第5話

 屋敷の一室。大理石のテーブルに男が3人座っていた。上座で白髪の老紳士風の男が紅茶を飲んでいる。数週間前に海上ドッグから飛び去っていた男だった。

「藤原さん、申し訳ありません。」左隣の男が頭を下げる。七三に分けて、銀縁眼鏡を掛けた役人風の風貌。

「閑職エージェントにしては随分と粘るようで…」言いながら何度も頭を下げる。

「田渕君。」藤原はティーカップを置いた。「先ずあのエージェントが閑職…無能という認識は改めた方がいいですね。」教師が生徒に説明するような口調だった。

「彼は我々の同胞を幾人も倒している。軽んじるのは良くないです。」

「重要な任務を外れて民間人の警護に回されているような奴がですか。」田渕は鼻で笑う。

「政府の連中も馬鹿ではない。我々の目的は分かっていないでしょうが、我々が彼女に固執している事には気が付いている。だからこそ彼を警護に付けている。」

「次は私が行きましょうか。」右隣に座っている男が言った。凄味のあるいかつい顔立ちは反社組織の幹部を思わせる。

「いや、冴木君は海上ドッグの方に行って貰わないといけない。」藤原は思案する。「ここは彼女の弟を利用した方がいいかもしれません。」

「弟を先に狙えと。」早速田渕は立ち上がろうとする。

 藤原はそれを制止ながら噛んで含めるように「いいえ、正面からやりあえば被害が増えるだけ…囮に使うんです。」と言った。

 藤原が田渕にその手筈を説明していると冴木が目配せをする。部屋のドアが無遠慮に開けられた。小太りの小男がノッソリと入って来る。

「おや、お話の最中かな。」

「いいえ、中村さん。もう終わりです。」

「そうだろう。呑気にお喋りをしている場合じゃない。」中村の表情は険しい。

「勿論、その為の相談をしていたのですよ。」藤原はにこやかに言った。

「ふん、無駄な相談をしてもまるで計画が進めんだろう。君にはこの方舟というサイキックの未来を背負う組織の相談役として荷が重いんじゃないか。大体…」

 その中村の文句を遮るように冴木が口を開いた。

「次は私が行きますので。」

 物静かだが有無を言わせない響きは中村を黙らせた。

「方舟のリーダーとして、焦りは禁物ですぞ。」藤原がとりなす。

「…ふ、ふん、まぁ同士の為にも猶予は無い事は分かっていればいい。」

 そそくさと立ち去る中村を眺める3人。田渕は軽蔑を露骨に顔に出す。

「手を出している女性メンバーからせっつかれているんでしょう。」

「方舟の選別から外すと脅して関係を迫っているという事だな。」冴木は僅かに口を歪める。

「フフ…良いじゃないか。今は大事な我々のリーダーだ。」藤原はティーカップを持ちながら穏やかに笑う。


 健児は1人薪拾いをしていた。だが、視線が合って手を止める。視線の主は栗鼠だった。栗鼠は森の奥に走っていった。栗鼠の可愛らしい後ろ姿を見た健児は迷ったが、つい誘惑に負けてしまい薪を置いてその後をついていく。

 1階で仮眠を取っていた早瀬がドアを開ける。理恵子が玄関の外で、心配そうに森の奥を見つめていた。

「どうしたんです。」

「それが、あの子薪を拾ってくると言って戻って来ないんです。」

「いつです。」早瀬の顔に緊張が走る。

「30分位です…あの子、早瀬さんが怪我をしているからと…」

 申し訳なさそうな理恵子に早瀬は微笑む。

「いえ、いいんです。あいつなりに一生懸命やろうとしているんですから。」

 早瀬は森に視線を移す。「探しに行って来ます。」

「私も一緒に行かせて下さい。」

 早瀬は別行動になるリスクを考え、「分かりました。離れないようにお願いします。」と言った。

 早瀬と理恵子は森の中で、健児の置いていった薪を見つける。

「あの子…」青ざめる理恵子。

「積んでいっているという事はここで襲われた訳じゃありません。」

 早瀬は理恵子を慰める。

(とは言え誘き出されたのは確かだな。)

