黄昏の街
@sawaki_toshiya
第1話 新東京シティ
新東京シティは東京湾を埋め立てられて作られた街だ。
人類の活動範囲が宇宙に広がった23世紀において、地球と宇宙を結ぶ、唯一の場所となっている。
温暖化が進み水没していく地球は徐々に主導権を失いつつあり、宇宙に対して、閉鎖的になっている現存の国々の中で日本だけが、門戸を開放していた。街の東部ブロックには軌道エレベーターが建設されている。昼夜を問わず上空の宇宙ステーションとの間で物資が飛び交っている。
宇宙からの物資に溢れ、街は莫大な利益で潤っていたが、そのパイプから外れた地域もあった。北部ブロックはスラム化が進んだ犯罪多発地帯だ。その中の一画、義国町では今日も争いが起こっていた。
「困るんだよ。ウチのシマで勝手に商売されちゃ。」この一帯を仕切っている暴力団銅星会のチンピラの一団の兄貴核の男が凄む。
「どこで何を売ろうがこちらの勝手だ。」対しているのは様々な人種のドラッグの売人グループだ。21世紀初頭から移住してきた移民たちで形成されたギャング団の一員だ。
双方がいきり立つ。対立組織の小競り合いなどここでは日常茶飯事だ。
密売人のリーダー格の男が前に出る。派手な花柄のシャツを着た姿が金属繊維に
包まれ、一瞬にして全身が褐色のスーツの姿となった。
「コングか!」銅星会のチンピラ達が唸る。
コングは宇宙中で普及している火星に本社を持つ企業が開発した土木作業用のロボテックスーツだ。ロボテックスーツ―RSは人工筋肉を編みこんだ強化服だ。通常はインナースーツの状態で、必要な場合のみ人工筋肉が瞬時に装着される。この瞬装という機能の利便性により、宇宙服からチンピラの喧嘩の道具に使われるほどに普及している。
リーダー格の男が使用しているのは違法に人工筋肉を増強していた。コングは構造が容易な為にカスタムバージョンが多数存在している。
銅星会のチンピラ達は怯んだ顔を見せているが、兄貴分は嘲りを浮かべて、「安物を使っているな。」と言った。
兄貴分も瞬装した。土星の衛星ガニメデで開発された戦闘用RSタイタンだ。
コングが突進した。軽自動車が数十キロでぶつかったのと同程度の衝撃をタイタンはがっしりと受け止める。そのままコングをぶん投げる。コングの体は10m程離れた露店を叩き壊す。
コングは破片を撒き散らしながら立ち上がる。RSのおかげで今の衝撃にも装着者はさしたるダメージは受けていない。ゴングも今度はゆっくりと歩み寄る。タイタンとの距離が徐徐に縮まり、1mになる。
一触即発のその時、2人の視界が茶色に染まる。投げつけられた缶コーヒーが、コングの頭にあたり、中身と飛び散らして2人のバイザーを汚したのだ。2人の視線が缶を投げた相手に向けられる。
缶を投げた男は20代後半と思われる長身の男だ。年齢に合わぬカミソリの様な眼差しを持っていた。ゆったりした歩みの中にも力強さがあり、黒い背広の下に発達した筋肉が存在していることは容易に想像できた。
「何だ。手前は」コングは怒鳴りつける。
「チンピラの喧嘩にそんなご大層なものは必要あるまい。」男は柔和な口調で言った。
「何!」コングが腕を振り回す。
それをあっさりかわしながら、男は続ける。
「チンピラならチンピラらしく、周りに迷惑をかけずにどつき合え。」
男の柔和で、冷静な口調に頭に血の上ったコングはRSのパワーを全開にして拳を振る。男はそれを予想していた。かわしながら、ナックルを付けた拳をコングのヘルメットに打ち込む。自身のパワーがそのままカウンターとなって、脳を揺らされ、コングは崩れ落ちる。
男はタイタンに向き直る。タイタンは身構えるが、コングと同じ愚は犯さず、RSの戦闘マニュアルを起動させた。土木作業用RSのコングとは異なり、戦闘用のタイタンには装着者の動きを補完する機能があった。
タイタンのパンチがピストンのように連打される。その一撃は一発でも当たれば男の頭蓋骨は粉砕されていた。
