不便だが、強固なビルの外壁に軽々と突き立てる事が可能である。リザードマンの右手はリーダー格の装着したメタルバーナードのヘルメットを握りつぶしていき、左手は隣にいたボディガードの胸部装甲ごと心臓を貫く。

 リザードマンの背後に回り込んだ残りの2人。彼らはその尻尾―テールマニュピレーターの餌食となった。テールマニュピレーターは複数の多方位モーターを軽合金で連結された構成で、装着者の脳波で自在に動く。

 そのテールの先はドリルとして高速回転し、腰から電磁ナイフを出そうとしたボディガードを貫く。最後の1人は逃げようと背を向けるが、テールに体を巻きつけられてしまい、RSの装甲が軋む音、骨が砕ける音、内蔵が潰れる音と共にがっくりと崩れ落ちる。

 静十院は自分の前にゆっくりと歩いてくるリザードマンを黙って見つめていた。冷静なのではなく、ボディガードが全滅して、自分が無防備という事態にパニックになっていたのだ。

「落ち着いてください。静十院警視。」

 元の声を偽装する為に機械的に変換されているが、極めて理知的な声が蜥蜴を模した口から聞こえてきた。

「あなたを殺すのは我々としても都合が悪い。ただ、あなたにも面子はあるでしょう。どうでしょうか。あなたは少年を守ろうとして力及ばず跳ね飛ばされる、ということで…」

 リザードマンは静十院が自分の言ったことを理解するまで数秒まってから続ける。

「宜しければ少年から離れてください。」

 健太は振り向いた静十院の顔を見た。その顔にプライド、恐れ、打算…様々なものが浮かんで消え、やがて無表情になる。静十院は健太から離れた。

「それでは力を抜いてください。多少打撲になってしまうと思います。ただ、それ位でないと怪しまれてしまうと思いますので…」

 リザードマンはテールマニュピレーターを出来うる限りソフトに振った。それでも静十院は数m跳ね飛ばされ、ソファーに落下して気を失う。

 ゆっくりと近づいてくるリザードマンに対して、健太の顔には恐怖よりも諦めの色があった。

 その時入口のドアがバタンと開いた。影宮が部屋の中へ飛び込んで来る。

 リザードマンと自分との間に立ちはだかった影宮を見て健太は叫んだ。

「来るの遅いよ!」

「…コネの無い身でこのホテルに入ってくるのは大変だったんだよ。」

 影宮はリザードマンを警戒しながら部屋の状況を確認する。くるっと振り向き、健太に向けて腕を伸ばした。

「来い!」

 その叫びに健太は迷いを見せずすぐに影宮に飛び付いた。健太を抱えたまま、ニホンオオカミを瞬装して窓際へ走る。そのままリザードマンのブチ割った穴から飛び降りる。

 100mを超える高さはRSを装着していても助からない高さだ。だが、健太は不思議と恐怖感はなかった。その健太を左腕で抱え、右腕でチタニウムソードを抜き、ビルの壁面に突きさす。更に壁面を両足で踏みしめる。壁に縦一文字に線が走り、RSの足裏は急激な摩擦で火花が散っている。落下の速度は少しずつ落ちていくが、地面は見る見る近づいてくる。