「姉ちゃ〜ん…早瀬さん!」と健児の叫び。

 早瀬と理恵子はその叫びの方角に走る。少し開けた場所で健児は拘束されていた。

 健児の肩を掴んでいるのは若い男女だった。

「健児!」

 駆け寄ろうとする理恵子を制する早瀬は男女を観察する。2人とも登山服を着ている。こちらに虚ろな眼差しを向けていた。

「そちらの坊主を渡して貰えるかな。」

「…」

 拍子抜けする程あっさりと男は健児を解放した。健児は一目散に走り理恵子の胸に飛び込む。周りを伺っていた早瀬は取り囲まれている事に気付く。

 家族連れや老夫婦に、学生グループ…10人位、登山の途中のような出で立ちをしていた。そして一様に虚ろな眼差しをしている。

 早瀬はスマートウォッチを伺いながら理恵子に呟く。「山荘まで全力で走って下さい。」

 理恵子は頷き健児を抱えながら駆け出す。フラフラとその前に立ちふさがる学生グループ。理恵子の肩に摑みかかろうとする1人に顎に掌底を打ち込み、もう1人には足払いを掛ける。

「今の内に…グッ…」と言い掛けた早瀬は背後から衝撃を受けて呻く。

 振り向くと老婦人が拳を振るっていた。その手首は脱臼しているが、まるで痛みを感じている様子はない。その拳を受け止めるが、小柄な老婦人の力ではない。その反動で肩が外れて、呻き声も出さずに転倒する。頭頂部の薄くなった老人が組み付いてくる。体格的に負ける筈の無い早瀬が圧倒される。その過剰な筋力の使用で、老人の靭帯が千切れていく音がはっきりと聞こえる。

 理恵子の悲鳴に視線を向けると、理恵子が家族連れに取り押さえられていた。夫婦から理恵子から健児を引き離している。

 やむなく早瀬は老人の鳩尾に打ち込む。前のめりになった後頭部に手刀を振り下ろすと、ようやく老人は崩れ落ちる。

 理恵子の元に駆け寄ろうとする早瀬だが、左右から小さな影が飛びかかって来る。早瀬は拳を打ち込もうとするが、幼い兄妹と分かり咄嗟に止める。首筋に噛みつこうとする子供を引き離すが、後ろからがっしりとした中年男に組み付かれて、凄まじい力で締め上げられる。

「瞬…装!」と叫ぶ早瀬。

 その音声コードがスマートウォッチを介して基地のAIに伝達される。だが、タローからの返答は、(光着ノ承認不可…)だった。

 スマートウォッチを見ながら唇を噛む早瀬。強化服はあくまでもサイキック専用装備であり、その安全処置としてESPセンサーに反応が無ければ、光着は出来ない。

「フフッそうだろうね、ここにいるのは何の能力も持たない一般人だ。」

 それは最初に健児を囮していた男の手にするスマホからの声だった。そしてその声は早瀬も聞き覚えがあった。海上ドッグから飛び去っていった男のものだった。

「その節はどうも。方舟の顧問を勤めている藤原だ。」

 早瀬は羽交い締めにしている男の脇腹に肘鉄を打ち込む。肋にヒビが入っても呻き声一つも上げないが、僅かに拘束は緩む。早瀬は男を背負い投げで倒して、ショルダーホルスターから警視庁特殊部隊でも使われている拳銃グロックを抜き出す。流石にAクラスのサイキックには心許ないが9mm弾は生身の人間が相手ならば十分な威力だ。

「撃つのかね?」と、藤原が笑いながら言った。穏やかな笑い声に邪悪さが滲む。「彼らはハイキングを楽しんでいただけの一般人だよ。」

 早瀬の額に汗が浮かぶ。ゆっくりと近付いて来る面々の足下に撃ちこむが反応は無い。

「無駄だ。こいつらに恐怖心は無い。私のテレパシー能力で、潜在意識まで完全に制御しているからな。」

 別の声がスマホのスピーカーから聞こえてくる。声の主は田渕だった。

「私の指示通り動くだけの操り人形さ。だが、お前にとっては守るべき市民というヤツだろう。」

 銃口を下ろした早瀬は先頭の髭面の男が振り回してくる腕を取って手首を捻るが、男は関節が壊れる事に無頓着で振り回すのを止めない。人間は身体を痛めない様に無意識にリミッターを掛けている。マインドコントロールによりリミッターを解除された為に、通常以上の力が発揮される。