だが、男は紙一重で全てかわし、ナックルを打ちこむ。タイタンも先程のコングと同様の末路を辿った。
残された子分達は目の前に突きつけられたものを見て青ざめる。
「デカか!」
「騒乱罪に公務執行妨害のおまけつきだな。」
動揺するチンピラ達。その中の1人が思い出したように叫ぶ。
「お前は…はぐれ署の影狼!」
「署までご同行頂こう。」輪暮署の影宮はチンピラ達にそう告げた。
輪暮署は北部ブロックの犯罪多発地帯に位置している。他の署からは、はぐれ署とも揶揄されている、出世コースからはぐれた署だ。
「困るんだよ。暴対の方からもクレームが来てるんだよ。」
輪暮署捜査一係係長矢島は頭の禿げ上がった浅黒い小男だ。
「別に向こうの縄張りを荒らすつもりはありません。ただ、聞き込みの途中で乱闘を見かけたので止めただけです。」
係長のデスクの前に立つ影宮が答える。
「ただねえ。いきなりねえ。殴りつけるというのもねえ…」
「まあいいじゃないですか。係長。」自分の席から立ち上がり、係長のデスクに歩み寄った男がとりなす。並んだ影宮の肩までの背丈で、30代後半の七三分けの学者のような風貌をしていた。
「しかしねえ、東くん。クレームの数がねえ…」
「検挙率もトップですよ。影宮は忠実にやっているだけですよ。」
「しかしねえ…」
更に口を開きかける矢島係長に対し、東は腕時計を示した。
「血圧のお薬のお時間ですよ。」
「ああ…そうだった。」矢島係長は慌てて席を立ち、洗面所に向かった。
一係のドアが閉まった。影宮は顔を東に向け、軽く頭を下げる。
「フフッ、まあ、この刑事部屋でやっていくには、係長のトークをいなす工夫も必要だな。」苦笑いをしながら、東が言う。
「全くチンピラの諍いにまで首を突っ込むなんてご苦労なこったぜ。」
部屋の右端のデスクの椅子に座っている男が痩せぎすの男が茶化す。そのまま欠伸をしながら、背伸びをする安藤は後頭部を殴りつけられ呻く。
殴ったのは160センチそこそこながら、メリハリの効いたスタイルのショートヘアーの女性だった。
「何言ってんのよ。元々あんたが、あの密売グループをさっさと挙げなかったのが原因でしょう。」今井が言った。
「そんな事言ったってあんな末端の連中まで手が回らないだろう。」
「あんたねえ。」
更に拳を振り上げる今井。その腕を影宮が掴む。
「その辺にしといてくれ。」
不服そうに腕をおろす今井の肩を叩き、ドアに向かう。
「行くのか。ピューマの強盗団の件だったか。」
東の問いかけに影宮は頷き、「係長に宜しくお伝えください。」と言った。
東は閉まるドアに手を振った。
「あーあ、そんなに検挙率を上げたいかよ。出戻りが。」
つぶやく安藤の頭を今井は小突いた。
パチンコ店ヤイベー義国町支店の裏口では、売上金の積み込みが行われていた。通常版のコングを装着している従業員が、トランクをコンテナに積み込んでいき、最後のトランクを収めてから、コンテナの扉を閉めた。
「それじゃあ、後は任せたよ。」
従業員は輸送車の周りを見張っていたガードマン2人に声を掛けた。
「了解だ」茶髪のガードマンが運転席に乗り込み、坊主頭の方が助手席に乗り込んだ。
「寄り道しなさんな。」コングの瞬装を解いた従業員が出発する輸送車を見送る。
「知ってるか。」助手席の小田切がタバコに火をつけながら話しかける。
「んー何をだ?」運転席の竹島が聞く。
「ピューマの連中だよ。」
最近RSピューマを装着した強盗団が出没していた。貴金属などには手を出さず、小額紙幣を扱う店や輸送車を狙っていた。
「そういやそういう連中がいるらしいな。地道に小銭を集めていくってことか。」
大規模な所は狙わないため、本庁の対応は後回し気味だ。それだけこの地域の犯罪率が高いということでもある。
「そういうことらしい。」小田切が好戦的な笑顔を浮かべる。
2人は警備会社の優秀な社員だった。ヘビースモーカー同士気が合い、業務を共にしていた。
「おい…!」小田切が表情を引き締めて声を掛けた。
