第2話 リース業
深夜のオフィス街。人気の途絶えた路上に駐車しているパトカーから話し声が聞こえる。
「…はい。何度も巡回しました。」助手席の警官が無線連絡を行っている。
「…はい。もう一度捜索します。」言って、叩きつけるように無線機を戻した。
「上の方も相当熱くなってるな。」運転席の警官がうんざりするように言った。
助手席の警官が頷いて、シートに体重を預ける。
「何せ今月に入って5件目だからな。」
宝石のみを狙った貴金属店の2人組の強盗が、多発していた。非常線が張られ追いつめてもいつも逃亡されていた。
ため息をつくパトカー内の警官2名。強盗犯2人組はその上空数十メートルを通過していた。
アキレスというRSは脚部の人工筋肉に特化している。装着者の身体能力が高ければ20メートルの幅は楽に飛び越せる。
「うまくいったな。田中。」
飛び移ってきたビルの屋上からパトカーを見下ろしながら、アキレスの装着者がもう1人に声をかける。
「ああ。とはいえ毎回のこの瞬間は気持ちのいいもんじゃない。」小型のトランクを持ったもう1人が答える。
彼らは高校時代陸上部のインターハイ出場を経験していた。その彼らにとっての人生の絶頂から今に至るまで友人として過ごしてきた。
「とはいえ…あと1回か2回でこんなヤバい思いもしなくて済む訳だしな…」持ったトランクを叩いた。
「いいや。もう二度とそんな思いをしなくても済む。」屋上の端から声がした。
愕然と振り向く2人の前に男が歩んできた。背広だけなくワイシャツも黒の為、闇に溶け込んでいた姿が月明かりに照らせれて浮かび上がってきた。
「強盗の現行犯で逮捕する。」影宮は機械的にそう告げる。
「デカか!…でもどうしてここに?」
「貴金属店に押し入っても宝石類しか狙わない。必ずビル街に逃げ込む。これらの条件だけでも、ある程度あたりはつけられる。」変わらぬ機械的な口調。吐かれる白い息が僅かに人間であることを証明していた。
「あたりって今までずっと…?」
RSはインナースーツの状態でも温度調節機能は持っている。だが容赦ない真冬の寒さを防ぎきれるものではない。だが影宮の表情からは1週間の張り込みの疲れも、その張り込みが実った喜びも興奮も存在しなかった。
田中と呼ばれたアキレス装着者が動いた。抜群の脚力を誇るアキレスはダッシュにおいても性能を発揮する。直撃すればダンプに跳ねられたのと同様の衝撃を与えられる。
田中の視界の影宮の姿は衝突の寸前に消えた。次の瞬間、視界が逆転した。影宮は直撃される瞬間、体をずらし、足払いを掛けた。加速した分バランスを崩されれば脆い。反転した視界に相棒の鈴木の姿が上下逆に映る。それが夜空になり、全身に衝撃を受けコンクリートの床に体をめり込ませ意識を失った。
鈴木は相棒の持っていたトランクケースを探した。相棒の手から離れ床に落ちていた。それを掴み今飛び越えてきた向かい側のビルに走り出し、跳んだ。
急速に拳銃の射程距離から遠ざかるその背中に向け、影宮はホルスターから抜いたコンバットマグナムを構えた。
パトカー内の警官は頭上からの銃声に驚き顔を上げる。外に出て状況を確認しようとドアに手を掛ける前にパトカーのフロント部に落下物があり、更に驚かされることになった。
罅割れたフロントウィンドウにアキレスのマスクがめり込んでいた。RSが解除され20代前半と思われる男の姿になった。
「…ということで是非、協力してもらいたいんだ。」
取調室には生き残った田中と影宮、東がいた。東は辛抱強く田中を説得していた。
「君たちのように犯罪に走る者が出てこないためにもRSの購入元を明かしてくれないだろうか。」
RSはほとんどが地球外の惑星で開発されている。戦闘用RSの輸入には厳しい審査が必要となっている為にRSはクスリや銃器とともに密売の対象になっている。その為警察も密売グループの摘発に躍起になっている。
それまで影宮を睨みつけたまま無言だった田中が絞り出すように言った。
「よくも俺の仲間を」
「お前が仲間と呼ぶのはお前を置いて逃げだそうとした男のことか」
「何!!」血相を変えて田中が立ち上がる。
「まあまあ…一旦お開きにしよう。」東が取りなす。
影宮と東が廊下に出ると、安藤とがっしりした男と睨みあっていた。
「これは松岡さん。」東が声を掛けた。
松岡と呼ばれた男は三白眼を東に向けた。
「ふん。東の旦那か。丁度いいこの坊主に本庁の人間に対する礼儀を教えてやってくれないか。」
「所轄の手柄を横取りするしか能がないくせに。」安藤が吐き捨てる。
「所轄が本庁に協力するのは当然のことだ。」
更に言い返そうとする安藤。影宮はそれを遮りは松岡の前に立った。
「どうもどうも本庁の方ですか。」
「あっああ…本庁捜査一課の松岡刑事だ。」影宮の唐突な対応にやや鼻白みながら答える。
「どうも影宮と申します。もしかするとRS密売の関する件でしょうか。その件で有力なスジがあり、その為にウチの所で押さえた容疑者に裏付けを取りたいと、そんなところですかね。」
「…まあそういう所だ。」
「では、尋問なさってください。」言って影宮は両手を取調室の方に向けた。
「…良いのかい。」
「それはもう所轄が本庁に協力するのは当然のことですので。」
「ふん。はぐれ署にも礼儀をわきまえている奴もいるもんだ。」松岡は安藤の方を向いて嘲笑い、取調室に入って行った。
影宮の対応に対して、東は苦笑いを浮かべていた。
「ふん。影狼がきいてあきれるぜ。」安藤は露骨に顔をしかめていた。
影宮は取調室の方に視線を向けながら無言だった。
深夜の北部ブロックのスラム化の進んだ田島町。街灯もなく月明かりもない中で、松岡は1人路地に立っていた。