 男は手首が砕けながら早瀬を転倒させる。その早瀬を残りの面々が拘束した。早瀬は健児と並ばせられる。

「それでは…その拳銃で奴を撃て。」

 スマホからの田渕の指示に、足下に落ちているグロックを拾った学生は早瀬に向ける。

「これでようやく、門を手に入れられる。」と、藤原は満足気に言った。

「門…だと?貴様ら原潜を奪って何をするつもりだ。」

 スマホからは藤原と田渕の笑い声だけが聞こえてくる。学生がノロノロと早瀬に銃口を向ける。

「に、兄ちゃん…」と、健児が悲痛な声を出す。

「泣くな。最後まで諦めずに姉さんを守るんだぞ。」

 自分に向けられた拳銃の引き金が絞られていく瞬間にも早瀬は表情を変えない。

「駄目!」

 理恵子の絶叫と同時に、早瀬と健児の周りの景色が歪む。その歪みが無くなった時、2人の視界には別の場所が映っていた

「ええ…ここは…」

 健児は周りを見回しながら戸惑った。見慣れた今西家の自宅のリビングだった。

「そうか、これが理恵子さんの能力…」と、早瀬は呟く。

 空間を超えて物質を別の場所に転送する能力であるテレポーテーション。この能力を持ったサイキックは早瀬も初めてだった。その希少さこそが方舟という組織が理恵子に固執していた理由だった事がわかった。

「僕のせいで…姉ちゃんが…」

 泣き崩れる健児の肩を掴む早瀬。「諦めるな、と言っただろう。」

「で、でも…」

「理恵子さんはある目的の為に捕まった。それが済むまでは殺されるという事はない筈だ。」

 日頃おちゃらけた態度を取っている時とは違う真摯な表情で言った。

「まだ理恵子さんを救うチャンスはある。俺は諦めない。お前も諦めるな。」

「早瀬さん…待ってて。」

 健児は2階に上がって行った。降りて来た時には手に玩具を手にしていた。

「これは…父さんが亡くなる前に、プレゼントしてくれたものなんだ。」

 健児は玩具を早瀬に手渡す。「持って行って。」

「ああ、メタルナイトだな。俺が観てた頃はマーク7だった。」

「それはマーク13。結構昔のシリーズだよね、マーク7。」

「年の事は言うなよ。そりや世代が違うわな。」

 笑い合う早瀬と健児。笑顔を取り戻した健児の頭を撫でる早瀬。


 海上ドッグに緑色のアメーバ状の物体が、蠢いてる。

「タイプF(Fire)の火炎放射器では。」

「いや、このサイキックの肉体成分を見てみたまえ。」

 ナンバー19の言葉に、センサーを作動させたナンバー50。そのヘッドフォンに、(引火性分アリ、銃火器ノ使用ハ許可出来マセン。)とタローの回答が聞こえる。

「では…どうすれば…」

「このサイキックに攻撃力はない。あれば既に仕掛けて来ているだろう。」

 このアメーバは2人のエージェントを取り囲むように蠢いてる。

「足止め…?」

「地下の秘密施設を守っているカウボーイの元に行かせたくないのだろう。」

「銃火器は駄目、打撃も効果はないでしょう。どうすれば…」

「どうすればいいと思うね?」

 ナンバー50は先輩からの問い掛けに、「タイプW(Wave)…振動波を武器にする新装備がありましたよね。」と、考えながら答える

「あれはまだ開発途中だぞ。」

「でも私達が同時に起動すれば効果も相乗されるでしょう…」と、ナンバー50は間を置いて「如何でしょう?」と続けた。

「ああ、適切な判断だと思う。」

 ナンバー50は、ホッと息を吐いてからAIに伝える。「タロー、タイプWをお願い。」

 2人の強化服の両肩に振動発生装置が形成される。

「これ…スピーカーですよね…」

「まだ、試作品。見栄えが宜しくないのは我慢だ。」

 2人は発生装置を起動する。しばらくは変化のなかったアメーバは急激に全体が波打つ。アメーバの表面に苦悶する人面が浮かんで消える。後には20代前半の若者が倒れてい。ナンバー19はその若者をサーチするが、心肺、脳波共に停止していた。

(やけにあっけなかったが…)