竹島もバックミラーの人影に気がついた。時速60キロで走る輸送車に並走するRS。
「ピューマだな。」竹島が頷いた。
ピューマは脚力に優れたRSだ。装着者の能力にもよるが、公道を走る車に追いつく位の事は十分に可能だった。
「振り切るか。」ハンドルを強く握りながら、竹島が尋ねる。
「いいや、ああやって煽りを掛けて事故らせるのが目的だろう。ならば…」
小田切の返事に竹島は路肩に輸送車を停車させた。車から飛び出すと2人は瞬装した。RSはシェパード。警備会社に広く配備されている性能の安定した性能のロングセラーだ。
2人はコンテナを背にグリップを構えた。電磁警棒を伸長させる。
ピューマの強盗団は3人組だった。その内の2人が襲いかかってきた。両腕からヒートブレイドを起動させた。通常は腕部の装甲に収納されている刃は戦闘時には50センチにまで伸長し、赤熱化する。高熱により切れ味を向上させたピューマの標準装備だ。RSの装甲も切り裂く。
だが竹島と小田切はそれを電磁警棒で受けた。シェパードには豊富な戦闘マニュアルがセットされている。その補助によりピューマの猛撃を防ぎきった
その光景を見ていた3人目のピューマがすっと手を上げた。2人のピューマは戦いの最中でもその合図は見逃さず、急に間合いを取り竹島と小田切から離れた。
怪訝そうな竹島と小田切の前に主犯格と思われるピューマが立つ。両腕のブレードが起動する。更に両脚からもブレードが起動した。
身構える竹島と小田切。その前で体を反転し倒立するピューマ。両脚のブレードが2人に襲い掛かる。一見すると両脚を風車のようにぶん回しているだけに見える。だが、その攻撃は正確に急所を狙っていた。
RSにセットされた戦闘マニュアルはイレギュラーの動きには弱い。ピューマの舞踏のような動きは着実に2人の装甲を切り裂いていった。
小田切が必殺の気合共に振り下ろした警棒は空を切り、前のめりになった小田切の後頭部に右脚のブレードが突き刺さる。その小田切の踏み台として、ピューマは跳んだ。空中で右腕のブレードが竹島の両腕を切断し、左腕のブレードが首を撥ねた。ピューマの着地と竹島の首が落ちたのは同時だった。
光進町の原西通りにはストリートパフォーマーが集まっている。ゴツゴツとしたアスファルトの上でアクロバティックなダンスが展開されている。限りなく全裸に近い女達が舞い踊っている。その端では鉄の玉を飲み込む男が客を集めている。真っ当な観光案内には載っていない穴場となっている。
影宮はここで聞き込みを行っていた。非協力的な住人に対して、怒ることもなく、高圧的になることもなく、淡々と聞き込みを続けていた。その影宮に鋭い視線を投げ掛ける者達がいた。顔中にピアスを付け、突き出された舌にもピアスが空けられている男との会話を打ち切った影宮の周りを取り囲む。
「何か御用かな。」かなりの群衆に取り囲まれているにも関わらず、淡々とした口調で言った。
「アンタが晴山を探しているデカか。」取り囲んだ中の1人が言った。元々ここの住人は21世紀初頭からの増加したホームレスや失業者から形成されているため、排他的だ。
「一つ尋ねたい。」影宮は囲まれていること意に介する様子もなく言った。
「サツに俺たちの絆をわかってたまるか。」色めき立つ一堂。
「で…犯罪者の片棒を担ぐという訳か。」淡々とした口調で火に油を注ぐ影宮。
その場の緊張感が限界まで高まる。その中心にいる影宮だけが、平然としていた。
「どうした。何故瞬装しない。」じれたように群集の1人が言った。
「大道芸人に何故その必要があるか?」
その一言が合図のように、群集の中から、人影が飛び出してきた。左のコメカミ目掛けて放たれた右回し蹴りを、影宮は左腕で受けた。相手は茶髪で少年の面影を残していた。
「坊主、公務執行妨害という言葉を知っているのかな。」生徒に数学の問題を出す教師のような口ぶりだった。
「そんなものが怖くて、ここの住人をやってられるかよ。」