 通行人たちは異音に気がつき上を向いた。子供を抱えたRS装着者が壁面を滑ってくるのが見えた。丁度彼らの頭上で停止した。

 影宮は煙を放っている刀を引き抜いて地面に着地する。健太を放って、刀を一振りしてから瞬装を解いた。健太はふらつきながらも立ち上がった。

通行人が見ている中、2人は何もなかったように歩きだした。


「ああ、そうだ。静十院警視が必死に守ろうとして、跳ね飛ばされた所で、俺が駆け付けた…という事にしておいてくれ。ああ、それで構わない。」

 影宮は端末で今井と連絡を取っていた。

「いや、今は新東京シティのあちこちで発生してる抗争の処理に専念してくれ。」

 影宮は端末をしまい、健太に話し掛ける。

「今話した内容で構わないな。」

「別に勝手にしたらいいじゃない。」健太は投げやりに答える。

「ちょっと待てよ、お前ら…人の家に押しかけて何くつろいで会話してんだよ!」

 場所は故買屋のヤスの自宅。夕方にホテルからここに直行して今は8時を回っている。

「大体俺が居場所を売ったりすると思わなかったか。」

 影宮はヤスに視線を合わせる。ヤスは軽く息を呑んだ。

「リークしたのか。」

「してねえよ。ただ、何故俺なんぞを信用するのか理解に苦しむ。」

「端末に連中の写真を保存していたな。」

「…」

「連中をただの取引相手と扱っていたらそんなものは残しておかないだろう。」

「ふん!そんな理由かよ。とんだ迷惑だぜ。」

 毒づくヤスは健太の視線に気づき下を向いた。

「それでどうなんだ。」と影宮。

「どうって…この間話した通りだよ。」うんさりした口調のヤス。

「あれから少しは調べたんだろう。独自のルートも持ってるだろう。」

「あきれたね。そうまでして情報を得たいのかね。」

 ヤスは影宮に食ってかかろうとするが、健太の方を向いて、息を吸って気を静める。

「別に、あいつらが扱ってるのは真っ当なブツだ。命を狙われる程ヤバいものには手は出さない。」

「前にも指摘を受けたと思うが、盗品に真っ当なものなどあるか。」

「そりゃそうかもしれないけどな。あいつらはあいつらの身の上で精一杯やっていたんだ。いつかスラムを抜け出して、宇宙に行くんだって。」

「まだそんな事を言ってたのか!」

 健太の叫びに影宮とヤスは振り返る。

「一緒にホームに行こうと言った時も、宇宙に行くんだ、なんて夢みたいな事を言って…挙句に行方不明になって、僕にまで迷惑をかけて…」

 そこまで言って。健太は奥の部屋に飛び込んでいく。

 後を追おうとするヤスの肩を影宮が掴む。

「今行ってどう声を掛けるつもりだ。」

「…」

「今は事件を解明することが先決だ。兄貴の浩太達のここ数週間の行動を知りたい。」

「わかったよ。」渋々頷くヤス。


 新東京シティは大陸系マフィアと暴力団との抗争が激化していた。

 大陸系マフィアの根城として、入ったものは生きて戻れない、との通説のあった新九竜。それが1人の男にあっけなく潰され、その長が殺された。その事実は裏世界の均衡を崩すことになった。

 西部ブロックの飲食街に縄張りを持つマフィアは暴力団銅星会の兵隊たちの襲撃を受けていた。

 兵隊たちの重装甲RSグリズリーはレッドドラゴンを蹴散らしている。

 飲食街の端に駐車してあるベンツの後部座席に座る銅星会幹部山崎はにんまりしながらその様を鑑賞していた。

「ふふ、やつらは精神的に追い詰められている。無理をしても新九竜を潰したかいがあったというものだ。」自分の手柄のように勝ち誇っていた。

(潰したのはあの殺し屋で、アンタは見張ってただけでしょうに。)

 運転手のチンピラはそう思いながらも追従の笑みを浮かべ、「そうですね。あのグリズリーというRSも奮発しただけはありますね。」と言った。

「そうとも。あのRSは白兵戦闘用だからな。あの縄張りをなるべく無傷で手に入れる為には飛び道具は控えたい。」

 グリズリーはパワー、装甲ともにレッドドラゴンを上待っている。数としても銅星会側の兵隊の方が多かった。確実に大陸系マフィアを駆逐していた。

「あれ、何です。あの黒いの?」チンピラが先に異変に気がついた。

 グリズリーの灰色、ドラゴンの赤が入り乱れている。その中に一体だけ黒いRSが混ざっていた。その黒い機体は圧倒的なスピード差で、グリズリーとドラゴン双方を叩きのめしていた。

「あの黒いのは…」山崎は青ざめた。

「おい!車を出せ。」慌てて運転席のチンピラに命じる。

「はい?」怪訝そうに聞き返すチンピラ。

「出せ~!!」チンピラの耳元で怒鳴りつける山崎。

「は、はいい。」チンピラは首をすくめながら、エンジンを掛けた。

 発進しかけるが、タイヤを撃ち抜かれ、急停車する。

 サイドガラスがぶち破られ、運転席のチンピラが引きずり出される。驚く間もなく、山崎も後部座席から引きずり出され、アスファルトの地面に投げ出される。

 チンピラと山崎は腰をさすりながら辺りを見回すと、レッドドラゴンもグリズリーも倒されていた。正面を向くと黒いRSが立っていた。

「影狼…」山崎は擦れた声で言った。

「え!これが噂の影狼?」チンピラは感心したように言った。

「お前さんに聞きたいことがある。」瞬装を解く影宮。

「なっなんだよ。言っておくが新九竜の事は何も知らんぞ。別に俺が雇った訳でもないし…」チンピラに肩を揺すられて、山崎は慌てて口を押さえる。

「3週間前にお前らの組の倉庫に盗難騒動があったな。」

「はぁ?そんなことが…」怪訝そうな山崎。

「ありましたよ。結局、見張りが侵入に気がついてぶっぱなして追い払ったらしいけど…」記憶を探りながらチンピラが言った。

「ああ、そんなこともあったか~」

「何故警察に届けなかった?」

「いえいえ、ご冗談を。そんな取るに足らないことで。」手を振りながら山崎は言った。

「届けられないようなものをそこの倉庫では保管していたという訳か。」

「盗みに入られたその倉庫に怪しいものなどありませんよ。少なくともその倉庫には…ね。」影宮の顔をうかがいながら、話す山崎。

「…」影宮は無言で無表情のまま、ただ山崎を見ていた。

 山崎の方で、その沈黙に耐えられなくなった。

「一体何ですか?ヤバいものでなくて、あてが外れましたか。」

「ああ、そうでないと辻褄が合わないのでな。」

「?」山崎とチンピラは顔を見合す。

「盗みに入った少年窃盗グループ。その盗み先で見てはいけないものを見て口封じされた。それなら辻褄が合うだろう。」

「ちょっと待った。殺されたんですか、その盗み来たガキどもが?」驚きの声を上げる山崎。

「知ってるはずじゃないのか。」

「知りませんて。まさかそれで別件逮捕しようというんですか?」山崎はあきれたように言った。

「確か…見張りの話だと、威嚇射撃で逃げ出した連中は小柄だったということらしいですけどね。わざわざ追っかけて始末するほど下っ端も暇じゃないですよ~」チンピラが補足する。