 思案するナンバー19に対してナンバー50が心配そうに声を掛ける。

「何か問題でも…」

「いや。何でもない。」

 2人は光着を解いた。

「もっと自分の判断に自信を持ちたまえ。超越的なサイキックへの対応に絶対的な正解などない。一度方針を決めたら迷わず行動するだけだ。」

「は、はい…」

 初めての叱責に首を竦める後輩に、ナンバー19は微笑む。

「AIはあくまでもサポートに過ぎない。強化服の中に人間が入っている意味を考えたまえ。」


 ドッグから数百メートル程の位置にクルーザー船が停泊している。その船上に立つ方舟の幹部3人。

「竹内は見事に死んでくれました。」と、田淵は満足気に言った。

「ふむ、それでは我々も向かうとしょうかね、冴木君。」

 散歩に行くような口調の藤原に冴木は頷く。藤原と冴木の体が浮かび上がる。空中から藤原は田渕に声を掛ける。

「私たちが行った後暫くしたら、彼を連れて来たまえ。」と、船内を指す。

 船内には方舟のリーダーである中村が船酔いで、寝込んでいた。

「はい。叩き起こします。」と、言いながら田渕は頭を下げた。


「ええ、サイキックの遺体の回収をお願いします…」

 ナンバー19はスマートフォンで、指揮官の盛田と連絡を取っていた。

「はい?ナンバー4と連絡が付かない…まあ殺しても死ぬような奴じゃないでしょう。性格はともかく腕前と悪運はずば抜けていますから…」

 盛田の愚痴を聞き流していたナンバー19は視界にはいったものに表情を引き締める。

「いずれにしても、もうじきケリが付きますよ。」と、言って通話を切った。

「ナンバー19…あれは。」

「ああ、いよいよのようだ。」

 レビテーションによりドッグに降り立った藤原と冴木。

「御機嫌よう、ナンバー19。君のご活躍は聞いているよ。」

「私もあなたの事は聞いてますよ。藤原…元教授。」

「何と…そんな昔の事まで調べているのかね。」

「超心理学の専攻…学会からも黙殺され、いつの間にか引退していたと。」

「いや、お恥ずかしい。己の能力の無さに限界を感じてね。」

「あなたの実験の被験者が幾人も死亡していたのも有耶無耶になったようですね。」

「さて…何の事か。」

 藤原は歩みだす。慌てて遮ろうとするナンバー50。何故かナンバー19はそれを止める。

 怪訝そうなナンバー50に、「教授は下にいるカウボーイにお願いしよう…」と、冴木に視線を反らせずに言った。

 ナンバー50はそれまで意識の外にあった冴木に視線を向ける。明らかにこれまでの刺客とは風格が異なっていた。冴木は金属のボディに変身する。前回のゴーレムとは異なりサイズは等身大のまま。当人の精神を反映して奇抜な形態の多いサイキックの変身体の中で、黄金の武者像のような姿をしている。

「我々は彼のお相手をしよう…光着申請、ナンバー19。」

 我々…という言葉に、ナンバー19は力強く頷く。

「はい!光着申請、ナンバー50。」

 2人の身体に強化服が光着される。ナンバー19はタイプGS(GreatSword)、ナンバー50はタイプR(Rifle)を装備した。

 ナンバー50は左腕のライフルを撃つ。戦車装甲を貫く20m徹甲弾が冴木の胸部に直撃するが、弾は表面に僅かにめり込んだだけだった。続けて撃ち込んだ額の一発も同様に貫通もせずに床に落ちた。

 それまで彫像のように立っていた冴木が右足を軽く踏み込む。10mの距離をひとっ飛びして、ナンバー50の眼前に立つ。

「…!」

 驚愕しつつもナンバー50は咄嗟に銃口を下に向けて、冴木の膝に弾丸を撃ち込むが、至近距離からの弾丸でも貫通はしない。だが、ライフル弾の衝撃は僅かに冴木の姿勢をぐらつかせ、それは冴木の拳の軌道にずれを生じさせ、ナンバー50の頭部の横を通過する事となった。

(スウェーだ。)