「模範解答だ。」
茶髪は後方に飛び、距離を取った。助走をつけ跳ぶ。空中にいる間に左右連続で蹴りこんだが、空振りし、影宮の後方に着地した。
影宮はゆっくりと振り返る。その悠然とした反応に更に逆上した茶髪は更に勢いをつけ跳んだ。影宮の頭上で体を反転し、踵を影宮の脳天目掛け打ち込む。それに対して、影宮の行った動作は僅かに体をずらし、振り下ろされる踵を左手で軽く払っただけだった。それだけで茶髪はバランスを崩し、頭から落下する。そのままの勢いで叩きつけられれば即死は免れなかったが、地面すれすれで影宮の右手が茶髪の頭を支えた。左手で茶髪の腰を支え、ゆっくりと立たせる。
「お見事です。さすがは影狼。」凛とした声が響いた。人垣が分かれ、長髪で紺のスーツをきた男が現れた。
「ここのまとめ役をしている来須と申します。ご用件は私がお伺いいたします。」
「そんな兄貴…」
口を開きかける茶髪に来須は静かな眼差しを向ける。
「相手の力量も分からずつっかかるなとあれほど言っただろう。殺されても仕方がなかった所を無傷で済ませてもらったことを感謝しろ。」
静かな口調だったが、有無を言わせない強さがあった。茶髪は歯をかみ締め、うなだれる。
「さあ、皆も散ってくれ。」
影宮は近くの雑居ビルの屋上に案内された。
「申し訳ありません。ここの者は警察の方に強く警戒心を持っておりますので…」
「金品の要求があるからな。」
「その筋の方々より厄介かもしれません。」来須は薄く笑った。
まとめ役と言っても法的な権限があるのでも、公的な肩書きがあるわけでもない。ただ、住人達の性質上独自の集団、租界を形成している。そこの縄張りや金の流れを実質取仕切っているのがこの男だった。
「晴山というダンサーについて教えてほしい。」
「彼は酒場の女に入れあげています。彼女に聞いてください。」
来須はトパーズという酒場の住所を伝えた。
影宮は頷き、一礼して、階段に向かう。
「わざわざそれを聞く為だけに来たんですか。」来須はその背に声を掛けた。
「それが仕事だ。」振り向きも歩みを止めもせず返す影宮。
「あの場合、彼の命を奪ってもあなたは責任には問われない。又、他の連中を退けることも造作もないことだったでしょうに。」
影宮は足を止めた。
「あの坊主、晴山が面倒をみていたんじゃないか」
来須は無言だった。
「他の連中も警察と表立ってトラブルを起こすリスクを覚悟だった。それだけ晴山という男を慕っていたんだろう。」
「女に溺れた愚か者です。」来須は吐き捨てるように言った。
影宮は振り向いた。視線が合い、来須はフッと笑う。
「あなたは刑事にむいていませんね。」
「かもな。」影宮は階段を降りていった。玄関付近で端末が鳴った。
「すぐ来て。立てこもりよ。」今井からの応援要請だった。
「わかった。」影宮は玄関へ駆け出した。
強盗犯が銀行を襲い、失敗して近くの飲食店に立てこもった。犯罪多発のこの地域ではSWATの出動も待てず、所轄で対応せざるを得なかった。
現場に掛け付けた影宮と安藤は飲食店の裏口に回っていた。
安藤は44マグナムのSWモデル29を抜き、影宮も銃を抜いた。
「そいつは…SWのコンバットマグナムか?」
「特注品だ。」
「ご大層なこった。まあ、この街では44口径以上でないと、ちと厳しいぜ。」
犯罪者がRSを着込んでいるこの時代、中型口径では徹甲弾や炸裂弾を使用するか、或いは大口径を使用するしかない。
安藤は皮肉っぽく笑って裏口のドアを開けた。
強盗犯は飲食店の真ん中に立っていた。青色のRSを装着している。足元には奪った札束のつまったトランクがある。何故こんな事態になったかを自問自答していた。
(逃げる時のことを考えてなかった。)
銀行に行くことだけで、頭が一杯でそこまで頭が回っていなかった。バッテリが切れていることに気がついたのはエンジンが掛からなかった時だった。
(こういう時は人質を盾に車を用意させるんだったか…)
部屋の隅にいた客の1人が入り口に向けて走り出した。