「おい。新九竜の件はどうでもいいのかよ。」焦れたように山崎は言った。

「ああ、その件について聞きたい人は別にいる。」近づいてくるサイレン音が聞きながら影宮は言った。

 数台のパトカーが停車した。降りてくる警官たちはドーベルマンに瞬装して、グリズリーとレッドドラゴンを着込んだ兵隊たちを捕確していく。その警官隊の中に松岡警部の姿があった。

「新九竜の一件をたっぷり話すといい。」影宮は右手で山崎、左手でチンピラの襟首を掴み、松岡の元へ引きずって行った。

「後始末を押し付けようというのか。」松岡は早速噛みつくような口調だ。

「はい。申し訳ありませんがお願いします。」その場を立ち去る影宮。

 その背を黙って見ていた松岡が口を開いた。

「影宮。」

 松岡のいつもとは異なる物静かな口調に振り向く影宮。松岡は何時になく真剣な表情をしていた。

「子供1人の命が大切というのはわかる。だが、街が今どんな状況かわかってるだろう。現実的にどちらを優先させなければならないか。」

「仰るとおりです。」影宮は素直に答えた。

「ただ…」影宮は口ごもった。

「?」影宮の珍しい態度を不思議がる松岡。

「この件には裏がある気がするんです。こんな時に勘などで行動していることについてはお叱りを受けて当然ですが…」

 松岡は息を吐いた。そうしながらも逃げようとする山崎とチンピラを蹴りつけた。

「まぁ~好きにすることだ。こちらの手伝いは安藤や今井にばっちり働いてもらうことにするさ。」

 松岡は山崎とチンピラの尻を蹴りつけてパトカーの方に歩かせていく。

 影宮はその背に頭を下げた。


 その教会では貧しい子供達に医療行為を行っていた。身寄りが無くても、素性が知れなくても構わない。

 その教会の庭で少年たちが言い争っていた。

「やんのかコラァ!」その声の主は白い学生服を着ていた。前世紀に特攻服などと呼ばれていたものだ。

「上等だ」そう返した少年は頭を剃り上げて、頭頂部のみ生やした髪をおっ立てていた。これも前世紀にモヒカンなどと呼ばれていた髪型だ。

 貧困な語彙の悪口を声変わり前の声質でキーキーと怒鳴り合っている。それを見物している周りの連中もまともな身なりの者はいなかった。

 その2人の間に神父姿の30代後半くらいの男が立った。男は仲裁の言葉1つ発しないし、厳つい風貌でもないが、悪ガキどもを黙らせてしまう何かがあった。

「ここでのルールを忘れたかね。」男は穏やかな口調だった。

「この教会に来れば誰でも治療が受けられる。だが、争い事は一切禁止。」モヒカンが気まずそうにポツリ言った。

「そうだね。この教会の敷地外では何をやっても構わない。ただし、怪我をするとしてもなるべくここの設備でなんとかなる範囲に留めること。」神父は微笑んだ。

 神父は医師の資格も持っており、少年達を検診していた。そこにシスターがやってきて耳打ちした。

 神父は頷きながら「分かりました。後を頼みます。」と言った。

 神父が教会の裏口に行くと、影宮が立っていた。

「お忙しい所すみません。」

「いえいえ、わざわざ裏口に回ってきてくださる刑事さんは初めてです。」

「早速だが、この少年達に見覚えは無いだろうか。」

 神父は浩太とその仲間達の写真を見つめた。一瞬考えて浩太を指してから答えた。

「はい。2、3週間位前に来ました。真ん中のこの子が肩に怪我をしていました。」

「その子は今行方不明だ。その他の子ももう生きていない。」

「!」神父の顔が曇る。

「だから、出来れば正直に答えて貰いたい。」

「…銃で撃たれた傷でした。」

「そうですか。」山崎の証言と一致していた。確かに浩太達は銅星会の管理している倉庫に忍び込むのに失敗して、この教会に来るところまでは足取りが特定出来た。

「では、撃った連中が彼らを?」

「それを現在捜査中です。」

 神父の温和な顔に苦渋の色が浮かぶ。

「ここに来る子たちは様々な怪我をしてきます。警察にご報告しなければいけないケースもあります。ただ、ここに来れば詳細は聞かないで治療を行います。そのルールがあればこそ彼らはこの教会に来てくれているのです。」

