香 と スーツ と オフィスビル
夏の強い日差しと、渋谷らしい鬱陶しいぐらいの人混みの中、キッチリとしたビジネススーツで身を包んだ香が、駅の改札から出てくる。
高校生が着るには些か分不相応とも思える高めのブランドスーツだ。
それを着られているのではなく、嫌み無く着こなしていることから、香はこれを着慣れているのだろう。
香は歩きながらスマホを開くと、地図を呼び出す。
「あっちか」
それを確認して向かう先は、テン・グリップス社のオフィスビルだ。
駅前繁華街からやや外れた場所にある、まだ出来て間もないという新しいビル。
「ここか」
それを見上げてから、香は小さく息を吐く。
「うし」
スマホをしまい、ビルへと足を踏み入れる。
周囲を見回すと小さなカウンターと、その脇に面会票を記入するテーブルがあるのに気がついた。
どうやらこのオフィスでは、訪問者はあそこで面会票を記入して受け付けカウンターに渡すようだ。
訪問相手――
訪問場所――これは空白でいいだろう
訪問理由――11時より面会予定
あとは、自分の名前と電話番号の記入のようだ。
それをすぐ側のカウンターにいる女性へと手渡す。
「すみません。お願いします」
「はい。確認いたします」
受付の女性は、香のような若い男性というには若すぎる相手であっても気にした様子はなく、面会票を見て、どこかに電話を繋いでいる。
女性は電話を置くと、首から提げるタイプの入館証を香に手渡す。
「十階のエレベーターホールで、社長秘書の
「わかりました。ありがとうございます」
入館票を受け取りながらお礼を言うと、香は指示された場所へ向かうべくエレベーターを探す。
(鹿川ねぇ。これで湊の関係者だったら笑うな)
ただその場合、社長がトツカで、秘書がカガワという組み合わせの妙に若干怖くもなってしまうが。
自分の想像に苦笑しながら、エレベーターホールを示した案内板を見つける。
それに従って歩きながら周囲を見回して見す。
全体的にラフな格好をしている人たちが多いので、服装規定などは少ないのだろう。
スーツを着ている人たちは営業などの、外回りの仕事をしている人たちのようだ。
それらに混じって、少々気になる人たちがいるのだが――
(……にしても、それなりに腕利きの人も結構いるな、この会社。
探索者ってだけじゃないな……ふつうに働いてるフリしてるガードみたいな人たちかもしれねぇが)
父の同業者のような人たちも多そうだ。
もっとも、向こうも香のことをさりげない視線で値踏みしているように見える。
田舎者や若造と侮るような視線ではなく、こちらの戦闘能力を探るような感じだ。
(俺みたいなのが社長と面会となると、この人たちもそりゃ警戒するか)
気持ちは分かるので、ヘマだけはしないように気を引き締める。
そうしてエレベーターに乗って十階へと向かい、それから降りると、パンツスーツ姿の長身でスラリとした美人がこちらを見て微笑んだ。
「茂鴨香さんでしょうか?」
「ええ」
向こうの笑みに合わせるようにうなずく香だったが、内心は冷や汗が垂れた。
(やっべぇ……今日イチで一番やべぇのこの人だ。たぶんダンジョン領域外であっても、超人化してるヘタな探索者よりも、強いぞこの人……ッ!)
ある種、自分の上位互換みたいな存在だ。
ボディーガードや殺し屋と言われた方が納得するようなチカラを感じてしまう。
「初めまして、
「……え? 湊? お姉さん?」
そして、そんな人が湊の姉であった事実に驚いて、思わず聞き返す。
「はい。正確には、彼女のお兄さんの嫁ですけどね。
結婚する前から鹿川一家とは付き合いがあるので、妹みたいに思っています」
どうやら本当に、湊の関係者であったようだ。
「そうなんですね。こちらこそ、湊にはお世話になっています」
ダンジョンの中で強い妹に、ダンジョンの外で強い姉。
義姉妹とはいえ、とんでもない姉妹がいるな――と内心で思いつつ、香は静音と握手を交わす。
いや、彼女が自分と同じ超人化適正ゼロとは限らないのだが。
(これで超人化適正あったらちょっと反則すぎるしなぁ……)
どちらかというと、無い人でいてほしいという願望かもしれない。
「では茂鴨さんこちらへ」
「はい」
十階の廊下を進み、案内された場所は『特別談話室』という、ここだけ妙に重そうな扉の部屋だ。
「こちらは部屋の名前の通り、特殊な案件でのみ利用される部屋です。
茂鴨さんと私が本気で手合わせしても、部屋の外には一切の影響を与えないような――そういう造りの部屋になっております」
「それは……」
特別談話の意味が違って聞こえてくるのは気のせいだろうか。
胸中で顔を引きつらせている間に、静音は扉の横に設置された呼び鈴を鳴らす。
「社長。茂鴨さんをお連れしました」
「はい。どうそ入ってきてください」
「どうぞ、お入りください」
そう告げて、静音が重厚な扉を開く。
「失礼します」