路地の向こうからトラックが走行してきた。停車した車体のライトに松岡の姿が照らし出される。
松岡は明かりに目を慣らしながら、トラックから運転手が降りてくるのを待った。アキレスを購入した田中も含めて、ある密売ルートに接触した人間から情報を集めていた。
この密売ルートは後払いを認めている所が、他と異なっている。つまり元手がなくともRSで犯罪をして、金を入手してからその一部を購入代金として支払えばいい。この密売ルートが新東京シティの犯罪率を更に深刻なものにしている。
「は~い。お待たせしました。」
運転手の第一声は松岡を驚かせた。声の主はミニのワンピースを着た20代の女だった。場違いな水商売風の雰囲気に戸惑う松岡に対し、女はコンテナの方に手招きをした。
「どうぞ~こちらになります。」
コンテナを開くと、インナースーツ状態のRSが多数吊るされていた。
「こちらの方はタイタンシリーズの最新版です。パワーがこれまでとは段違いですよ~機動性重視ならこちらのアキレスなんかもおススメでございます~。」
女はブティック店員の口調でRSの説明を続ける。
「…随分と手慣れているんだな。」あきれたように松岡が訊ねる。
「はい。なるべくお客様が緊張しないように、と上司から指示を受けております。」
「ではその上司について話を聞かせてもらおうか。」
女は警察手帳をつきつけられても顔色一つ変えなかった。その笑顔が消えていく。姿そのものも。
「やっぱり、警察の方だったんですね~」と、声だけが響く。
松岡は瞬装した。ドーベルマン改はセンサー機能も従来のものよりも向上している。だが…
「あ~無理ですね~私の装着しているのはアルファ星統治局のエージョント用のカメレオンです。既存のRSのセンサーでは探知できません。ちなみに~」
松岡の後の道路が割れる。中から巨大なRSが姿を現す。
「これが重装甲RSメガタートルになります。」
文字通り亀を模したRSであり、亀甲型の分厚い装甲に包まれていた。松岡にゆっくりと近づく。
松岡はRSを戦闘モードに切り替えた。右手首からブレードが伸長する。ドーベルマン改に追加された武装で、高周波で振動するブレードは理論上にいかなる物質も寸断する。
だが、メガタートルの装甲に切りつけたブレードは弾き返される。装甲には傷もついていない。
「さすがは警視庁の刑事さん最新の装備を持っていますね。ただ~メガタートルの装甲も最新ですので、切断性を向上させるあらゆる機能を無力化させるようになっているんですね~。」女のからかう様な声が何処からか響いてくる。
だが、松岡はそれどころでなかった。出力的に段違いのメガタートルに首を掴まれ持ち上げられていた。そのまま投げつけられ近くの電柱に叩きつけられる。
止めを刺すべくゆっくりと松岡に近づくメガタートル。その歩みがぴたりと停止した。メガタートルの右肩から左腰にかけて線が入る。その線にそって上半身がずれていく。
上半身が落ちたその後方に漆黒のRSがあった。影宮のニホンオオカミだ。
影宮は刀を左手に持ち替えホルスターからコンバットマグナムを抜く。右腕のみを斜め前方に向け引き金を絞る。銃口の先にヒト型のにじみが生じ、一瞬緑色のRSの姿に変わり、瞬装が解かれた女が崩れ落ちる。
翌朝の輪暮署の捜査一係室内には東と安藤、今井がいた。
「…まだ続いているみたいだな。」東が呟く。
「でも、結果的には助けたわけでしょ…」今井が不服そうに言う。
「まあ~本庁の刑事さんをオトリに使うのはマズイわけだな。」安藤はにやにやと上を見上げて笑っている。
その上階の署長室には松岡の怒号が響く。
「どういうつもりだ。これがはぐれ署のやり口か!!」
「ま、まあ、松岡警部。落ち着いて。」矢島係長がなだめる。
「それで密売人の女の様子はどうですか。」50代前半のロマンスグレーで銀縁眼鏡を掛けた男が影宮に訊ねる。署長の谷崎だ。
「落ち着いたものです。取り調べでも依然黙秘を続けています。」影宮が答える。
「おい!聞いているのか。」2人のやり取りに苛立った松岡がデスクをバンと叩いた。
谷崎署長は松岡の怒りに満ちた顔を眺める。
「一体何がご不満なのでしょう。密売グループの一味を確保して、警部殿もご無事だった。なにも問題はないでしょう。」
松岡の口が大きく開き怒鳴り声を上げようとした時、署長室のドアが開いた。そちらを向いた松岡の胡散臭げな表情は驚きとへつらいに変わった。
「これは…近藤警視。」
近藤警視は40代前半。整えられた口髭、上物のスーツに凝った配色のネクタイを身につけ、そのネクタイには翡翠とおぼしきネクタイピンが付けていた。そしてそれらが嫌味にならないほどに洗練された風貌を持っていた。
「全く署長の仰るとおりじゃないか、松岡。お前は影宮君に礼を言わなきゃいけないだろう。」威厳を感じさせる声だった。
松岡はむくれたまま無言だった。
「ま、まあ…無事に被疑者も確保出来たことですし、この件は本庁に引き取って頂いて…」
矢島係長が取りなおすように言う。
「いや。この件は引き続き輪暮署で担当してもらう。」
「は…はい!?」矢島と松岡の両方が声を出した。
「確かにそれがいいかもしれませんね…影宮君。」谷崎署長が声を掛けた。
「はい。」影宮は直立不動の体制のままだ。
「君は留置所内の被疑者を警護してください。」
「いや…でも署長」青ざめる矢島係長。
「それはいい。頼んだよ。影宮君。助けるにせよ、口封じにせよ、必ず刺客を送り込んでくるだろうからの。」矢島を遮るように近藤警視も賛同した。
「了解しました。」影宮は無表情のまま即答した。