「あなたを責めている訳ではありません。ご協力に感謝します。」影宮は教会を後にする。


 一口に大陸系と言っても、完全に国籍も移して、日本人になっている人々も少なくない。ただ、生活様式に大陸系の名残りがあるだけでも、地域住民との摩擦となっていた。

北部ブロックの新原町にある大陸系のタウンでは新東京シティで発生したトラブルが引き金となり、住民同士の小競り合いに発展していた。

 住民同士の小競り合いとはいえ、その住民達がRSを装着していれば問題は深刻になる。作業用のRSでも10kg前後の出力を持っている。感情的になった住民達がRSを装着して小競り合えば被害は尋常ではない。

 警官だけでは手が足りず、刑事もそのトラブル対応にかり出されていた。

「おい、ゲンさん。年寄りが無茶をするもんじゃないよ。」

 ドーベルマンを瞬装した東が大陸系タウンと地元商店街の間の大場通りにいた。殴りこもうとする先頭のコングの前に立ちふさがっている。

「東さん。あんた大陸系の肩を持つのかい。」コングの半透明のバイザーから、初老の男が叫んでいる顔が透けて見える。

「あのねぇ…連中もIDは日本なのよ。税金だってちゃんと払ってるの。」

「そんなことを…」ラーメン屋をやっているゲンさんは腕を振り回す。

 東はその腕を掴み、投げ飛ばす。一回転してコングは背中からコンクリートに激突した。コング内のゲンさんは息を詰まらせて動けなくなるが、ダメージはほとんどない。

 大陸系タウンの側から鉄パイプを振り上げて突っ込んで来るレッドラゴン。東はその腕を掴み関節を極める。バランスを崩したレッドドラゴンに足払いを掛けて倒し、ヘルメットの側頭部に膝を当てる。レッドドラゴンの装着者は意識を失いその腕から鉄パイプが落ちた。住民相手に重火器を使用する訳にもいかない。東の合気道の技術はRS装着者も制圧できるレベルのものだった。

「頼むから大人しくしてくれって。」困ったように東は叫んだ。

 だが、エキサイトした地域住民と大陸系住民は収まらない。大場通りのあちこちで、乱闘が起こっていた。

「ああ、もう~」東はうんざりした声を上げながら、地域住民のコングと大陸系住民のレッドドラゴンを捌いていく。

 その東の後ろから掴み掛かろうとするレッドドラゴン。その前に生身の男が立ちはだかった。レッドドラゴンの咄嗟に繰り出したパンチは空を切った。パンチを放った勢いで、転倒する。

「お~影宮。」ドーベルマンのマスクの下で、東は笑顔を向けた。

「遅くなりました。」影宮は生身のまま、RSを装着した住民達を捌いている。

「それでどうなんだ、捜査の方は。」右手で、コングの右腕を極めて投げつつ、左手で、掌底を別のコングの顎に打ち込む。

「あまり芳しくありません。」影宮は回し蹴りをしてきたレッドドラゴンの右足首を掴んで、持ち上げた。後方へ倒れ込んだレッドドラゴンは後頭部を打ちつける。

「ん~見事、見事。」東は感心して言った。ある程度は装着したドーベルマンのパワーも利用している自分に比べ、この若い同僚は数段上の技量を持っていた。

「それにしても、もう連中の稼業から辿って行くのは無理があるんじゃないか。」

「ええ…」

 影宮は返事をしながら、突進してくるレッドドラゴンに対して、左に僅かに体をずらす。右手で顎を掴み、左足のつま先で、相手の右踵を蹴る。突進の勢いから体が上下逆になり、脳天を地面に激突させる。

「おーい。思案に暮れるのは良いが手加減せいよ。」

 その様子を見ていた住民達は次第に沈静化していった。一時の興奮が冷めたのだ。

倒された連中も立ち上がってくる。頭を振ったり、極められていた腕をさすったりしてはいるが、命に別条のあるものは1人もいなかった。

 それを感じ取った東は両手を上げた。

「はーい。本日の運動はおしまい。皆、帰った、帰った。」

住民達は瞬装を解いて、渋々それぞれの住処に帰って行った。

 東と共に影宮はそれを見守っていたが、ある一点に視線を向けた。その先には白い姿があった。

「東さん、すみません。ちょっと失礼します。」

 瞬装を解いて背伸びをしている東にそう告げてから、影宮は走り出す。


 白い姿を追って路地に入った影宮。奥まで来たが行き止まりだった。

「相変わらずだな。」

 背後からの声に振り向くと、白髪の白いスーツの男が立っていた。

「やはりお前か、虎牙。」

 2人はラビットオブムーンという警備会社に所属していた。この時代は諜報活動もアウトソーシングが進んでおり、名目上は警備会社だが惑星間の非合法なトラブルの対処が仕事だった。