考え込んでいた強盗犯は無造作に腕をそちらに向けた。装着者の視線に応じて照準が微調整され、RSの腕部に内蔵された機銃が鳴る。逃走を図った客は穴だらけにされて倒れる。部屋の中に悲鳴が響く。
苛立った強盗犯は人質を盾に逃走用の車を用意させる、という先程の考えも忘れて、機銃を他の客に向けた。その背中に衝撃を受け倒れた。
安藤が銃を構えたまま調理室から現れる。刑事に広く支給されているRSドーベルマンを装着していた。銃を構えたまま青色のRSに歩み寄る。44マグナムを直撃している相手に対する油断から無警戒なその腕が掴まれる。
強盗犯が購入にしていた最新鋭RSレオパルドンは44マグナムの衝撃を装着者に全く通さなかった。強盗犯は安藤をぶん投げる。
強盗犯は半年前までサラリーマンだった。リストラされ、残った有金でこのRSを購入し、犯行に及んだ。
壁に叩きつけられた安藤に腕部の機銃を向ける。RSのモーションサポートシステムは素人でも容易く人が殺せた。
強盗犯は自分が人を殺めたことは認識しているが、実感はまるでなかった。自身は安全な装甲に包まれ、戦闘行動はコンピューター任せのだから、幾ら殺人を重ねてもゲームのようだった。先程の44マグナム以上の轟音とともに背中から胸を打ち抜かれ、激痛が走った時初めて現実であることを実感した。口から逆流した血が、マスクから、滴り落ちる。
黒いRSを装着した影宮が立っていた。グロテスクなほど巨大なリボルバーが握られていた。
「その銃は…」安藤が立ち上がりながら言った。
「言ったろ。特注品だって。」
影宮は黒いRSニホンオオカミの瞬装を解いた。それと共に異形のリボルバーはコンバットマグナムの形状に戻っていた。
「安藤。あなたいつまでむくれているのよ。」今井がハンドルを握りながら言った。
署に戻るべく、車を北部と南部を分ける栄通りを走らせていた。栄通りは北部と南部、つまり貧富の差を分けていた。南部側に設置された高い塀からは高級住宅街が見える。北部には寂れたスラムが並んでいた。某合衆国が崩壊し、頼れる存在がなくなった日本は他の地球上の国々とは反対に惑星連合に積極的に関係をもった。そのオコボレを与かれた者と与れなかった者の差だった。
助手席に影宮、後部座席に腕を組んで険しい表情の安藤が座っていた。
「危ないところを助けられたんでしょう?感謝しなさいよ。」
「ふん。こいつはただ人殺しをするため刑事になったんだ。」
「ちょっと…」
「確かにこの街では犯罪者を撃ち殺しても問題にもならない。そういう意味じゃお前が、中途採用でここの刑事になったのは正解だろう。だが、そんなに戦いたきゃ、上に居ればよかっただろう。」
影宮は口を開きかける今井を制止した。
「いいんだ。安藤の言うとおりだ。」
宇宙開発がロマンからビジネスに切り替わり、宇宙空間では熾烈な資源の奪い合いが起こっていた。RSを装着して様々な合法非合法を問わず仕事を行う連中は宇宙機士と呼ばれていた。
「俺はその時地球の上空にいた。あるシャトルの護衛でな。」
影宮のいたチームはその戦闘で全滅した。影宮は爆発で吹き飛ばされ、地球の軌道を1週間回った後、奇跡的に発見された。
「…」安藤は無言のままだった。
「お前の言うとおりだよ。宇宙じゃもうやっていけなくて出戻ることになった…済まないがここで降ろしてくれ。」東風町の標識を目にした影宮は今井に声を掛けた。
トパーズという酒場は東風町にあった。
「ここの事はどちらで…?」
ここの女主人の優子は20代後半で、金髪に長身の女性だった。
「ストリートダンサーの皆さんに。」
「そう…あそこの人達もよく来てくださるのよ。」
カウンターで開店前の準備をしながら答える優子。
「晴山という男もよく来ていたんですね。」
「ええ。」優子はグラスを洗っていた。
「彼のことについて教えて欲しいのです。」
「そうは言われても、最近あの人いらっしゃらないので…」
「プロポーズされていたそうですね。」