他の者が退席後したが、矢島係長のみが残った。
「一体どういうおつもりですか。」
「別に…本庁に借りをつくる良い機会でしょう。」
「いや…しかし。」
「もし失敗しても頭痛の種がこの署から消えるだけです。」
谷崎署長は事もなげに言い放ち、デスク上の書類に視線を移した。
「ねえ~ちょっとぉ」女が影宮に声を掛ける。
密売グループの女は名前だけは直美とだけ名乗った。それ以降取調室では黙秘を続けていたが、今の雰囲気に耐えきれず口を開いた。
輪暮署の地下留置場。丁度他の被疑者たちは護送されている。奥の牢に直美は入れられており、その前にパイプ椅子に座った影宮がいた。
「ねぇってば~」沈黙し続ける影宮に女はなおも話しかける。
影宮は首を僅かに横に向ける。
「あのメガタートルの装甲は高周波ソードやヒートブレイドみたいな切断機能を無力化する機能があったのよ。なんでアッサリぶった切れたわけ?」
影宮は首を正面に戻した。直美は黙殺されるのかと思ったが回答が返ってきた。
「あいにく俺の刀にはご大層な切断機能はついていない。ただ頑丈で切れ味がいいだけだ。」
「頑丈なだけ、て…あの装甲は単純な強度だけでも現RSトップクラスなのよ。」
「あとは多少のスピードとタイミングだな。」
「…じゃあ、カメレオンを着てた私をどうして見つけられた訳?現状のどのRSでも探知出来ない偽装機能があったのよ。」
影宮は振り向き直美の顔を眺めた。
「もう少し気配を消す訓練を積んだ方が良いな。最新鋭の偽装機能も台無しだ。」
その言葉にムッとする直美。それ以後会話は無く、しばし沈黙が続く。だが、直美の方から又声を掛けてきた。
「ねぇ~さっきから何を考え込んでる訳?」
「あんたの価値さ。」
「アタシの価値?」直美が怪訝そうに聞き返す。
「そう、組織にとってあんたがどれだけの価値があるか、だ。厄介者に用済みが揃えばどうなるか。」
「どうなるっていうのよ。」
「こうなるな。」
影宮はスッと立ち上がる。その姿がニホンオオカミに切り替わる。刀を伸長し直美の方に切りつける。鉄格子手前の空間に裂け目が生じ、鮮血が吹き出し、RSカメレオンの姿が現れる。直美の手前の鉄格子にズルズルと崩れ落ちる。
「わかっただろう。」と影宮。
腰を抜かす直美。影宮は蛍光灯のぼんやりとした明かりの廊下の奥から、殺気を感じ取っていた。
影宮が体を右にずらす。ずらした瞬間に右肩の装甲が切り裂かれる。影宮は刀を右方向に突きたてる。突きたてた所を中心にヒト型のにじみが生じ、RSカメレオンになった。影宮が刀を引き抜くと崩れ落ちる。影宮は刀を左へ袈裟がけに振った。だが、手ごたえは無く。無色の相手に背中の装甲が切り裂かれた。
「ちょっと何やってんのよ。私の時みたく一発お見舞いしなさいよ。」
「そうしたいのは山々だが、スーツの中身が違う。」
カメレオンを装着した刺客は3人。そのリーダー格はかなりの手練だった。影宮にも攻撃の瞬間まで気配を掴ませなかった。
「要はそいつが驚くなり動揺するなりすれ良い訳でしょう。」
「まあ、そういうことだ。」影宮は答えた。
(それはかなり難しいが…)と心の中で続ける。
カメレオンの攻撃力は高くはない。だが、浅手でもダメージが確実に蓄積されていく。このままではジリ貧だった。
後ろからビリビリという音が聞こえた。その一瞬だけ刺客の気配の乱れを感じた。体が反射的に動き、横殴りに一閃した。確かな手応えと共に空間に線が入り。カメレオンが腰の部分から切断されながら姿を現した。
「御苦労さま。」
瞬装を解いた影宮が振り向くと、胸を露出した直美が鉄格子の後で仁王立ちしていた。自分でシャツを引きちぎったらしく、ボタンが飛んでいた。
「どう。」と訊ねる。確かに刺客が一瞬とはいえ集中を乱しただけのことはあるボリュームだった。
「ご立派。」影宮は肩をすくめながら答えた。
主犯はギャラクシアンデベロッパー社の重役であるマミアという男だった。GD社は金星に本拠地をもつ総合商社だ。手広く扱う商品の中にはRSも存在している。
「そいつが、私の勤めていたキャバクラの常連だった訳。で、バイトをやらないか、て。」
「それが密売の窓口役というということか。」
「そうそう、絶対安全だから…とか言ってさ。やんなッちゃうわ~」
「あのね…」取調室内で、影宮と直美のやり取りを黙って聞いていた今井が口を開く。
「なによ~今取り調べの最中でしょう。」
「取り調べというのはね。対面でおこなうもんなのよ。横に並んでベタベタくっついての取り調べなんてきいたことないわ。」
「取り調べ中にやきもちなんて聞いたこともないわね。」
「な…何ですって~」
「本日の取り調べはこれで終了にしよう。」影宮はそのやり取りを無関心にそう告げた。
「彼女の話本当だと思う。」
「ああ…彼女のような売人なら、買い手も警戒心と抱きにくい。尻尾切りもやり易いだろう。」
「いずれにせよ。大企業が相手なら、係長は及び腰になるわね~」
取調室を出た2人は捜査一係の部屋に戻るべく署内の廊下を歩いていた。影宮の方を向いていた今井は前に人が立っていたことに気がつかなかった。
「あっと、署長。」
署長は無表情に呟いた。「取り調べは順調のようですね。」
「はい。」影宮はそう答えた。それから一呼吸置いて、「あてが外れましたか。」と聞いた。
「さて…どうでしょう。」署長はそう言いて2人の横を通り過ぎた。
「ん~あの人も本来ならこんなトコにいる人じゃないんだけどね~。」
「飛ばされたか…」影宮は横を向いた。