「事故で死んだと聞いていたが。」

「ああ、死んだのさ。」

 虎牙の乗った星間シャトルに爆弾が仕掛けられていた。奇跡的に虎牙のみが助かった。

「だが、この有様さ。」自身の白髪を触りながら自嘲気味に笑う。

「その爆弾を仕掛けた奴は見つかったのか。」

「狙われたのは俺じゃない。どこぞの議員先生を狙ったものさ。皮肉なもんだろう?仕事では一度もしくじった事のない俺が巻き添えで一生宇宙に上がれなくなった。」

「体に後遺症が残ったのか。」

「精神の方にな。宇宙船に乗れなくなった。情けないがあのスペースに入ると震えが止まらなくなる。」

「それでこの街に流れてきたのか。」

「ああ、お前も似たようなもんだろう。」

 影宮と虎牙は数秒の間見合った。先に口を開いたのは影宮の方だった。

「白虎という名の殺し屋は…」

「俺さ。」きっぱりと答える虎牙。

「ならば何故、俺の前に現れた。」

「ほんの挨拶さ。影狼の名は聞いている。白虎として仕事を続ける限り必ずぶつかる時が来る。その前に旧友として最後の挨拶だな。」

 そう言って虎牙は路地の奥へ走り出した。生身のまま塀を飛び越えて行く。

「虎牙!!」

 追おうとした影宮を止めたのは端末からのアラームだった。ヤスからの呼びだしたった。

「どうした…分かった。すぐに行く。」


「そのトカゲ野郎だ。」助手席に座ったヤスが言った。

「窓が割られて、尻尾だけが伸びてきて坊主の体に巻きつけて、連れ去って行きやがった。」

「確実にお前の部屋にいることが分かっていた訳か。」運転席でハンドルを握る影宮が尋ねる。

「おい!まだ俺が売ったとでも考えている訳か?」

「いいや。それならば口封じされているだろう。むしろ、お前に見られることを気にも止めていないようだ。」

「結局あのトカゲ野郎の目的はあいつの口封じでもなさそうだが…そこを右折だ。」端末を見ながらヤスが指示する。

 2人の乗った車は北部ブロックの端に向けて走って行く。

「この先は?」

「廃病院だ。坊主の反応はそこにある。」

 辺りは人家もまばらになってきており、その先にそれらしい建物が見えてきた。その手前で影宮は車を停車させた。

「降りろ。」

「何だと~馬鹿高い発信機まで用意さえてそれは無いだろう。」怒鳴るヤス。

 健太に静脈注射したナノレベルの発信機は数日しか持たないが、範囲は新東京シティを全域のカバー出来る。この反応を頼りにここまで追跡をしてきただ。

「おそらく待ち伏せされている。あのトカゲもここでケリをつけようとするだろう。ここまでで十分だ。」

 険しい顔で降りるヤスは運転席の方に回ってきた。

「おい!言っておくが…」

「分かってる。ナノ発信機の代金は必ず支払う。」

「違うわ!!いや、それも勿論そうだが、必ず坊主を連れ戻せよ。それと割られた窓ガラスの修理費もだぞ。」

「了解した。」影宮は車を発進させた。


 その廃病院は門が朽ちていた。影宮は車を玄関前で移動して駐車する。ドアも朽ちている玄関前に立つ影宮は端末で健太の位置を確認する。確かにこの建物の中から反応があった。

夕暮れ時で辺りは暗くなっており、廃病院内は闇の中だ。影宮はペンライトを出しその闇に足を進めた。

 ペンライトでの僅かな光を頼りに廃病院内を進んでいく影宮。ふと立ち止まり、周りをペンライトで照らしてみる。照らされた床も壁も天井も全てが朽ちている。

(何処から見ても廃墟だ。だがこの感じは…)

 影宮の感じている違和感は無人の筈の廃病院に人の気配が感じられることだった。単に待ち伏せの為ではなく、現在も定期的に使用されているような気配があった。

 廊下の奥のドアのノブを回す。錆ついた外見に反してスムーズに開いた。中は手術室になっていた。この部屋だけは整備されており明かりもついていた。健太は部屋の真ん中の手術台に横たわっていた。

 健太が息をしていることを確認出来る距離まで近づいた時、手術台の下部から、テールマニュピレーターが影宮の腹部を目掛けて飛んできた。影宮は咄嗟に床を蹴った。そのままバク転の要領で、手術台から離れる。テールマニュピレーターは僅かにかすり影宮のシャツを切り裂いた。

 のっそりとリザードマンが手術台から出てきた。リザードマンはカギ爪を健太の首筋に突き付けた。

「人質のつもりならやめておけ。理由は知らんがその子に死なれては困るんだろう?」影宮は首を振りながら言った。

 影宮はリザードマンに無造作に背中を向けドアに歩いていく。

「部屋の外でケリを付けよう。」

「…」

 リザードマンも影宮の後に続いて廊下へ出た。2人は廊下で対峙した。影宮はニホンオオカミを瞬装した。

 リザードマンは背中を向けて、テールマニュピレーターを繰り出してくる。多方位モーターによりムチのように捉えにくい曲線的な動きをするテールを影宮はチタニウムソードで、弾き返していく。だが影宮の技量とニホンオオカミの機動性、精密動作性能を持ってしても連続攻撃の全ては返しきれず肩と太腿の装甲をテールの先端に付いたドリルで浅く切り裂かれる。少しずつ押されていく影宮。

 後に下がりながら影宮がソードを振り下ろした瞬間を狙って、テールが刀身に巻きついてくる。

 相手の武器を封じたことで、リザードマンは勝利を確信した。

(幾らそのRSをフルパワーにしても、こちらのテールマニュピレーターを振りほどく事は不可能だ。)