優子は洗い終わったグラスを磨いていた。
「あの人何をやったの。」無関心な口ぶりで言った。
「強盗です。」
その一言を聞いても優子は特に反応はなかった。
「殺人も犯しています。」
「私も連れて行かれるの?」整った顔立ちには何の感情も表れてはいなかった。
影宮は首を振った。「まだ令状が取れる段階ではありません。」
「それなら私がお答えする必要はないじゃないかしら。」優子は微笑みながら言った。
「ええ、でもあなたは答えるでしょう。
「なぜかしら。」首をかしげる優子。
「厄介払いのチャンスでしょう。」
「…」
「現金輸送車が襲撃されるサイクルが早まってます。今夜あたりその可能性があります。今ならばあなたに捜査が及ぶことはないでしょう。」
頭の中でどのような計算が巡っていたにせよ、優子の浮かべている微笑みは美しかった。
「あの人ねえ。知り合いと一緒に清掃会社をやっているのよ。中古のワゴン車を購入してるみたい。」
「それだけで十分です。ありがとうございました。」
「私ね…他の人からもプロポーズされてるの。南部ブロックの会社員よ。」
影宮の背に優子が声を掛けた。
田中清掃業社と車体に記されたワゴン車が西部と北部をつなぐ7号線を走っている。その車内には作業着を身に着けた3人の男達がいた。
「もう潮時かもしれん。」後部座先に座っている浅黒い精悍な男が呟いた。
「えっ何を言うんだよ。ハル。」助手席の頬のこけた男が、首を曲げて後部座席を見る。
「潮時だよ。権藤。かなり稼いだろう。」ハル…晴山は諭すように言った。
「まだ稼げるだろう。」助手席の権藤と呼ばれた男は不服そうに言った。
「そろそろ裏社会の連中が、俺たちのやっていることに目をつけだしている。…何より影狼が動いてるそうだ。」
その名前が出たことで、車内に沈黙が降りた。
「俺たちはあんたに救われた。」それまで黙っていた運転席の男が口を開いた。
「グループを抜けて、サラリーマン稼業に入ったはいいが、あっさりリストラされて、借金まみれの俺たちはあんたのおかげで生きてこれた。あんたに従うよ。…そうだろう。」最後の一言は助手席の権藤に向けられたものだった。
「わかってるよ、朝村。ホームレスになる位なら、奪ってでも生き残る、そのつもりでやってきたが、確かにもうしんどいよな。」少し肩を落として権藤が言った。
晴山はその肩に手を置き、力を込めて言った。
「このヤマが最後だ。ぬかるなよ。」
権藤と朝村もしっかりと頷いた。
夕闇が迫る中、ゲームセンターの売り上げ金を運ぶ輸送車は銀行へ向けて走らせていた。そのタイヤが急にバーストした。車はスリップし、ガードレールに激突する。
慌てて飛び出してきた警備員達。その首が切断され、胴体が崩れ落ちる。
「よし運び出せ。」ピューマを装着した晴山が命じる。
その言葉に従う権藤と朝村はコンテナに向かう。その姿がライトに照らされる。
「動くな。警察だ。」
覆面パトカーから降り立った安藤と今井はドーベルマンを瞬装する。
「強盗殺人の現行犯で逮捕する。」リボルバーを構えた安藤は叫んだ。
「…」晴山は無言で両腕両脚のブレードを起動させた。安藤に向けてダッシュする。
安藤は撃った。外れる。2発目も同様に外れる。間近に迫ったピューマの姿。安藤は動揺を出来る限り抑制し、3発目の引き金を絞る。
だが、弾丸はピューマの存在していた空間を通過していった。空中に跳んだ晴山はつま先を安藤の装着しているドーベルマンのヘルメットにめり込ませる。崩れる安藤の首筋を狙って振り下ろされた右腕のブレードは、安藤を押しのけて、飛び出してきた今井の電磁警棒に受止められた。
鍔迫り合いの中、今井は自分の警棒に掛かる圧力がフッと消えるのを感じた刹那、胸に衝撃を受けて吹き飛ばされる。今井のドーベルマンの装甲にくっきりと晴山の放った後ろ蹴りの足跡が残っていた。