丁度そこは階段の位置で1階の様子が見渡せた。連行されてくる容疑者、連行する刑事や受付に来ている血相を変えて何かを怒鳴っている市民、それを対応している署員も皆疲れていた。新東京シティのどの署よりも。
「…はぐれ署に。」と続けた。影宮は受付で深刻そうな顔をして何かを訴えている老婆とそれを軽く流している署員の姿を見ながらそう呟いた。
GD社は西部ブロックのオフィス街の中でも一際大きなビルディングに地球本社を構えていた。
そのビルディングの1階の受付嬢は提示された警察手帳を見て露骨に顔をしかめた。
「令状はお持ちでしょうか。」声だけは慇懃な口調だった。
「お話を聞かせて頂きたいだけなのですが…」受付嬢の対応に今井も眉間にシワを寄せている。
「それでは御取次する訳には…」
そのやりとりの間、後に立っている影宮は奥のエレベーターホールに視線を向けていたが、そのままその方向に歩きだす。
「え…ちょっちょっと。影宮?」
驚く今井の声を無視してそのまま歩みを止めない。
警備員もその悠然とした態度に一瞬対応に迷い素通りさせてしまう。
「ちょっとお客様。」受付嬢の鋭い声がロビーに響く。
マミヤは最上階の専用オフィスにいた。五十代相応の額の後退が起こっているが、白髪も肌のたるみもなく、小太りな体からは精気が漲っていた。
マミヤはデスク上のモニタから視線をドアに移す。部屋の外から怒鳴り声が響いてきた。
ドアが開き、見知らぬ男が二名の警備員に両肩を掴まれたまま入ってきた。
「貴様!!明らかに越権行為だぞ。」懸命に影宮を抑えつけようとしながら、警備員の1人が叫ぶ。
「何事かね。」マミヤがむしろ警備員の方を咎めるように言った。
「いえ、この刑事が令状もなしに乗り込んできたのです。」もう1人の警備員も影宮に引きずられながら答える。
「ふむ。任意同行を求める、ということかね。」
「いいえ。」それまで無言だった影宮が口を開く。
「いいえ…とは?」
「確かな証拠は何もありません。あなたを尋問しても、無駄なことです。」
「では…なにをしにきたのだね。」怪訝そうなマミヤ。
「世間話でも、と思いまして。」
「…どうして、見ず知らずの刑事と世間話をしなければならないのかね。」さすがにあきれた表情を浮かべるマミヤ。
「しなければならない理由など何一つありません。」きっぱりと答える影宮。
「あなたがしたくなければこのままこの警備員の御二方に引きずり出されるだけです。」
警備員もあきれ顔になり、マミヤは吹き出した。
「いいだろう…君たちは下がりたまえ。」マミヤはえびす顔で言った。
後半の言葉は警備員に向けたものだ。渋々引き下がる警備員たち。
「さて、どういうことかね。」
影宮は窓辺に立った。そこは新東京シティの西部ブロックの景色を一望出来る。
「我々の追っているRSの密売グループの下っ端があなたを黒幕だと証言したのです。直美という水商売あがりの女です。」
「ああ、その子なら知っているよ。良い子だったがね~」
「はい。ですからあなたのお名前を出したのだと思います。」
「そうか。まあ、私も夜のお遊びは大概にせんといかんな。」
ハハっと笑うマミヤ。その親しみやすそうな笑顔は酒の席でもモテそうだと思わせた。
「ただ、仮に、仮にですが、あなたが本当に黒幕だったとして、どうなると思います。」
「どうなるのかね。」笑顔を崩さずマミヤは質問した。
「どうにもなりません。売人1人の証言で、大手企業の引っ張れる訳もないです。」
影宮はマミヤに背を向けたまま答える。
「ほうほう。それは私も枕を高くして寝むれる訳だね~」
「RSの密売の利益は絶大なものでしょう。ただ、儲けだけならばこれ以上リスクを犯す必要もありません。」
「そうかね、そうかね。」マミヤはえびす顔で笑っている。
「ただ、それが、儲け以外にも目的があれば話は別です。例えばRSの性能テストを行っているとか。」
「ほう…。」マミヤはえびす顔のままだ。ただ、急に夜の席でモテそうな陽気が陰ってきた。
「後払いでも構わないという気前の良さも、それがテストも兼ねている、ということであれば納得出来る。」
「それで、私が黒幕だったとしてどうなるというのかね。」口調はわざとらしい位に余裕たっぷりだった。
「儲けだけが目的ならば、直美という女を切っておしまい。しばらくほとぼりが冷めるのを待てばいい。ただ、実験データが取れないとなると立場的に不味いことになるのでは…と。」
影宮はここで言葉を切り、マミヤの方を振り向く。マミヤにはまだえびす顔がはりついたままだった。
「無駄なお時間を取らせて申し訳ありません。それでは失礼致します。」
「本当に驚いたわよ。ま~た、係長が怒るわよ。」
帰り道、今井が両手を後頭部に組みながら先を行く。
「それならそれで収穫はある。」
「?」今井が振り返る。
「署にクレームを付ける。それはあの男、あの会社がシロということだからな。」
「もしクロだったら、どうするっていうの?」心配そうに影宮の前に立つ今井。
影宮はその彼女を蹴り飛ばした。その空間を銃弾が通過する。撃ったのは走り去っていく車から。
「刑事の1人や2人始末する方が手っ取り早いということさ。」影宮は倒れた今井に手を差し伸べる。
直美の証言から、RS密売のブローカー達は次々に検挙されていった。だが、当然のことながら、GD社に繋がる者はいなかった。
「多田町の担当はあいつよ。」今井は張り込みに合流した影宮と安藤に、ホエールバーガーを頬張りながら言った。
ファーストフード店内は平日の昼間ということでまばらだった。フロント部分はオープンカフェとして開放されているので、店の前を行く通行人を良く見渡せた。3人は外の歩道からは見えにくい端の席に座っていた。だが、その席からは交差点で信号待ちをしている2人の男の後姿がよく見えた。