 リザードマンは両手のカギ爪でトドメを刺すべく影宮に近づいた。だが影宮はあっさりとソードを手放す。強い抵抗を予想していたリザードマンは体勢を崩す。その無防備なリザードマンの頭に影宮の上段回し蹴りが叩きこまれる。命令を下す頭脳が一瞬でも停止すれば、どれほど高性能な武器でも無力化する。テールに巻きつかれていたソードを取り返すことは容易かった

 影宮はそのテールの根本にソードを振り下ろす。テールにはモーターの連結部分が存在する。その数ミリの隙間に刃を通し切断した。リザードマンは窓を破り、一目散に逃走する。

「得意の武器に頼りすぎたな。」影宮は呟いた。


 影宮は手術室に戻った。睡眠薬を打たれているらしい健太はまだ眠ったままだ。

手術室を見回してみると確かに現在も使用されている形跡がある。影宮は手術室の奥の扉に目を向ける。


 健太が目を覚ますと、影宮が横に立っていた。

「お前の兄は死んでいる。」が、第一声だった。

「ええ?」まだ状況を呑み込めていない健太は聞き返す。

「見るか見ないかはお前次第だ。」影宮は奥の扉を指した。

「…」健太は影宮を見つめ、それから奥の扉の方を向いた。


 神父が自室に戻り、灯りを付ける。壁際に人が立っている事に気がつき驚く。

「無断で入り申し訳ありません。事情があって中で待たせて頂きました。」

「あなたは…昼間の刑事さん。」神父は影宮の隣にいる健太に視線を向ける。

「この少年を保護して頂きたいのです。」

「ではこの少年が浩太君の…」

「はい。現在、新東京シティで発生しているトラブル対応で、警備に人員を割けない状況です。」

「そうですか。それで私の所に。」

「危険を伴います。頼める筋合いではないのですが…」

「いいえ。私にやらせてください。」神父は強い意志を込めて言った。


 健太は教会の中庭の芝生に体育座りしていた。その後ろに影宮が立つ。

「しばらくこの教会の面倒を見てもらう事になる」

「…」健太は無言のままだった。

 影宮は背を向けて立ち去ろうとする。その背に健太が叫んだ。

「兄さんは…」

「臓器の密売が目的だろう。」

 あの手術室の奥は死体の保管室になっていた。兄の浩太のものも含めて多数の児童の死体が保管されていた。彼らの臓器は抜き取られていた。

「笑えるよな。宇宙に行く、と息まいて、挙句にお腹を空っぽにされて殺されるなんて…」

 健太は声に出して笑い、やがてそれは嗚咽に変わった。

「スクールではコロニー工学を専攻しているそうだな。」

「…」

「試験は難しいが技師になれば、惑星開発で重宝される。」

「別に…身寄りのない奴が職に就くにはそれ位のスキルを持ってないといけないからさ。」

 健太は上を向いた。星空を眺める。

「ねぇ、アンタはどうして宇宙にいったの?」

「…」

「いや、言いたくないなら別にいいけど。」

「単純な話だ。地球じゃ食えなくなった。」


 10代の影宮が屋敷の廊下を歩いている。廊下の奥の部屋の障子を空けて中に入る。部屋の中央に布団が敷かれており、老人が上半身を起こして窓に視線を向けていた。

「お休みになっていなければ。」

「いや、今は大分調子が良いのだ。今の内に見ておきたい。」

 窓の外に見事な日本庭園が広がっている。そして塀のすぐ外の街なみは水没しつつあった。

「ここももうすぐ沈む。」静かに老人は呟いた。そして影宮の方に視線を向ける。

「お前には不憫な思いをさせる。本来ならこの道場の後を継ぐに相応しい技量を持ちながら、古から続いた道場が海に呑み込まれてしまうのだからな。」

 影宮は軽く頭を下げ、生まれ育った屋敷の庭を見つめた。


「それじゃ、住んでいた所がなくなって…」健太が言った。

「結局出戻ってきてしまったがな。」影宮はそう言って庭を後にする。

 裏門では神父が待っていた。

「あの子は必ずお守りします。」

 無言で頭を下げて、立ち去る影宮。その姿が見えなくなるまで、神父は見送り続けた。

 中庭に佇む健太の前に神父が微笑みながら現れた。

「今晩は。お兄さんは気の毒でしたね。」

「いいえ。もういいんです。」ふっきたように健太は言った。

「この教会に来た時は自分の怪我よりも仲間の怪我を心配するやさしい子だったね。」

「そうですか…」

「そしてあの時も、ね。仲間の子達を逃がそうと最後まで抵抗していたよ。」

「え!?」

 その時、健太はホームで、誘拐されそうになった時のことを思い出した。あの清掃員はマスクをしていたが、その眼差しは今目の前に立っている男のものだと直感した。

 神父は微笑みながら瞬装した。リザードマンの姿になる。

「ど…どうして?」健太は後ずさった。

「ここを運営していくにはお金が掛る。多少の犠牲はやむを得ない。それだけの事なんだよ。」神父…リザードマンは諭すように言った。

「それじゃ、兄さんを誘拐する為だけに他の皆も…」

「貧しく戸籍も身寄りの無い子供たち。居なくなっても残念ながら誰にも気にもとめられない子供たち。君の御兄さんのそれは僅かに適合しなかった。だが、君のならば適合率は申し分ない。」