倒れた安藤と今井に止めを刺そうとした晴山の耳にサイレンの音が聞こえてきた。振り向くと、覆面パトカーが、近くの交差点を急カーブして自分に突っ込んでくるのが見えた。晴山は後方へ跳んで覆面パトカーをかわした。
安藤と今井を庇うようにして停車した車から、影宮が降りた。
「影狼!!」戦いを見守っていた朝村が叫ぶ。
影宮はホルスターからグリップを取り出した。グリップから刀を伸長させる。ニホンオオカミを瞬装した。ゆっくりと晴山に歩み寄る。
晴山はほとんど予備動作もなく跳んだ。数mの距離が瞬時に縮まり、晴山の体は影宮の頭上に移動していた。左右の回し蹴りを打つ。両脚のヒートブレードの輝きが夕闇に幾線もの軌跡を描いた。影宮はそれをチタニウムソードで捌いていく。
晴山はそのチタニウムソードの刀身を蹴り、反動で後方に跳び、着地する。2人は数mの距離で相対する。
(技の切れは格段に上か…)
光進町の一件で、彼らの使う格闘術に関して、把握出来てはいたが、晴山の攻撃の前に回避するのが精一杯だった。
ブラジルで発生したカポエラという武術は、鎖で繫がれた奴隷たちが踊りに見せかけて修練するために生み出された。同様に職を無くした者たちが、いつしか光進町に集まり、道端でパフォーマンスにて辛うじて日々の生計を立てていく。孤立無援のダンサー達が、自分の身は自分で守らねばならぬ苛酷な環境で生み出された格闘術だった。
晴山も又、ピューマのマスクの下で驚きの表情を浮かべていた。これまで蹴りのラッシュを回避されたことはなかった。相手の装甲に傷一つないことも、焦りを増す要因となった。
一気に勝負をつけるべく、晴山はダッシュを掛ける。両腕と両脚のブレードを総動員し、攻勢にでる。だが、その多彩な攻撃を受けきられる。数少ない国産品のニホンオオカミには現在主流になっているモーションサポート機能はない。内蔵装備などのオプションもない。ただ、装着者の動きを精密に人工筋肉にフィードバックさせることにのみ重きを置かれている機体だ。装着者の技量によっては他のRSの運動性能を凌駕する。
幾度かの鍔迫り合いの後、春山の左腕のブレードが叩き折られた。影宮の持つチタニウムソードの刀身には切れ味を向上させる機構はないが、その分強度は高い。影宮自身の技量も伴い、両脚のブレードも叩き折られた。
影宮は、最後に残った右腕のブレードで突っ込む晴山を袈裟切りにする。ピューマの装甲が切り裂かれ、血しぶきがあがる。崩れ落ちる晴山の脳裏には優子の笑顔が浮んでいた。
「確かにストリートダンサーなら、街の雰囲気に溶け込んでいるし、襲撃の計画を立て易いわよね。」輪暮署の捜査一係の部屋。納得顔の今井が言った。
「もうちょっと来るのが早かったらな…当分固焼き煎餅も喰えやしない。」安藤は顎をカクカクやりながら、ぼやいた。
「文句言わないの。残りの2人もリーダー格が倒れたら、おとなしく逮捕されたし万事解決でしょう。」
「それよりもねえ。報告書にRSの密売人を尋問したとの記載があるが、やりすぎてないだろうね。」矢島が言った。
「やりすぎてます。でも係長にご迷惑が掛かるようなことはありません。」影宮はカップホルダーからコーヒーを飲みながら答える。
「そう…それなれば良いんだ。」
「いや、良くはないでしょう。」安藤が指摘する。
「良いんだよ。わたしが定年までそつなく勤め上げられれば。」
矢島の返事に安藤がため息をついた時、捜査一係のドアが開いて東が入ってきた。
「ただいま。」
「おかえりなさい。傷害の件どうでしたか。」今井が訊ねる。
「何、別れ話のもつれってやつさ。」東は上着をデスクに放りながら、答えた。
「酒場の女が客を刺した。男は遊びだったが、女は本気だった。」
「何処の酒場です。」顎をさすりながら安藤が言った。
「東風町のトパーズというところだ。」
「…」
「どうしたの、影宮。」影宮の様子に気づいた今井が声を掛けた。
「いや…何でもない。」答えて影宮は部屋を後にした。
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