「今、紙切れを渡したな。」安藤が呟く。
その視線の先にはサラリーマン風の男が横に立っている革ジャンを着たスキンヘッドの男に紙切れを手渡していた。2人とも顔をあわせることなく無関心を装っている。
「あそこに取引場所が書かれている訳だな。」影宮が答える。
「全く御苦労な事たぜ。」安藤があきれたように言った。
「手間は掛るが紙は燃やせば証拠は残らない。」
「ま~アイツを押さえたところでたいした情報は聞きだせないだろうが、連絡員が減ればな。」と安藤は答え、今井の方に向いて「おい何時まで食ってるんだよ。」と言った。
「わかってるわよ。」アイスコーヒーでハンバーガーの残りを流し込む今井。
この時代のハンバーガーは鯨肉を使用している。一時期狂牛病や鳥インフルが世界的に猛威を振るい家畜が激減したことがあってから禁止対象だった鯨肉が食べられるようになった。以前は捕鯨に反対していた国々もなし崩し的に食すようになった。
席を立つ3人。今井は分かれて買い手のスキンヘッドの確保に向かう。影宮と安藤はサラリーマン風の連絡員の方だ。
「あれからどうなんだ。」安藤が歩きながら話しかける。
「別に…2回ほどひき殺されかけ、1回鉄柱が落下してきた。それだけだな。」淡々と答える影宮。
「やれやれ。天下の大企業も影狼には手は出せずか。」安藤はあきれたように言った。
「いや。」
「いや…?」
「おそらく確実な機会を待っているんだろう。」
「確実な機会というのは…」
安藤が続けようとしたその時、前を行く売人の体が吹き飛んだ。影宮と安藤は瞬装して左右に飛んだ。駐車中の車を遮蔽物とする。
「…今かよ。」安藤は続きの言葉を呟く。
煙が晴れると3体のRSが立っていた。そのRSは全身が銀色で統一され、顔の部分はのっぺりとしていた。
「こいつらは…?」リボルバーを構えながら安藤が唸る。
3体のRSは並んでダッシュをした。安藤はその3体に連続発射する。だが、3体は回避し、今度は横一列になり突進してくる。当然安藤は先頭のRSの腹部に狙いをつける。44マグナムの轟音。それを合図に3体は散った。先頭のRSは右、2体目は左、3体目は上に。1秒の狂いもなく、同時に回避して同時に攻撃を繰り出してきた。
飛び込んできた影宮が安藤を突き飛ばさなければそのまま3体のRSの赤熱化した手刀が安藤の首、胴、両足を切断していた。
勢い余った影宮と安藤は近くのガードレールにぶつかって停まる。
「くそったれ!!何なんだ、こいつらは。」
「RS間でサイバーリンクされているようだ。」
「何?」
「つまり群体。数体で1つの兵器ということらしい。」
3体のRSは両腕を突きだした。指先から瞬時に弾丸が生成、発射される。影宮と安藤のRSの装甲を貫く。
「グウッ。」被弾しながらも安藤はナノテクローダーを取り出した。
ナノテクローダーは従来のスピードローダーと同様の形状で、グリップのボタンで弾丸が形成される。これによりリボルバーの速射性は格段に向上した。
倒れたまま安藤はリロードでして撃つ。
3体のRSは横並びを崩さずにすべて回避した。だが、影宮の放った次の銃弾には3体とも被弾し、倒れる。
「…お前どうやって?」
「動きのパターンもある程度見れば見極めがつく。」
「大したもんだね。」
「お前が先に攻撃してくれたからこそだ。」
皮肉を返そうとする安藤だが、視界の隅に入ったものを見てやめる。
「今井!!」
同型の2体が意識を失った今井の両脇を抱えている。
駆け寄ろうとする2人だが、今井を抱えた2体から煙幕が発生する。センサー類を無効化する成分が保有された煙が晴れると、今井を抱えた2体も倒れていた3体も姿を消していた。
「どういう事です。何故連中の本社に捜査を掛けないんです。」
安藤は矢島係長の机を叩いた。
「証拠がね。何も無いのよ。」矢島はお茶を啜りながら答える。
安藤は両腕を机の端につき、矢島を睨みつけた。
「係長。自分の部下が大変な事になっている時によく平静でいられますね。」
「安藤くん。きみも分かっているだろう。銀河系の企業がこの国にどんな意味をもっているのかを。」
各惑星のコロニーが独立後、地球と他惑星との間で対立がおこった。その時地球の中で日本だけが宇宙側についた。結果としてパワーバランスは地球側から宇宙側に移って行った。現在の日本の繁栄の理由は地球上でただ1つの宇宙とのパイプの役目によるものだった。
その時に1係の部屋の電話が鳴った。東が出る。
「はい。こちら…」そのまま黙ったまま受話器を置く。
「今日の15時に広池町の広場に直美を連れて来いとさ。」
「交換条件ですが。」影宮が聞く。
東は堅い表情で頷く。
「それはいいですね。」
皆が入口の方に視線を向けると谷崎署長が立っていた。
「影宮君。特別に被疑者の釈放を認めます。約束の場所に向かいなさい。」
「何を言ってるんです、署長。連中の要求を呑むんですか。」安藤が憤然とくってかかる。
「影宮君。署長の言われた通りにしなさい。」矢島が命じた。
「係長…」
「安藤。君は今井が心配ではないのかね。」安藤の文句を遮るように矢島が言った。
「…」唇を噛みしめる安藤。
「勿論君たちのやってきたことは無駄じゃない。近藤警視は高く評価しているよ。」
谷崎署長はそこで一旦区切ってこう続けた。「影宮君特にきみはね。」
「それは光栄です。そういうことでしたら、被疑者の護送に向かいたいと思います。」
「ふん。現金なことだな。出世をチラつかせたら、目先のヤマはどうでもいいってことか。」
安藤の罵声を背に受けながら、影宮は部屋を後にした。