ここまで来てビビってなどいられないか――香は腹を括ると、背筋を伸ばして堂々と足を踏み入れる。
中は思ってたより殺風景な、テーブルとイス以外なにもない部屋だった。
戦闘をしても外に影響を与えない部屋ということなので、壊れても良いテーブルとイス以外のモノは配置していないだけかもしれないが。
しっかりと中に入ると、まだ現役の大学生だという女社長が、テーブルを挟んだ向かいのイスを示す。
それに従って、香はそちらへと移動した。
「はじめまして。テン・グリップス社社長の
「こちらこそ、はじめまして。涼ちゃんねるバックアップメンバーの茂鴨 香です。本日はお会いして頂きありがとうございます」
「いえ。こちらこそ、探索者協会経由でお呼びだしするような形になって申し訳ありません」
座ってください――と言われ、香はうなずき、イスへと腰を掛ける。
(この社長も、格闘技嗜んでるな……どうなってんだこのオフィス。武闘派が多すぎるぞ)
秘書の静音ほどではないが、かなりの腕前だ。そして腕前以上に驚くのは、命のやりとりの経験者でありそうところだ。
肩口より長めに伸ばしたストレートな黒髪に、大きめなメガネ。
その見た目から感じる大人しい雰囲気は、図書館の片隅などで本を味わっていそうな文学少女然としている。
それなのに感じる気配は、武闘派という不思議な雰囲気に、戸惑ってしまう。
(探索者……いや、違うな。もっと別の何かを経験しているって感じか?)
なんであれ、単純に手合わせするのも、話術によるやりとりをするにも、手強い相手なのは間違いなさそうである。
「さて、鹿川さんがお茶を持ってくる前に、少し、茂鴨さんの不安をなくしておきましょうか」
「不安……ですか?」
聞き返す香に、十柄社長はうなずく。
「涼ちゃんねるの涼さん――つまりは
「ああ。不安というのはそれですか」
「はい。十柄家は、政界やら財界やらに多少顔の利く古い家柄でもありますし、お家騒動的なモノがないと言えば嘘になりますが――涼さんの家を巻き込むコトはまずないでしょう。というか、あまりにも血が遠くなりすぎて、
なので今回のお話に家系的な話はあまり絡みません。あくまでも、ダンジョン業界、配信業界などに絡んだお話がメインです」
どこまで信じていいのかは分からないが、これを信じないことには話は進まなそうだ。
香はそう判断すると、「わかりました」と了解を示す。
その上で、ややシニカルな笑みを浮かべて訊ねる。
「お家騒動は絡まずとも、大なり小なり政治的なところは絡みますよね?」
「もちろんです。だからこそ、茂鴨さんもこちらと話をしようと思ったのではありませんか?」
「ええ。その通りです」
前哨戦と呼ぶには些細なやりとりだったが、確かに香が不安を覚えていた面は解消されたと言ってもいい。
ふぅ――と、安堵の息を漏らした時、静音がお茶を運んできた。
それぞれの前に、お茶が置かれる。
置かれたお茶で喉を湿してから、社長は口を開く。
「さて、長々と雑談から入るのも良いのですけど、お互い……そういうのは面倒に感じるタイプですよね?」
問われ、香も出されたお茶で喉を湿してからうなずいた。
「そうですね。腹の探り合いをする気がないなら、単刀直入にお願いしたいです」
それを確認すると、社長は「では――」と前置いてから、告げる。
「テン・グリップス社と、十柄家。その二つの名前を後ろ盾に使う気はありませんか?」
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【Idle Talk】
十柄社長は、アメリカの美人実業家イリーナ・ミスキャニィが、赤字で困っているWarbler社を買収するとかしないとかで揉めてる途中に横からかっさらっていった。テン・グリップス社は、それを奪う為に立ち上げられた会社。
日本がインフラにWarblerを頼ってる面が強い以上、アメリカの個人実業家に買われるとまずいのでは?という発想から、父と祖父を説得し出資して貰った。
その条件として、新規に立ち上げる会社の社長をやれと言われたので、苦渋の決断の末に請け負った次第。
内心でひーひー言いながら社長と大学生の二足草鞋をがんばっている。
Warblerだけだと事業として黒くならないので、それ以外の運営もして黒くしないと――となった際、ダンジョンと、そこに絡むIT関連の事業に目を付け、手を伸ばしているうちに、あっという間に会社が大きくなってしまった。現在進行形でうまく行きすぎて戸惑っている。ダンジョンバブル怖い。
ちなみに、香が社長に対して戸惑っているのと同じように、社長も香の高校生らしからぬ迫力と気配に、内心でだいぶ戸惑っているのだが、それはおくびにも出さないようにがんばっていたりする。
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