 ヘッドフォンからの先輩の指示に、全力で身体を反らせるナンバー50。その視界に大剣通り過ぎていき、冴木に迫る。

 冴木は軽くバックステップするだけで、又10m程の位置に飛び去る。

「的確な反応だ。」

「反応が遅れたら巻き沿いを食うという事は私にも分かりますよ。」

「ああ、君を犠牲にしても仕方ないと思っている。」と、ナンバー19は悪びれずに言った。

「それが嫌なら戦線を離脱したまえ。」

「いえ、あなた1人では勝てそうにありませんので、残ります。」

「生意気を…と言いたいがそうして貰えると助かる。」と、後輩の返答に素直に頷くナンバー19。

「何です。あの身体は。」

「体重は変身前とほぼ変わっていない。だからこその機動性。その上で戦車ライフル弾を至近距離から撃たれたても傷一つない強靭さ。現在の合金技術でも不可能な魔法の金属…そうオリハルコンボディという所か。」

「動きを止めましょう。…タイプB。」

 ナンバー50の強化服の背部にタンクが形成され、伸びたホースが右腕に形成される。

「チャンスは一度だけだ。宜しく頼むぞ。」

 ナンバー19は大剣のスラスターを起動し、冴木に挑み掛かる。

 冴木はオリハルコンの腕を頭上にクロスして大剣の一撃を受ける。足首まで床が陥没するが、耐え切った。たわめた身体にサイキックパワーを込め両腕を突き上げた。ナンバー19は大剣ごと後方に弾き飛ばされるが、大剣のスラスターを巧みに操り空中で態勢を立て直す。その眼前に跳躍した冴木が現れオリハルコンの拳を打ち込む。受け止めた大剣が軋むような音を立てる。

 その戦いを黙って見守るナンバー50。(今、飛び出して行っても足手まといでしかない、今は…)と、堪えて待機し続ける。

 楯代わりの大剣に続けざまに前蹴りを打ち込まれ、ナンバー19は地上へ落下する。大剣を手離して、床を転がる。冴木はその前に着地し、止めを刺すべく拳を振り上げる。ナンバー50はその背後にタイプBの攻撃を行った。

 急に動きが封じられた事に驚く冴木。ナンバー50の右腕のホースから射出された無色のジェルが冴木の全身を包まれていた。冴木がサイキックパワーを込めた両腕を振り回してもジェルが吸収して振りほどく事が出来なかった。

「タイプBはBirdlime…鳥もちの意味だ。」

 ナンバー19が立ち上がりながら解説する。

「戦車ライフル弾すらびくともしないオリハルコンボディもこれには文字通り手も足も出ないだろう。」

 強力な粘着性のジェルは一度発射すれば背中のタンクに再生成されるまで数分掛かる。失敗が許されない為にナンバー50はギリギリまで待機していた。

 ナンバー19は落ちている大剣の柄を握りスラスターを起動する。ゆっくりと浮き上がる大剣を正眼に構える。

「決めさせて貰う。」

 無言のままの冴木に宣言して、跳躍するナンバー19。上空で大剣各部のスラスターを全開にして急加速する。絡めとられたままの冴木の頭上に、強化服のフルパワーで大剣を振り下ろす。

 勝利を確信していたナンバー50は目を疑った。大剣が根元からへし折られたナンバー19がゆっくりとこちらに向かって吹き飛ばされて来る。慌ててその身体を受け止めるが、バランスを崩して膝をつく。

「大丈夫ですか、ナンバー19!」

 苦痛に耐えながらもナンバー19の声は冷静だった。

「…大丈夫ではないね。見たまえ、これまでにない最悪の状況だ。」

 ナンバー50は前方に視線を向け、驚愕する。

 冴木はジェルを切り裂いて立ち上がる所だった。その手には黄金の大剣が握られている。

「あんたらの言葉を借りるならオリハルコンソードという所か。」

 冴木はタイプGSと同サイズの大剣を、スラスターを利用せずとも軽々と振るう。

「このサイズを維持するのはサイキックパワーを消耗するな…決めさせて貰う。」

 今度は冴木がオリハルコンソードを構え跳躍する。それを見上げるナンバー19は呟いた。

「ナンバー50、これで新人研修は終了だ。」唐突に告げるナンバー19。

「一体何を…?」

 怪訝そうなナンバー50に、ナンバー19は折れた大剣を叩き付ける。吹き飛ばされるナンバー50が海上ドッグから落下する前に見たものは、冴木のオリハルコンソードに強化服ごと両断されるナンバー19だった。


 早瀬が方舟のメンバーと交戦した跡はそのままになっていた。藤原は床が陥没した穴にゆっくりと歩み出す。空中に透明な階段でもある様に降りていき、地下通路をそのまま進んでいく。