ごった返している署のロビーを影宮と直美は歩いていた。
「本当に信じらんない。容疑者にも人権はあるんでしょ。」
「まあ、お前さんにとっても悪い話しじゃないだろう。協力してくれれば罪は免除される訳だしな。」
「そんなのあいつらに捕まったら元も子もないじゃない。ここで大声をあげるわよ。警察が非人道的なことをしてるって…ちょっと聞いてるの!」
影宮の視線の先には受付があった。そこに以前も来ていた老婆の姿があった。
「ああ…そんなことをしてこの場にいる誰が聞くんだ。そんな無駄なことはやめろ。もっと有効な方法を教えよう。」影宮は視線を直美の方に戻して言った。
西部ブロックにある広池町は銀河系の企業に貸し出ししている地区だ。日本国内と治外法権のグレーゾーンでもある。取引場所はその一角にある広場だった。
「いやー待っていたよ。直美ちゃん。」マミヤはこの間と同様にエビス顔だった。だが、その満面の笑顔にも隠しきれない下卑た本性がチラついていた。
「うるさいわね!あんたの口車に乗った私が馬鹿だったわよ。」直美は吐き捨てるようにいった。
「人質は?」影宮が訊ねる。
マミヤは後に停車しているリムジンに頷いて合図をする。後部座席が開き、部下の背広姿2名が、今井を抱えて降りてきた。
「心配ない。眠っているだけだ。」
「それはそうだろう。大企業のお偉いさんのやることだ。」そう言って、影宮は直美の肩を押した。
直美は影宮を睨みながらも、渋々マミヤの方へ歩いて行った。マミヤは直美を抱き抱えようとし、直美は抵抗する。
「それでは人質を解放してもらおうか。」揉み合いながら直美の体を触っているマミヤに対し影宮が言った。
「ああ、いいとも。」マミヤは指を鳴らした。
影宮の周囲から5つの人影が地面を突き破って出現する。
「わざわざ穴を掘って待機してたのか?ご苦労なことだな。」
「まあせっかく来たのだから遊んで行きたまえ。」
「大企業のお偉いさんのやることじゃないな。」
「ハハハッ。彼らのRSは『アンツ』。スーツの名称でもあり、チームの名前でもある。」
RSの特性として、装着者の動きをアシストする機能がある。アンツは更にそれを個人ではなくチームとして機能させたものだ。当日初めて顔を合わせる者たちでも、アンツのサイバーリンクは即座に数年来の息の合ったチームに変貌させる。
「…そのコンビネーションは数倍規模の部隊にも匹敵するだろう。」大げさな身振りを交え自慢げに説明するマミヤ。
「そんなご立派な代物を一介の刑事にぶつけてどうする。」
「いやいや。ラビットオブムーンの生き残りならば、実に良いデータがとれるだろう。」
「…」
「こんな所でドブさらいをやっているとは思わなかったが実にラッキーだった。最も標的に選ばれた君には不幸そのものだが…」
ハッハッと笑うマミヤ。その笑顔が凍りついたのは影宮の笑顔を見たからだ。
あまり表情を変えないこの男が心からの笑顔を見せた。その笑顔は凄愴なものを秘めていた。その笑顔がニホンオオカミの牙を模したマスクに包まれる。
影宮は近くの岩に飛び込んだ。その岩にアンツからの弾丸が突き刺さる。アンツの武装はナノテクにより完全にスーツ内に収納されている。指先から発射されている弾丸も極小ながら9ミリパラベラムと同様の威力があり、連続発射も可能だ。
影宮と5体のアンツは周りの岩を遮蔽物としながら高速移動をする。目視での確認が困難な程の移動しながらも正確な射撃を行う。その速度、射撃ともに影宮とアンツは互角だった。
「いやーさすがだね~テストに持って来いだよ。」マミヤはエビス顔で鑑賞する。
「余裕ブッこいてると返り討ちにあうわよ。」直美が毒づく。
「いやいや、見ていたまえ。アンツの性能を。」
左右からの攻撃を飛んで回避した影宮だが、3体目の銃弾によりバランスを崩す。崩しながらも辛うじて着地したが、残り2体の銃弾を背後からうけ転倒する。
「影宮!!」直美が悲鳴をあげる。
「見たかね。アンツ装着者の個々の戦闘力は影宮君には及ばない。だがサイバーリンクしたコンビネーションが彼の戦闘力も凌駕する。馬力だのを誇るのは時代遅れ。」高笑いが止まらないマミヤ。
倒れた影宮を5体のアンツが囲む。
影宮は倒れたままコンバットマグナムを真ん中のアンツに向ける。
「残念ながら357マグナムクラスが直撃しても…」
マミヤのその次の言葉は轟音により掻き消された。
中央のアンツの胴体に文字通りの大穴が空いていた。残る4体はサッと散開する。
影宮はゆっくりと立ち上がる。手に持ったコンバットマグナムは一回りも二回りも巨大になっている。
「…あの銃は?」マミヤは青ざめる。
ナノテクの応用で銃口のサイズを切り替えることは容易い。だが、RS開発に関わってきたマミヤにとっても規格外のサイズだった。
(60、いや70口径はあるか)
アンツは影宮を囲んで周り始める。マミヤの動揺に比べ彼らは冷静だった。RSの人工筋肉を持ってしても速射など不可能、そう判断した。
「そうだ。1体潰されても、アンツならば…おい何をしている?」
直美は懐から手榴弾を取り出していた。それを放り投げる。それは空中で破裂し、銀色の金属片をアンツと影宮の周辺に撒き散らした。
アンツはその一瞬だけ動作を停止した。その一瞬と言える時間に先ほどの轟音が4連続した。強烈すぎる70口径の威力を絶妙な手首のスナップで吸収し、影宮は引き金を絞り続けた。頭部が消失したアンツ4体が倒れる。
硝煙が立ち上っている巨大の銃口が元の38口径に戻る。瞬装も解き、マミヤの元へ向かう影宮。
「やはり即席のコンビネーションはアクシデントに弱いですね。」