「慈善事業も綺麗ごとばかりではやっていけないか。」冷たい声が響く。

 その声に愕然と振り向くリザードマン。庭の樹木の後から影宮が歩いてきた。

「何故…?」

「前々から北部ブロックの子供の失踪の届けは出ていた。依頼があってから一々探していては間に合わないし、発覚もし易い。だが、ここならばドナー管理も容易に出来る。」

「違う!決して偽装で治療行為を行っているのではない!!」

「あんたが善人面をするのにも多少の犠牲は仕方ないか。」

「…そう多少の犠牲だ。それで大勢の子ども達が、彼らの生活レベルでは到底不可能な医療行為を無償で受けられる。私は死んで地獄に落ちるだろう。だが、誰よりも貧しい子供達を救ってきたという自負がある。」リザードマンは叫んだ。

「だったら今地獄に落としてやろう。」

 その場の雰囲気に合わぬ陽気な声の方向に、リザードマンと影宮は視線を向けた。白いスーツに白髪の男がにこやかに立っていた。

「…虎牙。」

「いやー影宮。まさかこんなに早く再会するとはな~」影宮に手を振る虎牙。

「何だ。貴様は!」

「殺し屋だよ。あんたの始末と事後処理を依頼されている。自分でも分かってるだろう。あんたはヘマをやりすぎた。」

「ふざけるな。出来るものならやってみろ!」

 リザードマンは虎牙に飛びかかる。テールマニュピレーターが、二又に分かれた。出掛けていたのは、RSの強化改造が目的だったらしい。

 まだ、事態が把握しきれず呆然とする健太の目には突然現れた白髪の男が白いRSを瞬装し、リザードマンとすれ違った、としか認識出来なかった。

 リザードマンの2又のテールと首が切断されて崩れ落ちるのを見て、それから白いRSを見た。その両手に持っているコンバットナイフがすれ違った瞬間に切断したのだと辛うじて判断出来た。

 その健太の前に影宮が立つ。日頃無表情なこの男の顔が僅かに緊張していた。それだけ、かつての同僚の技量はずば抜けていた。

 だが、虎牙は瞬装を解いた。

「落ち着けよ。まだ戦うと決まった訳じゃない。」

「どういうことだ。口封じとこの坊主の確保を依頼されているんじゃないのか。」

「依頼主は出来れば影狼を敵に回したくないんだそうだ。」

「…」

 ここの教会は高台に建っている。その庭からは南部ブロックの輝きが良く見えた。虎牙はそれを指差した。

「ドナーを必要としている子はあの南部ブロックにあるお屋敷に住んでいる。裕福で両親とも健在で、学校の成績も良く、美術の才能もあってコンクールに入賞したらしい。あとは健康な心臓さえあれば確実に明るい未来が約束されているそうだ。」

「何が言いたい。お前はそんなまどろっこしい言い方をする奴じゃなかったろう。」と影宮。

 微笑を浮かべていた虎牙が真顔になった。

「はっきり言うが、その健太と言う子がスラムの中で成人まで育てる可能性は低い。」

 健太は青ざめた。そのまま膝をつく。

「だから、この坊主が犠牲になればあの明かりの何処かの御屋敷に住んでる坊ちゃんが助かり、ここのストリートチルドレンも無償で治療が受け続けられるという訳か。」影宮がその先を続けた。

「そう言う事。この神父の後釜を見つけてこの施設は継続する。俺は旧友と戦わなくて済むし、お前は依頼主から金額欄が空欄の小切手を頂戴出来るそうだ。今時小切手だぞ、オイ。」

 虎牙は健太に近づこうとするが、影宮は健太の前に立ったままだった。

「オーイ」虎牙は懇願するように唸った。

「刑事の仕事は市民の安全を守ることだ。」

「今、そんなお題目を唱えてどうすんだよ。」

「俺は守る仕事に就いた。お前は奪う仕事に就いた。ただそれだけのことだ。」

 影宮と虎牙は見合った。

「明日、死ぬかもしれない命を守って意味があるのか。」

「それが仕事だ。」

 2人は瞬装した。2人の技量も、影宮はチタニウムソードと虎牙はセラミックナイフの強度も互角。健太の目には腕の動きは見えず、ただ、刃のぶつかり合う音しか聞こえなかった。

 切り合いながら教会側に走る2人。教会の壁を駆け上りながらも互角の戦いは続く。だが、突如その均衡は破れた。ブレイブタイガーの人工筋肉が一回り膨れ上がる。強化モードを起動させた虎牙のナイフは更に速度を増す。ニホンオオカミの装甲は切り刻まれていく。