 広大な地下ドッグに人気は無かった。藤原は停泊している原子力潜水艦を満足気に眺める。

「残念ながらそれは君たちの方舟ではない。我が国のVIP専用だ。」

 藤原が振り向くと、ドッグの奥から装甲服を装着したパンサーが歩いてくる。

「本日の営業は終了かね?」と、両手を広げた藤原が尋ねる。

「万一ドッグが占拠されてもスタッフがいなければ、潜水艦は動かせないだろう。」

「賢明な対応だね。てっきり大部隊が待ち構えているとばかり思っていたよ。」

「うちも経費削減でね、プロフェッサー・フジワラ。」不敵に笑うパンサー。

「SRS部隊の最精鋭が相手をしてくれるのは光栄だよ。」と、藤原も笑顔を浮かべる。

 構えるパンサーと世間話でもしているかのように立っている藤原。

「どうした…何故…」

「変身をしないか…かね。逆に何故サイキックは変身をするのかね。」

「講義かね、プロフェッサー?変身をする事で、サイキックパワーをフルに使えるらしいな。」

「ふむ、肉体と精神は密接な関係を持つ。精神の求める姿になる事で、スプーン曲げ位の力が岩をも持ち上げられる程になる。」

「その為の人体実験か…」と、パンサーは吐き捨てるように言った。

 藤原は教授時代、何人もの被験者に精神障害を発症させ、死に追いやった。大学側も明るみに出るのを恐れ事故として処理したので表沙汰にならなかった。

「講義は終了だ、プロフェッサー。変身しないなら、そのまま細首を捻るだけ…」

 パンサーは藤原に向けて腕を伸ばすが、その腕は途中でピタリと動かなくなった。

「馬鹿…な、これは…」

「そう、私のサイキックパワーで拘束しているのだよ。」

「変身もしていないサイキックのパワーなど…」

「スプーン曲げレベルに過ぎない。でも私のスプーン曲げレベルは…」と、言いながら藤原の笑顔はいっそう深くなっていく。

 3トンのパワーを誇るサイバーリムズがマッチ棒のようにあっけなく折れる。身動きの取れなくなったパンサーの装甲服もへこんでいく。内蔵が圧迫されていくパンサーはあられもなく悲鳴を上げるが、それも直ぐに途切れた。

 藤原はパンサーの死体に見向きもせずに、メンバーの到着を待つ。冴木と田渕、そして田渕に引っ張られて中村がやって来た。

「お待ちしておりましたよ。」、とうやうやしく頭を下げる藤原。

「うん、ご苦労。」

 中村は船酔いで青ざめた顔に精一杯重々しい表情を作った。中村を先頭に一同は潜水艦に向かうが、支えのない艦上では、へっぴり腰の中村は落ちそうになるのを後ろから田渕が支える。

「ロックはされていないようです。」と、ハッチを確認する冴木が答える。

「ふむ、奪えるものなら奪ってみろということか。当然だな。」と、藤原は頷く。

 自動化されて一人でも操縦可能ではあるが、専門的な訓練も受けていない人間が操縦出来る訳もない。

 艦内は電気が通っており、通路にも灯りは付いていた。物珍しそうに辺りを見回すのは中村のみで、他のメンバーはよそ見もせずに艦首の操舵室に向かう。

「それでは宜しくお願いしますよ。」と、操舵席を指して藤原は言った

「ふん、任せておけ。」と、中村は横柄に応えて、席に着く。操舵パネルを覗き込む頭がカメラに変わる。その中村の視界には、パネルを操るエンジニアの腕が映っている。

「ふふ、これだな。」と、一切訓練を行っていない中村はテキパキと操作をしていく。

 操舵室の外では、冴木と田渕が待機している。田渕は皮肉っぽく笑う。

「サイキック能力は当人が深層心理で求めているモノが具現化するという先生の説…あの男を見ていると頷ける。」

「サイコメトリー、その場所の過去の光景を透視する能力か。」と、冴木が返す。

「あの男はのぞきの常習者だった。まさにうってつけの能力だろう。」

 田渕は軽蔑を隠さないが、冴木は無表情のままだった。エンジンの起動音が僅かに響くが、最新鋭の原子力潜水艦は巨体に似合わず驚くほど静かに進水していく。

「いずれにしても今は必要な人間だ。」と、冴木はボソッと呟く。

 遂に方舟は地下ドッグを抜けた。

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