「そうかチャフだな。」マミヤが唸る。
直美の投げつけた手榴弾に搭載されていた電波を吸収する合金箔がアンツのサイバーリンクを一瞬停止させたのだった。
悔しさを露わにするマミヤを尻目に、影宮は眠らされた今井を抱え上げ、悠然とその場を立ち去る。
背広組のマミヤの部下が慌てて銃を抜いてその背に向けようとする。
「最新鋭のRSをおじゃんにしてしまいましたね。かなり厳しいことになりますね。」
影宮の一声で部下たちの動きが止まる。
「もうかつてのように高級クラブに繰り出す、というのも立場的に難しくなりますね。」
その言葉に部下たちは銃を下ろす。
「ちょっと!待ってよ。」放っておかれている直美が影宮の後を追った。
蒼白な顔のマミヤ。部下たちはそれを他人のように横目で眺める。
「いやー本当にご苦労だったね。影宮君。」
矢島係長は満面の、これまで部下が誰も見た事がない程の満面の笑顔を浮かべていた。
「今井君も無事で本当に良かった。」
「…ありがとうございます。」鼻白みながら、答える今井。
「署長もね。絶賛しておられたよ。本庁に行っても頑張ってくれ、と言っておられた。」
「まだ正式に決定した訳じゃないんでしょう。安心するのは早いんじゃないですかね。」冷やかす安藤。
「な、何を言っているのかね。近藤警視も働きかけてくれているそうだよ。」
「係長。さっきからはしゃいでいますが、影宮の気持ちも考えてやってください。」
「君も何を言っているのかね、東君。本庁に栄転だよ。何をためらうことがあるのかね。」
「それで係長の服用薬の数が減らせるならば喜んで行かせて頂きます。」
「皮肉を言わんでくれよ、影宮君。どうだね、最後の最後に飲みに行かんかね。」
「すいません。今夜は予定があるもので。」言って部屋を後にする影宮。
「全く最後まで訳のわからん奴だったぜ。」安藤がため息をつく。
「ちょっと~何時まで~またせるのよ~」何らかのドラッグに酔っているのであろう呂律の回らない女の声。
影宮はごった返す1階ロビーを歩いていく。
「何を言っている。検挙されてることを忘れるな!」警官の返事。
影宮は怒声が飛び交う中を入口の扉に手を掛ける。
「お願いです。孫がいなくなってしまったんです。話だけでも聞いてください。」
その声の方向に顔を向けると見覚えのなる老女がいた。
「あのねー失踪手続きも済んでるの。もうこれ以上は対応出来ないの~」受付の警官は無関心にそう答えている。
影宮は顔を戻しドアを開けて外に出た。
「どう、すごいでしょう。」
東部ブロックには軌道エレベーターがあり、その周りに倉庫が多数設置されている。その中の1つ。今、影宮と直美のいる倉庫には最新鋭のRSが並んでいた。重火器を備えた戦闘用のレオパルドンシリーズから、カメレオンのような諜報活動向けの特殊なタイプのものまで、GD社から横流ししたRSが所狭しと並んでいる。
影宮の今夜の予定というのは直美との密会だった。
「マミヤの奴がいなくなった今、私たちの物よ。」
「私達?」
「そうよ。私がこれまで通り受付をして、あなたが用心棒。」
「あの亀の代わりか。」
「パートナーよ。刑事の仕事の合間で構わないのよ。」
「…」
「何を考えているの?」
「あんたの価値を。」
「価値?嫌ね、考えるまでもないでしょうか。」
直美は影宮の正面に立ち。その首に腕を回した。
「ここのRSとアタシの密売ルートを好きに出来るのよ。」
「切り札の精鋭部隊は壊滅で最高責任者は失脚。あの会社も動きようがないか。」
「そうよ。あなたのおかげでね。」
「いいや。近藤警視の筋書きの通りさ。」
直美の顔が強張る。影宮から後ずさる。
「やはり気が付いていたか。」
倉庫の奥から近藤警視が姿を現した。特に動揺もなく、端正な顔に悪戯小僧のような表情を浮かべている。
「松岡刑事の捜査が漏れていた時点で、内通者がいるであろうことはわかっていた。ただ、刑事の誘拐なぞをやらかした時点でかなり上の階級なのだろうと予想はつく。」
「さすがはラビットオブムーンの生き残りだ。」近藤は満足げだった。
「だが何故ウチの署に捜査権を渡した?本庁に回せば幾らでも握りつぶせたろうに。」
「君の腕試しだよ。同志としてのね。」
「不要になったマミヤの始末をさせて、その上で汚職の手伝いか。」
近藤は首を振る。
「君には本庁でこれまで以上に勤務に励んでもらいたい。その上で時々彼女のサポートをしてもらいたい。」
「密売で儲けて、点数も上げて、か。」
「幾ら密売ルート潰してもすぐに次のものが出来てくる。ならばこちらで管理した方が治安の維持にも繋がる。」
「都合の良い解釈だな。」
「君がこの街に来たのは戦う場を求めてだろう?より高い地位と報酬を手に出来る方が良いのではないかね。」近藤は熱心に勧誘を続ける。
「断る。」だが、景宮の答えはそっけなかった。
「そんな…お願いよ。私達良いパートナーになれるわよ。」これまでに見せたことがないほど直美が真剣な表情をしていた。
「どうしてもかね。」近藤も頑固な友人を諭すような口調で言った。
「…」それでも影宮は無言のままだった。
「しょうがない。それでは用済みをしなければならないな。」近藤はため息をついた。
3人は瞬装した。それ以降の一連の行動は2、3秒にも満たない間におこった。影宮は直美がカメレオンの光学機能を起動する前にその肩を掴む。直美はカメレオンの指先に装備されたヒートクローを振り回す。影宮のニホンオオカミの装甲に傷を負わすことは出来なかったが、影宮を遠ざけることは出来た。近藤はその直美の背中にRSに装備された電磁ブレードを突き立てる。カメレオンは機能を停止した。瞬装が解けた直美を抱き抱え後方に飛ぶ影宮。
