第三章 始まりの迷宮

第17話 時は過ぎて約一年後

「軽くだぞ。軽く。全力は出すなよ」


「わかっているわ。私をなんだと思っているのかしら」


 ふわりと風が流れる訓練場にて。俺はコテンと首を傾げるアルセリアと距離を取って相対していた。


 俺は剣を握り、アルセリアは自然体で佇んでいる。


「なんだと思ってるって……そりゃあ、悪じょ——っとぉ!?」


 岩杭が地面から飛び出して来るが、俺は咄嗟に避けて事なきを得た。


「ったく。俺じゃなかったらお陀仏だぞ」


 岩杭の先は鋭利になっていて殺意をビシビシ感じる。間違いなくアルセリアは俺を殺そうと魔術を発動したに違いない。


 とはいえ、本人からは殺意を感じないので、俺が避けると信じているから故の暴行だろう。


 まったく嫌な信用のされ方だ。


「この程度、あなたなら避けることは簡単でしょう? いちいち驚かないで欲しいわ」


「はぁ」


 入学した時の暖かな気候と打って変わって、今は空気が冷たく澄んでいる。朝方や夜は白い息が出るほど。剣を振る前に体をほぐさないと怪我をしそうだった。


「これから実戦試験だってのにお前は……くれぐれも迷宮を壊すなよ?」


「善処するわ」


「頼むぜ……」


 そう。俺が苦言を呈した通り、入学から時は流れ今日は実戦試験の前日だ。


 つまり、あの一件……俺とアルセリアのいざこざから、かなりの月日が経っているということになる。


 因みに、あれから喧嘩らしい喧嘩はしていない。言い合いは多少あるが、その日のうちに解消するといった感じだ。


 アルセリアはもちろんながら、俺もまともな方向へ矯正できた結果だろうか。


「じゃあやるか」


「ええ」


 軽口は終わりにして、俺とアルセリアは集中する。これから行うのは軽めの手合わせ。明日の実戦試験に向けた調整といったところだ。


 ピンと空気が張り詰めた。


 軽い手合わせとはいえ、気を抜いていたら一瞬でやられてしまう。なんなら怪我したり死ぬ可能性だってある。


 俺は手加減が得意なのでそのような危険はないが、アルセリアは別だ。


 奴はやる。殺すことはないにせよ、俺の腹をぶち抜く可能性は十分にある。


 たとえ俺が瀕死になったとしても、アルセリアなら治すことができるという事実がタチの悪さを加速させていた。


「——」


 僅かな地面の揺れ。

 確実に岩系統の魔術が組まれていると判断した俺は大きく後ろへ飛び退く。

 瞬間。

 地面から数多もの岩杭が突き出て来た。


 相変わらずの構築速度。

 俺は苦笑を零しながら強く地面を踏み抜く。

 

 姿勢は低く風を切るように接近。

 瞬きひとつの間に、俺はアルセリアの真横に移動した。


 踏み止まる足で地面を抉りながら一点集中の突きを放つ。

 が、アルセリアが組んだ障壁に阻まれる。

 甲高い音が鳴り響いた。


「もう障壁に関しては無意識の領域だな」


「そうね。あなたも更に速くなってるわ」


 互いに一言ずつ交わし、俺が剣を斬り上げてアルセリアが防いだところで距離を取る。


 炎と岩。時々、雷。


 アルセリアお得意の属性魔術が俺に降り注ぐ。

 密度が濃い上に、一つ一つが精密に操作されていて嫌らしい。

 最適な行動を瞬時に繰り出さないと一瞬で詰んでしまう。


 まさに地獄。

 いつもの地獄。


 息を吐く間も無く、俺は回避したり剣で打ち落としたりしていった。


 素の身体能力と技量もこの一年でかなり向上し、それを闘気で強化することによって可能にするこの防御力。


 アルセリアとの手合わせは我慢の連続だ。殆どない隙を見つけ、俺に利がある接近戦で圧倒する。これが常套手段なのだが……。


 やはりそうだ。最近、アルセリアが俺の接近を警戒する度合いが上がった。


 少し前だったら懐に入れた場面でも、今では先回りして魔術で足を止めさせられてしまっている。


 本当に厄介だ。厄介なことこの上ない。これ以上、隙をなくして何になりたいのだろうと、疑問を思い浮かべるばかりだ。


 まあそれが俺にとって最高なのだが。


 圧倒的な才能と弛まぬ努力。この二つが重ね合わさることによって、天井なんか存在しないと言わんばかりに成長し続ける。


 人はその姿を見て畏怖を抱く。

 一方で俺は美しいと感じていた。


 と、色々並べ立てているが、その実は単純でただ好敵手がいるというのが楽しくて仕方がないのだ。


 それ以上でも以下でもない。


 あくまでただそれだけである。


「——シッ!」


 咲き誇る岩と俺の剣の間に火花が散る。


 息も零せぬ緊迫の攻防に互いの感覚が研ぎ澄まされ、どんどん空気が痺れていく。


 やはりこの瞬間は何よりも心地よい。


 だが、あくまでこの手合わせはただの調整に過ぎないので、本気でやり合うわけにはいかなかった。


「――ここまでだな」


「……そうね」


 アルセリアが飛ばした岩の槍を俺が砕いたところで互いに手を止める。


 俺は剣を鞘に納め服の首元を動かし、程よく火照っている体を冷やした。


「じゃあ明日の確認だが……最下層まで行く予定でいいんだな?」


「もちろん。そうでないとつまらないでしょう? あなたは」


「まあな」


 最下層に鎮座している迷宮の主は四級。去年までの俺たちだったら、道中の消耗も考えると厳しい相手だ。


 しかし今の俺たちは、この一年間の鍛錬と冒険者活動によってかなり実力が向上している。流石にまだ三級の魔物は無理だが、七級や六級は比較的楽に倒すことが出来て、五級や四級であっても消耗は少ない。


 というのも、俺が前衛を務めるので、後衛であるアルセリアが攻撃に集中できるのだ。俺が相手の注意を引きつけながら攻撃し、その隙にアルセリアが魔術で一網打尽にする。


 俺という援護の必要ない剣士と、魔術師の中でも上澄みの上澄みの実力を持つアルセリアの二人だからこそ可能な戦術だった。


「だが事前準備は怠らずにやるぞ。いくら俺らが強くても油断すれば一瞬で死ぬのが迷宮だからな」


 前世で冒険者をやっている時、何人も俺より強い冒険者が迷宮で命を落とした。


 その命を落とした原因は、慢心から奇襲の対応に遅れたことや、罠を踏んでしまって危険度は低いのに数多の魔物に囲まれたこと、など非常に下らないものだ。


 防ぎようのない偶然による落命は仕方がないが、防げるのに怠ったせいでの落命はあまりにもダサい。おまけに勿体なさ過ぎる。


 前世で俺はそのことをよく気を付けていたので、凡人ながらも長く冒険者御続けることが出来ていた。


「せっかく四級とかの化け物共とやり合えるんだ。しょうもないことで死んだら死にきれねぇ」


 前世での教訓として、今世では後悔するようなことはしないと決めている。


 だから準備を怠らない。


「とはいえ、もうほとんどの準備はしたからな。後は……装備に不備がないか確認するか」


「それともう一度、迷宮の魔物や構図を見ておきましょう」


「だな」


 前世では何度も迷宮に潜ったことがあるが、今世では初めてだ。故に、久しぶり過ぎて心なしか数日前から高揚している。


 学園の単位取得も大切とはいえ、俺もアルセリアも迷宮踏破、そして四級の魔物を殺すことしか頭になかった。

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