 教会の屋根まで到達した時、壁を蹴り飛ぶ2人。空中で刃が交差する。影宮の左肩から鮮血が飛ぶ。態勢を崩し落下する影宮。

 虎牙は止めを刺すべく、降下しながらナイフを振り下ろす。だが、健太が影宮の前に飛び出してきた。ナイフを急制動する虎牙の首を右腕のみで振るう影宮のソードが切り裂く。

首筋からの血しぶきが白いRSを紅く染める。

「変わらんな、影宮。」崩れ落ちる虎牙。

「何故飛び出してきた。」影宮は左肩を押さえながら、健太に言った。

「だって、僕の心臓が目当て何でしょう?僕を殺せる筈ないじゃない。」

「勢い余ってということもあるだろう。」

「どっちにしたって、あんたが倒されれば僕も終わりだもの。」

「そうか…助けられた訳か。」

「まあ、おあいこだよ。」

 影宮は倒れている虎牙に視線を向けている。

「友達だったの?」

「ああ…」RSを装着したままの影宮が答える。

(悲しんでいる顔を見られたくないのかな。)健太はなんとなくそう思った。


 左腕を吊った影宮が歩道を歩いている。クラクションの音に振り向くと松岡が運転席から手を振っている。

「全く。こっちが街の大掃除に追われている時に大物を釣り上げやがって。」ハンドルを握る松岡がぼやく。

「抗争の方は収まりつつあるそうですね。」助手席に身を預けたまま影宮が言った。

「ああ、後はボスの右腕だった黒竜という奴さえ捕えればな。」

 松岡は違和感を覚えた。影宮はいつも通りの無表情だが何かが違っていた。

「おい、どうした。臓器密売グループは一網打尽じゃないか。何が不満だよ?」

「以前、お孫さんの捜索願いを出していたおばあさんの所に報告に行ってきたんです。」

「報告って、まさか?」

「残念ながら既にその子は…」

 車内に流れる気まずい空気。それを振り払うように松岡が叫んだ。

「えーい。もう済んじまったもんはしょうがないだろう。それよりもあの時の坊主だよ。殺された兄貴の夢を継いで宇宙を目指してるんだろう。」

「ええ、コロニー技師になるそうです。」

「世の中悪い事ばかりじゃねえよ。」

 相槌を打とうとした影宮は車窓から人が集まっている事に気がついた。

「すいません。車を止めてください。」

 人ごみは見物人の集まりだった。それを掻き分けて影宮が中心に行くと、東、安藤、今井が立っていた。

「影宮!」東の顔が強張る。

 影宮は彼らの足元に視線を向けたまま微動だにしない。

「大陸系の残党が暴力団の事務所に銃撃したの。窓ガラスを割っただけで、連中には何の被害もなかったんだけど、流れ弾が…」今井が目を伏せたまま説明する。

 倒れている健太の顔は額の赤黒い弾痕を除けばこれまで見たことがないほど、明るく希望に満ちた表情をしていた。自分が撃たれた事に気がつかないまま即死していた。

 黙ったまま安藤は健太の目を閉じさせた。後を追って来た松岡も言葉を失っている。

(どうせ死ぬのならドナーになってくれれば助かった命があったものを…貧しい子達へ医療行為も続けられたものを。)

 影宮の耳に神父の声が聞こえたような気がした。或いは堕ちた先の地獄で残念がっているのかもしれない。

 影宮は健太から視線を外した。見物人の中にヤスが立っている事に気が付いた。青ざめているヤスに近づく。

「大陸系の残党は黒竜というのが仕切っているらしい。」

「ちょっと、影宮何をするつもり?」今井が驚く。

「あの時、協力してもらうのはこれっきりと言ったがあれは取り消す。連中の武器ルートを知りたい。」

 唖然としていたヤスの顔は、泣き笑いのような表情になった。

「俺も運が悪いよ、エライ旦那に関わっちまった…いいさ、調べてみるよ。」

「待った、待った。影宮、お前はまだ休暇中だろう。」東が言った。

「そりゃ~俺達の腕が頼りにならないのは分かるけどよ。怪我人が出しゃばってもしょうがないだろうよ。」黙っていた安藤も口を開く。

「そうだな。黒竜は弟の白竜よりも腕が立つそうだ。万全のお前さんでも厳しい所だぞ。」松岡も珍しく安藤に賛同する意見を言った。

「影宮、今は治療に専念して。」今井は影宮の吊っている左腕を両手で触った。

(もう失われた命の為に何をするつもりだ。)

 旧友の声も聞こえたような気がした。

 影宮は左腕を押さえている今井の手をやさしく、だがきっぱりと外した。それから吊っている包帯も外す。

「勝手ばかりやって本当に申し訳ない。だが、最後までやらせてくれ。」影宮は微笑みながら言った。

 穏やかでありながら強い決意の宿った笑顔に誰も何も言えなくなった。

「東さん。後はお願いします。」

「んー分かったよ。安藤、今井、サポートを頼むぞ。」東は諦めたように言った。

「ちっ。しょうがねえなー。足手まといになるなよ。」

「影宮。無理はしないでね。」

 安藤、今井と共にパトカーに向かう影宮は周りから聞こえない小声で呟いた。

「これが俺の選択だ。」

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