「そうか。そういうことだったんだね。」直美は血を吐きながら言葉を絞り出す。
「しゃべるな。」
「アンタに振られた時点でアタシの価値はゼロになっていたワケか。」直美の手がニホンオオカミのマスクの牙を飾りのある頬の部分に触れた。
「…」マスクに包まれている為、影宮の表情はわからない。
「ごめんネ。アンタは最後までアタシを心配してくれていたのに。」直美の手が床に落ちた。
影宮は直美を静かに横たえた。ゆっくりと立ち上がる。
「どうも君を買い被っていたようだね。」
近藤のRSには両肩と両脇腹にマニュピレーターが装備されていた。
「あんたに見る目が無いのさ。」影宮はグリップから刀身を伸長させる。
3組の腕が持つ3つの電磁ブレード。それが左右から襲いかかってくる。
肩のマニュピレーターが繰り出す右上段からの刃はかわした。左から水平に来る近藤自身の腕が持つ刃は刀で受けた。 両脇腹のマニュピレーターの刃は右斜め下から来た。持ち手を蹴りつけ、後方に飛んでやり過ごす。
「見事だ。無影流の使い手がまだこの世に残っていたとはな。」
「履歴書に掛ける特技でもない。」
「だが、数百年の歴史を持つ剣技でもこのアスラには勝てんのだ。」
アスラはGD社がアンツと共に開発を進めていたRSだ。そのマニュピレーターはパワーも勿論のこと、スピードと精密動作性にも優れ、装着者の脳波と連動して文字通りの腕として機能する。剣の技量では劣っても、4本の腕が追加された近藤が圧倒的に優位だった。
「それは、それは。」影宮は呟きながらRSの脳波センサーで、スイッチを入れた。
倉庫内に爆発が起こる。先ほど直美に案内されていた時にメダルサイズの小型爆弾を倉庫内に設置していた。影宮が入れたのはそのスイッチだった。
陳列されたRSが次々と吹っ飛ぶのを見て動揺する近藤を影宮は容赦なく袈裟切りにし、制御を失いギクシャクと動くマニュピレーターを切断する。アスラの瞬装は解除され近藤は倒れた。
「幾ら腕が増えても頭脳がフリーズしていれば何の意味もない。」
「何てことを…最新鋭のRSを…宝の山と言っていいものを…よくも…」いつもの余裕やダンディさなど微塵も無く、近藤はうわ言のように呟いた。
「だからあんたは見る目が無いといったのさ。」影宮はにべもない。
「馬鹿が…証拠がなければどうやって私の犯罪を証明する?」
影宮は身を屈める。近藤の派手なネクタイピンを取り上げる。近藤の顔色が更に蒼白になる。
「やはりメモリになっていたか。隠したいもの保管などせずに、むしろ肌身離さず目立つ場所に、か。」
「貴様…最初からそのつもりで。」煙により咳き込む近藤。
爆発により発生した火災は倉庫内を包んでいた。炎は天井にまで広がった。
「あんたの事は表ざたにはならないだろう。それどころか、勤務中の事故により二階級特進になるだろう、それでは近藤警視長殿、ごきげんよう。」
振り返りもせずに倉庫を立ち去る影宮。その背に向けて何かを叫ぼうとした近藤は崩れてきた天井に押しつぶされる。
一夜明けた早朝の署長室。デスクに座る署長とその前に立つ影宮。
「結局あなたの立ち位置が最後まで分かりませんでした。」
「立ち位置?」怪訝そうな署長。
「内通者はあなたじゃないかとも疑ったんですが、どうもそうでもないらしい。」
「近藤警視の事は私も掴んでいた。だが証拠が掴めなかった。出詰まりな状態だった。そこで君の出番というわけだ。」
「私をぶつけて、潰す。逆に潰されても署の問題の種が1つ減る、ということですね。しかし、私が向こうに付いたら元も子もないでしょうに。」影宮の口調にも皮肉が滲む。
「そうは思わない。」署長はキッパリと言った。
「近藤警視の君への評価は的確だった。だが、一点だけ誤りがあった。君が戦いを求めるだけでの獣と思っていたが、それは違う。君はこの街のどの刑事よりも正義感に溢れた男だ。」
署長の言葉には珍しく誠意というものが感じられたが、その誠意に影宮は欠伸で答えた。
「素面でよくそんな台詞が言えますね…まぁ褒めてくれたお礼を。」言って近藤のネクタイピンをデスクに放った。
「近藤警視の形見だね。それで、何を望むのかね。」
「何も…これまで通りでお願いします。本庁への移動も白紙に願います。」
「ふむ。又、矢島係長の薬の量が増えそうだ。」
「誠に遺憾です。」言って、立ち去る影宮。
「良いさ。今日は帰って休みたまえ。」
朝の署の1階ロビーはやはりごった返していた。
昨夜居たのとは異なる娼婦とチンピラと売人とそれに対応する警官たちが昨夜と変わらぬテンションで怒鳴り合っている。その中を影宮は歩いていく。
「…やっぱり孫は戻ってきていないんです。」
その呟きは喧騒の中で影宮の耳に微かに聞こえてきた。
「何回こられてもこちらでは対応しようがないんだよねー」ぞんざいな返事。
見覚えのある何度か通っている老婆と受付の職員がやりとりをしている受付カウンターを影宮は通り過ぎた。入口の前まで進み、そこで立ち止まる。数瞬立ち止まった状態で、それから受付カウンターに戻り声を掛けた。
「何でしたら、私がお伺いしましょう。」
職員と老婆は驚いて振り向く。
「しかし、影宮刑事。今日は非番じゃ…」
「いいんだ。」そう言って、職員の言葉を遮り、老婆の方を向く。
老婆はここ数週間程、署に通い続けていたらしく、疲労が全身から滲んでいた。礼を言いながら懸命に頭を何度も下げる。
「どうぞこちらへ。」影宮は老婆を案内して、階段の方へ歩いて行った。
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